第15話
羽場はこれまでと同じように、警備の甘い現実世界の通信拠点――今回彼が見つけてきたのは、やはり小学校のネットワーク・スイッチだった――に、決して足の付くことのない中古のノートパソコンを設置し、G4とG3のボットネットを中継させる役割を負わせた。
どうして彼がそう都合良く警備の甘い通信拠点を見つけられるかといえば、それはこの不思議な形状のマンションにヒントが隠されていた。
羽場の住居は、三階。そして一階の倉庫は主にネットワーク通信配線を請け負う小さな設備会社のものらしく、彼はそこで、暇を見てはバイトをさせてもらっているのだった。
ここでは特に、瑠璃子と同じくらいの背丈しかない羽場の体格は生かされるらしい。狭い場所や高所での作業には重宝されているようで、時々呼び出されては、青いツナギを身に纏い、腰にドライバーやペンチを備えた鞄を括り付け、床の下や天井裏を這い回る。
そこで彼は、その設備の警備状況や、ネットワークの配線状況を一望出来る。工事を行う場合は厳重な警備が緩むこともあるし、実際にネットワーク配線を行えば、ネットワーク・スイッチが、何処に、どれくらいの数存在していて、末端のパソコンと、どう接続されているのかも把握できる。
まさにクラッカーにとっては、これ以上望むべきもないバイトだった。
そうして、G2を末端として、G3、G4のボットネットが接続され、彼の三層ボットネットは復活する。仮に攻撃拠点が、G2ボットネット・ウィルスに感染しているパソコンから行われているとCNUが突き止めても、その根っこを辿ればG3が現れ、その先には更にG4が控えている。
余程根気良くなければ、そんな捜査は不可能だろう。感染しているパソコンは世界中に散らばっており、その通信状態を全て調べ上げるとするならば、それこそ世界中の警察に問い合わせなければならなくなってしまう。
「じゃあ、最初のターゲットは――ここにしよう」
彼が指し示したのは、ここのところニュースを騒がせている運送会社だった。野党の大物政治家一族が経営するというこの会社は、議員の息子である放蕩社長が経費を散々使い込み、何十億という借金を作り上げていた。会社側は経営一族を追い出そうと画策したが、それも失敗。次第をマスコミにリークし、騒ぎが次第に大きくなりつつあった。
ここでようやく、特定の企業を目標としたクラックの方法を、羽場から伝授される。
最終的に閲覧可能になったファイルは、やはり膨大なものだった。通常の業務向けであろう、各種見積書、提案資料、カタログ、工場の品質管理手順書、製造計画書、などなど。
そうしたものに全て目を通していれば、何日も不正な接続を保っていなければならなくなる。それは下策中の下策で、二人はそうしたものには目もくれず、【極秘】に分類されたファイルのみダウンロードを実施した。
数が数だし、ボットネットを経由すればそれだけ通信速度も遅くなり、全てをダウンロードするのに一時間ほどを要する。だがその間にも、特段誰かが侵入に気付いた形跡もなかった。
最後に二人は全ての侵入形跡を隠滅し、ついでに幾つかのサーバをG4ボットネットに感染させ、回線を切断する。
「よし、ミッション完了!」
両手を打ち鳴らしながら椅子に背を倒した羽場に、瑠璃子はふと、首を傾げて尋ねた。
「それにしても、穴だらけの会社だったけど。他もこんなもんなの?」
「あっ、云っておくけど、【穴だらけ】って感じたのは、ボクの知識があったおかげだよ? そりゃあルリちゃんだって、このシステムじゃ脆弱性が放置されてる、って所までは掴めるかもだけど。でも実際、どうやって脆弱性を突いたらいいかってのは。更に高度な知識が必要になる」
「そりゃ、わかってるけどさ。ジャンプとしてはどうなの」
「そうだなぁ、実際問題、全部のシステムに最新パッチが当てられてたら、それだけでボクは殆ど侵入出来なくなっちゃう。でもさ、一部上場の大企業なら話は別だけど、中小ならまともな管理者なんかいないから。一々システムを最新状態に保っておくことなんて出来ないし、すぐ穴だらけになるんだよね。ま、そんなシステムが全体の――六割くらいってとこかな?」
「じゃあ、こんな風じゃない、ちゃんと管理されたシステムには。どうやって侵入するの?」
彼はふと疲れたように溜息を吐き、口の端を歪めて見せた。
「そりゃあガチガチに固められたシステムに侵入するのは、もの凄く難しいよ。頑張って、数週間解析して、ようやく、ってとこかな。でもさ、だったら現実世界で介入しちゃった方が、もの凄く手っ取り早い場合もあるし――」
