第16話 その王子、鈍感につき
「……遅い! このような日まで遅刻しようとは、あいつは何をやっているのだ」
「殿下、アリシアが起きてしまいます」
「お、おお。そうだったな。すまん。お前も体調は大丈夫なのか? 無理はいかん。いかんぞ」
「ふふ、大丈夫ですよ。もう、随分と良くなってまいりました」
ベッドの上で我が最愛の妻であるスージーが笑う。
その隣に置かれている小さなベッドの上には、先々月に誕生した天使――長女であるアリシアがすやすや、と寝ている。
ようやく、妻の体調も落ち着き、今日は名付け親が顔を見に来る、とのことだったのが……奴め。このような重大事にすら遅刻をするとは……!
「それに殿下、まだ約束のお時間にはなっていませんよ?」
「む……そうか。すまぬ。昨日から、今日を考えて中々眠れず――はっ!」
「……殿下?」
「ち、違うのだ。私は寝ている。もう毎晩ぐっすりと寝ているのだ」
「何時間ですか?」
「三……ち、違う。今のは冗談だ。そう、確か四時間は」
「そうですか……殿下は私の言う事など聞いてくださらないのですね。毎日、御国の為に尽くされるばかり。私とこの子のことなど……」
「そ、そんな事はない! ――お前を愛している。勿論、アリシアもだ」
「——おっと、これは私としたことが、失礼いたしました。出直して参ります。さ、行こうか、エリナ」
くっ……どうして、お前は何時も何時もそう間が悪いのだ!?
狙って――む?
「待て、アレックス。ここまで来ておいてそれはなかろう。仮にもお前は名付け親なのだぞ」
「では、御言葉に甘えて」
そう言うと、我が親友が少女をエスコートしながら入って来た。
少女は両手に色とりどりの薔薇の花束を持っている。うむ、見事だ。
確かこの者は……笑い尋ねる。
「ところでアレックス、その者は?」
「殿下、性格がお悪いとアリシア様に嫌われますよ?」
「うぐっ……」
「エリナ・ロスと申します。殿下とは、王宮の晩餐会で幾度か……」
「すまぬ。分かっていた。許せ」
「いえ、大丈夫です。これは私達が今育てている薔薇となります。そこの花瓶に活けてもよろしいでしょうか?」
「まぁ綺麗。ありがとう。お願いするわ」
「はい」
スージーがエリナに微笑みかける。
それを見る我が親友の顔は慈愛に満ち満ちて――ほぉ。こいつも人の子であったか。正直、天か魔の子だと思っていたわ。
だが……そうか、そうか。
30にもなると言うのに浮いた話一つ出て来ぬ男だったが……。
確か、エリナは今年で16。貴族間の結婚ではよくある――こやつ、そもそも爵位がないではないか! 階級的には平民と侯爵家令嬢……き、厳しい。
無論、アレックスが望めば何の問題もないが、こいつは恐ろしく固い貞操観念を持っている。このままでは。い、いかんぞ。そんな事で婚姻を逃さす訳には!
…………いや、待て。この男がそんな事を分からぬ筈はない。つまり裏がある?
「スージー様、お加減はもう?」
「はい、とても。アレックス様に頂いたお薬がとても効きました。本当にありがとうございました」
「いえ、とんでもございません。何しろ、私はアリシア様の名付け親という名誉を与えられた身。今後とも出来得る限りの事をさしていただく所存ですので、何なりとお申し付けください」
「では、早速一点」
「はい」
「アレックス様はご結婚はされぬのですか?」
「!?」
「……」
「今の所、予定はありませんね」
「では、エリナ様のことは?」
「——今は秘密です」
「秘密ですか」
「はい」
「では、仕方ありませんね」
「ありがとうございます」
……親友と妻が、分かり合ったように笑い合う。この二人、妙に仲が良い。
べ、別に嫉妬などしていない。だが面白くないのも事実だ。
花瓶に、薔薇を活けていたエリナは顔を俯かせている。
そこから感情は読み取れぬ。
「アリシア様は、日に日に大きくなられていきますね――すぐ、御嫁に行かれる日が来るのでしょうか」
「そ、そんな事はさせぬっ。そのような者が来たら……!」
「ふふ、殿下。アレックス様がいらっしゃると、本当に楽しそうですね」
「ち、違う。誰がこんな男が来ても嬉しがるものかよっ!」
「……そうなのですか」
「! ア、アレックス」
「アレックス様、お可哀想に……エリナ、貴女もそう思わない?」
「えっ? ……そうですね。そう思います」
「なっ!?」
味方がいない、だと? い、いや、だがしかし、アリシアは私の味方――な、何故、先程までぐっすりと寝ていたのに、起きてアレックスとエリナの指を掴んでいるのだっ!? わ、私がしてもやってくれないのに……。
「——うわぁ、可愛い――」
「そうだね」
しかも、何やら二人だけの空間を作っておるし。
貴様、先程は言葉を濁しておったではないか。つまりそれは――偽装婚約、ということであろう?
ロス家の話は勿論、私も聞いている。つまり――この少女が持つ才覚を、貴様はそれ程までに買っているということ。
婚約者、というのもこの少女の未来を守る為。貴様が期待する程の才、大学まで出れば後は路を切り開ける、という算段なのだろう。
……にも関わらず、まるで長年連れ添った夫婦のような雰囲気を出すのはするどうなのだ? いや、こうまでしなければ世間の目は欺けぬ、と。
流石だ、アレックス。
だが、婚姻については、そろそろ決めねばならんぞ。そうだ、この私が誰かを紹介してやろう!
――後日、妻に相談したらとてつもなく怒られた。解せぬ。
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