19.勇者の時代の最期 後編
ゼルヴァルトが砦を去ったその日の真夜中。
砦周辺には魔王軍の兵どころか、人っ子一人現れる気配は無かった。見張りの兵たちは余裕そうに各々の雑談を楽しみ、指令室では次の砦を落とすための作戦会議を行っていた。
予定では、明後日の朝に全軍を引き連れてバルバロン西部に位置する最大の防衛要塞を攻略する予定だった。ジャレッド率いる軍の兵数では落とせるか疑問ではあったが、彼はこの要塞の特徴や武装、弱点を知り尽くしている為、攻略は容易であった。
そんな煌々と灯りの焚かれた砦の正面の大地が、みるみるうちに漆黒色に染まる。夜中故、見張りはその異変には気付かずにいた。
「……で、もう潰していいわけね?」砦から数キロ離れた小さなテントにいる女性が口にする。その者は、露出の高い黒いドレスを身に付け、先端部の尖った攻撃的なマントを羽織って腰を下ろしていた。踵の高いヒールを履き、美しく艶のある黒髪が特徴的で、まさに本に出てくる魔女の様な姿をしていた。
「相変わらず、痛い格好してるな……お前」何故ここにいるのか、正面に座るスーツの男は魔王だった。
「軍団長としての嗜みよ。貴方も魔王を名乗るなら、玉座に座らせた鎧を纏うくらいした方がいいわよ。箔がつくわ」
「あれ重いんだよ……それに、俺様は自分から魔王と名乗った覚えはないんだが……」
「ククリスからお達しがきた時は喜んでいたくせに……その日の夜、みんなでヤオガミ列島の職人を連れてきてお寿司を食べたわね~」
「う……だって、聖地ククリスからあんなに早く魔王指定されるとは思わなかったし……わかった、正直に言うよ。嬉しかった。ほんのちょっとな」参ったように頭を掻き、表情をむず痒そうに歪める。
「ふふふ、貴方って本当に可愛いわね。だから出会ったその日に協力しようと決めたんだけど……ま、結果、私の方が恩恵を受けたって感じね。貴方には感謝しているわ」
「今更水臭い事を言うな。で、やってくれるか?」魔王はジャレッドのいる砦の方に顔を向け、口角を上げる。
「貴方のお願いは断れないわよ。それに耳タコでしょうけど……貴方が直接腕を下す事は私が許さないわ。だって魔王様ですもの。気軽に下々に近づいて良い存在である筈がないわ」
彼女はゆっくりと腰を上げ、懐から闇色のクリスタル水晶を取り出す。目を瞑り、全身に魔力を蓄えると、彼女の足元から暗黒色が大地に広がる。
そして目をカッと開いた瞬間、彼女の背後から無数の靄の玉が吹き上がり、暗黒の大地に向かって降り注ぐ。
すると、大地が無数の盛り上がりをみせ、次第に人型に形作られていく。
「頼んだぞ、闇の軍団長……ロキシーよ」魔王は満足そうにほくそ笑むと、闇の中へと溶けていった。
砦外の異変に見張りが気付いたのは、闇の大地に無数の闇人形が出来上がった後だった。闇人形はざっと3000ほど密集しており、その一体一体が禍々しい鎧と剣を身に付け、目を紅く光らせていた。
見張りは慌てて鐘を鳴らし、砦全体に警戒態勢を敷く。隊長たちは目を覚ますと、すぐさま風の興奮魔法を隊全体にかけて緩んだ空気を吹き飛ばし、すぐさま戦える準備を施す。
「いつ間にあんなに?! なぜ気付かなかった?!」
「なんだアレは? 黒勇隊? いや、あんなにいる筈がない……」
「闇の軍団?」
兵たちは広がるロキシーの暗黒兵団を目にして思い思いの言葉を吐き、冷や汗を掻いた。
そんな中、ジャレッドは双眼鏡で状況を確認した。
「数だけならこちらが有利だな……だが、あれは……」彼は嫌な予感を飲み込み、兵たちに先頭の準備を促し、声を上げた。
ジャレッドは外で直立する暗黒兵団の正体がナイトメアソルジャーである事を確信していた。
どんな数万の兵、兵器、魔法を駆使しても、容赦なく根絶やしにすると噂される兵団、ナイトメアソルジャー。これに関する情報は秘匿情報であり、ジャレッドであっても詳しい戦闘能力は知る由もなかった。
だが、噂だけは大陸全土に広がっており、どんな猛者でもこの名を聞くと冷や汗を掻いた。
ジャレッドは、このナイトメアソルジャーの名を出した途端、軍全体の指揮が下がる事を危惧し、あえてこの名は出さなかった。
彼は、相手は魔王軍の精鋭であるとだけ口にし、油断せぬようにとだけ言った。
「相手は3000、俺たちは集まりに集まって今や6000だ!! 兵力は倍! 勝てぬはずがない! しかも打倒魔王に燃えた勇者だ! お前らは勇者か?! えぇ? そうだろう! お前らは勇者か!!」
ジャレッドの鼓舞に兵たちは轟と応え、砦全体に嵐の様な咆哮が響き渡った。思い思いの武器、魔法を手に蓄え、全身に力を漲らせる。
そして、総大将ジャレッドの合図と共に砦の大門が重たく開き、一斉に兵たちが躍り出る。
ジャレッドの軍の勢いは凄まじかった。大波の様にロキシーのナイトメアソルジャー達を飲み込む。
暗黒兵たちはそんな波には反応せず、ただ棒立ちで突っ立っているだけであり、ただひたすらに武器で叩かれ、斬られ、潰された。
「こいつら、大地使いの泥人形だぜ! なんで反応しないんだ?」
「ただの案山子だろ? ハッタリじゃねぇの?」
「楽勝だぜ!」
