第十話 商家の娘
注目していた男が地面に倒れたとき、観戦していたケイトリンは、我知らず悲鳴を上げた。
対戦相手が剣を突きあげると、観客席が揺れるほどの歓声が上がった。
あの人が殺される。
彼女は、背筋が凍りつくような気がした。
大声で叫びたいが、緊張した喉からは声が出てこない。
対戦相手の若者が倒れている、あの男に近づくと、空に突き上げた剣を振りおろした。
その瞬間、ケイトリンは目を固く閉じたが、周囲の喧騒が急に消えたので不審に思い、恐る恐るまぶたを開いた。
闘技場には二人の男が倒れており、片方の男は周囲がまっ赤に染まっていた。
自分が知っている男がそちらでないと分かり、止めていた息を吐きだした。
あの人、大丈夫かしら?
彼女は倒れている男の元へすぐにでも駆けつけたかったが、幼いころから叩きこまれた
二人の男に肩と足を持たれた男が運び出されると、彼女はそちらへむけ走った。
ざわついている群衆をかき分け、前へ進む。
ケイトリンは、自分がかつてない強い想いにつき動かされていると気づかなかった。
◇
「お、目を覚ましたな」
闘技場の元締めゾラ老人の顔が、私を見下ろしていた。
「親戚の娘さんが来てるぜ」
視界に現れた顔は、商家で会った娘のものだった。
彼女は目に涙を湛えていた。
なぜあなたが?
そう言おうとしたが、毒のせいだろう、舌が痺れていてうまく話せない。
「うるるる」
そんな声が口から洩れる。
再びゾラの声が聞こえた。
「前から怪しいと思ってたが、あの若造、闘技をコケにしやがって。
剣に毒が塗ってあったとはな。
この落とし前は、きっちりつけてもらうぜ」
それは、初めて聞く
私の意識は、そこでまた途絶えた。
◇
目覚めると、木材を格子状に組み合わせた天井が見えた。
上半身を起こすと、胸に包帯が巻かれていると気づく。
そして、ベッドに上体をあずけるように寝ている、娘の姿があった。
私の体が動いたので、それに覆いかぶさっていた彼女が目を覚ます。
「ああ、お目覚めになったのね」
「あの、ここは?」
「私の家よ。闘技場の支配人が、あなたをここへ運んでくれたの」
「そうでしたか。
でも、なぜあなたが?」
「そ、それは、あんな場所に怪我人を置いておくわけにはいかないでしょ」
「……ありがとうございます。
しかし、私には住んでいる家があるのですが」
「そちらには闘技場の支配人が知らせを送ったそうよ。
彼、優秀ね。ウチで雇いたいくらい」
「分かりました。しかし、どうして……」
「怪我人は、黙って寝てればいいのよ。
父にも話してあるから」
娘は目をくるくる回した。
身分が低い私をここに置いておくことで、父親と何かあったのかもしれない。
「お腹が減ったでしょ。あなた、三日も寝ていたのよ」
「えっ? 三日も?」
「ええ。治療師によると、なんでもあなたは蛇の毒を受けたとかで、解毒に時間が掛かったのよ」
治療師の施術は、決して安くはない。
三日も掛ったなら、かなりの金額になったはずだ。
「ありがとうございます」
この娘がなぜそこまでしてくれたか分からないが、ここはお礼を言うべきだろう。
「気にしないで。
私はケイトリン。元気になるまで、ここにいていいのよ」
「はい……」
「スープをもらってくるわ。
あなたは寝ていなさい」
彼女は、私の肩に手を添えた。
上半身を再び横たえた私は、柔らかな寝具の心地よさから、すぐ眠りに落ちた。
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