第7話 少女
森は昨日と変わらず、
くだんの主は、扉の前で待っていた。あの狼たちと何やら会話をしていたらしいが、シャハーブに気づくと体ごと振りかえる。
「やあシャハーブ、おかえり。ありがとう」
「ああ、戻った。アルサークの斥候どもは来たか?」
「うん。陣営に加わると答えたら驚かれた。だが、『器』は僕にしか扱えないと言ったら納得してくれた」
まっしろな長衣をふわふわ揺らしながら歩み寄ってきた子どもを、シャハーブはまじまじと見下ろす。相変わらず表面からは感情のひとつもうかがえない。
「それは、真実か。それともはったりか」
「真実だ。ほぼ、ね。天の呪物を扱えるのは〈
「ゆかりのある者? よくわからんな」
シャハーブは首をかしげたが、白い〈
「シャハーブはどうだった? いい話は聞けたかい」
「ああ、それなんだが……」
シャハーブは、
「掲げたら雨雲がわく剣、か。『あめつちの剣』かな」
「『あめつちの剣』――そいつは、地の呪物か」
フーリは無言でうなずいた。シャハーブは、頭をかいた。本当の本当にあたりかもしれない。喜んでいいところかどうか、わからなかった。だがフーリは、あくまで淡々と独り言を続ける。
「『あめつちの剣』なら『太陽の書』で対抗できる。でもやっかいなのは、将がそれを持っている可能性が高いということか……僕なら接触できるかもしれないけど……」
「近くには監視がいる、だろうな」
シャハーブは、陽気な口調で独り言に口を挟む。フーリは怒りもせずに首肯したが、すぐに表情をあらためてシャハーブを見上げた。――正確には、彼のむこうに並ぶ木々を。
「『彼ら』が騒いでいる」
「ああ。――おい、冗談抜きで隠れても無駄だぞ。何をする気か知らんが、さっさと出てきたらどうだ」
シャハーブは、フーリの視線の先を振り返ると、わざと大声で叫んだ。隠れても無駄、は本当に本当だ。無駄どころか、下手をすると当人の命が危ない。まあ、『彼ら』はフーリが止めてくれるだろうから、それほど大事にはならぬだろうが。
そんなことを考えていたシャハーブの声がけに、応答はない。かわりに、頑強な弓矢が、風を切って飛んできた。シャハーブは動じた様子もなくそれを避け、矢が草に刺さったところで剣を抜いた。一方、フーリはすたすたと矢に歩み寄って、それを引き抜く。
「毒が塗ってあるわけではないね」
彼は矢じりをながめて淡々と言った。
追撃があるやもしれぬ状況でそこまでやるとは、のんきなのか豪胆なのか。シャハーブは子どもに苦笑しつつ、木の陰をにらんだ。出てこい、と再び叫べば、茂みが揺れる。悔しそうなうめき声が聞こえたが、驚いたことにその声は、ずいぶんと若々しく、そして高い。
そして、陰から姿を現した者を見て、シャハーブは目を丸くした。ただし、瞳に映るのは、〈
襲撃者は、フーリより背が高いが、シャハーブよりは低い。明るい色の髪を橙色の布でまとめている、少年のような少女だった。
「へえ、こりゃ……。まさかお嬢さんだとは思わなかったなあ」
茶化すようなシャハーブのささやきに、少女は答えない。弓をあきらめたのか、すでに背負っている彼女は、そのまま腰の剣を抜いた。それを見た青年は、大仰に両手をあげる。
「おっと、待ってくれよ。せめて、なんで襲ってくるのかくらい教えてくれても、いいんじゃないか」
「あんたたちに教えることなんか、なにもない」
少女は吠えた。はじめて発した言葉は怒気と勢いに満ちていたが、それを抜きにしても、快活、という表現が似合う声である。どうにも聞く耳を持たない少女に困り果て、シャハーブとフーリは顔を見合わせた。
「どうすればいいかな、森への敵意はないようだけれど」
「うーむ。俺も、女子供をいたぶる趣味はないのだが」
「――よくもぬけぬけと言ってくれるね、アルサークの狗が!」
二人ののん気すぎる応酬を聞き、少女の堪忍袋の緒が切れたらしい。今にも斬りかかりそうな姿勢で大喝してきた。そこでようやく、シャハーブもフーリも、彼女が怒りとともに襲ってきた理由を悟る。だが、シャハーブはあえて、とぼけてみせた。
「アルサークの、とはどういうことだ。俺は生粋のヒルカニア人だが」
「しらばっくれるな! アルサークの陣営に加わると話していたくせに!」
「ああ、なんだ。やはり聞いていたのか。地獄耳だな」
「このっ……」とうとう、少女が剣をにぎる手に力をこめた。だが、彼女の動きを手で制した者がいる。
「落ちついてよ、君。あれには理由があるんだ」
