第三十二話 テリンの話


 若者が目を覚ましたのは、翌日の朝になってからだった。

 追っ手の気配がある中、彼を背負ったまま暗くなった街道を進むわけにもいかず、たまたま見つけた洞窟で夜を明かしたのだ。

 道から少し離れたところにあるこの洞窟は、旅人が雨宿りにでも使うのか、岩の床には枯草が敷かれていて、隅には薪まで積まれていた。入り口を出たところには、石を積んだかまどまであった。

 洞窟近くに清水が湧いており、水の確保が難しい旅先では、なによりもこれが有難かった。


 ユトはといえば、まるで水を得た魚のようで、石を打ちあわせてかまどの火をおこしたり、木立へ入って山菜や木の実を採ってきたりと、子ネズミのように動きまわっている。

 食事の用意は彼にまかせ、私は青年の様子を見守ることにした。  


「こ、ここはいったい?」


 目が覚め、上半身を起そうとする青年を押しとどめ、再び横にさせる。


「街道脇で見つけた洞窟ですよ。

 それより、お体の具合はいかがですか?

 よくお休みになれていたらいいのですが……」

 

 そう声を掛けると、彼はなぜか恥ずかしそうに顔を背けた。

 

わたくし、いえ、ボクのせいでご迷惑ばかりかけてしまって……」


「ははは、『旅の情けは我が身に返る』と言いますから。昔ながらの迷信を守っているだけですよ」


「そ、そうだ、失礼ですが、あなたのお名前は――」


 青年から答えづらい問いかけがなされたところで、ちょうどユトが洞窟へ入ってきてくれた。


にいちゃん、目が覚めたのか? 顔色がいいから大丈夫だな。

 あんちゃん、ご飯の用意ができたよ!

 言われたとおり、山菜汁を作ってみたよ」


「ご苦労様。こんな山の中で、なにもないところから食事がつくれるんだから、ユトは偉いな」


「エヘヘ、おいら母ちゃんからいっぱい、いっぱい教わったんだ」


 自慢げだった顔が、急に半べそになる。

   

「さすがリーナさんだな。それにユトも立派だよ」


 頭を撫でてやると、少年は出かけた涙を手の甲でぬぐい白い歯を見せた。

 

「だけど、葉っぱに水を入れると火であぶっても燃えねえんだな。

 あれは知らなかったよ。

 やっぱりあんちゃんは物知りだな」


「そうか。本から得た知識だからな。

 うまくいってよかったよ。

 ほら、最後にこれを汁に入れてくれ」


 私が旅の袋から取りだしたのは、手の平ほどの茶色い板だ。

 これは『タント』と呼ばれる携帯食だ。穀物を板状に押し固めたもので、水や湯に漬けほぐしてから食べる。


「へえ、これってホントに食べられるのか?」


「ああ、食べられるぞ。

 そのまま齧ったりするなよ、歯が欠けてしまうぞ」


「へん、おいらそんなにいやしくないやい!」


 ユトは頬を膨らせると、洞窟の外へ跳びだしていった。 

 

「ユト君、とってもかわいいですね。

 あんな弟さんがいて羨ましいです」


 青年は、洞窟の入り口をまぶしそうな顔で見ていた。


「私に似ないしっかり者で助かっています。

 それより、テリンさんもご兄弟が?」


「ええ、兄上が三人。

 でも、そのうち二人は……」


「失礼しました。無理にお話しになる必要はありませんよ」


「いえ、あなたにはぜひ聞いてほしいのです。

 私の家は、貴族の末席にやっと引っかかるような格式で、領地らしい領地も持たないため、父は身を粉にして働くしかありませんでした。


 母は私を産んですぐ亡くなったので、父が男手一つで私を育ててくれました。

 忙しい父のかわりに私の面倒を見てくれたのが、三人の兄上でした。

 厳しいけれど面倒見のいいうえの兄上、この年になっても私を抱きあげて笑う剽軽ひょうきんなかの兄上、そして、いつもかいがいしく身の周りの世話をしてくれたしたの兄上、みんなとても優しくて、私などにはもったい人たちです。

 三人とも父に似合わず武の才能がありましたから、体の弱い私はいつも守ってもらうばかり。

 いつか父や三人の役に立ちたいというのが、私の夢でした」


 洞窟の天所を見つめながら、いつしか青年は涙を流していたが、それを拭おうともせず話を続けた。

 

「貧しいけれど満ち足りた暮らしに変化があったのは、下の兄上が剣闘士となったことがきっかけでした。

 兄の活躍はそれはもう華々しいもので、王都中の話題となり、父の爵位が上がったほどでした。

 ところが、そのことがやがて私たちをどん底へ落とすことになるのです」


 そこまで聞いてもしやと思った私は、自分の動揺を悟られないよう青年に背を向けた。


「ある相手との試合で、下の兄が負けるはずのない相手に負け、命を失ったのです。

 そして、試合で兄が毒をつかったという根も葉もない中傷を受けてしまったのです。

 きっと、卑劣にも相手の男がそんな噂を流したのでしょう。


 爵位を取りあげられ、父は自ら命を絶ちました。

 残された私たち兄妹は、父と兄の仇を討とうと決めました。

 調べてみると、兄を殺した相手は、兄を殺して手に入れた報酬で平民の地位を買い、南へ旅立ったというではありませんか。

 

 私たちは、その男を追い街道を下りました。

 ところが、あろうことか二番目の兄までそいつの手に掛かり殺されてしまったのです。

 五人いた家族ですが、今ではたった二人となってしまいました。

 兄たちを殺したその男が憎いのはもちろんですが、こんな運命を与えた神様を心の底から恨んでいます」


 体の奥底から湧きあがる震えを止めるため、私は両腕を交差させ、自分の身体を抱きしめた。

 

「こんな話なんて、聞くのは嫌ですよね。 

 でも、あなたに聞いてもらったことで、いくらか心が軽くなった気がします」


 私は、強ばった喉から言葉を絞りだした。


「あ、あなたのお兄様、剣闘士をなさっていた方のお名前は?」


「下の兄上の名はパストール。パストール=デューイです。

 とても有名だったので、もしかするとご存じかもしれません」


「……いえ、失礼ですが存じあげません」


「あ、まだお話が――」


 私は立ちあがるのがやっとで、青年が呼びとめる声を背に、ふらつく足で洞窟から逃げだした。 

 

   


  

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