第9話 志士
シャハーブに話を振られたモナが、改めて「あたし、この人たちを手伝いたいんだよ!」と猛烈な主張を始めた。しばらく、部外者二人を無視して砂嵐のような論争が展開されたが、勝者は最初から決まっていたようなものだった。モナが二人に――というよりシャハーブに――ついていくのはよいとして、エルデク戦士団の側にはまだ話しあわねばならぬことが多かった。それらの協議が一段落するまでの間、ひとまずシャハーブとフーリは建物の外で待っておくことにした。
「――不思議だね」
隣で、風がささやくような声がして。シャハーブはそちらに目を向けた。白い髪の子どもが、秀麗な横顔をエルデクの街中に向けていた。彼の瞳が追うのは何か。静かに歩く全身を黒衣で隠した女性か、重たげな壺を運ぶ男か、野良猫を追いまわす少年か。あるいは――その、すべてだろうか。
「人間というのは、つくづく不思議だ。どうして、あんなに大きな声を出してまで、自分の望みを叶えたいんだろう」
「なんだ、口論が嫌だったか?」
「嫌……というより、ただ、不思議だ」
〈
「まー、人間は〈
シャハーブを見上げていたフーリが、ふと表情をほころばせる。と言ってもそれは、よく見ないと気づかないほどの変化だった。
「彼らの姿は、なんというべきか……見守ってあげたくなる感じだね」
「――フーリ?」
「好悪でいえば、好き、なのだろうな。僕は」
珍しい物言いに目を丸めたシャハーブをよそに、フーリは胸に手を当て、静かな口調で呟いた。瞳に宿る感情は薄い。それでもその姿は、天上人とはいえ『人』なのだと、そんな感情を男に抱かせた。
人でありながら、人でない存在。
天上人とは、いったいなんなのか。
扉の軋む高い音が、シャハーブの脳裏をかすめた疑問を打ち消した。戸口には、いつの間にか縮れ毛の若者が立っている。協議の前に聞いたところによれば、彼の名はドゥオというらしい。
「お待たせしました」
「思ったほど待ってはないさ。――ああそれと、あまり堅苦しいのはやめてくれ。俺がやりづらい。こいつはそういうの、端から気にしないしな」
シャハーブが、フーリをうかがいながらそう言うと、ドゥオはまばたきをしたあと、目尻をゆるめてほほ笑んだ。こうして見るとなかなかに愛嬌のある顔立ちをしているようだ。
「わかった。それでは、お言葉に甘えて」おどけるように切り出した彼は、戸口を手で示して、再び二人を招き入れる。そうしながらも言葉を続けた。
「モナのほかに二人ほど、行かせたい人がいる」
「ほお、いいのか?」
「立候補だ」
シャハーブは、一瞬〈
大柄で少し目の大きい者と、彼より頭二つは低く、長めの髪をまとめている者。後者は
「ヒルカニア人か」彼がぽつりと呟くと、その男は目を輝かせた。
「あたり。といっても、南部国境の方の出だけどねえ」
この男はファラーズ、大柄な方はビザンと名乗った。自己紹介をして、さりげなく会話しながら彼らの立ち居振る舞いを観察したあと、シャハーブは横で彫像と化している〈
「じゅうぶん戦力にはなりそうだ。あとは、おまえの視点から見てどう判断するか――だな」
フーリは小さくうなずいた。単純な
淡白なフーリにビザンは戸惑った様子だが、ファラーズは構わず握手を求めたり、あれこれ話しかけたりする。その様子をながめつつ、さりげなく壁際に下がったシャハーブは、団員の一人と目があったことに気づいて笑った。相手は、ドゥオだった。
「やれやれ。ジャン――団長に知られたら怒られそうだなあ」
「なら、やめるか」
「いいや? 防衛に必要な戦力はあるし、本人たちがやる気だからね。止めないよ――特にモナは」
フーリの横で、あまり話さない彼のかわりをしているのか。モナは大きな身振り手振りを使いながら、彼らの会話に加わっている。たくましい少女を見つめる若者の目に、
男の疑念を読みとったのか。ドゥオは、苦笑した。
「もともと、
思いがけない話の始まりに、シャハーブはますます首をかしげた。
「俺が聞いた噂と違うが」
「噂っていうか、
おどけたドゥオはしかし、すぐ神妙な表情に戻る。
「ああ見えて、モナは強い。それに、防衛ではなく攻撃に向いている。戦士団よりペルグの軍隊の方がきっと合う。戦い方だけ見ればね。彼女もそれをある程度自覚している」
