第二十八話 思いちがい

 

 ボロソコから南へ一つ下った小さな宿場町で宿を取った。

 私だけなら雨の中でも野宿できるが、今は幼いユトに加えて病身の青年がいる。

 一人部屋の寝台に青年を寝かせると、私とユトは待ちあいを兼ねた食堂で夕食をとった。


「あんちゃん、なんだこれ! すっげえ旨えぞ!」


 安宿の手抜き料理だが、少年にとっては天上の美味らしい。

 それまで愛想ひとつ見せなかった宿の女将も、ユトから手放しに褒められ、思わず顔を緩めた。


「ほら、たんとお食べ」

 

「むんぐ、おいら、こんなに旨えもん初めて食べた」


「そうかえ、そうかえ」


 どこか崩れた感じがする不愛想な女将だが、笑うと思いのほか愛嬌があった。

 この機を逃さず、無理を頼んでみる。


「女将さん、もう一人の連れが具合悪いから芋粥をもらえないか?」


 それを聞いた女将は、笑顔から一転しかめ面となった。旅籠では病人が歓迎されない。 

 

「もちろん、その分のお金は払うよ」


「ふん、まあそれならいいんだけどね。手間をかけさるんじゃないよ、全く」

 

 彼女はそう言い捨てると、足音高く調理場だろう奥へ引っ込んだ。

 二人きりになったので、気がかりだったことをユトと話しておこう。

  

「ユト、お母さんから君をリントスの街まで連れていくよう頼まれてるんだけど、少し遅くなってもいいかな」


「うん、いいよ。あの兄ちゃんがよくなるまで旅は無理っぽいもんね」


「分かってくれるのか。やっぱり君は頭がいいね」


「へへへ、母さんにもよく褒められたんだぜ」


 少年が手にしたさじの動きが停まった。母親を失った悲しみを忘れるには、どれほどの時間がかかるだろう。きっと、そんな時は来ないのだろう。

 まだあまり手を付けていない自分の皿を少年の前に置く。


「私はもう腹いっぱいだ。ユト、これ食べてくれるか?」


「え、いいの! 後で返してって言ってもダメだよ」


「ははは。後で返すもなにも、そのときはもうお前の腹の中だろう」


「そりゃそうだね」


 二人して笑いあう。

 彼の気を紛らすことができただろうか。

 聡いユトのことだから、私の意図に気づいたかもしれない。


 ◇


 部屋でユトを休ませると、青年を寝かせてある一人部屋へ入る。

 狭い部屋には寝床と机替わりらしい木箱があるだけだ。

 寝床から半分落ちかけていた小柄な体を抱え、位置を整えてやる。井戸を汲んできた手桶で手ぬぐいを濡らし、乱れた髪が汗ではりついた額を拭いておく。

  

「に、兄さん……だめ、早く逃げて……」


 悪い夢でも見ているのだろう。形のいい唇からは、荒い息に混じり、うわごとが洩れてくる。

 せっかく粥を作ってもらったが、これでは無駄になりそうだ。

 上半身を抱きおこし、彼のものである酒筒を口に当ててやる。井戸で新しい水と替えておいたからか、青年は無意識ながら喉を鳴らして飲んでくれた。

 

 水を飲んだのが効いたのか、しばらくすると青年の呼吸が落ちついてきた。 

 木箱に載せておいた粥の木椀を手にすると、部屋を後にする。

 この分だと明日には自分で立てるかもしれない。

 念のため一日様子を見てみるが、明後日にはこの宿をたちたいものだ。

 

 ◇


 目が覚めると板張りの粗末な天井が見えた。

 ここはどこだろう。

 ボロソコの宿ではないようだ。

 そういえば、一人で街道を歩いているとき、持病の腹痛が出たんだった。

 立てなくなって立木にすがりついたところまでは覚えているが、その後どうなったのか。

 枕元にパストール兄さんからもらった酒筒が置いてあるから、盗賊にさらわれたわけではないらしい。

 もしかして、倒れているのをホロゾ兄さんが見つけてくれたのかな。

 そんなことを考えていると、部屋の扉が勢いよく開いた。


「あ、にいちゃん、起きたのか? 大丈夫か? 顔色はいいみたいだな」


 入ってきたのは、農民が着る貫頭衣を身につけた少年だった。

 横になっていた身から、慌てて上半身を起こす。


「おれ、ユト。兄ちゃんの名前は? もう気分は悪くないか?」


 畳みかけるように尋ねられ、言葉に詰まってしまった。


「ぼ、ボクの名前はテリンだ。君が助けてくれたのかい?」


「うん、おいらが助けたんだ。でも、あんちゃんと一緒にだよ」


「お兄様がおられるのだな。その方のお名前――」


 そこまで尋ねたとき、少年の後ろから男性が入ってきた。二十過ぎだろうか。亡くなったパストール兄さんとどこかしら似ている気がしたが、顔つきはそれほど似ているとはいえない。

 なぜそんなことが思い浮かんだんだろう。

 

「ああ、元気になられましたか。街道沿いで倒れられていたんですよ。お名前や住んでいるところが分からなかったので、ここまでお連れしました」


 端正な顔立ちから発せられる、少し低い声は、どこか鈴が鳴る音を思わせる心地よいものだった。

 言葉づかいから考えると、貴族を相手にすることに慣れているようだ。恐らく貴族とつき合いのある平民なのだろう。


「慣れない旅先で病で倒れ途方に暮れておりました。本当に助かりました。ボロソコの宿へ帰れば兄もおります。ぜひお礼をさせてください」


「お気持ちはありがたいのですが、旅を急ぎますから。困った時はお互い様です。どうかお気づかいなさらないでください」


「しかし、こちらとしては、どうしてもお礼を――」


「この子をリントスに住む親戚の家まで送りとどけなければならないんです」


 男性は三度頭を下げ、貴族に対する辞退の礼をとった。

 お礼を受ける気など、さらさら無いらしい。


「そうですか。弟さんを。それはまた、どのようなご事情があって……。

 あ、いや、これは失礼。いらぬ詮索でした」

   

 男性の端正な顔に戸惑うような表情が浮かんだが、それはすぐに消えた。

 

「弟のユトはこの年ですので、まだ旅慣れていませんから、早めにここをたちたいのですよ」


「兄ちゃん、おいら――」


 少年はなにか言おうとしたが、男性が手の甲を彼の口に当て首を左右に振ると、黙ってしまった。

 

「今はしっかりお身体を休めてください。ユト、部屋へ戻るよ」


 男性は、平民から貴族への儀礼にのっとった辞去の礼をした。それを見た少年が、ぎこちないながら一所懸命に兄を真似ようとしていてとても可愛かった。 

 男性の名前をきき逃してしまったと気づいたのは、翌朝目が覚めてからだった。

  

 

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