第十九話 荒れ地の邂逅

 私は、草が生い茂る、道とも言えない道を歩いていた。

 今ではラタ街道の脇道となっている旧街道が、かつて王都と南部の都市を結ぶ唯一の連絡路だった頃の名残だろう。

 この道は、ラタ街道から見ると脇道の脇道ということになる。

 人も荷馬車もほとんどが通らないから、荒れ放題となっているわけだ。


 私がこの道を選んだのは、少し先で旧街道がオイレンという宿場町を通るからだ。もし、追っ手があるなら、そこに人を配していると見てまちがいない。

 地図によると、この道はオイレンの東をかすめるように通り、南に抜けている。


 このままこの道を歩き、今夜は、どこかの百姓家に泊めてもらうか、野宿するつもりだった。

 雨に濡れた草は重く、急ぐ足を滞らせた。足に巻いた皮が湿り、重くなったそれはさらに速度を落とさせる。

 急ぐ心に反し、道のりは一向にはかどらなかった。


 右前方に小さな小屋が見えてくる。

 恐らく、オイレンの宿場が近づいたのだろう。


 そこは放牧した家畜が背丈の高い草を食べたのか、見晴らしの良い野原が広がっていた。 

 仕事が終わった後なのか、かなり大柄な農夫が、体を曲げ伸ばししている。

 ただ、彼の周りには、農具らしきものも、家畜も見あたらなかった。


 目が合ったので、頭を小さく下げ、そのまま通りすぎる。

 足元に生える草の丈が次第に長くなる。

 道の続きを探す私の背中に、声が掛けられた。


「おい、お前!」


 ただ、ものを問うだけにしては鋭いその声が、私の警戒心に触れた。

 男の問いかけに答えず、濃く茂る草叢へと足を速める。


 ズンっ


 そんな音が足元でした。


「とまれっ!

 次は警告では済まんぞ!」


 ゆっくり振りかえりながら、音がした辺りを見ると、短い草がめくれ、穴が開いていた。それは畑を荒らす土ネズミの巣と似ていた。

  

 先ほど目にした大柄な男が、少し離れたところに立っている。

 その手には、黒光りする玉が握られていた。


「おい、お前、どこから来た?」


 私が黙っていると、男は左手で懐から羊皮紙を取りだした。彼の視線は紙と私の顔を往復している。


「お前、ヒエラスと言う名か?」


「……いえ、違います。

 私は、ノリクという商人でして」


 とっさのことで、知人の名を拝借してしまったが、ここは仕方ないだろう。

 それより、この男、農夫などではないようだ。


「どっかで聞いたような名だな。

 それより、お前、商人なのに、なぜ荷を持っていない」


 大男は、私を疑っていると見て間違いない。


「人手が足りない親戚筋の商家にわれ、手伝いに向かうところでして」


 私の言い訳に、男は納得しなかった。


「手伝いにな……。

 商家なら、商人用の手形を持ってるはずだな。

 それを見せろ」


「……ただの手伝いなので、旅人用の手形しか持ちあわせていません」


「どうも、怪しいな。人相書きにも似ている。

 布に巻かれた得物も持ってるようだ。

俺は、デューイ家のゴラってもんだ。

 悪いが、一緒に来てもらうぞ」


 私は、「デューイ家」が、剣闘で倒したパストールの姓であることを思いだした。

 

