第7話 少女

 森は昨日と変わらず、静謐せいひつな空気に包まれている。シャハーブは館を見いだし、草木を分けていた手を止めた。昨日と違い迷わず着いたのは、間違いなく館の主のおかげである。狼たちに見られてもいるが、昨日ほどの敵意は感じない。主がなにかを言ったのか、シャハーブが彼に対する協力姿勢をとったからかは、わからないが。

 くだんの主は、扉の前で待っていた。あの狼たちと何やら会話をしていたらしいが、シャハーブに気づくと体ごと振りかえる。

「やあシャハーブ、おかえり。ありがとう」

「ああ、戻った。アルサークの斥候どもは来たか?」

「うん。陣営に加わると答えたら驚かれた。だが、『器』は僕にしか扱えないと言ったら納得してくれた」

 まっしろな長衣をふわふわ揺らしながら歩み寄ってきた子どもを、シャハーブはまじまじと見下ろす。相変わらず表面からは感情のひとつもうかがえない。

「それは、真実か。それともはったりか」

「真実だ。ほぼ、ね。天の呪物を扱えるのは〈使者ソルーシュ〉と天の呪物にゆかりのある人だけ」

「ゆかりのある者? よくわからんな」

 シャハーブは首をかしげたが、白い〈使者ソルーシュ〉は答えない。彼がなにも言わないということは、シャハーブが今知る必要のない情報ということだろう。そう判断し、青年は考えることを早々に放棄した。

「シャハーブはどうだった? いい話は聞けたかい」

「ああ、それなんだが……」

 シャハーブは、喫茶店チャイハネで聞いた話をかいつまんで話す。するとフーリは、端正な顔をほんのわずか、ひきしめた。

「掲げたら雨雲がわく剣、か。『あめつちの剣』かな」

「『あめつちの剣』――そいつは、地の呪物か」

 フーリは無言でうなずいた。シャハーブは、頭をかいた。本当の本当にあたりかもしれない。喜んでいいところかどうか、わからなかった。だがフーリは、あくまで淡々と独り言を続ける。

「『あめつちの剣』なら『太陽の書』で対抗できる。でもやっかいなのは、将がそれを持っている可能性が高いということか……僕なら接触できるかもしれないけど……」

「近くには監視がいる、だろうな」

 シャハーブは、陽気な口調で独り言に口を挟む。フーリは怒りもせずに首肯したが、すぐに表情をあらためてシャハーブを見上げた。――正確には、彼のむこうに並ぶ木々を。

「『彼ら』が騒いでいる」

「ああ。――おい、冗談抜きで隠れても無駄だぞ。何をする気か知らんが、さっさと出てきたらどうだ」

 シャハーブは、フーリの視線の先を振り返ると、わざと大声で叫んだ。隠れても無駄、は本当に本当だ。無駄どころか、下手をすると当人の命が危ない。まあ、『彼ら』はフーリが止めてくれるだろうから、それほど大事にはならぬだろうが。

 そんなことを考えていたシャハーブの声がけに、応答はない。かわりに、頑強な弓矢が、風を切って飛んできた。シャハーブは動じた様子もなくそれを避け、矢が草に刺さったところで剣を抜いた。一方、フーリはすたすたと矢に歩み寄って、それを引き抜く。

「毒が塗ってあるわけではないね」

 彼は矢じりをながめて淡々と言った。

 追撃があるやもしれぬ状況でそこまでやるとは、のんきなのか豪胆なのか。シャハーブは子どもに苦笑しつつ、木の陰をにらんだ。出てこい、と再び叫べば、茂みが揺れる。悔しそうなうめき声が聞こえたが、驚いたことにその声は、ずいぶんと若々しく、そして高い。

 そして、陰から姿を現した者を見て、シャハーブは目を丸くした。ただし、瞳に映るのは、〈使者ソルーシュ〉に出くわしたときのような純粋な驚きではなく、どこか意地の悪い光だった。

 襲撃者は、フーリより背が高いが、シャハーブよりは低い。明るい色の髪を橙色の布でまとめている、少年のような少女だった。

「へえ、こりゃ……。まさかお嬢さんだとは思わなかったなあ」

 茶化すようなシャハーブのささやきに、少女は答えない。弓をあきらめたのか、すでに背負っている彼女は、そのまま腰の剣を抜いた。それを見た青年は、大仰に両手をあげる。

「おっと、待ってくれよ。せめて、なんで襲ってくるのかくらい教えてくれても、いいんじゃないか」

「あんたたちに教えることなんか、なにもない」

 少女は吠えた。はじめて発した言葉は怒気と勢いに満ちていたが、それを抜きにしても、快活、という表現が似合う声である。どうにも聞く耳を持たない少女に困り果て、シャハーブとフーリは顔を見合わせた。

「どうすればいいかな、森への敵意はないようだけれど」

「うーむ。俺も、女子供をいたぶる趣味はないのだが」

「――よくもぬけぬけと言ってくれるね、アルサークの狗が!」

 二人ののん気すぎる応酬を聞き、少女の堪忍袋の緒が切れたらしい。今にも斬りかかりそうな姿勢で大喝してきた。そこでようやく、シャハーブもフーリも、彼女が怒りとともに襲ってきた理由を悟る。だが、シャハーブはあえて、とぼけてみせた。

「アルサークの、とはどういうことだ。俺は生粋のヒルカニア人だが」

「しらばっくれるな! アルサークの陣営に加わると話していたくせに!」

「ああ、なんだ。やはり聞いていたのか。地獄耳だな」

「このっ……」とうとう、少女が剣をにぎる手に力をこめた。だが、彼女の動きを手で制した者がいる。

「落ちついてよ、君。あれには理由があるんだ」

 白い手を臆することなく突き出したのは、フーリだった。白い〈使者〉に言われ、少女は半歩後ずさる。常人ならぬ雰囲気があるとはいえ、相手は自分より幼い子どもだ。問答無用で斬りかかるには、ためらいがあったのだろう。

 はりつめた沈黙が続く。それを破ったのは、苦味に満ちた少女の声だった。

「理由、だって? はん、どんな理由か聞かせてくれよ」

「……教えられることは限られてくるが。僕は、アルサーク軍が持つ『あるもの』を壊さなくてはならないんだ。そのために、彼らの仲間になるふりをした」

「そうすれば相手を油断させられるだろう、と提案したのは俺だがな。純粋な妖精様には本来、そういうずる賢さはなくってね」

 フーリがきまじめに教えたので、シャハーブも平然と口を挟む。少女は疑わしげに眉を寄せ、「妖精?」と首をひねった。フーリ、という仮の名を知らなければ、この言葉の意味はわからぬだろう。

「妙ちくりんな奴らだね。あるもの、とか、壊す、とか。あんたら、いったいなんなんだ」

「俺はただの放浪者。こいつは――」

 シャハーブは、フーリに一瞬目配せをする。彼がうなずいたのを確認すると、大げさな手ぶりで館を示し、わざとらしい口調で言葉を継いだ。

「『叡智の館』の主殿さ」

 それを聞いた少女の反応は、見ものであった。もともと大きい黒茶の瞳を限界までみはり、口を半開きにする。その顔でしばらく固まったあと、ぎこちなく、フーリを指さした。

「え、『叡智の館』のぉ……? この子がぁ?」

「中を見るかい?」

 フーリはいつもどおり淡々とした様子で尋ねた。小首をかしげる主殿を見て、少女はそれ以上何を言うこともできなくなったようで、突きつけた指をそっとひっこめる。だんだんおかしくなってきたシャハーブは、とうとう小さく吹き出した。それを見、少女も、自分がそうとうおかしな顔をしていたと気づいたらしい。わざとらしく咳払いした。

「そ、それが本当だったとして!『叡智の館』はどこの国の領土でもないはずだろ。なんでアルサークなんかにつくのさ」

「よく知っているな。だから言ったろう、こいつの仕事のためだ。アルサークにつくのは、あくまでだ」

「ふうん……」シャハーブを下からねめつけ、そのままフーリをながめる少女の目は、まだまだ疑い足りないと言っているようであった。おそらく、このまま問答を続けても話が進まない。シャハーブは、話題を微妙にそらすことにした。

「さっきから質問ばかりだが。そういうおまえは、いったいなんなんだ」

「あたし?」

 少女はなぜか、威張りくさって胸をそらす。

「あたしはエルデク戦士団一の射手、モナだ! よーく覚えておくんだね」

 ますます頭の角度を急にする〈使者ソルーシュ〉の横で、シャハーブは目をみはった。

「エルデク……戦士団というのは、もしかして、戦争に参加することになったとかいう?」

「へえ、そんなこと知ってんだ。でも、あれは一部の奴だけだよ。戦争のために町をからにするわけにはいかないから、義勇兵として志願する奴と、町に残る奴に分かれたのさ。あたしは町に残った方」

「つまり、居残り組か」

「一言多い奴だな!」

 あっさりと納得したシャハーブに、モナが犬歯をむき出しにして噛みついた。その光景を『叡智の館』の主だけが、首をかしげて見守っている。男は少女に手を振ると、改めて、まっ黒な瞳を見おろした。

「それで、どうする。エルデク戦士団の弓兵殿。まだ俺たちを疑いたいか」

 口の端を持ち上げながら問えば、モナはやけ気味に顔をそらした。

「いいよ、もう。なんか、ばかばかしくなってきた」

「結構。――さて、じゃあせっかくだから、『叡智の館』でも見ていけ」

 主そっちのけで勝手に提案する男に、当の主はあっけらかんとしてうなずいた。

「ああ、入るの? どうぞ」

 当然のように扉の方へ向かうフーリを見、モナが妙なものを見るふうに目をむいた。

「え、いや、そんなあっさり……。だいたい、なんで『叡智の館』なんて……」

「なんで、っておまえ。本当は自分も戦場に行きたいんだろう?」

 シャハーブが言うと、モナは肩をこわばらせて固まった。無表情を装っていても、黒い瞳は雄弁に本音を語っている。シャハーブは、エルデクの少女に、稚気すら感じられる笑みを向けた。

「俺たちはこれから、アルサークの軍中に忍び込んで、奴らにけんかを売りにいく。おまえ――おまえたち、それに協力する気はないか?」

 モナは、わずかに唇を開く。その間から声が出るまでには長くかかった。

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