第八話 貸本屋   

 

 私は地区の顔役ノリクに頼み、代読と代書の仕事を可能なかぎり増やしてもらった。

 そして、貸本屋で過ごす時間をさらに増やした。


 この国では、ほとんどの書籍が非常に高価なため、平民や奴隷はそれを買いもとめる事ができない。そのため発達したのが貸本業で、自由市民が住む地区には知るだけで十以上の店舗があった。

 貴族が住む地区には大きな図書館があると聞くが、それは爵位がないと利用できない。

 

 今まで多くの時間を一軒の貸本屋で過ごしてきた。この店は、自由市民が住む地区の端にある。本来自由市民しか利用できないのだが、隣が貧民街であるため、よほど汚い格好をしていなければ、奴隷でも利用を許している。儲けのために見て見ぬふりをしているのだ。


「いつも精が出るね」


 店を切り盛りしている、恰幅のよい中年女性マノンが声をかけてくる。


「ええ、少し調べたいことができまして」


「あんたは一番のお得意様だからね。

 茶ぐらいは出すよ。後で飲みな」


「ありがとうございます」


 棚を並べた店の奥にはテーブルがあり、利用客は借りた本をここで読む。

 本の持ちだしは、許されていない。

 本を盗み、それを転売しようとする輩がいることから、袋の類は持ちこめない。

 そして、店で働く者が絶えずお客を見張っている。

   

 ただ、もう何年もここを利用しているからか、マノンは私を一人にしてくれる。

 それが分かっているから、私も人が多い休養日は避け店に来るようにしている。


 書棚と書棚で挟まれた狭い通路は、私にとって落ち着ける”巣穴”だ。薄暗いここに籠り本を漁っていると、時間を忘れることができる。

 

 先日、大商人の所で草原の情報を得てから、ガリア地方について調べている。

 ガリア地方は、王都から見て南西の方角にある。

 主な産業は牧畜で、乳製品や衣服の素材が主な出荷品だ。


 古くは『セラン魔術帝国』の帝都があり、その大規模な遺跡があることでも知られている。

 遺跡の地下はダンジョン化しており、それを目当てに冒険者が集まる。


 この遺跡の少し北にセリーンという街があるが、そこから少し距離をおいた西方には山岳地帯が広がっている。

 ガリアの草原地帯は、セリーンと山岳地帯の間に広がっている。

 夢に現れる場所が草原のどこにあるか分からないから、調べる土地はかなりの広さとなるだろう。

 王都からセリーンまでは、街道を歩いて二十日余りの距離で、駅馬車を使えば四日から五日で着く。

 

 ガリア地方については、新しい文献はもちろん、真偽が怪しい伝承の類まで調べたが、驚くほど情報が少なかった。

 魔術帝国時代には、当時の帝都、つまり現在の遺跡から見て西の地方は『呪われた地』と呼ばれ、立ち入ることもできなかったらしい。

 もしかすると情報が少ない理由は、そんなところにあるのかもしれない。


「ヒエラスさん、ヒエラスさん」


 狭い通路で本に夢中になっていると、肩に手が置かれた。

 私は本を読みだすと、時間を忘れてしまうところがある。

 声を掛けてきたのは、店主マノンさんの長女リノンで、母親に似ず、すらりとした体形をしている。

 

「相変わらずですね。

 こうしないと気づかないんですから」


 リノンは、肩に置いた手で私を前後に揺さぶった。


「ああ、ありがとう」


 お礼を言うと、リノンは細面の白い頬を赤く染めた。


「今日は珍しいお茶が入ってるんですよ」


 私が本を書棚に返す時間も惜しいといった勢いで、彼女は私の手を取り、カウンター席へと引っぱっていく。

 ここでは簡単な飲食ができるようになっているが、他所の倍近い値段だからか、あまり利用する者はいない。

 私を椅子に座らせると、彼女はしばらく奥へ引っこんだ。そして、カップを持って出てきたら、良い香りが店中にさっと広がった。


「このお茶、南方の特産品だそうですよ」


 そう言ってリノンが出してくれたお茶は、素晴らしいものだった。

 それは草原の夢を連想させた。そして、なぜか胸を締めつけるほど懐かしかった。

 初めて飲んだお茶にしては、口に馴染んだ。

 草原への思いが高まり、私は再び書棚へ戻ろうとした。


「ヒエラスさん、もうお店を閉める時間ですよ」


 調べものに夢中になるうち、思いのほか時間がたっていたようだ。

 

「そうだ……剣闘に代わられたって本当ですか?」


 リニアは、真剣な目でまっすぐ私を見る。


「ええ、剣闘士になりました」


「ど、どうして、そんな危ないことを?」


「……そうですね。なぜでしょう。

 自分でも、よく分からないんです」


 まだ何か言いたそうな彼女に茶の礼を言い、店を後にした。

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