第2章

第14話 その男、運転手につき

 今日も俺は、朝から上機嫌だ。

 口笛を吹きながら、山のような仕事を片づけている。

 うむ、調子も絶好調。

 おっと、いかん。そろそろ、支度をしなければ。


「エドワード、後は頼む。重要な案件についての確認は終えておいた」

「了解いたしました、御主人様。エリナ様は既にお待ちかねです」

「そうか! 待っていてくれてるのか……では、行って来る。帰りは何時も通り。今日のエリナの帰り時間には」

「無論、予定は空白にしてございます」

「……何時も、すまないな。お前には迷惑ばかりかけてしまっている」

「滅相もございませぬ。御主人様にお仕えし、『小石』を取り除く事こそが、このエドワードの生きがいでございますれば」

「ありがとう。この礼は必ず。では行ってくる」

「行ってらっしゃいませ。お気をつけて」


 何だかんだ十数年の付き合いになる老執事に手で挨拶をし、執務室を出る。

 懐中時計を確認。いかん、これ以上、遅刻をすると機嫌を損ねてしまう。いやまぁ、怒られる事すら俺にとってはご褒美なのだが……あの子が、朝から気分を害すのは駄目だ。それは駄目だ。

 かくなる上は……窓を確認――ここは二階か、いける!


「……いけません。いったい何をしようとしているんですか、貴方は」

「アニ――やぁエリナ」


 振り返ると――我が女神がいた。

 情けない事に、彼女がこの屋敷に来てくれて、三ヶ月余りが過ぎようとしているのに、顔を見る度、泣きそうになってしまう。

 無論、そんな顔を見せれば、優しいこの子のことだ。精一杯、汚い言葉を吐きながら、それでも付き添ってくれるだろうが。

 

 しかし! それはこの子の時間を奪うに等しいこと。許され難い罪!!


 前世の記憶をもっている俺と違い、エリナはどうやら何も持たずに転生したようだ。どうして、この子がそうなのか分かるのかって?

 

 分かるもんは分かる!

 

 前世晩年から今世この歳まで、半世紀近く、一人の人間を想い続けていれば、誰でもそれ位、出来るようになるのだよ。

 ……記憶を持ってないのは当然だろう。普通に考えれば、そんな奇跡が続くわけもない。俺が持ったまま転生している事自体が変なのだ。

 取りあえず出会えた。俺の生涯に悔いなし! 

 神よ、中々やるではないか。教会を10棟程、寄付してやろう。


「……待てど暮らせど来ないから、何かあったのかと思って呼びに来ました。それとも……今日は送ってくれないんですか? 小悪党さん?」

「ははは、送るに決まっているじゃないか。さ、行こうか」

「……手なんか握りません」


 俺の手は空をきった。少しだけ寂しい。

 いや……これが普通なのだ。

 彼女からすれば、半ば売られたに等しい印象を抱いているだろう。何せ俺は30。彼女は未だ15だ。倍も離れてれば余計そうなる。

 聡明な子でもあるし、実家の状況も把握しているようだったし。

 で、あるならば……俺はこの子に何をしてやればいいのだろう? 

 俺の『もう一度、アニエスと会う』という望みは果たされた。

 ならば――突然、手を引かれた。え?


「もうっ! 何してるんですか。ほ、ほらっ。行きますよ」

「あ、ああ。すまない。少し考え事をしていたんだ」

「……御仕事ですか? 私の送迎、負担になってますよね」

「そんな事はない! ……ああ、本当にすまない。君を送るのは俺にとっても良い息抜きになっているんだ。君が嫌なら、他の者に任」

「そんな事ない! ……そんな事、ないです」

「……そ、そうか」

「……そ、そうです」


 微妙な沈黙を保ったまま、屋敷内を二人で歩いて行く。

 話題、何か話題を!

 おい、神よ。子が悩んでいるのだぞ。何とかしろっ!!


「小悪党さんは」

「?」

「どうして、今の商会を大きくしようと思われたんですか?」

「……成り行きだな」

「へっ?」

「元々は両親がやっていた店を、学校卒業後に引き継いだのが始まりだった。そこから先は……幸運だったのだと思う。出来る限りの努力はしたが。それでも何故ここまで大きくなったのは、俺にも分からないな。ただ」

「ただ?」

「――俺には、果たすべき約束があったんだ。それを果たす為には何でもしてみせると、誓ってもいた。だから、頑張れたんだ」

「そう、ですか……」


 エリナが何故か俯いてしまった。

 ど、どうした? 何か、不快な気持ちにさせてしまったのだろうか?

 くっ……たとえ、前世の記憶を持っていても、俺はまともな恋愛経験値を持っていない。何せ、アニエスしか知らないのだ。

 こういう時、彼女ならば……そうだ!


「ああ、そう言えばエリナ」

「……何ですか」

「雲の上に興味はないかな?」

「雲の上?」

「ああ。今度、うちの商会は、飛空艇を使った輸送事業を立ち上げるんだ。その一番艇の試運転が、もう少ししたらあるのだけれど、良かったら」

「行きますっ! うわぁ。私、飛空艇って一度乗ってみたかったんですよ」

「……そうか」


 彼女が笑う。まるで、大輪の花のように。

 嗚呼、やはり俺はこの子を今世で幸せにしてやらなくてはならない。

 だから、ありったけの愛情をこの子に注ごう。

 前世で彼女にしてやれなかった事。

 今世で彼女がしてみたい事。

 その全てを叶えてみせよう。


「約束ですよ? 今更、駄目、って言っても私、聞きませんから!」

「分かっているよ。約束だ」 

 

 微笑みつつ、誓う。固く、固く、君に誓う。

 ――今世で君が俺を愛してくれなくても、俺は君を必ず幸せにしてみせるよ。

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