第8話 深層

 鮮やかな青色に塗られた扉を開くと、古びた板のにおいがその場に立ちこめた。木箱や書類が雑然と置かれている室内は存外に広いが、窓が小さいせいか薄暗い。薄闇の奥には階段が見え、天井も高いので、おそらく二階建てだ。床板の軋む音を聞きながら、シャハーブは予想以上に整然としている「拠点」の様子に感心していた。

「ふだんは手狭に感じるくらいなんだけどね。今は半分近く団員が出ちまってるから、このとおりガラガラだよ」

 結んだ布の尾を揺らして振り返り、すまし顔で言ったのは、案内人のモナだった。彼女は、部屋の中央あたりで足を止めると、軽く息を吸った。

「モナ、帰りました! あと、お客を連れてきたんだ、少し話を聞いてほしい!」

 続けて吐き出された大声に、しかしシャハーブは平然としている。淑女にはほど遠いこの少女のだいおんじょうには、早くも慣れてしまっていた。戦士団の団員たちも、それは同じなのだろう。誰一人として大声に苦情をつける者はなく、代わりにこぞって二階から下りてきた。十人前後と見える彼らは、シャハーブと隣に立つ子ども、つまりフーリに気づくと、ぎょっと目をみはった。

 彼らを代表してか、先頭にいた若者が、モナを見つめた。背が低く細身でもあるが、ほどよく鍛えられていて身のこなしにも戦士らしさが染みついている赤い縮れ毛の男性だ。おそらく実年齢より幼さの強い顔は、当惑に彩られている。

「客って、彼らか、モナ?」

「それ以外に誰がいるのさ」

「いや……珍しいと思って。旅人と子どもが来るなんてさ」

 最後の一言は小声だったが、シャハーブの耳にはしっかり届いた。だが、なにも言わぬ。最低限の礼として、頭を下げただけだ。――彼らの驚きも、わかるのだ。旅人や子どもが単身で、自警組織の拠点にわざわざ訪ねてくることなど、ほとんどないだろう。ましてその両方が同時に訪ねてくるなど、珍事といっていい。さらにいえば、シャハーブはともかく、フーリはただの子どもではない。

「ようこそ、エルデク戦士団へ。いったいどのようなご用かな」

 戸惑いながらも礼を示したのは、先の若者だ。大きな黒い瞳を見つめ返したシャハーブは、端的に「あなた方に協力していただきたいことがございまして」と告げる。疑問の声が上がるより先に、シャハーブはモナに目配せする。会話の主導権を譲られたことに気づいたモナは、いささか慌てた様子で、口を開く。真昼の太陽のような声が、いきいきと、己の見たものと聞いたことを語りはじめた。



     ※



 館に踏みこんですぐ、モナが目と口を大きく開くのを、シャハーブはにやにやしながらながめていた。自分と違って感情がすぐおもてに出る娘は、見ていて飽きない。打算も何もない振る舞いは、それはそれで好ましかった。

 だが、モナの驚きはすぐに冷めたようだ。もともと、書物に縁がないであろう少女だ。フーリをうさんくさげに見上げると、「あんた、こんな紙だらけのところで暮らしてて飽きない?」と訊いたのである。当の〈使者ソルーシュ〉は軽く首をかしげていた。

 大まかに館の中をモナに見せたフーリは、書物じたいには興味を示さない少女をじっと見やった。それをながめていたシャハーブは、遅れて、彼の目がモナだけでなく自分もとらえていることに気づいた。

「フーリ?」

「二人とも、ついてきて。『奥』を二人に見せたい」

 淡々と言ったフーリは、それからモナに呼びかけた。

「モナ。これから見せるものを判断材料にするといい。事が事だから、僕も人間の少女に無理強いはしたくない」

 モナは、はっと息をのんだ後、重くうなずいた。彼女は、館に入る前のシャハーブの問いに、「あたし一人じゃ決められないよ。見るだけ見てから、戦士団のみんなと話しあう」と答えたのだった。

 二人はフーリの案内に従って歩く。これまで見やるだけにとどめていた扉を〈使者ソルーシュ〉がためらいなく開ける様子を見ながら、シャハーブは形だけまじめな表情をした。ひたすら緊張に身をすくませるモナと違い、彼は、フーリの言う『奥』に何があるのかおおよそ見当がついている。

