第6話 伝承

 冷たい夜を経て、また激しい太陽が地上に顔を出す。闇の色に染まりきっていた空は、黒から紫へ、紫から蒼へ――ゆっくりと、その姿を変えてゆく。エルデクの町はおのおのの祈りも終えてすでに動き出しており、市場バザールの準備か、男たちが家いえからせっせと荷を運びだしているところだった。

 黄金色の陽光を身に受けながら、男は熱されはじめた大地を悠々と歩いている。剣をひっさげ、旅装束を纏い、不敵な笑みで相貌を彩っている彼――シャハーブは、民家の軒先にいる一人の女性に声をかける。マグナエを巻きつつも、服装は今ごろらしい袖の短い長衣の彼女は、男性に話しかけられても物おじしなかった。シャハーブは彼女に二、三の質問をして満足のゆく答えを得ると、片目をつぶってほほ笑んだ。

「どうもありがとう。助かったよ、美しいお嬢さん」

 とろけそうな笑みに音楽的な声を添えられ、女性は顔をまっ赤に染めた。恥ずかしそうにお礼を言う彼女に愛想よく手を振りながら離れていったシャハーブは、その姿が見えなくなると、笑顔を消して考えこむ。

「ふむ。予想どおりではあったが……アルサークは、まだ本格的に軍を動かしてはいないらしいな」

 彼が先ほど、さりげなく女性に聞いたのは、現在のアルサーク王国陣営の動向だ。もちろん、直接的に訊けば怪しまれる。世間話にちらちらと訊きたいことを織り交ぜる必要があったが、そのていどのことはこの青年にとって、朝飯前である。

 シャハーブが朝早くからエルデクにいるのは、そうした情報を集めるためであり、同時に昨日のアルサーク人の目を逃れるためだった。『叡智の館』にずっといたのでは、いつかは見つかる可能性がある。遠目に見ただけでも、エルハームとマフディという二人の戦士がそこそこの実力者であることはうかがえた。潜んでいる人の気配を察知できても不思議ではないのだ。

 シャハーブは、時に町民に話しかけ、時に考えこみながら、朝のエルデクを行く。朝市が始まり、いよいよ活気が高まった頃。朝市に人を奪われ閑散としている道を通ったとき、シャハーブの耳がひとつの音を拾った。それは、近くの建物の内側から聞こえた。鮮やかな黄色の外壁の小さな家。その軒先には、喫茶店チャイハネであることを示す看板がかかっている。独特の調子を持った声は、なおもとぎれることなく響いていた。

 シャハーブは、おもむろに、その扉を開ける。とたん、人の熱気とかすかだった音が、風に乗って飛びかかってきた。喫茶店の席は、すでに多くの人で埋まっている。語り部は、浅黒い肌の男。客もほとんどが男だが、女の姿も散見された。

 扉を後ろ手に閉めながら、シャハーブは、古を語る声に耳を傾ける。

『それは、我々が生まれるよりずっと前の歴史。この大地が、海が、まだ赤子であった頃のこと。我々と先祖を異にする人々が、天から降臨し、大地をなだめ、導きはじめた。彼らはほどなくして生まれた我々の先祖により、天上人アセマーニーと崇められることとなった』

 シャハーブは、軽く眉を寄せる。き通った子どもの声が、語りの声に重なった。

『天上人は、巧みに大地を導いた。しかし、大地がみずみずしく成長してゆくなかで、どれほどこの大地に干渉するか、天上人の間で論争が起きた。この大地――とりわけ、そこに暮らす人間たちを徹底的に監視すべきと主張した天上人たちがいた。彼らは他の天上人に危険視され、やがて、同胞と対立した』

 重々しい話を、客たちは楽しそうに聴いている。話の内容を楽しむというよりは、その独特の調べを味わっているようだった。

『争いは長く続き、結果、危険視された天上人たちは、外の大地へと逃れた。しかし、争いの時代に彼らがつくった不思議な道具たちは、大地に、世界に残り続けた。それを見つけた人間たちは、不思議な力と栄華をもたらす道具を利用しはじめた。人間と大陸の変容を恐れた天上人たちは、その道具を壊すための道具をつくりだし、それを一部の天上人に託した。道具を託された天上人たちは、世界各地へ散ってゆく。美しい容貌ようぼうと永遠に近しい命、そして神秘的な力から、彼らはやがて天からの使者と、呼ばれるようになる』

――〈使者ソルーシュ〉と、古い人間たちは僕らを呼んだ。もう、ずいぶん昔のことだけれど。

 語りが一度とぎれたところで、シャハーブの脳裏に、明け方のフーリの話がよみがえった。

 彼が語ったのは、先ほどの伝承とほとんど同じことだった。地上に降り立った天上人。彼らの論争と仲間割れ。そして、反逆者の残した道具を壊すために遣わされた、〈使者ソルーシュ〉のこと。

『その昔、反逆者たちがつくった道具は、“地の呪物”と呼ばれた。対して、この大陸に残った天上人がつくったのは“天の呪物”。天の呪物は、地の呪物を壊すためだけに存在し、それを携えて地の呪物を探すのが、僕らの役目だ』

『〈使者ソルーシュ〉はフーリ以外にもいるのか?』

『うん。この大陸にいるのは、僕を含めて三人。けれど、現在のペルグからヒルカニアの東端までは僕の管轄だ。アルサーク王国が持っているらしい地の呪物も、僕が壊さなくてはいけない』

