第26話 その娘、嘘つきにつき
「今……今、何て言ったの? 嘘よね?? 幾ら、お義父様でも、多少の常識は弁えて…………本気なの?」
「……残念ながら……」
珍しくパメラ、ニーナと別れ、大学であの人を一人待っていた私に声をかけてきたのは意外な人物―—私を幼い時から、見守ってくれていた、爺やだった。
人目をはばかり、温室で話を聞いた私は、絶句。
目の前で、悲痛な面持ちの爺やの顔は酷くやつれ、身体を震わせながら、私へもう一度、言った。
「旦那様は……旦那様は、御嬢様とアレックス様との婚約を取り消し、帝国の貴族との婚約を進めよ、との仰せです。無論、道理はありませぬ。また、あの御方が当家へ何かをした訳でもありませぬ。むしろ……資金援助がなければ、当の昔に破産していたことでしょう。ですが、旦那様は……それをお分かりになられぬのです……」
「……そう、なの」
「どうか、どうか、正式に話が伝わる前に、アレックス様とお話し下さい。彼の御方ならば、必ずや、御力をお貸しくださる筈です」
「…………」
椅子から立ち上がり、私達が育て、今を盛りとして見事に咲き誇っている薔薇へ近付く。
花へ触れ、心を落ち着かせる。
大丈夫。私は大丈夫。大丈夫だから。
振り返り、腰を浮かせている爺やへ首を振る。
「……駄目よ。あの人に迷惑をかけてしまうもの」
「御嬢様っ!」
「考えてもみて? あの人は、この国に――ううん。この世界の未来にとって必要な人なのよ? それを……確実に没落するだろう、たかだが愚かな一貴族の問題なんかに巻き込むわけにはいかないわ。お義父様は、簡単に考えているのでしょうけど、帝国はほんの数十年前まで、王国と本気で戦争をしていた相手。そこの貴族へ私が嫁ぐ……問題にならない筈はないわ。まして、アレックス商会会頭と破談してよ? ロス侯爵家は終わるわ。爺や、貴方達を巻き込んでしまうのは心苦しいわ。出来れば、今の内に」
「な、何を……何を仰いますかっ! 御嬢様、どうか、どうか、どうかっ、御自分のお幸せだけを」
「いいのよ。大丈夫―—」
頬を涙が伝う。
あ、あれ? お、おかしいな。べ、別に私は、あの人ことなんか……自分を「小悪党」だと自嘲しながら、誰よりも、この世界の誰よりも、優しいあの人ことなんか、別に何とも……。
爺やから、背を向け、一生懸命涙を拭う。
だけど、止まってくれない。
早口で続ける。
「今晩そちらへ戻ります。お義父様へはそう伝えておいて」
「御嬢様……!」
「爺や、お願い。少し――私は一人にしてくれないかしら?」
「…………はっ」
後ろから重い足音。
やがて、扉が開き、私は一人になった。
う、く…………。
その場にしゃがみ込む。駄目だ。もう駄目だ。自分を支えきれない。
両手で顔を覆う。
どうして? 何で?? 私は幸せになっちゃいけないの???
嗚呼、神様。どうせなら、あの人に会わせないまま、私の人生を終わらしてほしかったです。
数か月前の私なら耐えられたかもしれない。
でも――私はもう知ってしまった。
あの人の優しさを。あの人の温かさを。あの人の愛情を。
「…………いゃだよぉ…………」
口にすると、もう止めようがなかった。
涙はどんどん溢れてくる。
視界は滲み、気持ちはぐちゃぐちゃ。
だけど、でも……袖で目元を拭い、無理矢理、自分を奮い立たせる。そろそろ時間だ。あの人が迎えに来てしまう。
こんな顔をしていたらきっと心配する。そんなの嫌だ。
車で迎えに来てくれるのも最後……自分の胸に手を置く。病気なんじゃないか、と思うくらい、イタイ。嗚呼……私はどうしようもなく、あの人のことが。
扉が開く音。そして、今ではすぐに分かる足音。慌てて、目元を拭う。
「ああ、やっぱり、ここだった。少し遅れて――エリナ? どうしたんだ?」
「…………何でもありません。ちょっと、薔薇へまく、薬剤が目に入っただけです」
「何だってっ! それは、大変だ。さ、目を洗って」
「だ、大丈夫です。ひ、一人で出来ますからっ」
「そうか?」
優しく手を握られた瞬間、心臓が高鳴る。幸せが満ちていく。
……今、この人に何もかも伝えたら、どうなるんだろう?
きっと、助けてくれるだろう。それは分かっている。
でも、出来ない。それは出来ない。
一緒にいたい。でも、迷惑はかけたくない。かけられない。
だから――彼が心配そうに覗き込んできた。
「エリナ? 本当に大丈夫なのか?? 何かあったなら、言ってみるといい。これでも、俺はそれなりの商会会頭だからな。大概の事は何とかなると思うぞ」
「…………別に、大丈夫です。そう言えば、飛空艇の話はどうなったんですか? 随分、仕事が遅いんですね」
「ごふっ……い、痛いところを突いてきたな。だが、もう完成する。来月は一緒に空中散歩を楽しめる! 約束する」
「ふ~ん。ま、期待しないで待っておきます」
嘘です。私は貴方と一緒なら何処に行っても良いんです。ただただ、一緒に……傍にいたいだけなんです。
――小悪党さんの袖を引いて、最初で最後のおねだりをします
「エ、エリナ?」
「ほら、行きますよ。帰りに、美味しいケーキのお店へ連れて行って下さい」
「! お、おおっ!! 任せておけ。こんなこともあろうかと、有名店を網羅してある。よ、良し。ならば、早速行こう!」
嬉しそうに彼が私の手を、優しく握ってくれます。
……神様、私は恨みます。
私へこんな幸せを教えておいて、これから奈落の底へ突き落すんですから。
満面の笑みを浮かべている、彼――アレックスに、謝罪します。
ごめんなさい、私は嘘つきなんです。だから、私なんか忘れてください。お願いします。
――どうか、どうか、どうか、貴方が幸せでありますように。
「エリナの好きなケーキを食べに行こう! さ、何でも言ってくれ。万難を排して、連れていくからなっ!」
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