第6話 その教授達、趣味人につき
「ほぉ……彼直筆の推薦状が?」
「そうだ。無下には出来ないだろう?」
「それはまぁそうですが。けれど、幾ら彼の頼みとはいえ、成績が伴わなくては難しいですよ。それに、私のやっていることは主流のそれではないですし、貴方のそれもそうでしょう?」
「確かに一見そう見えるだろうな。あの男からの膨大な寄付金がなかったら、お前も私も、とうに大学から放逐されていただろう……お互い幸運……いや、奇縁だったのだろうな」
「そうですねぇ」
古き戦友――植物学を研究している同僚教授から渡された推薦状を見ます。
名はニーナ。両親はおらず、孤児院の出。けれど、名だたる貴族の子息、子女を押しのけ、成績は学年上位で王立学校を卒業、と。
ああ、なるほど、またこのパターンですか。
未だ王立大学進学には世間的に認められた後見人が必要、という旧慣習は、主に既得権益を死守したい貴族達の頑強な抵抗で崩されてはいませんが……王国最大の商家であるアニエス商会会頭直筆の推薦状があれば、入学を拒否することは不可能。
何しろ、彼はその圧倒的な財力もさることながら、俊才の誉れ高い、イーデン王子とはご学友にして、親友の間柄。如何に傲慢な貴族共であっても、対抗すればどうなるかは火を見るより明らかですしねぇ。
……まぁ、彼はそんな些事、一切気にしていないのでしょうが。
「成績に問題はなさそうですが……本当に、うちの研究室に来たいと? この子ならば、何処に進んでもやっていけると思います。それに、こんな事言ってはなんですが、うちで学位を取っても、将来は狭まるだけですよ?」
「当の本人が、絶対にお前さんの研究室に入りたいんだそうだ。そして……土壌改良を専門にしたいと。ああ、その子の親友である、パメラ嬢――スレイド侯爵家の三女だ――は私のとこが希望だそうだ」
「……趣味の学問と言われる、植物学のですか?」
「言ってくれるじゃないか。お前さんだってそうだろうが。ま、否定はせんがな」
「そのパメラ嬢の成績は?」
「――自分で見ろ」
もう一枚の紙を見ます。
こちらは王立学校からの推薦状。ほぉ……これはこれは。
「今期卒業生の次席ですか。大したものです」
「ああ、私もそう思う」
「……これ、もめるのでは?」
「もめるな、間違いなく」
「スレイド侯爵は、彼女が貴方の所へ行くこと知ってるんですか?」
「……この前、手紙がきた」
「ほぉ」
テーブルの上に置かれているティーカップを手に取ります。
――ふむ、良い香りです。
おそらく、アニエス商会が最近一般向けに売り始めた紅茶ですね。何度か試飲した記憶がありますし。
「で? 内容は?」
「決まっているだろう? 『娘を説得してほしい。さもなくば――教授の地位がどうなるかは分かるだろう?』ときた。有り体に言えば脅迫だな」
「それはそれは」
「……おい、他人事ではなないぞ? パメラ嬢と面接したんだが、私の研究室に来たがっているのは『私は親友と一緒に何かを成し遂げたいんです!』だ、そうだ」
「はぁ……待ってください。親友って……」
「そうだ。お前さんの研究室に数年ぶりに入る生徒様だ」
「…………滅茶苦茶、もめるじゃないですか。どうするんです?」
「決まってるだろう?」
彼もティーカップを手に取り、中身を飲み干します。
まぁ確かに決まってますが。
「『貴方の研究は絶対に必要だ。少なくとも俺個人にとっては。だから――好きなだけ研究してくれ。ああ、特に薔薇は念入りにな。出来れば色も増やしてほしい』。そう言う物好きがいる世の中だ。仮に、くびになっても奴が骨は拾ってくれるだろう」
「まぁそうでしょうね。実は、『土が悪ければ全ての植物は育たないだろ? 貴方の考え方は正しい。好きにしてくれ。薔薇用の土壌だけは、別口で念入りに、な。な?』と言う変人を知っているんですよ」
「奇遇だな。私もだ。去年は我ながら見事な薔薇を咲かせられたと思う。……よもや、ここまで奥が深い世界だったとはな。いやはや、恐ろしい話だ」
「そうですね。今年も色々と試していますし……楽しみです」
お互い、考える事は同じのようです。
まぁ、いざとなればアニエス商会にも農作物研究部門はあります。下手すると、王立大学よりも設備も良いでしょうし。
それでも――約一世紀前に、奇特な御仁が亡き妻の為に、王立大学の中庭に寄贈した、王都最大の薔薇庭園が、荒れるに任すのは余りにも忍びない。
大学側は未だに冷淡ですが……アニエス商会の全面支援のお蔭で、ようやく持ち直してきましたしね。
私達がいる間は、死守しましょう。彼の頼みもあることですし。
『金と人の問題はこっちが全部引き受ける。貴方達にはこの庭園を甦らせてほしい。……これじゃ、あいつが見たら泣いちまう』
形を取り戻させるのに、10年近くかかりました。
一度崩したものを、元通りにすることは何と難しい事か!
だからこそ――それを学んでくれる生徒がくるならば、拒めません。
「では――二人共、決定で良いですね?」
「ああ」
「分かりました。まぁ何かあったら、彼に任せてしまうという事で。絶対に何かありますし」
「そうだな。さて、それでは彼に贈る薔薇を選ぶとしよう」
「そうですね。楽しみです。今年は去年よりも出来がいい。喜んでくれるでしょう」
私達には、貴族様の常識や、学内の政治なんて難しい事は分りません。
分かる事は――植物を愛し、土を愛し、その成果を、彼に示す事だけ。
ただ、それだけの事なのです。
……そう言えば、今期の王立学校首席となったあの子はどうなったのでしょう? わざわざ、事前に何度も薔薇庭園の見学をする位に熱心だったのですが……書類がない、ということは、やはり心変わりしてしまったのでしょうか?
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