第二章 ラタ街道

第十七話 ラタ街道


 昼過ぎに王都を出発した私は、ラタ街道を歩いて南へ下る。

 夕暮れ時がちかづくと、多くの人や荷馬車が行きかっていた街道も、次第に人通りが減ってくる。

街道沿いの店々も、表戸を閉めだした。

 暗くなる頃には、ほとんど人影が消えた。


 夜行性の魔獣を避けるため、街道といえども夜の間は人が通らない。

 軒先から宿屋の看板を吊るす店の扉を潜った。


 宿屋の中は、魔術灯で意外なほど明るい。四つあるテーブルの向こうにカウンターがあった。

 カウンターの向こうでは、左の眉尻に傷がある男がクリスタルグラスを拭いている。

 私の方をチラリと見ただけで黙っている。あまり商売気がない宿だ。そのためか、テーブルに客の姿は無かった。


 カウンター前の丸椅子に座り、がっしりした体形の男に話しかけてみる。


「こんにちは。

 今晩、泊まれますか?」


 男は黙って頷いた。

 人差し指を立て、首を傾げる。

 一人かという問いだろう。


「私一人です」


 男はカウンターの後ろから、トレーを出した。

 その上には、百ピク硬貨が三枚、並べられていた。

 三百ピク、このような宿にしては、高いのではなかろうか。

 ただ、目立ちたくない私のような身には、この宿は向いているかもしれない。


 トレーに並んだ硬貨の横に、同じだけ硬貨を並べた。  

 男は頷くと、魔術のように鍵を取りだし、私の前に置いた。

    

「ありがとう」


 男は棚に並べてある素焼きの壺を指さしたが、私は首を横に振った。

 それは安酒で、以前一口飲んだだけでひどい目にあったことがある。

 宿の男は肩をすくめると、再びグラスを磨きにかかった。


 私は鍵を手に取り、入り口脇にある階段を二階へと上がった。

 鍵の背についた番号をたよりに、部屋を探す。それは廊下の一番奥にあった。

 どうやら、ここには部屋が五つしかないらしい。他の部屋から人の気配はしなかった。


 ◇


 ヒエラスが眠りに就くころ、旅姿をした三人の男が宿の扉を開けた。

 カウンターの後ろで片づけをしていた男が、そちらを見る。

 三人の内で一際背が高い男が、カウンターに両手を着き口を開いた。


「おい、こういう男を見なかったか?」


 もう一人が懐から皮に書かれた人相書きを取りだす。

 そこには、細面の男性が描かれていた。

 宿の男は首を左右に振った。


「この人、声が出せないんですよ」


 三人目、少年といってもいい小柄な男が、やや高い声でそう言った。

 

「おい、おやじ、そうなのか?」


 カウンターの向こうにいた男が、軽く頷く。

 

「邪魔したな」


 背が高い男はそう言うと、背を向け外へ出ていく。残りの二人がその後を追った。


 ◇


 翌朝、私が二階から降りると、食堂では香ばしい匂いがしていた。

 カウンターに座ると、目の前に焼いた塩漬け肉と茹でた根菜が載った皿が出された。

 どうやら、宿代には朝食が含まれていたらしい。


 褐色のソースがけられた料理は、意外なほど美味しかった。思わず声を上げる。


「旨いなあ」


 宿の男がにやりと笑う。

 不愛想な男は、笑うと愛嬌があった。

 私が食事の礼を言い、宿を出ようとすると、背後から低い声が聞こえた。


「あんた、追われてるぞ」


 振り向くと、男はすでに私が食べた皿を片付けにかかっており、こちらには見向きもしなかった。

 

 ◇


 宿の男はラプラスという名だ。ラタ街道で力を持つ、ある組織の幹部だった。「しゃべらない男」の宿は、脛に傷を持つ者を相手に商売している。 

 そういった人物は、口が利けない男の前で、貴重な情報を漏らすことが度々あった。男は、その情報を組織に上げ、組織はそれを利用してきた。

 それというのも、組織の中心人物が何より情報を重んじていたからだ。その人物は、情報の力により、街道沿いの宿場町から街道全部にその力を伸ばしてきた。

 この宿は、組織が帝都進出する足掛かりとしての役割も担っていた。


 ラプラスは苦笑を浮かべ、今しがた宿を出ていった男のことを思いだしていた。

 どうしてだか知らないが、彼を助けてしまった。人の情けなどに縁のない自分がなぜそんなことをしたのか、自分でも説明できなかった。

 

「こういうことがあるから、人生捨てたもんじゃないのかもな」


 誰もいない場所で彼が発した言葉は、そこにいない彼が敬愛する人物に向けられたものだった。

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