第二十七話 迷い子
街道沿いのボロソコの街。宿で一人待つテリンは、不安が募るのを抑えられなかった。
今朝、目が覚めると、宿の主から兄ホロゾの不在を聞かされた。
彼が帰るまで宿から出ないようにとも言われた。
父パストール兄さんだけでなく、ゴラ兄さんも死んでしまった。
もう家族は、ホロゾ兄さんしかいないのに。
一緒に連れていってほしかった。
一人だけで過ごした経験がほとんどないテリンにとって、今の状況は心細さが増すばかりだ。
「兄さんはヒエラスという男を追いかけて南へ下ったに違いない」
口に出した言葉は、他に誰もいない部屋でむなしく響いた。
兄を追いかけると決めると、テリンの行動は素早かった。
手荷物のほとんどはホロゾが持ってくれていたから、行李は軽い。
それを肩に担ぐと、宿の主が呼びとめる声を無視して街道へ跳びだした。
そんなありさまだから、道行く旅人たちが雲の動きを見ながら足を速めたことなど気づくはずもなかった。
◇
南に向かう私が足を停めたのは、旧街道がラタ街道と交わる辺りだった。
ユトたちの小屋があった小村を出てから、旧街道を通ることはせず、道なき道を夜通し歩いてここまで来た。
収穫を終えた畑の向こうには、ボロソコの宿場街が見えている。
ユトは歩き疲れ、私の背で寝ている。
その寝息を聞きながら、これからどうするか思案する。
ここらで一番大きな宿場町であるボロソコには、きっと追っ手が待ちかまえているにちがいない。
だが、まだ幼いユトのことを考えると、きちんとした寝床を用意してやりたかった。
私は歩幅を広げ、踏み固められたラタ街道を南へ急いだ。
◇
幼いころから虚弱なところがあるテリンは、歩きだしてまもなく体の不調を感じていた。
ボロソコの街を出てしばらく歩いたところで、軽い目まいと腹痛が襲ってきた。
道端の木陰に座り、腹部を撫でる。こうすると、わずかばかりだが痛みが軽くなる気がする。
幼いころから周期的に訪れる体調不良には、もう慣れている。
しかし、こんな時いつも面倒をみてくれた兄さんたちが側にいない。
それを思うと、急に不安がつのる。
腰の薬袋から常備薬を取りだし口に含む。愛用の酒筒を口に当て、水を飲んだ。
ミスリル製の瀟洒な酒筒は、パストール兄さんからもらったものだ。
「テリンは、その薬が苦手なんだね。これに水を入れておくといいよ」
そう言って頭を撫でてくれた兄さん。
抱えた膝にぽつりぽつりと涙がしたたる。
いや、涙だけではない。
いつの間にか雨が降りだしていた。
見上げた空は、灰色の雲で覆われている。
ここまでがむしゃらに歩いてきたから、天気が崩れかけているのにも気づけなかった。
冷えとともに湿り気が体の芯までしみ込んでくる。
凍える体を木の幹に寄せる。
「兄さん……」
熱っぽい頭に、兄さんたち三人の心配そうな顔が浮かんでは消える。
力を失った両手で木にすがりついても、ざらざらした手触りが返ってくるだけだ。
「あああ……」
独りでここまで来たことを、心の底から後悔しはじめていた。
◇
ラタ街道をしばらく下ったところで、道端で倒れている旅姿の青年を見つけた。
しばらく前に降りだした雨に、街道からは人の姿が消えている。
背中を揺すり、寝ているユト少年を起こす。
「んん? 母さん?」
まだ半分夢を見ている少年を降ろすと、木にもたれかかるように立たせておき、泥で汚れた青年の手首に指を当てた。
脈が早い。おそらくかなり熱が出ているだろう。
青年が手にしていた金属製の酒筒に鼻を近づけてみる。
どうやら中身は水らしい。
酒筒の小さな蓋に水を注ぎ、それを青年の口へもっていく。
半分ほどこぼれたが、なんとか飲んでくれた。
「あんちゃん、この人って病気なの?」
すっかり目が覚めたユトが、心配げな面持ちで青年を見おろしている。
「たぶんね。ここで雨に濡らしておくわけにもいかない。ユト、もう自分で歩けるかな」
「うん、おいら自分で歩けるよ」
ユトにも手伝ってもらい、青年を背負う。
力ない体は、思いのほか軽かった。
さらに強くなった雨の中へ木陰から踏みだす。
菰に巻いた黒剣を私から渡されたされると、ユトもそれを抱え走りだした。
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