第3章

第27話 その男、重病人につき

 今日も外は雨だった。

 ベッド脇に置かれた報告書を手に取り――開く気力が湧かず、身体をそのまま横たえる。

 駄目だ。何もする気になれない。まさか自分がここまで……いや、分かっていた。所詮、俺は小悪党。アニエスがいない俺なんて、この程度だ。

 にしても、だ……神さんよぉぉぉ……再会させてくれたのには、感謝してる。あの後、匿名で教会にも寄付はしたし、現物の教会も建てた。最大限の礼はした筈。

 が、だっ!

 幾ら何でも、再会させてからのこの展開はないだろうが!?

 確かに俺は、屑で、あいつの傍にいるには足りないのかもしれん。いや、足りないのだろうさ。

 だが、だがっ!

 天に昇らせておいて、地獄の底の底に突き落とすってのは、幾ら何でも……酷過ぎやしねぇか?


『実家に戻ります。私の荷物は全て捨て、婚約は破棄してください』


 あの日――エリナが屋敷から消えた日。俺は、何時ものようにあの子を迎えに行き、素っ気なく一文が書かれたメモ紙を部屋で発見。余りの衝撃にそのまま、昏倒した。

 見捨てられた。そう思ったのだ。

 仕方ない。そう、これは仕方ない事だ。何しろ、エリナは世界で一番――否! 有史上最も可愛い。

 相手がこの俺じゃ、どうあがいた所で釣り合いはしないのは、誰よりもよく分かっている。

 それでも、最近はよく笑ってくれていたし、馴染んでくれたいたから……いや、俺が悪いのだ。良い夢は見させてもらった。

 後は……あの子が、どうか幸せに……うぐっ……。

 身体から力が抜ける。嗚呼、俺はもう駄目なのかもしれないな。エリナがいると知ったこの世界を、一人で歩いていける程、強くはなれない。まぁ、悪くない人生だったか。後は、あの子に……。

 ――ノックの音。


「御主人様、お加減は如何でございましょうか? 何か、お食べになっては」

「……エドワードか。すまない、こっちへ」

「はっ」


 気怠い身体をどうにか起こし、枠机の引き出しを開ける。

 そこから数枚の書類を取り出し、忠実な老執事へ手渡す。

 即座に、目を通した何時もは沈着冷静な男の目が驚愕へと変化。

 

「!?」

「……今まで、こんな俺によく仕えてくれた。その忠義に報いるにはまるで足りないかもしれないが、受け取ってくれ。それなりに遊んでは暮らせる筈だ」

「こ、こ、こ、このような物、断じて、断じてっ、受け取れませぬっ!」

「エドワード……俺はこのざまだ。そう長くはないだろう。なら、意識がある内に世話になった人達には報いたい。それにそこには、その反吐が出る仕事分も含まれている。どうか受け取ってくれ、頼む」

「ご、御主人様……いけませぬっ! やはり、ロス侯爵家を今からでも潰し、エリナ御嬢様の奪還を御下命くださいっ!! 証拠は全て揃っております。何時でも、告発可能な状態で待機しておりますし、部隊の手配も終わっておりますっ!!! たとえ、我等がそうしなくとも遠からずあの家は……さすれば、エリナ御嬢様もご不幸になられるのですっ。我が主は、そのような事を座して許す惰弱の徒に非ず!!!!」

「そうだな……あの子が不幸になるのは、耐えられないな。…………エリナは優しい子だ。俺が、義理とはいえ家族を潰すような行為をしたら苦しむ。だから、俺はこの件に関しては『悪党』にならなきゃならないだろう。『小悪党』じゃなくな。それに、俺は特段この国を愛してなどいないが、売国を見過ごす程、嫌ってもいない。情報は秘密裡に王子へ。その際、交渉を行い、ロス侯爵家の助命を、と。そして、俺の個人財産はエリナへ。少ないかもしれないが、まぁ侯爵家の家名は保てるだろう。嗚呼、無論、世間にはこう宣伝しろ。『アニエス商会会頭、アレックスが勝手に婚約を破棄したエリナ・ロスへの怒りの余り、国家へ情報を売った』とな」

「ご、御主人様……それでは、御主人様の名が……世間はあらぬ事を叫びましょう。そこまでエリナ様を……」

「アニエス商会は、出来れば続けてくれれば有難い。飛空艇事業はこれから先も拡大していくだろうし、何れは車ももっと庶民的な物が作れるようになる筈だ。皆なら、問題なくやっていける。俺がいなくなってもな」

「……御主人――アレックス様……!」


 エドワードが、俺の手を強く強く握りしめ、泣いている。

 何だよ、泣くなよ。

 苦笑しながら、声をかける。


「今まで、こんな情けない男に付き合ってくれた、感謝している。お前がいなかったら、俺は何処かで死んでいただろう。ありがとう」

「何を、何を、仰いますっ。縁起でもございませぬ。このような病、すぐにでも治ります」 

「自分の身体だ。分かるさ。……すまない、少し眠る。仕事の件は」

「……万事滞りなく。このエドワードに全てお任せをくださいませ」

「うん、頼んだ。ああ、それと、皆に謝っておいてくれるか。本当にすまない、と」

「……っ。は、はっ! 必ず、必ずやっ!!」


 エドワードが涙を拭いながら、部屋から出て行った。あいつには、最後まで面倒事を押し付けてしまった。俺がいなくなった後は、少しゆっくりしてほしいな。

 ――目を瞑る。

 アニエスの、エリナの笑顔が浮かんできた。あの子が幸せになってくれるのなら、俺は何にだってなろう。その為なら悪党にでもなってやるさ。

 

 どうかどうか……あの子が幸せでありますように。

 おい、神よ、もしも不幸になんかしたら……分かってんだろうなぁ? 殺せなくても殺すぞ……。

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とある小悪党の恋 七野りく @yukinagi

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