第十三話 自由市民権

 貧民街の小屋に帰ると、さっそく旅の支度を始めた。

 思わぬことで手に入った宝石で、旅の資金は余りあるほどになった。

 後は自由市民の権利を買い、この家をひき払うだけだ。

 服やその他、旅に必要なものは、道すがらに買ってもよいのだから。


「こんにちは。

 こちらに戻ったのですね」


 布を垂らしただけの戸口から入ってきたのは、ゾラの使用人だ。


「商家に行ってみたのですが、入れ違いになってしまいました」


「すまない」


「いえいえ。それより、これをどうぞ」


 彼が渡してくれたのは、布でくるんだ黒剣だった。

 中身を見なくとも、私にはそれが分かった。


「ありがとう。元締めによろしく伝えておいてください」


「はい」


 駄賃を渡すと、若い使用人は笑顔で帰っていった。

 間をおかず、顔役のノリクが入ってくる。


「邪魔するぜ。

 ヒエラス、大変な目にあったな」


「ええ、まさか相手が毒を使うなんて思いませんでした」


「パストールんとこは、当主が死んだらしいぜ」


「えっ!? なぜです?」


「爵位をとり消されたのが、よっぽど堪えたらしい。

 自殺したらしいぜ」


「……そうですか」


「ところで、お前、これから旅に出るらしいな?」


 噂というのは恐ろしいものだ。ほとんど誰にも話していないのに、あっという間に旅のことが広まっている。


「ええ、まあそうですが……」


「じゃ、ここはひき払うのかい?」


「ええ、しばらく帰ってこないつもりですから、そうしようかと」


「まあ、なるべくここは空けとくがな」


「いや、誰かに貸してください。

 少なくとも五年は帰ってきませんから」


「そうかい? じゃ、そうさせてもらうかな。

 ああそうだ、これを言っとかなくちゃな。

 お前が留守の間に、この家を見張ってるヤツがいたんだ。

 俺が追っぱらったがな。

 気になるのは、そいつがパストールん所の者じゃねえかってことだ」


「どういうことです?」


「ヤツは五人兄弟でな。

 一番上のは、役人としてどこかに赴任しているらしいんだが、他の三人はこの街にいるからな。

 ヤツらには、くれぐれも気をつけろよ。

 逆恨みは世の常だぜ」


「なるほど、ありがとうございます」


 俺は家を引きはらう手続きのため、ノリクにいくらか多めに硬貨を渡した。

  

「おい、これじゃ多すぎるぞ」


「今までのお礼と、先ほど知らせてくれたことへのお礼です」


「相変わらず律義なヤツだな。

 それじゃあ、ありがたくもらっとくぞ。

 帰ってきたら寄ってくれよ」


「はい、その時は、またお世話になると思います」


「まあ、自由市民になっちまやあ、こんなところには来ねえかも知れねえが……」


 彼は苦笑いすると、私の肩をポンと叩き、去っていった。


 ◇


 次の日、曇り空のもと、私は役所へ向かった。

 自由市民の権利を購入するためだ。

 役所は一般街区の中央辺りにあるため、普段なら私が近寄りもしない場所だ。

 大きな石造りの二階建てで、ずい分古いものだが、建築魔術の使い手がよほど優秀だったのか、欠けた部分は一か所もなく、古色が良い味を出している。


 入り口に立つ若者に来訪の目的を尋ねられ、目的の部署を教えてもらう。彼に、黒剣を預け、建物の奥へ続く長い廊下を歩く。

 つきあたりにある、飾り気のない木のドアを開ける。そこは、窓のない小さな部屋だった。

 事務机と棚がいくつかある、殺風景な中で数人が事務仕事をしていた。


「自由市民権の放棄? 

 それとも獲得?」


 カウンターに座ると、目の前にいる不愛想な若い女性が、そう尋ねる。


「獲得の方です」


 女性がちょっと驚いた表情をする。


「二十万ピク掛るんだけど……」


 俺は予め用意しておいた革袋を取りだし、机の上に置いた。

 ズシリという重みが私の手に伝わる。

 私、パストール、そして彼の父親が命を懸けた重さだ。


 担当の女性は革袋から硬貨を取りだすと、それを種類別に並べ、いくつかの山を作った。

 紙に何か書きつけているところを見ると、それほど計算が得意ではないらしい。  


「……はい、確かに二十万ありますね」


 彼女は硬貨を布袋に流しこむと、私の前に用紙を広げた。


「こことここ、あとここに自分の名前、ここには住んでいる場所を書いてください。

 この部分は、その街区を担当している顔役に書いてもらってください」


「分かりました」


 どうやら、もう一度ここに来なければならないらしい。


「そのとき手数料として五千ピク必要ですから、気をつけてください」


 なんと、手数料だけで五千ピクとは!

 まさに支配する側の傲慢が現れた数字だ。 


 私は申請用紙を下層階級の服装であるマチスの中にしまうと、入り口で剣を返してもらい役所を後にした。


「ヒエラス!」


 貧民街への道を歩いていると、後ろから声をかけられる。

 それは、大商人の娘、ケイトリンだった。

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