 扉の先には明かりのない廊下が続いていた。淡々と進み、ついに行き止まりまで来たところで、フーリが小さくなにかを唱えた。人間二人に理解できない言葉は、細かく空気を揺らす。それまでしみのついた壁でしかなかった場所が淡く光りはじめ、やがてその光が壁を切り取ったかのように、新たな出入り口を壁のまんなかに生み出した。

「なんだよ、これ!?」

「おおかた隠し部屋だろう」

 唖然としているモナに対し、シャハーブはそっけなく言葉を返す。前を行くフーリはというと、肯定も否定もせず、先の見えない空隙へと二人を招き入れた。白い後ろ姿に続き、シャハーブが少女の手を引きながら踏み込むと、暗いように見えていたその空間は、いきなり光に満たされた。ひるんだ後に目を開けて、人間たちは、眼前の光景に言葉を失う。

 フーリに導かれた『奥』は、ただの部屋だった。家具などひとつもない、ただっ広く、四角い空間。だがそこには、いくつもの光る球体が音もなく浮かんでいた。目をこらすと、半透明の球体の中に何かが入っているように見える。

「ね、ねえ、フーリ、だっけ。これ……何?」

 モナがこわごわとフーリの横顔をうかがった。問う声は震えてかすれている。無理からぬことだ、と、ぼやけた驚きの中でシャハーブが思っていると、透明な声が球を揺らした。

「これは、僕が託された『天の呪物』だ」

「この球体の中にあるものが、か?」

「そうだよ」

 当然のように、フーリは答えた。まだ呪物のことを知らぬモナが、「てんのじゅぶつ?」と首をかしげたが、彼女はフーリに問わなかった。問う前に、本人が歩きだしたからだ。彼は慎重にも見える足取りで、シャハーブのそばに浮いている球体の前で立ち止まる。感情の浮かばぬ瞳で球を見つめ、無言のまま指を滑らせた。半透明の球面が静かに消えて、中にあった分厚い本が、フーリの手に吸われるようにして落ちる。

「これが、今回使われることになるであろう『太陽の書』。『あめつちの剣』を壊すためだけの呪物だ」

 彼は、確かに太陽が刻まれている厚手の表紙を見せたあと、それをシャハーブ達の方へ突き出してきた。

「触って平気なものなの?」

「中を読むだけなら問題ない。そもそも、力を使えるのは〈使者ソルーシュ〉だけだ」

 モナとフーリの応酬を聞き流しつつ、「ではありがたく」とシャハーブが本を手に取った。数ページ、適当にめくってみたものの、記号のようなものが並んでいるばかりで一切読めなかった。あるいはこれが、天上人の文字だというのだろうか。二人揃ってため息をつき、シャハーブが本を閉じて〈使者ソルーシュ〉に返す。首をかしげつつそれを受け取ったフーリが、また何事かを唱えると、本は元通り透明な球体の中に収まってしまった。

「『書』に書かれている祝詞のりとを唱えることが必要になってくる。だから実際に壊すときは、シャハーブに少し時間を稼いでもらいたい」

「あれは祝詞だったのか。悪いが、まったく読めなかった」

「そうなの?」

 フーリは不思議そうに――あまりそうも見えないが――頭をかたむける。そろそろ、彼を相手にする難しさがわかってきたのか、モナが顔をしかめて頬をかいた。彼女の様子を横目に見つつ、シャハーブも、ふいに難しい顔になる。

「……待てよ。俺一人で時間稼ぎをしろ、と言わなかったか、フーリ」

「うん」

「悪いが難しいと思う。うまく『あめつちの剣』に接触できればよいが、最悪の場合、あのエルハームやらマフディやら、たちの悪い連中を相手にすることになるだろう。そうなると、俺一人ではちときつい」

 殊にエルハームは、女性ながら強者の部類に入るであろう。それに、アルサーク軍の戦力の全容もつかめていない。尻ごみしているわけではなかったが、無警戒というわけにもいかぬのだった。フーリが軽く目をみひらいたとき、彼がなにかを言う前に、慎重な声が割り込んだ。

