第二十一話 慟哭


 土間に倒れていた少年を抱えあげ、板の間に運ぶ。

 干草の山を足で崩し、その上にそっと彼を横たえる。

 闘士をしていて身に着けた知識を元に、少年の身体を調べていく。

 鼻先に指を持っていき、呼吸を確認する。閉じた瞼を開かせ、瞳を調べる。胸に耳を当て、心臓の鼓動を確認する。

 命に関わる怪我はしていないようだ。


 頭部をなるべく動かさないように、そっとその下に干草を足し、顔が横に向くような姿勢をとらせた。少年が吐いた時、吐瀉物が喉に詰まらないようしておくためだ。

 身体が冷えないよう、干草で彼の身体を覆っておく。


 柄杓ひしゃく水甕みずがめから水を掬っていると、後ろで悲鳴混じりの声が聞こえた。


「ああっ、ユ、ユトっ!? 

 ど、どうしたのっ!?」


 草履を履いたまま、女性が戸口から板の間に駆けあがる。彼女が手放した籠が転がり、野草らしきものが土間に散らばった。 

 

「腹部を男に殴られたようです。  

 気を失っているだけですから、そのうち目が覚めるでしょう」


 私の声を背に、女性は少年の頬についた涙の痕を両手のひらで包むように拭いている。

 彼女が身を起こしたので、水で湿らせた布を手渡した。

 それで少年の顔や首筋を拭いた女性が、涙を溜めた目でこちらを見た。

 そこには、私が予想していた咎めるような視線ではなく、むしろ感謝のこもった眼差しがあった。

 

「暴力をふるった男は、私を探していたようです」


 私の言葉を聞いても、彼女は軽く頷くだけだった。

 

「村長に近い者が、あなたを探していました」


 没落したとはいえ、かつて貴族だった家の者が私を追っているのだ。彼らには、金銭的な余裕があるのだろう。

 追跡者は、金で村の者を雇ったに違いない。もしかすると懸賞金まで提示されているかもしれない。


「私のせいで、ご迷惑をおかけしました」


 板の間に膝を着き、頭を下げた私の肩に手がかかった。

 南方の果実を思わせる、甘い体臭がほのかに漂った。

 

「あなたのせいではありません。

 息子は私の言いつけを守っただけです。

 さあ、早く横になってください」


 彼女は立ちあがると、私の寝床であった干草の山を整えだした。

 慌ててそれを手伝い、自ら干草の上に身を横たえる。

 緊張の糸が緩んだからだろう、再び発熱した私は朦朧とする意識の中で歌を聞いた。その歌はどこか懐かしく、干草の香りに包まれた私を、夢の中に広がる草原へと連れていった。


 ◇ 


 オイレンから続く旧街道がラタ街道と合流した地点から、徒歩でさらに半日ほど南へ下った所に、宿場町ボロソコがある。

 デューイ家の二人が宿泊する宿にその知らせが届いたのは、彼らがそこに到着してから二日後の夕方だった。

 一階にある食堂のテーブルで、二人が食事に手をつけようとしていると、宿の表扉が勢いよく開き、足音高く一人の男が駆けこんできた。

 宿の受け付けを兼ねたカウンターに倒れ込むように手を着いた男は、息も絶え絶えに言葉を絞り出した。


「お、おい、おやじ、ホ、ホロゾ、ホロゾって人は?」


 宿の者が答える前に、テーブルに着いていた小柄な男が立ちあがった。


「俺がホロゾだが、ここではなんだ、話は部屋で聞こう」


 ホロゾは、手を止めているテリンに食事を続けるよう告げると、男を連れ二階へ上がった。

 決して上等とは言えない部屋は、二つだけ置かれたベッドで、さらに殺風景なものとなっていた。

 二つある木の丸椅子の一つを男に勧めたホロゾは、自分もそれに座った。 

  

「ヒエラスについての知らせだな?」


「へ、へ、ぐぅ……」 


 そんな声を出す男に、ホロゾはもう一度階下に降り、水を持って来なければならなかった。


「げはっ、はあ、はあ、た、大変なんで……」


 男は水が入った陶器に顔を突っこむ勢いだったが、なんとか口が利けるようになった。


「何があった?」


 男の様子に不吉なものを感じ、ホロゾは背筋が冷たくなった。 


「し、死んでたんで!」


「誰かがヒエラスを仕留めたのか?」


「ち、違えやす。

 体のでっけえ男の人が、死んでたんで」


 ホロゾは目の前が暗くなった。まさか……そんなことがあるはずがない! 何かの間違いであってくれ。


「……どういうことだ?」


「メドロさんが、この宿にホロゾって人がいるから、とにかく急いで知らせろと」


 男はそこまで言うと、息が上がったのか、喉を抑え目を白黒させた。

 彼の胸に水差しを押しつけたホロゾは、さっと立ちあがると、階段を駆けおりた。

 一階の食堂では、テリンがちょうどスープを掬った食事箆しょくじべらを口にしようとしていたが、そこへ声を掛ける。


「テリン!

 すぐに発つぞ!」


「に、兄さん、何があったんです?」


 それには答えず、ホロゾは再び二階に駆けあがると、二人分の荷物を手に提げ降りてきて、そのまま表扉に手を掛けた。

 カウンターの向こうから、宿の主人が慌てて声を掛ける。


「お客さん――」


 ホロゾは、一週間、つまり六日分の宿泊費を前払いしていた。


「部屋はそのままにしといてくれ!」


 そう言い捨て宿から飛び出した兄を見て、テリンが慌てて後を追う。

 テリンが兄に追いついても、彼は二人分の荷物を持ったまま無言で足を速めた。


 ◇


 ゴラの遺体は、オイレンの村はずれにある廃屋に置かれていた。

 元は穀物を入れる袋だったのだろう、茶色く汚れたボロボロの布切れの上に置かれた兄の死体を目にした瞬間、テリンは気を失った。

 床に崩れ落ちかけたその体をホロゾが受けとめ、壁際に座らせる。体が冷えぬよう自分の上着を掛けてやり、彼自身は死体の横に膝を着いた。

 眠るような弟の顔を目にしたことで噴き出しそうな感情を無理やり押しとどめると、遺体の首から下に掛けてあったむしろをめくる。ゴラは右肩から胸の中心に掛け切り裂かれていた。

 その切り口を見て、ホロゾは息を呑んだ。

 

 なんだ、これは!?

 長く剣を修行するうちには、達人と呼ばれる者が切った死体を見たこともある。しかし、かつて見たどの切り口と較べても、弟の体に刻まれたそれは異様だった。

 断面があまりにも滑らかなのだ。

 これが死体でなければ、しかも弟のそれでなければ、もともとそういう器官を持っていたと思ったかもしれない。

 しかし、それは紛れもなく弟を死に至らしめた切断面だった。 


 高い剣の技術を持ちあわせているからこそ、ホロゾにはその異常性が分かった。

 そして、具体的な手段は分からないが、剣術に対し絶対に有利な投擲術を持つ弟が敗れたのは、悪運のせいなどではないと確信した。

 せめてもの慰めは、弟が正面から敵と戦ったことだ。

 もし、傷が背中側からのものであれば、ホロゾは正気を保っていられなかっただろう。

 

 壁際で気を失っているテリンを両腕に抱え、彼は廃屋を後にした。

 村長の家に妹を預けた後、再びここを訪れ弟を埋葬するために。


 小さな宿場町オイレンの夜は、男の慟哭で塗りつぶされた。

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