白い手を臆することなく突き出したのは、フーリだった。白い〈使者〉に言われ、少女は半歩後ずさる。常人ならぬ雰囲気があるとはいえ、相手は自分より幼い子どもだ。問答無用で斬りかかるには、ためらいがあったのだろう。
はりつめた沈黙が続く。それを破ったのは、苦味に満ちた少女の声だった。
「理由、だって? はん、どんな理由か聞かせてくれよ」
「……教えられることは限られてくるが。僕は、アルサーク軍が持つ『あるもの』を壊さなくてはならないんだ。そのために、彼らの仲間になるふりをした」
「そうすれば相手を油断させられるだろう、と提案したのは俺だがな。純粋な妖精様には本来、そういうずる賢さはなくってね」
フーリがきまじめに教えたので、シャハーブも平然と口を挟む。少女は疑わしげに眉を寄せ、「妖精?」と首をひねった。フーリ、という仮の名を知らなければ、この言葉の意味はわからぬだろう。
「妙ちくりんな奴らだね。あるもの、とか、壊す、とか。あんたら、いったいなんなんだ」
「俺はただの放浪者。こいつは――」
シャハーブは、フーリに一瞬目配せをする。彼がうなずいたのを確認すると、大げさな手ぶりで館を示し、わざとらしい口調で言葉を継いだ。
「『叡智の館』の主殿さ」
それを聞いた少女の反応は、見ものであった。もともと大きい黒茶の瞳を限界までみはり、口を半開きにする。その顔でしばらく固まったあと、ぎこちなく、フーリを指さした。
「え、『叡智の館』のぉ……? この子がぁ?」
「中を見るかい?」
フーリはいつもどおり淡々とした様子で尋ねた。小首をかしげる主殿を見て、少女はそれ以上何を言うこともできなくなったようで、突きつけた指をそっとひっこめる。だんだんおかしくなってきたシャハーブは、とうとう小さく吹き出した。それを見、少女も、自分がそうとうおかしな顔をしていたと気づいたらしい。わざとらしく咳払いした。
「そ、それが本当だったとして!『叡智の館』はどこの国の領土でもないはずだろ。なんでアルサークなんかにつくのさ」
「よく知っているな。だから言ったろう、こいつの仕事のためだ。アルサークにつくのは、あくまでふりだ」
「ふうん……」シャハーブを下からねめつけ、そのままフーリをながめる少女の目は、まだまだ疑い足りないと言っているようであった。おそらく、このまま問答を続けても話が進まない。シャハーブは、話題を微妙にそらすことにした。
「さっきから質問ばかりだが。そういうおまえは、いったいなんなんだ」
「あたし?」
少女はなぜか、威張りくさって胸をそらす。
「あたしはエルデク戦士団一の射手、モナだ! よーく覚えておくんだね」
ますます頭の角度を急にする〈
「エルデク……戦士団というのは、もしかして、戦争に参加することになったとかいう?」
「へえ、そんなこと知ってんだ。でも、あれは一部の奴だけだよ。戦争のために町をからにするわけにはいかないから、義勇兵として志願する奴と、町に残る奴に分かれたのさ。あたしは町に残った方」
「つまり、居残り組か」
「一言多い奴だな!」
あっさりと納得したシャハーブに、モナが犬歯をむき出しにして噛みついた。その光景を『叡智の館』の主だけが、首をかしげて見守っている。男は少女に手を振ると、改めて、まっ黒な瞳を見おろした。
「それで、どうする。エルデク戦士団の弓兵殿。まだ俺たちを疑いたいか」
口の端を持ち上げながら問えば、モナはやけ気味に顔をそらした。
「いいよ、もう。なんか、ばかばかしくなってきた」
「結構。――さて、じゃあせっかくだから、『叡智の館』でも見ていけ」
主そっちのけで勝手に提案する男に、当の主はあっけらかんとしてうなずいた。
「ああ、入るの? どうぞ」
当然のように扉の方へ向かうフーリを見、モナが妙なものを見るふうに目をむいた。
「え、いや、そんなあっさり……。だいたい、なんで『叡智の館』なんて……」
「なんで、っておまえ。本当は自分も戦場に行きたいんだろう?」
シャハーブが言うと、モナは肩をこわばらせて固まった。無表情を装っていても、黒い瞳は雄弁に本音を語っている。シャハーブは、エルデクの少女に、稚気すら感じられる笑みを向けた。
「俺たちはこれから、アルサークの軍中に忍び込んで、奴らにけんかを売りにいく。おまえ――おまえたち、それに協力する気はないか?」
モナは、わずかに唇を開く。その間から声が出るまでには長くかかった。
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