 フーリはそう言ったのち、広い館をぐるりと見回して、教えてくれた。

『”叡智の館”のこの姿も、僕が所持している天の呪物を隠すためのものだ。このことを地上の人間に教えたのは、二回目』

『一回目はオーランだな』

『オーランは、とても驚いていたけれど、約束どおり、生涯誰にも吹聴しなかった。とても、いい人だった。

――だから、アルサーク王国が呪物のことをつかんだのは、また別の存在からだろう。もしかしたら、“反逆者”たちが絡んでいるのかもしれない』

 現在の、アルサーク王国のこと。結局、思考はそこへ行きつく。どうやって呪物を知ったのかも確かに気になる。だが、シャハーブにとって一番気がかりなのはそこではなく、彼らの保有する地の呪物がどんな性質と効果を持っているかだ。フーリいわく、天の呪物は地の呪物を壊すための力しか持たないが、地の呪物は、この地上をゆがめるような、あらゆる力を有するらしい。

 ものによって、当日、フーリとどう連携をとるかが変わる。シャハーブは、一応の落ち着きを取り戻した喫茶店でさっそく人を捕まえることにした。とりあえず店主のそばの席を陣取り、茶を頼む。それを待っている間、そばにいた客に尋ねた。

「んー? アルサークに関する噂? あんた、変わったこと知りたがるね」

「戦が落ちついたら、少しだけかの国をのぞいてみようと思っているのさ。しかし、いかんせんはじめて行くところだ。少しでも情報がほしいと思ってね」

 年かさの女性客は、シャハーブをながめながら、考えこむ。それから目をみはったかと思うと、喧騒の中、耳打ちしてきた。

「前、街の男どもが噂しているのを聞いたんだけどさ。どうも最近のアルサーク王国は、戦争でおかしな力を使うらしいんだよ」

「ほう」シャハーブは、目を丸める。

 女性が戦争や政治について声高に語ることは慎みのない、よくないことだとされている。だが、彼は特段、そんな伝統を気にかけはしない。それよりも話の内容にひかれた。いきなり、当たりを引いたかもしれない。

「おもしろい話だ。もう少し詳しく聞かせていただけるかな、ご婦人」

「あたしも噂ていどしか知らないよ。――晴れわたった空に、アルサークの軍人が派手な剣を掲げたら、どっからともなく黒い雲がわいてきて、大あらしになったってんだ?」

「剣? それは、どんな?」

「言ったろう、噂ていどしか知らないと」

 女性客が繰り返す。シャハーブは、「ああ、すまない」と悪びれたふうもなく手を振った。どのみち、その「剣」とやらをみた当事者たちも、細かな見た目までは知らない、覚えていない可能性が高いのだし、そこを気にしてもしかたがない。それよりも、剣を掲げたら雲がわき出たという話の方が重要だ。シャハーブが笑顔で女性客に礼を言うと、彼女は満足げに笑って立ち上がった。少しゆるんだマグナエを巻きなおして、歩きだす。

 ちょうどそのとき茶が出てきたので、シャハーブはさっそく口をつけた。

「とにかく、剣については確認をとった方がいいな」

 先の話からしてほぼ当たりだとは思うが、慎重に見極めた方がよい。情報を持ち帰るだけ持ち帰って、フーリとすり合わせを行うことに決めた。呪物についてもっとも詳しいのは〈使者ソルーシュ〉だろう。荒唐無稽な伝承を信じ切れてはいないが、とりあえず真実と仮定して動いているシャハーブであった。

 しばらく青年が無言で茶をすすっていると、喫茶店の端からひときわ大きな怒声がした。その客は、すぐにそばにいる別の客にたしなめられたが、シャハーブは興味をひかれてそちらに視線を投げた。壁際の席、二人の男が向きあっている。おそらく怒鳴ったのは奥の席にいる初老の男。白髪まじりの黒髪で、ごつごつした顔の彼は、憤懣やるかたないといった様子で、卓に拳を置いている。先ほど彼をなだめたのは、向かいにいる若者らしかった。

「まったく、戦争などするものではないわ! なぜ俺たちのエルデクの戦士たちが、くだらん国どうしの争いなどに関わらねばならん!」

「落ちつけと言っているじゃないか。そもそも、ジャンたちがみずから志願したとも聞くぞ」

「信じない! 俺は信じないぞ! あいつらは、この街を守る誇り高き戦士たちだ!」

 やりあう二人のそばにいる客はうるさそうに顔をしかめているものの、誰も口を挟まない。止めても無駄とわかっているのか、少しなりともあの男性に同調する気持ちがあるのか。

 シャハーブはというと、完全に傍観者である。のんきに茶をすすりながら、言葉だけを都合のよい耳で拾い上げていた。

「エルデクの戦士たち、ね。自警団みたいなもんか」

 あったとしてもおかしくはない。いや、この情勢が不安定なご時世、街を守る独自の組織くらいはあった方がいいだろう。だが、それさえも戦争の道具になるのではもはやどうしようもない。この国は、この大陸はどこに行き着くのか――そんなことを考えかけたシャハーブは、茶を飲み干して思考を切った。

「やめだ、やめだ。俺らしくもない」

 吐息とともに独白を吐きだすと、シャハーブは席を立った。店主に硬貨をぞんざいに渡した彼は、喧騒に背を向ける。店の外に出た後、彼は空模様を確かめながら、森の方へ足を向けた。立ち並ぶ建物の影に身を隠し、こちらをにらんでいる者がいたことには気づいていたが、それほど大きな害にはなりそうにないので、無視することにした。

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