ジャレッドの兵たちはすっかり余裕な空気でナイトメアソルジャーを囲み殺し、ひとつ残らず踏みつぶした。
だが、数十の魔法使いたちが異変に気付いていたが、余裕な戦いなのか、この気付きを報告していなかった。
魔法が全て弾かれたのである。これに不気味さを感じていたが、戦勝ムードに水を差さず、誰も口にしなかった。
全ての暗黒兵を潰す頃、ジャレッドの軍はひとり残らず砦を出て、外で密集体系を作って勝鬨を上げていた。
「……何か妙だな……」ジャレッドもこの楽勝過ぎる異変に気付き、周囲に罠が貼られていないか見回した。
その頃にはもう手遅れだった。
ジャレッド軍の周りはすでに、先程の暗黒色の大地が広がっており、先程よりも早くナイトメアソルジャーが組み上がっていく。あっという間に3000のナイトメアソルジャーが軍を囲み、先程のお返しと言わんばかりに襲い掛かる。
「毎度、この策に簡単に引っかかってくれるわね……黒勇隊の元総隊長さんも大したことないわね……」ロキシーは高みから高笑いし、蹂躙されるジャレッドの軍を見下ろした。
ナイトメアソルジャーには魔法の類は一切聞かず、どんな属性を使っても傷つける事は出来なかった。これは、闇のクリスタルから放たれるエネルギーによるものだった。
そして、先程は簡単に叩き伏せる事が出来たが、今は違った。
通常、大地使い達の使うマッドパペットは脆く、簡単に倒す事が出来た。
しかし、暗黒兵にはロキシーの操るソウルコントロール技術によって練られた魂が込められており、土の結束力が段違いとなっていた。槌で潰しても、剣で斬っても、異常な粘り気で倒しきる事が出来ず、さらに武器を絡め取られる事になるのである。
そんな暗黒兵はまるで命令された昆虫の様に無感情でジャレッドの兵を蹂躙し、例え命乞いをする者が現れても容赦なく急所を抉り潰した。
戦勝ムードだったジャレッド軍は、ものの数分で壊滅した。
しかも、包囲殲滅であるが故、誰一人として逃走は許されず、暗黒色の大地は血で染まった。
ジャレッドは身を切り裂かれても善戦し、数十体のナイトメアソルジャーを叩き潰した。
だが、戦闘不能になった傍から、倒された暗黒兵から魂が抜け、また大地に吸い込まれて新たなナイトメアソルジャーが作り出された。
そう、一体一体が頑強なナイトメアソルジャーをいくら倒しても、無限に沸き続けるのである。
故に、悪夢の兵団なのである。
「それにしても、あのジャレッドはしぶといわね……どうするのかしら、魔王様?」
ジャレッドの6000の兵はあっという間に殲滅され、残るは総大将のジャレッドのみとなった。彼は満身創痍で、左腕、右脚を無くし、片目も潰していた。腹にはナイトメアソルジャーの剣が2本突き刺さっていた。
それでも、彼の闘志は枯れることなく、瞳はまだ輝いていた。
そんな彼の眼前に闇が広まり、中から魔王が現れる。周囲のナイトメアソルジャーは直立し、彼を囲む。
「やぁジャレッド。こんばんは」
「魔王……」ジャレッドは乱れた息を整え、腹に刺さった剣を抜き取る。血が勢いよく噴き出たが、懐に残った最後のヒールウォーターを使って傷を無理やり塞ぐ。
「一時の反乱は楽しかったかな? お前のお陰で、各地でレジスタンス活動をしていた勇者をかき集め、ここで一気に殲滅することが出来たよ。礼を言おう」あえてジャレッドを泳がせ、魔王にとっては鬱陶しい『勇者の時代』を終わらせる。それが魔王の目的であった。
「最後の大喧嘩が、日の出を見る前に終わったのが残念だった……」ジャレッドは自嘲気味に笑い、懐から今度は酒瓶を取り出し、一杯煽る。
「念のために訊きたいんだが……上手く行ったらどうするつもりだった? このまま反乱の火を広げて、このバルバロンを落とすつもりだったのか?」
「当たり前だろ? ま、もう敵わないがな……」
「そうか……」魔王は彼の顔をよく覗き込み、嘘偽りがないか確認する。
ジャレッドの表情は、敗軍の将のような顔ではなく、希望に満ちた勇者の様な顔である事に魔王は気付いていた。
しかし、その理由まではわからず、唸るばかりであった。
「ま、いいだろう……ここまでやったのだ。お前にチャンスをやろう」魔王は微笑み、指を鳴らす。
すると、周囲のナイトメアソルジャーが大地に溶け、2人きりになる。
真夜中、大地には6000程の勇者の死体。その中央に座するジャレッドと魔王。
「ここで俺様を討てれば……こいつらは無駄死に、にはならないな?」と、両手を広げる。
ジャレッドは鬼面で笑い、片足で思い切り跳んだ。これまでにない殺気、勢いで飛びかかり、魔王の首目掛けて剣を振るう。
その瞬間、ジャレッドは闇の霧の様に爆散して消え去った。一瞬、薄い靄の様なモノが浮かび上がったが、それは闇で包まれ、凝縮されて闇の中へと消える。
「……さらばだ、最後の勇者よ……これでこのくだらん時代は終わる……そして始まるのだ……全人類が一丸となれる理想の世界が……」魔王は満足そうに笑いながら、再び常闇の中へと溶けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます