第二十四話 人質

 村長も務めるメドロの家は、小さな集落に不釣り合いなほど立派なものだった。

 人の背丈ほどある常緑樹の生垣が敷地を囲んでおり、その広さはリーナの小屋が二十軒以上入りそうだった。

 敷地の入り口には、板を乱雑に打ちつけた扉があった。

 先を行くリーナは、停まることなくその扉を押し開け中へと入っていく。私は慌ててその後を追った。

 

 草ぼうぼうの庭を横切ると、板葺き屋根の大きな平屋が構えている。庭に面した引き戸が開け放たれており、部屋の中まで見通せた。そこには、両手を縄で縛られたユトが横たえられていた。

 板の間でぐったりした彼は、その頬から目のあたりにかけ、青黒く腫れている。きっと、ひどく殴られたのだろう。


「ユト!」


 それを見たリーナが魂を引きしぼるような悲鳴を上げた。 

 彼女が屋敷に走りこもうとしたとき、引き戸の陰から、かっぷくのいい初老の男が姿を現した。 

 ざんばら髪で背がそれほど高くない男は、田舎っぽい服の上に都風の袖なしを羽織っており、どこかちぐはぐな印象だった。 


「よく来たな、リーナ。そいつがお前のかくまってたお尋ね者だな?」


 男は薄くなった前髪の辺りをぺちぺち叩きながら、ニヤニヤ笑いを浮かべている。  

 彼がメドロという名の男に違いない。 


「ユトを! 息子を返してください!」


 必死の叫びに男が嘲笑で返すと、屋敷の影から走り出てきた七、八人の男たちが私たち二人の背後を半円にとり囲んだ。


「気をつけろ! そいつ、都の闘士らしいぞ!」


 男たちの一人が声を上げる。

 彼らは、身の丈ほどの棒やクワをそれぞれが手にしている。

 目をぎらつかせている彼らは、しかし、ぎこちない構えからみても、荒事に慣れているようにはとうてい見えなかった。

これなら背中の黒い剣を抜かず、拳闘士の業で対処した方がよさそうだ。

 ただ、私一人なら、ユトのところまで血路を開けるかもしれないが、今は隣にリーナがいる。 

 このまま私だけが家の中へ跳びこめば、その間に男たちがリーナに危害を加えるにちがいない。

 

「ううう、か、母さん」


 束の間の膠着状態は、ユトが洩らしたうめき声で破れた。 

 思わぬ勢いで駆けだしたリーナが、止める間もなく軒下へ跳びこむ。

 板の間へ駆けあがり、開いた扉を走り抜けようとした彼女は、急に向きを変え、勢いよく壁にぶつかった。

 メドロが、横から彼女を蹴りとばしたのだ。

 

「っ……ユ、ユト……」


 這うように息子へにじり寄るニーナだが、メドロがその背を踏みつける。


「動くんじゃねえ! その男が切り刻まれるのを、自分のまなこでよっく見とけ!」 


 私を取り囲んでいた男たちが、じりじりと間合いを詰める。

 これほどの人数は今まで相手にしたことがないが、私には彼らを観察する余裕があった。

 男たちが手にしているのは、そのほとんどが農具で、一人だけ剣を持っていたが、それは錆だらけで、刀身が少し曲がっていた。

 

「やっちまえ!」


 メドロの叫びで闘いが始まった。

 剣を持つ男が切りかかってくる。


「くらえっ!」


 大きな動作は簡単に避けらたが、相手は彼一人ではない。

 地面を踏みこむ音を背後に聞き、とっさに体を横へ逃がす。

 背後にいた大柄な男が振ったくわが、がつんと地面にくい込んだ。

 避けた勢いのまま鍬の柄を踏み折り、再び剣を振りあげようとしている男に当身を食らわす。

 脇腹にめり込ませた拳からは、肋骨を砕く感覚が伝わってきた。


「げえっ!」


 男は顔から地面に倒れた。そしてその体に蹴つまずいた別の男が、目の前に顔を突きだす。それは驚きに歪んでいた。


「コッ!」


 喉に私の裏拳を受けた男は、そんな声にならない音を吐くと、前のめりに倒れた。

 私を囲んでいた男たちに動揺が走り、包囲の輪が乱れる。

 こちらから動き、右前方の男へ走りよる。


「ひぃぃっ……」


 その腹部へ拳を入れる。

 男は声を失い崩れ落ちた。

 

「うわあああ!」

「ひいいい!」

「か、母ちゃん!」


 男達は口々に悲鳴を上げ、転びながら逃げだした。


「くそっ、使えねえヤツらだ!」


 庭から一人近づいてくる私を見て、メドロはそう吐き捨てた。

 

「や、やい、それ以上こっちへ来るな!

 ち、近づきゃ、ぼ、坊主の命はねえぜ!」


 メドロの声は、聞きづらいほど震えていた。 

 それでも足を止めない私を見て、彼は予想外の行動に出た。

 床に横たわるユト少年へ剣を振るったのだ。

 銀色の光は、とっさに少年へ覆いかぶさったリーナの背中を切り裂いた。

 血しぶきを顔に浴びたメドロは、崩れるように座りこんだ。 

 ガタガタと震える男の顔に浮かぶ驚愕を見ると、少年を殺すつもりも、リーナを傷つけるつもりもなかったのだろう。

 

「母さん、どうしたの?! 母さん!」


 上から抱かれたユトが、動かない母親に異常を感じたのだろう。

 リーナの顔色は白く、明らかに処置を急ぐ必要があった。

 あり合わせのもので背中の傷口からの出血を押さえる。

闘士として嗅ぎなれた鉄の匂いが鼻につく。

 メドロが落としていた剣でユトを縛っていた縄を切ると、背負った黒剣を首から吊り、素早くリーナを背負う。


「ユト、自分で歩けるか?」


「う、うん、母さんは……ああああ!」


 母親の背中に走る大きな傷に気づいたのだろう。

 だが、今は少年の気持ちを思いやる余裕などなかった。


「急げ! 家へ帰ってすぐ湯を沸かすんだ!」


 ぐずぐず泣くユトを急きたて、メドロの家を後にする。

 耳元で聞こえるリーナの呼吸が次第に早くなっていく。

 できるだけ背中の彼女を揺らさぬよう歩幅を広げ、小屋への道を急いだ。

    



 

 


   

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