断章

第18話 滅亡

 イェルセリアは、ヒルカニア王国の北の山中にある小さな王国だ。もとは精霊を信仰する僧や神官たちが修行場として使っていた山だった。やがて精霊信仰から独自の宗教が発展し、宗教関係者の指導力をもとに国へ発展してゆくこととなる。その性質から閉鎖的に見られがちだが、どちらかというと来る者拒まず去る者追わず、という姿勢の国であり、興味本位から国へ入る旅人も多かった。

 シャハーブがかの国を訪れたのは、『えいの館』の噂を聞く三年前のことであった。自由と俗世を好む彼がまっさきに避けて通る国のはずだが、彼はなぜか、ほかの旅人と同じように、ふらりと山中へ立ち入った。きっかけがなんだったかは、彼自身もよく覚えていない。

 都は宗教国家らしからぬにぎわいに包まれていた。シャハーブが理由を尋ねて歩くと、どうも今日は、第一王子が王太子として立てられて、はじめて公の場で挨拶をするのだという。いいときに来たと喜ぶべきか、人が多くて面倒だと嫌がるべきか、わからなかった。結局、その「挨拶」が行われるという街の広場に行ってみることにした。シャハーブが着いたときにはすでに行事が始まっていて、あたりは人で埋め尽くされていたが、かろうじて王太子の姿をとらえることはできた。

 シャハーブは王侯貴族と関わりを持たないようにしている。自分の国の王子でもない者がどのような人物か、などと探りを入れる気もなかった。だが、気づけば遠くの立ち姿に見入っていた。

 夜明け前の空のような、青紫色の瞳。珍しい色は、遠くからでもよくわかる。

 そして、その目に宿る光は、流浪の男が息をのむほどに力強い。ただ若々しいだけでなく、責任と覚悟をのみこんだ、重い強さにあふれている。

 王族というより武人のようだ、というのが、かの王太子を見たときの、漠然とした感想であった。



     ※



 先のペルグ王国での戦争以降、シャハーブは再び諸国を旅する生活に戻っていた。ただ、それまでと大きく違う点がひとつある。目的地を決める基準がひとつ増えたのだ。今までどおりの噂と好奇心に加え、無表情な天上人アセマーニーからもたらされる地の呪物の情報である。『叡智の館』を拠点としてなるべく人に会わないようにしているフーリに代わり、彼は呪物の噂がある現地へ赴き、関連する情報を館へ持ち帰っている、というわけだ。

 その生活ももうすぐ一年になろうかという頃、彼はヒルカニア北部の小さな町を訪れていた。小さな町には、活気よりも静寂が満ちていて、旅行者よりも僧や巫覡シャマンらしき白装束の人々が圧倒的に多い。この男にしてみれば見るからに退屈な町だが、付近から呪物の力が流れていると知っては無視できない。それに、彼がここへやってきたのにはもうひとつ理由があった。その理由、今は青い影として見えている、高い山を見てシャハーブは目をすがめた。

「『今のイェルセリアを見てきて』か……まったくモナの奴、簡単に言ってくれる」

 ため息混じりの愚痴をこぼす。そんな彼の脳裏には、少女の快活な笑顔が浮かんでいた。活動的な彼女はイェルセリアになど興味がないと思っていたのだが、山中にある宗教国家という神秘性は、好奇心をくすぐるじゅうぶんな要素だったらしい。自分が行けないからあんたが代わりに行ってきて、とおつかいのように言いつけられたシャハーブは、しぶしぶ四年ぶりの再訪をしようとしていた。

「ううむ、おかしい。どうも、最近、押しに弱くなっている気がする。あいつらと関わりすぎるのも考えものか」

 歌うように呟きながら、シャハーブはひとまず今夜の宿を探した。とはいえ、町の静けさから予想できるとおり、まともな宿屋はない。ひとまず贅沢な考えをぼうに捨て、町の門のすぐそばにある、旅人用の宿屋に泊まることにした。


 夜半、シャハーブはふいに目ざめた。理由には思い至らない。そしてそういうときは、たいてい己の身によくないことが起きる。経験からそう理解していた彼は、いつでも逃げ出せるよう身支度を整えた。

