第17話 道

『彼ら』は任務の中で、何度か人間の変質に立ちあった。

 ほとんどの者は途中で狂ってみずからの命を絶った。

 ある者は『彼ら』の手で消されることを望んだ。

 ある者は奇異の目を恐れ、ひとり姿を消した。

 そして、ある者は――



 容赦なく照りつける太陽に熱された大地を、乾いた風がなでてゆく。相変わらず、付近に森があるとは信じられない光景を見ながら、シャハーブは馬を駆っていた。なだらかな地を少し駆け、遠くに町の影を見いだしたところで、馬を止めた。

「寄っていくか、それとも素通りするか」歌うように呟いて、彼は少し悩んだ。そのとき、風に乗って彼の名を呼ぶ声が響く。シャハーブが顔を上げると、正面から誰かが走ってくるのが見えた。髪を明るい色の布でまとめ、弓を背負った、少年のような少女である。何度も男の名を呼んだ彼女は、馬のまんまえに立つと、腰に手を当てた。

「やっぱりシャハーブ! なんで、この前はなにも言わずに行っちゃったのさ!」

「……こら、モナ。進路上に立つな。危ない」再会の挨拶もそこそこに、男は少女を注意する。それでも少女が怒った顔を崩さないので、彼はしかたなく、馬上から答えた。

「しかたがないだろう。たまたま俺の出立しゅったつの日に、おまえが任務で出てたんだから。俺は悪くないぞ」

「帰ってくるまで待っててくれたらよかったのに」

「そんな悠長なことをしていられるか。アリドの双子が近くに来てたんだ。見つかる前に逃げないと俺が危ないだろう」

「あんた以上にビザンたちが危なかったんだけどね」

「それはそれ。そっちでどうにかしてくれ」

 けんかなのか、雑談なのかよくわからない応酬の後、モナが馬の隣にならぶ。エルデクに行くまで離れてはくれなさそうだ。観念したシャハーブは、町の影の方に向かって馬を進めた。

 シャハーブがはじめてエルデクを訪れてから、そしてアルサーク王国とペルグ王国の戦いから、ふた月が過ぎようとしていた。あの戦いでは、最終的にアルサーク側が退却したらしい。優勢の状態で突然退却したのだから、当然ペルグ側は首をかしげた。裏事情を知るのは一部の人間と一人の天上人アセマーニーだけである。

 モナいわく、戦士団長含む仲間たちも、全員無事で帰ってきたらしい。モナたちの行動はすぐに彼らの知るところとなり、特に彼女とファラーズとビザンは一度手厳しく叱られたそうだ。その後、団長のジャンが『叡智の館』の森に入って帰ってきたらしいが、館主に会えたかどうかはわからないという。

「わからないって。なぜだ」

「だって、ジャンったらなにも話してくれないんだもん。あたしたちはとっくにフーリと知り合いなんだから、会えたかどうかだけでも話してくれればいいのにさ」

 モナが唇をとがらせる。しかし、シャハーブにはなんとなく、そのジャンという男の気持ちがわかった。――おそらく、彼は館に通されたのだ。そしてそこで、不思議な光景の数々を見せられた。それを誰にも口外してはならない、と、彼は思ってしまったのだろう。決して世に出してはならないと、人の畏怖の念を駆りたてるものが、あの呪物じゅぶつあるじにはあるのだ。そしていずれは、シャハーブもそういう存在になってゆくのだろう。

「ねえ、シャハーブはこれからフーリに会いにいくんでしょ?」

 しかし、この少女に不思議な力は通用しないらしい。黒い瞳を無邪気に輝かせるモナに、シャハーブはうなずいた。

「そうだな。おもしろい呪物の話がないか聞きにいくつもりだ」

「じゃあ、戦士団うちにも寄っていってよ」

「丁重にお断りさせていただこう。団長殿に小言を浴びせられる未来しか見えない」

「逃げるな! あたしらだけ怒られるなんて、不公平だよ!」

「それが本音だな、このおてんば娘」

 二人は騒音を風に乗せてばらまきながら、進む。そうしていると、突然、モナの左隣に白い光が灯った。ぎょっとして飛び退った彼女とは対照的に、シャハーブは何食わぬ顔でづなを軽くひいた。馬が足を止めると同時、光が優しく広がって、人の姿を形づくった。

 現れたのは、モナより少し背が低い子ども。髪も肌も透き通るように白く、身にまとう長衣も、また純白。感情の見えぬ瞳に、けれどわずかなぬくもりを湛えて、彼は二人を見上げてきた。

 シャハーブは、にやりと笑んで、片手を上げる。

「そちらからお出迎えとは珍しいな、フーリ。なにかあったか?」

「うん。少しややこしいことになっている」

「長話になりそうだな」

「だからエルデクに行こう」

 透明な瞳が、遠くの影をとらえて――あわくほほ笑んだ。

「また、シャハーブの旅の話も聞きたいしね」



『彼ら』は任務の中で、何度か人間の変質に立ちあった。

 ほとんどの者は途中で狂ってみずからの命を絶った。

 ある者は『彼ら』の手で消されることを望んだ。

 ある者は奇異の目を恐れ、ひとり姿を消した。

 そして、ある者は――『彼ら』の隣で生ききることを選んだ。

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