2.勇者、屈す

「き、貴様が! 魔王……?!」ウェイズは堪らず椅子から跳び上がり、剣を構えた。衝撃で紅茶が零れたが、魔王は目もくれず、彼をじっと見た。

「よくそう呼ばれる。正直、迷惑なのだが……ま、いい。重要なのはそんなことじゃない」と、いつの間にか淹れ直された紅茶を片手に口にする。

「お前を倒せば……私の旅は……」と、余裕綽々の魔王ににじり寄る。

 ウェイズは、魔王からの殺気も魔力も、それどころかオーラすら感じなかった。故に簡単に剣を振り下ろせそうにも感じ、疑問に思う。

「……影武者か?」冷静に判断し、目を鋭くさせる。

「影武者? いいや、そんな者を用意する程、俺様はヤワではないぞ」事務員のようにしか見えない魔王は、落ち着き払った態度でウェイズの目を見た。

「なら、覚悟をして貰おうか!!」ウェイズが構え直すと、魔王は手を前に突き出す。何か未知の攻撃を放ってくると予想し、身構える。

「まぁ待て。まずは話し合いをしようじゃあないか。問答無用に襲い掛かるのは勇者とは呼べないぞ?」と、余裕の笑みを覗かせる魔王。

「……話し合いだと? 貴様はそうやって私を油断させ……」

「油断? お前を葬るのに油断なぞいらんよ。ただ、俺様はウェイズ、君と話がしたい。だからここへ招き入れたのだ」と、もう一杯紅茶を啜る。ほんのりとした香りが緊張を緩める様に辺りに漂う。

「貴様……」怒りに顔を赤くさせるが首を振るい、剣を収めた。

「よろしい。で、なぜ俺様を殺しに来た? 俺様が君に何をしたというのかな?」



 しばらくウェイズは己の、そして自国民や隣国、そして支配された国を代弁して洗いざらいを魔王に浴びせかけた。恐怖、不安、苦悩する者の声。

 しかし、頭に霧がかかる。

 彼は旅の道中、占領された国をいくつも見てきた。確かに城の王や家臣たち、旧知の仲の騎士たちの意見は『魔王討伐』『国を取り戻したい』だった。

 だが、城下の民、村人、道行く旅人の意見は違った。

 魔王は税を減らしてくれた。さらに知己に長ける者や若者を村に送り、廃村寸前の所を救ってくれた。古い仕来りを撤廃し、自由を与えてくれた。それでしかも王族は殺さず、自国の旗を振る権利までくれた。

 これにより、国民は魔王の支配を良く思っている様子であった。

 故に、ウェイズは魔王を全否定しきれなかった。

 それでも彼は、自国民の抱える不安と恐怖を代弁し、言いたい事は全て言い放った。ひとしきり吐き出し、ついつい出されたアイスティーを飲み下す。

「成る程……どうやら俺様は酷く誤解されている様だな」魔王は額を指で押さえ、首を小さく振る。

「誤解などではない!! これは全て事実だ!」抜剣せん勢いで言い放ち、机を叩く。

「しかし、君は長く旅をしてきたのだろう? 俺様に支配された国民の声は聴いたかな?」

「ぬっ!」突っ込まれたくない事を聞かれ、思わず狼狽する。

「……だろぅ? 王族はともかく、国民は満足しているのだ。民こそ、城であり国である、だろ?」魔王は自慢げに言い放つ。

「だが、お前の支配は……支配は……」

 魔王の支配の仕方は見ていて気持ちの悪いものだった。

 まず、交渉から入り、降伏すれば武力は行使しなかった。代わりに先ほど上げた文化介入などを行い、支配国を自分色に染め上げた。

 もし交渉が決裂すれば、未知の兵隊を送り、村々は占領、王族は根から滅びる事となった。

 魔王の勢いは北大陸全土を覆い尽くす勢いである為、全国の王族たち、そして世界の中心であるククリスは魔王を恐れた。

「安心してくれ、世界全土を支配するつもりはない。ま、向こうから擦り寄ってくるなら話は別だがな。俺様の目標は、世界征服なんて陳腐で俗なものではない」魔王は余裕を蓄えた声色で口にした。

「なら、貴様の目的はなんだ!!」


「世界の安定だ」


「安定? 乱している貴様がそれを言うか!!!」

「勝手に乱れているのはお前らだろうに」魔王は頬杖を付き、ふふんと笑う。

「黙れぇぇぇぇ!!!」ウェイズは堪らず剣を抜き、魔王の喉元へ向けた。

「で? 俺様を殺すのか? そして、また世界を混乱に陥れる気か?」

「混乱だと?! 貴様が現れてから世界は!!」

「そうだな。俺様があの覇王を殺し、世界はタガが外れた。再び各地で戦争が勃発し、混乱が渦巻いている。そう、覇王がいたから安定していた。だが……覇王がいたからと言って、本当に安定していたか? あいつは内乱や奪い合いまでは口を出さなかっただろう? 本当に200年間の覇王歴で、安定していたと言えただろうか?」

「……何が言いたい!?」

「俺様は、更に安定した世界を作ろうとしているのだ。今は、その為に必要な苦い期間なのだ」魔王はそこまで言い、喉元の剣を指先で弄ぶ。

「貴様……」


「俺様の下で働き、共にそんな世界を作らないか?」


 魔王は上品に微笑み、ウェイズの目を真っ直ぐに見た。

「ふ、ふざけるな!! 私はここでお前を!」と、剣を握る手に力が入る。

「じゃあ、話題を変えよう。殺せるのか?」突如、ウェイズの背後に現れる魔王。

「な!」気配も殺気も魔力も感じ取れず、戦場で掻いたことの無い冷や汗を垂らす。

「君に、俺様が殺せるのか? 勝算があって、ここに来たのか?」

 ウェイズは今迄、魔王からの刺客と思しき者たちと戦い、幾度も打ち破って来ていた。その勢いのままに魔王の城へとやって来て、ここに辿り着いたのだった。

 だが、ここで肝心な事に気付く。

 こんなにも楽勝なのはどうもおかしい。魔王からの刺客としては殺意が極めて少なかった。まるで……。

「君は、実に優秀だった。俺様が送り込んだ刺客を次々と倒し、そしてここまで来て、さらに自分のペースを崩さず剣を握り続けた。実に勇敢な……勇者だ」ここでようやく、魔王にオーラが宿り、魔力が滲み出る。とても事務員には見えないほどの禍々しい気だった。

「な……ぐっ……」ウェイズは圧倒的な漆黒を感じつつも、握る手を緩めなかった。

「どうする? このまま無駄死にするか……それとも」


「だとしても! 私は引くわけにはいかない!!」


 ウェイズはついに、剣を振り上げる。憎き魔王に稲妻を落とす勢いで振り下ろし、部屋全体に耳を劈く破裂音が炸裂する。

 しかし、その剣は何者も斬り裂くこともなく、力なく地面にカランと落ちた。

「引く、わけには……」ウェイズは力尽きる様に膝を付き、まるで魔王に忠誠を誓うかの様に項垂れていた。

「君は実に……優秀だな」魔王は彼の正面に向き直り、闇を落とした。



 ウェイズが客間を去った後、秘書長の女性がノックと共に入室する。

「お疲れ様です。ウェイズの配属はどうなさるので?」

「そうだな。1番隊の副隊長を任せようと思う。特Aクラスの勇者だ。期待できるだろう」

「かしこまりました。明日、ウェイズの鎧と剣を新調させましょう」

「頼む」魔王は紅茶を飲み終わり、途中だった業務に戻った。

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