「先を急ぎますので」


 そう言いすて、きびすを返そうとする。


 ズンっ


 先ほども聞いた重い音が、足元でする。

 今ではそれが、何の音か分かっていた。

 背後にいる大男が、手にした鉄球を投げつけたのだ。


「次は当てる。

 俺の『投げ玉』は、手足ぐらい簡単にへし折るぞ」


 彼が使う『投げ玉』という武器は、南方の一部族が戦闘で使うと言われるものだ。

 私も実物を見るのは初めてだった。

 近接戦闘しかできない私には、限りなく相性が悪い武器だ。


 大男は懐から次の鉄球を取りだし、すでに投擲の構えに入っている。

 これは、戦闘が避けられないだろう。

 私は男に正対すると、彼から目を離さぬよう、ゆっくりと肩ひもを外す。

 黒剣を手にすると覆った布を全部は外さず、露わになった柄の所を両手で握った。


「どうやら、俺が当たりを引き当てたみたいだな」


 大男ゴラがニヤリと笑うと、雲間から差しこんだ陽の光に、ぎっしり並んだ彼の歯が白く光った。


「パスのかたきだ。

 まずは手足を一本ずつへし折るぜ」


 静かな声は、かえって復讐心の強さを表していた。


 男が小幅な足取りで前へ出てくる。

 私は、弧を描くように右斜め後ろへ下がった。


 投擲を技とする敵に直線の動きを取れば、それはたちまち敗北に繋がる。

 右肩に担いだゴラの手が、ブンと振られる。

 私は弧の動きを加速し、飛んでくる鉄球を避けようとした。


 しかし、ゴラの動きは、見せかけに過ぎなかった。

 私の動きが停まった瞬間、黒い玉が飛んでくる。

 それは視認するのがやっとの速度だった。

 私が上半身を捻ったのは、闘技で身につけた、無意識の動きだった。


 ズズンッ


 鉄球は、私の左二の腕をかすめ、背後で地面に埋まる音を立てた。

 腹に響くその音で、先に二度、私の足元を抉った投擲は、ただの小手調べだと分かった。


 黒玉がかすめただけで痺れている左手を、黒剣の柄から離す。 

 足の指が見えないこの場所では、男の動きの予測がつけ難い。闘技で鍛えた多くの技が封じられた形だ。

 先ほど玉を避けられたのは、ただの僥倖だと分かっていた。

 

 一瞬の隙に懸けるしかない。

 私は膝を曲げぎみにし、ゴラに跳びかかれるような体勢を取った。

  

 それを見た男は、足を停めることで、今まで詰めてきた距離を少し空けた。

 この男は、戦い慣れている。


 背筋を冷たい汗が流れる。

 この距離で投擲を続けられたら、一方的に攻撃を受けるだけだ。


 私は、思いきって大きく前へ出た。

 男はそれを予想していたようで、右腕を小さく早く振った。

 そして、次の瞬間、私は彼の術中に落ちたと悟った。


 飛んできたのは、一つではなく、七八個の小さな鉄球だった。

 親指の先ほどあるそれは、しかし、当たればそれなりの傷を受けるだろう。

 刹那の判断で、私は顔だけをかばい、その玉を受けながら前へ出た。

 投擲の後にできる隙に賭けたのだ。

  

 小型の鉄球は、私の左肩、左脇腹、右太腿の三か所に当たった。

 衝撃と激痛を無視し、彼めがけ剣を振る。

 その瞬間、私が見たのはニヤリと笑う男の顔だった。


 大男の左肩には、すでにその左手が担がれていたのだ。

 男は左右両方の手で投擲ができたのだ。

 彼が素早く手を振った瞬間、こちらの剣が彼を切るより、彼の鉄球が私の顔面を捉える方が早いと確信した。

 しかし、全力で切りかかった自分の身体を瞬時に止めることなど出来はしない。

 死は次第に大きくなる鉄球の形をしていた。


 バフッ


 そんな音がして、目の前が黒くなる。

 それは私の前に広がった、黒い影だった。

 

「なっ!?」


 大男が上げた驚きの声と共に、影が黒剣の形に戻る、それは私の動きをなぞり、彼を右袈裟懸みぎけさがけにした、


 ばっと血しぶきが飛ぶ。

 男が何も言わずに倒れたのは、即死だったからだろう。


 かろうじて勝ちを拾った安心から身体の力が抜け、両膝を地面に着く。

 私の膝元には、先ほど黒剣が受けとめた黒光りする鉄球が転がっていた。


 安堵の思いが広がると、小型の鉄球をぶつけられた箇所が痛みだす。

 やがてそれは耐えられないほどの痛みとなり、私の意識をおし流した。

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