第10話 その侯爵、誇り高き者につき

「……何だと? 今、何と言った?」

「はっ……パメラ御嬢様は、どうやらニーナ様の下宿先でご一緒に過ごされております」

「尊称などつけるなっ! 相手は平民、しかも孤児だぞ。我がスレイド侯爵家に列なる娘が、そのような人間と一緒に寝起きするなど……あってはならんことだ!」


 机に思いっ切り拳を叩きつける。

 いったい、何をやっているのだ、あの馬鹿娘はっ!!

 ぎろり、と目の前の老僕を睨みつけ命じる。


「連れ戻せ! 即刻だ。まったく……このような事が、世に知れ渡ればよい物笑いの種ではないか。我が家を、あのどうしようもないロス家と一緒の類にするつもりか、あ奴はっ!!」

「はっ……ですが、旦那様」

「何だっ!」

「連れ戻すのは困難でございまして……」

「どういう意味だ?」


 意味が分からない。私の娘を、私が命じてどうして連れ帰る事も出来ないのか。

 それ程の無能を雇っているつもりはない。

 頭が沸騰し、怒鳴りつけようと――目を見て、止まる。これは何かが起きているのだ。


「説明せよ」

「はっ……パメラ御嬢様は、既に大学進学が決まった模様です……これを強引に取り消せば、王家の、ひいては王子の耳に入るかと……」

「馬鹿な。どうやって、学費を支払ったのだ。パメラは優秀だが、特待生枠に入るかどうかは分からぬ筈」

「確かに。どうやら、当初はそのようなご判断をされていたようです。が……昨日、事態が急変いたしました」


老僕の目に宿るのは沈痛の色。自分の力ではどうにもならない事態の時、こやつはこのような目をする。

 ……スレイド家の名前を出しても、どうにもならぬ相手だと?


「パメラ様は、ニーナ様と共に、アニエス商会へ支援を求められたようです。そして――昨日の午後、三人分の学費が大学へ支払われた由」

「ふざけるなっ! あの、金の亡者がどうしてこの一件に関わる要素があるのだっ!! これは、我が家の問題ぞ。少なくとも、奴は下賤の輩ではあるが、話の一切分からぬ相手でもあるまい。交渉せよ!」

「……旦那様」


 ますます憂いをおびた視線が鬱陶しい。

 いったい、どうしたというのだ。


「それは、不可能でございます」

「なっ!?」

「確かに、アニエス商会の会頭殿は無官の身。我が侯爵家が物を申さば、耳を傾けないような、阿呆でもございませぬ」

「では」

「しかし――しかしでございます。あの吾人は、一度他者と約したものは、何が起ころうとも退かれませぬ。まして、パメラ御嬢様は大学にて、植物学を専攻される御予定になっております」

「……儂は認めてなぞおらぬ」

「はい。ですが……あの吾人はそう認識してしまっているのです。で、あるならば……この国の人間で、その意志を動かせる人間は、おそらくおりませぬ」

「……お前は自分が何を言っているのか理解しておるのか?」


 身体が怒りで震えてくる。

 それでは……それでは、まるで、あの男がこの国の実質的な王ではないかっ!


「無論、王家が命じれば従いはいたしましょう。……が、その結果、どうなるか。おそらく、数年後には王国そのものが滅びかねませぬ」

「たかが、一平民! 一商会ではないかっ!! どうして、そのような者を恐れねばならぬのだっ!!!」

「……旦那様、あの吾人を人だと思ってはなりませぬ。あの者は……自らの目的の為ならば、全てを、下手をすれな王国、いえ、この大陸全てを巻き込む、言わば魔王にも成りえる存在なのです。人の身で勝てる相手ではございませぬ」

「!!?」

「……パメラ様の件、旦那様のご心痛、この老骨、理解しております。美しく、そして聡明であられる御嬢様がどうして、あのような学問を、と……しかし、最早、賽は投げられました。二度と振る事能わず。もしそれでも、と仰るならば……この老骨、当家が滅びるのをこの目で見るのは耐えられませぬ。どうぞ、お暇乞いをさせていただきたく……」

「……何なのだ…」


 半世紀以上の長きにわたり仕えてきた、忠誠について疑念の余地などないこの老僕が、涙を流しながら、絶対に対立をするな、と諫言してくる相手とは。

 呆然としながら呟く。自分が信じていた足元がぐらつく。


「……旦那様」

「爺、教えてくれ。アニエス商会とは――あのアレックスという男はいったい、何者なのだ?」

「分かりませぬ。ですが、あの王国全図を、単に『不便だから』という理由だけ作り上げ、やはり『空を見せたい相手がいる』という意志のみで、大量の飛空艇を量産しようとしている……言わば狂人です。思考の規模が違い過ぎます。また、アニエス商会の財、表面に見えてるものだけでも、我がスレイド家と比べましても……桁が四つ、いえ、五つはちごうございます。かの吾人が、無官なのは単に興味がないだけございましょう。得る気にならば、明日にでも公爵、いえ『王』に封じられるかもしれませぬ。それ程……圧倒的なのです」

「…………潰せるのか?」

「それは、王国全土、いえ大陸東部全体を焦土と化すだけの罪を背負う御覚悟を固められた後の御話かと。それでも――勝算の目は、ほんの僅かでございます。この老骨が現役の時であっても……何も変わらぬでしょうな。時代が変わったのです」


 かつて『血染』と呼ばれ、戦場を駆けに駆けた老僕が乾いた声で笑う。

 ……つまり、こういう事か。


「儂のこの一件からは、手を退けと言うのだな? パメラを……我が娘を、あの下賤の輩に差し出せと」

「……御意」


 ――腸が千切れる程の葛藤。そして、受諾。

 その後、わざわざ訪ねて来た、当の本人から、何故、娘を庇護したのかを聞き、『薔薇に必要な人材なので』の一言に、老僕と同じ乾いた笑い声で応じたのは言うまでもない。

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