第23話 その侯爵、酒好きにつき

「……で、何なのだ、今日はいったい」

「いえ、一つ御頼みしたい事がありまして」

「頼みだと? 貴様なら、自力でどうにでも出来ようが」

「いえいえ。所詮、僕みたいなぽっと出じゃどうにもならない事も多いんですよ。その点、閣下ならば、というわけです。スレイド侯爵の名を知らぬ者はおりませんしね」

「……ふんっ」


 この男が持ってきた赤ワインをグラスへなみなみと注ぎ、飲む。

 美味い。とんでもなく美味い。今まで、私が飲んできた物は何だったのか。これに比べれば、あれらは泥水だ。


「お口に合いましたか? 最近、ようやくいい味になってきたんですよ。気に入っていただけたのなら、明日にでも運んでおきます」

「……交換条件か」

「まさか。うちのワインを美味しいと思っていただいたことに対する、ほんの御礼ですよ。御嬢様が、今、学ばれているものの成果の一つです」

「…………娘のことは、迷惑をかけている」

「パメラ嬢には、世話になっています」


 食えぬ男だ。

 だがそうか……このワインも、か。

 私は、何時の間にか随分と偏狭な男に成り下がっていたようだ。

 パメラの件があった後、突然訪ねて来たこの男――アニエス商会会頭のアレックスと、こうして酒を飲むようになって早数ヶ月。

 当初こそ、警戒したが……考えてみればこの男が本気になれば出来ぬ事などないだろう。ならば、酒の肴にと、毎回持ってくる珍味。持ち込まれる絶品なワインその他の酒を楽しまなければ損だ。

 加えて、この男、話を聞くのも話すのも上手かった。ついつい、色々話してしまう。無論、それでどうこう、という話ではない。

 あくまでも、酒を飲み、美味い物を食べ、ただ夜長話すだけだ。

 それが、珍しく頼みとはな。


「まぁ話だけは聞いてやろう。どちらの件だ。ロスの件か。軍の件か」

「前者です」

「……あれはもう無理だろう。これは独り言だが、王家のみならず、公爵と他の侯爵、それに直接、間接で何かしら金を貸した家が、秘密裏に動いている」

「そうですか。では、あえて聞きますが、救済するとすれば」

「…………せめて、当の本人が何とかする意思を内外に示さねばどうにもならん。あれは、後継ぎも愚か者らしいからな。唯一、優れている娘は、何処かの誰かが籠に入れて愛でていると聞いている。その籠に鍵はついてないだろうが」

「……お恥ずかしい話です」


 グラスに入った赤ワインを飲み干すと、アレックスはもう一つのグラスを差し出してきた。白ワインを注がれる。

 ……うむ。これもまた、素晴らしい。


「で、貴様、どうしたいのだ? ロス家を潰した上で強奪するのか? 私としては、パメラを貰ってもらいたいがな」

「そんな乱暴な事はしませんよ。それと御冗談を。スレイド侯爵家が、一商人に娘を差し出す……世間一般からは、金で買ったように見えます」

「構わん。貴様と娘次第だ。いざとなれば、正式に勘当する。その後、偶々、貴様が拾えばそれで済む」

「……胸の内にはおいておきますが。パメラには」 

「無論、言わぬ。だが、中々面白かろう? 両侯爵家から嫁をもらう形ともなれば、前代未聞。史上初だろう。今まで、散々、色々やらかしたのだ。嫁の一人や二人、増えた所でどうということはあるまい」 

「……では、閣下も外におられるのですか?」

「はっ! 馬鹿を言え。私は頑迷だったかもしれんが、自殺志願者ではない。第一、我が妻はこの世界一だ。ああ、今度、この席に来たいと言っていたぞ。義理の息子に会っておきたいそうだ」

「……話が早過ぎます」


 ふん。この男が困った顔とは。

 ロス侯爵のあほさ加減に、さしものアレックスも苦慮――否。おそらく、引き取っている娘に配慮しているのだろうな。

 話を聞けば聞くほど、この男が、ロス家の娘にしている配慮は手厚い。手厚いを通り越し過ぎて、少し異様だ。

 惚れたのかと思ったが、それでいて未だ手をつけた様子もなし。今後もつけようとも考えていないようだ。 

 何かしら古い縁でもあるのか、と聞いてみれば満面の笑みで「……そうですね。古い古い縁がありまして」と答えるのみ。

 

 ……縁、か。

 

 余程のものなのだろうな。本来であれば、ロス家の問題など取る足らぬ些事だろうに。

 先々代と当代が作った借財まみれで、それでいて収集した物の多くも、価値に合わぬ物ばかりと聞く。 

 そのような家を、アニエス商会が仮に買い叩いたところで、そこまでの反発はおきまい。あの家は敵を作り過ぎた。我が家も自戒せねばな。

 ―—赤ワイン、白ワイン共に空となった。

 互いに多忙な身。深酒はしないようにしている。


「明日にでも、赤白、どちらも届けさせます」

「うむ。頼む。……仮にロス家の件、動く際は報せよ。貴族間のごたごたは調整出来よう」 

「……すいません。ありがとうございます」

「気にするな。何しろ、未来の息子の為だ」

「……だから、話が早過ぎます。パメラ嬢ならば、もっといい縁があると思いますし。では、また」

「うむ」


 そういって、アレックスはしっかりとした足取りで去って行った。

 ……ふん。


「爺」

「はっ」

「……パメラに一度、帰って来るよう伝えよ。話し合いたい事がある、とな。我がスレイド家――いや、あやつの未来についてだ」

「はっ!」

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