第13話 その娘、婚約者につき
「御嬢様、お迎えが参りました」
「……今、行きます」
自然と溜め息が漏れてしまう。どうしてこんな事に。
それでも行かないと。私がここで駄々をこねたら、この家は……。
足取り重く、立ち上がり部屋を見渡す。
ここ数年は寮にいたからとても殺風景だ。数少ない荷物も全部まとめたし、大事な物はニーナに託したから尚更。
もう……帰って来ることもないのだろう。
「御嬢様」
「ええ」
心配そうな爺やに答える。
うん、大丈夫。取って食われるわけじゃないし。
……でも、大学には行きたかったなぁ。
部屋を出て歩き出す。
廊下には、給金も滞りがちなのに、未だ屋敷に残ってくれているメイドや庭師達の姿。
皆の目には涙が浮かんでいる。
「どうしたの? 皆、そんな顔して。ほら、笑ってちょうだい。私、玉の輿に乗るのよ?」
「御嬢様っ!」
メイドの一人が抱き着いてくる。
背中を撫でてやりながら、言い含める。
「お義父様達をよろしくね」
「お、御嬢様ぁ……」
泣きそうになるけれど……にっこり、笑う。
そうじゃないとみんなが困ってしまうから。
義父も義母も、義姉達も、家族とは思えなかったけれど……この人達は、私の家族だった。
その人達を守る為だったら……好きでもない男と結婚するなんて、なんてことはない。まぁ当面は婚約者らしいけど。仮にも侯爵家の娘と婚約しておいて、それを破談にはしないだろう。
どうせ、このままいけば何処かの好色貴族に嫁がされていたんだから。それが多少早まっただけ。
アニエス商会は、王国一の商家だし、会頭自身の噂も悪いものは聞かない。ただ、変り者だと言うけれど……悪い人じゃない、といいなぁ……。
門の前に待っていたのは馬車――ではなく、最新式の車だった。凄い。私、乗ったことない。
横に立っている金髪の青年に会釈。すると笑顔で応じてくれた。いい人だ。
振り返り、集まっていた皆に深々と頭を下げる。
「お、御嬢様?」
「……今までお世話になりました。お義父様達にもよろしく伝えておいてね。それじゃ」
案の定、義父達の姿はなかった。まぁ分かってたけど。
車の扉を開けてもらい乗り込む。うわぁ、信じられない位、ふっかふっか。
窓のカーテンは閉める。だって、見たら泣いてしまう。
静かなエンジン音と共に、発進。全然衝撃がない。
「――よろしかったのですか? 皆様、手を振っておいででしたが」
「……いいんです。運転手さん」
「はい」
「聞いてもいいですか?」
「私が答えられる事でしたら、何なりと」
「……会頭さんってどういう御方なんですか? 今回、こんな事になりましたけど、私一度もお会いしたことがないので」
「そうでございますねぇ……」
「あ、答え辛かったら別に」
「一言で述べるならば――小悪党ですかね」
「……へっ?」
今、この人、何て言ったの?
思わず背中を見つめてしまう。ミラーに映っている顔は涼し気だ。
「あの御方は小悪党です。善人と断言するには語弊があるし、かと言って悪党になりきる程の胆力もない。結果、自分の好き勝手やって四方八方に迷惑をかけつつも、悪意はないので、何とかその度に許してもらっている……と言ったところでしょうか」
「は、はぁ……」
天下のアニエス商会会頭をそんな風に言ってしまって大丈夫なのかな?
でも、運転手さんは笑っている……。
「世間の皆様は、過大評価しているのですよ。深慮遠謀、などと評されておりますが、そんな事はございません。当の本人は、毎日落ち込み、考え、泣き、そしてワインを飲む。そういう普通の、何処にでもいる御方かと思います」
「……ちょっと信じられません。ごめんなさい」
今や、大貴族どころか王家をおも超える富と影響力を持つのがアニエス商会なのだ。それを率いている人が、そんな普通の人だなんて……。
車内に、くすくす、と笑い声が響きました。思わず、むすっとしてしまいます。
「……何でしょうか?」
「いえ、何も」
「はっきり仰ってください。そうしないと、会頭様に告げ口します」
「それは怖い。いえ、分かりやすい方だな、と」
「! そ、そんな事は……」
「いえ、とても分かりやすいです」
「……知りません。もう会頭様に言いつけます」
初めて会ったのに失礼な人です。……ちょっとだけ、いいな、と思っていたのに。がっかりしました。
――手持無沙汰です。ちらり、と見ます。
「何でしょうか?」
「べ、別に見ていません。そ、外の薔薇が綺麗だなぁ、と思っただけです」
「薔薇、でございますか? ここら辺に、そのような庭はなかったように思えますが……」
「あ、ありました! 注意力散漫なんじゃないですか?」
嘘です。そんなのありませんでした。
運転手さんはしきりに首を捻っています。
「……ここら辺にもあったのか。これは帰ったら調べないと……」
「ど、どうかされましたか?」
「……何でも、ございません。そう言えば、私からも一つお聞きしてもよろしいですか? 純粋な疑問がありまして」
「いいですよ。何でも聞いてください。あ、お付き合いしている人はいませんし、付き合ったこともありません。なので、逃げないから大丈夫です!」
「……そうではなくてですね、貴女様はとても優秀だと聞いています。今回の件、断る事も可能だったのではありませんか? 失礼ですが、受けられた理由は何なのでしょう?」
一瞬、言葉に詰まる。
本心を言えば……嫌だ。
私だって、許されるなら好きな人と幸せになりたかった。
でも……。
「無理ですよ。断れません。だって……そうなったら、うちは破産です。理由ですか? 決まってるじゃないですか、お金ですよ、お金。私は、会頭様がお持ちの財産目当てに結婚――えっと、どうかされましたか? え、どうして泣いて?」
「――何でもありません。ええ……何でも、ない、のです……」
突然、運転手さんの目から大粒の涙が溢れ出した。
え、ええ? 今の台詞、まぁまぁ酷かったと思うんだけど……な、泣く要素なんてあった??
――お屋敷に着くまで運転手さんは無言だった。何よ、もう。
その後、私はすぐに彼と思いがけず再会したのだけれど……小悪党だわ、やっぱり! うぅ……この恨み、はらさでおくべきか……。
だけど――どうしてあの時、彼は泣いたんだろう?
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