「だから志願した?」
「それだけじゃないよ。戦場の近くには、モナの故郷があるんだ。織物業が盛んな、小さな村。故郷のことがどうしても気がかりみたいで、だからこそ自分から『行く』と言い出した。けどね、
「二つのことの、意味はわかるか」と静かに問われ、シャハーブはうなずいた。
簡単な話だ。
「女性が――それも嫁入り前の若い娘が戦いに出るなど何事か、というわけだな。偉い人にもそう断られたんだろう」
「そんな生易しい物言いじゃなかったらしい。
「当然、怒り心頭だったろうな」
「ああ。カンカンだったよ」
静かで軽やかな応酬の後、沈痛な顔をしていたドゥオが、ようやく目もとをゆるめた。シャハーブも、フーリをつつく少女を見やって、声を出さずに笑う。その瞬間、すべてが繋がった気がした。いくら町を守る組織の人間とはいえ、見知らぬ男の確証のない言動だけをあてに、森深くまでそいつを尾行する、などという無茶は滅多にするまい。
「さて。いい助手になってくれるとよいが」
シャハーブが呟いたとき、ドゥオがすっと動いた。壁に持たれるのをやめて、真摯な目でシャハーブを見てくる。何事かと彼が身を起こすと、ドゥオはおごそかに、ささやいた。
「モナをよろしく頼むよ、シャハーブ」
これほどまっすぐに物を頼まれたのはいつ以来のことか。
〈
「任せておけ。女性と子どもには徹底的に親切にする主義だ」
彼が調子よくも言ってのけると、若者は安堵の笑みを顔いっぱいに広げた。
シャハーブとフーリが戦士団の拠点を辞すと、なぜかモナがついてきた。「方向が同じなの」と主張する彼女は、本当にそのままシャハーブの背にくっついてきた。帰ってきたついでに
少女の無邪気な顔と頭の布を見おろしていたシャハーブは、ふと思い立って口を開いた。
「モナ。あの男どもは強いのか?」
「え?」モナがきょとんとして止まってしまったので、シャハーブはそっけなく付け足した。
「ファラーズとビザンだ」
得心したようにうなずいたモナは、唇をとがらせ、彼を見上げる。
「どうしたのさ、突然。シャハーブなら、どのくらい強いかとかわかるんじゃないかなって、思ってたけど」
「まあ、だいたいはな。同じ職場の人間からも話を聞いておこうと思っただけだ」
なあるほど、と呟いた少女は立ち止まり、少しだけ考えるそぶりを見せる。それから、悪童めいた笑みをひらめかせた。
「そこそこ強いよ。居残り組の中じゃ一番じゃないかな」
珍しく、フーリが反応を示す。
「モナは? 強くないの」
「あたし? あたしはそりゃー、弓は一番だと思ってるけどさ。あいつらほど戦いに慣れてないよ。あ、けど、あんたたちの足手まといにはならないから大丈夫!」
『エルデク戦士団一の射手』を自称する少女は、あっけらかんと言ったあと、慌てて付け足した。「そこは心配していない」という意味で小さな肩を軽く叩いたシャハーブは「そのおまえが言うのなら、あいつらも足手まといにはならなさそうだな」と偉そうに言う。元気の良い肯定が返ってきた。
「もちろん! クルク族でも出てこない限りは大丈夫だよ!」
「クルク族、ねえ。最近は傭兵になる奴らもいるらしいから、いないとも限らんが」
クルク族は、おそらく大陸南部を起源とする民族だ。大昔に移動してきて、大陸各所に散った彼らは、氏族ごとに集落を形成して暮らしているとされている。身体能力がずば抜けていて、一国の軍隊を数人で蹴散らしたとか、獅子の群に身一つで突っこんで群の
戦闘訓練を積んだクルク族がどれほどの強さか――想像するだけで背筋が寒くなる。
「いたらシャハーブに任せるよ。あいつらとは戦いたくないからね」
「おい、こら。俺だってあんな化け物連中とは戦いたくないぞ。なんならビザンでも盾にして逃げてやる」
「あははっ、冗談だって」
そんな悪寒をよそに、あるいは忘れようとするかのように、二人はじゃれあいながら、すっかり見慣れた青空
言葉は時として事実を言いあてる。あるいは、事実を引きよせる力がある。彼らはそれを、まだ知らない。
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