 荷物を背負った瞬間、にごった空気が背中をなでてゆく。でいを口に押し込まれたような不快感が、じわり、と広がった。慣れない感覚。しかしそれがなにかは知っていた。

 地の呪物。天上人の争いの果てに生み出された負の遺産。

「フーリの感覚は間違いないな……!」

 言い終わらぬうちに、彼は息をのんだ。

 小さな揺れが地面から足に伝わり、それはすぐさま大きな揺れへと変わる。耳をつんざく轟音。突き上げるような衝撃。めったに経験しないそれらにシャハーブはひるんだが、すぐに手荷物を頭にやって、その場に伏せた。

 宿じゅうから悲鳴が上がった。それは、すぐに、町の方からも聞こえた。なにかが崩れる低音が立てつづけに響き、そしてじょじょに小さくなっていく。あたりをうかがいつつ身を守っていたシャハーブは、狂乱のさなか、わずかに外が光ったのを見た。

 やがて、揺れは収まった。町はぶきみな静寂に包まれたのち、再びの恐慌に陥った。少なくとも己の命が無事だとわかったシャハーブは、慎重に身を起こす。天井からぱらぱらと降ってくる石の破片に顔をしかめた。屋根の下敷きになってはたまらない、と、彼は混乱の渦を避けるようにして歩きだした。

 宿屋が崩れる前にと、町へ脱したシャハーブは、ひび割れた道や一部が崩れた建物を見やり、眉をひそめる。このあたりはしばしば地震が起きるところだが、今回ほど大きいものは珍しい。闇夜に閉ざされた町の中、人々も途方に暮れていた。

 人の視線を避け、歩く。シャハーブは悩んでいた。事が大きくなる前に脱するべきか、とどまって呪物のことを調べるべきか。悩みながら、彼は町の奥、山の影があった方へとを進めた。

 彼が、町を出ることを決意したのは――昼間、山影を見た方角から煙が上がっていることに気づいたときだった。だが、すぐに反転することなく、彼はその場で足を止めた。かげをさす。煙以外にも、なにか大きな違和感がある気がした。ほどなくして、その違和感の正体に気づいた。

「……なんの、冗談だ」

 煙は山より低いところから上がっている。そう思っていたが、違った。

 煙は、山があったところから上がっていて――そこにはもう、山影は、ない。

 よく目をこらせば、町から山へ続く道もふさがってしまっているようだった。なにかが削れるような、異様な音がする。そしてそのむこうから、風に乗って、にごった呪物の力が漂ってきていた。

 シャハーブは道に出てみた。案の定、すぐそこに山の土砂と礫が流れてきていて、とても先へは進めなかった。だが、呪物の気配は濃くなった。フーリが感じ取った地の呪物の力の源は山の方にある。

 シャハーブはとうとう身をひるがえした。混乱の中をひとり駆け、宿屋の前を通りすぎる。いつも携帯している透明な石から、感情の読めぬ声がしたのは、そのときだった。

『シャハーブ。ものすごく強い呪物の力を感じた。……そちらで何が起きたの?』

 淡々とした声はいつもより、ほんの少し鋭い。男は石をにぎりしめ、煙の上がっている方を振り返る。

「地の呪物の力で、山が消し飛んだ。俺ではそちらへは近づけない。――どうする、フーリ」



    ※



 イェルセリア王国が一夜にして滅んだ、という話が彼の耳に届いたのは、地震から五日後のことだった。

 山近くの町を離れ、被害の少なかった町に腰を落ちつけていたとき、商人らしき人々が噂しているのを聞いた。異様な山国の名を口の中で呟いた彼は――四年前に見た、国と人のことを思う。

「あの王子様はどうなったかね。生きているか、死んでいるか――まあ、生きていても、ろくなことになってないだろうな」

 それに、もはやシャハーブ自身には関わりのないことだ。シャハーブは、噂を聞いた翌日に町を出て、南へ向かうことになる。南へ四日馬を走らせれば、大きな都市がひとつある。そこでフーリと落ち合うことにしていたのだ。

「さあて、〈使者ソルーシュ〉殿が来れば、後は呪物を探る日々、と。忙しくなるぞ」

 みずからを鼓舞するように呟いて、シャハーブは、陽の照りつける街路へ踏み出した。


 それからさらにひと月後。「イェルセリアの王太子が亡くなった」という風の噂を彼は聞くこととなる。

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マーレファ奇譚 蒼井七海 @7310-428

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