「人手が欲しいんなら、協力してもいいよ」

 快活な少女の声。モナだ。シャハーブたちが驚きと感心の入り混じったまなざしを向けると、彼女はやりにくそうに肩をすぼめる。

「どうしたんだ、突然。自分一人では決められないから相談するんじゃなかったのか」

「相談するよ。するけど、あたし個人としては、乗ってもいい、ってこと」

 ふてくされたように言った少女は、それから、黒く輝く瞳でフーリをにらんだ。

「だからさ、そろそろ説明してくれないかな。呪物とか、ソルーシュとか、わからない言葉だらけで頭が爆発しそうだよ」

 幼い怒りを受けとめた〈使者ソルーシュ〉は、「あれ?」といわんばかりにまばたきし、シャハーブを見た。

 男はひとつ、重いため息を落とした。



     ※



 モナが話を切ったあと、しばらく誰も口を開かなかった。窓からさしこむ光が、強くなり弱くなり、それが何度か繰り返された頃にようやく、当惑と苦悩の音が落ちる。

天上人アセマーニーが……実在してたってことか?」

 最初に口を開いた若者の陰にいた男が、フーリを舐めるように見る。翳っているせいか年齢はよくわからないが、少なくともシャハーブよりは上だろう。濃いひげと、鋭い灰色の瞳ばかりが印象に残る。そんな男の無遠慮な視線を受けても、やはり〈使者〉は微動だにしなかった。モナは、彫像のように立っている彼を一瞥した後、重々しくうなずく。〈使者ソルーシュ〉や呪物のことを知らなかった彼女も、天上人の言い伝えについては知っていた。そのせいか、フーリの説明を受けた後から、どこか当惑しているように見える。

 まあ無理からぬことだ、と胸中で呟いて、シャハーブは戦士団の面々を順繰りに見た。

「まあ実際、この話をすぐに信じろというのは無理な話だ。諸々を見せられた俺でさえ、まだ疑っている部分がある」

 はじめのような丁寧な態度は、そこにはなかった。もうその必要もなかろうと思ったのだ。シャハーブは、戦士団に言葉を聞かせつつフーリの様子をうかがう。「疑っている」と公言されたのに、白髪の下の双眸は凪いでいた。慣れているからか。それとも彼の内心を見すかしていたのか。かすかな寒気を抱きつつ、シャハーブは言葉を続けた。

「だが、少なくともアルサークの斥候部隊の連中が押しかけてきたことは事実だ。彼らの言葉も合わせて考えれば、むこうがすでに『あめつちの剣』という面倒な武器を持っている可能性も、高い。フーリに協力して呪物を壊すことは、エルデクに向くアルサークの牙を一本抜いてやることでもある。そう考えれば、戦士団にとっても他人事ではないだろう」

 戦士団の人々が、互いを見合う。顔色をうかがっているようでも、意見を確かめあっているようでもあった。シャハーブたちは静かに待ったが、じょじょに空気が重苦しくなってゆくのを感じていた。モナが不安げに身じろぎするのを視界の端にとらえたシャハーブは、ため息をつきたい衝動をこらえながらも、再び口を開こうとした。だが、その前に、赤い縮れ毛の若者が短く、言った。

「俺たちは、エルデク戦士団だ。この町を守ることを、第一に考えないといけない」

 言葉の裏を察したのだろう。モナが、軽く息をのんだ。少女の反応をよそに、シャハーブは尊大にうなずく。彼にとって若者の回答は想定の範囲内だった。

「何も全面協力しろとまで言うつもりはないさ。エルデクをからにすれば、それはそれで心配事が増すだけだしな。難しいことは頼まん、何かささいなことでも戦地関連の情報があれば欲しいのと――」

 もったいぶって言葉を切った男は、流麗な身振りで、自称『エルデク戦士団一の射手』を示した。

「やる気のある若者の一人か二人を貸しだしていただけたら幸い、くらいかな」

 仲介役からいきなり主役に引きあげられたモナは、もともと大きな目をさらに見開く。戦士団の男たちも驚き固まっていた。妙な空気が流れる中で、事態の好転を感じ取ったのはただ一人、自信満々の旅人だけだった。

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