「介入、って?」
「ボクがやってるみたいに、工事業者として中に入り込むとか。社員を誑かして、パスワードを聞き出すとか。そういうネットワークだけに限らないクラックを、ソーシャル・クラッキングって云う」へぇ、と声を上げた瑠璃子に、羽場は渋そうに表情を歪めた。「でもこれって、ターゲットによっては凄く算段立てるのが難しいし。リスクも高いしね。だからそういう難しそうな相手は、殆ど後回しにして継続監視してる。そうすればほら、夏にあった大学の時みたいに、メンテとかで穴が出来る場合もあるし」
「そう、なんだ」
それはともかく、戦利品の確認を行う。
実に様々な極秘っぽい資料があったが、その中でも最大の見物は、横領を続けていた社長に対する、調査委員会からの聞き取り調書だった。
「うわっ、凄いよ羽場ちゃん、この人、一年で競馬やギャンブルで十億円もスッたんだって! 馬鹿にも程があると思わない?」
「競馬はギャンブルだよね」
ん? と瑠璃子は一瞬首を傾げたが、どうせつまらない冗談なのだろうと思って聞き流す。
「あっ、ほら、これ見て! あの女優知ってる? あの――なんか女教師か何かの役で有名な人! あの人、この社長さんから沢山お小遣いもらってたんだって! 他にもほら、あの――何だけ、ほら、なんかのアイドルの!」
あまりの無反応さに瑠璃子が羽場に目を向けると、彼は画面に盗んだファイル一覧を表示させ、熱心に眺めていた。
「――何? 何か捜してるの?」
「いや?」すぐに彼は画面を閉じ、ニヤリとしながら云う。「ほら、今の企業って、どんなパソコン使ってるのかなって。それにそれぞれのパソコンには使用者名が登録されてあって、女の子の名前とかあってさ。保存されてるメールだって、見ようと思えば見れちゃう。そこまではボクもやらないけどさ、何だかワクワクしちゃうよね? でもそれを堪えてるボク格好いい! みたいな」
「私のデータは興味ないって云った癖に」
「えっ! ひょっとしてルリちゃん、妬いてるの?」
誰が妬くか!
と叫びかけた所で、ここのところ羽場は瑠璃子の癇癪を遮る絶妙のタイミングを心得てしまっていた。叫ぶ用に息を吸い込んだ瞬間、彼はサルサパリラの瓶から口を離し、素早く別の言葉を挟んでくる。
「――でもさ、そうは云ったって、ルリちゃんだって好きな男優さんの個人的なメールを覗き見出来るとしたら、するでしょ?」
「男優、って云い方は止めて」ん、と首を傾げた羽場に、瑠璃子は急に思い付いて身を乗り出していた。「じゃ、じゃあさ。ひょっとして、こういう――何て云うんだろ、企業とかじゃなく、俳優さんとか、そういうのも同じような方法でクラック出来たりしちゃっと?」
「――九州弁?」
何だか舌が絡んだ。軽く頬をパチンと叩いてから、瑠璃子は逸る心に促されるよう、羽場に顔を近づけた。
「羽場ちゃん、8pってアイドルのグループ、知ってる?」
「何それエロいしフケツ。ルリちゃんそういう趣味?」本気でワケがわからず首を傾げる瑠璃子に、羽場は急にニヤリとして、まるで社長か何かのように椅子にふんぞり返った。「そうならそうと、早く云ってくれればいいのに。いいぞ? ボクのM60がお望みなら。苦しゅうない。近う参れ」
「何がM60よ。せいぜいP90の癖に」何で猥談になるんだ。「いや、そうじゃなく。いやさ、お互い美也ちゃんにはお世話になってるじゃない? それで美也ちゃん、8pってアイドルグループが大好きで。きっとその秘密情報とか手に入れてあげたら、もの凄く喜ぶと思うんだけど――」
話の途中から羽場は酷く気乗りしない様子で、クルクルと髪の毛を捻り始めていた。
「アイドルグループ? 何がハッピーさ馬鹿みたい」
他の人なら許せるが、羽場に馬鹿と云われて黙っていられるはずがない。
「馬鹿ってなによ!」
「だってさ、あんなのなんて整形しまくりの化粧しまくりのオカマみたいな連中ばっかじゃん。興味ないね! 気味悪い!」
「何で! 格好いいじゃん! ダンスも上手いし、ライブの演出も素敵だし、だいたい別に羽場ちゃんの趣味なんて聞いてないし!」
「あれっ、なんでルリちゃんがムキになんのさ。美也ちゃんが好きなグループなんじゃなかったの?」
グッと口を噤む瑠璃子に、彼は身を乗り出した。
「ボクにはね、この世の中で許せない物が三つある。整形でしょ? 自然食品でしょ? エコでしょ? アロマでしょ? それから香水の匂いのするオッサンも許せないし、お喋りなヤツも大嫌い! スローライフなんて言葉、吐き気がするよ! 人間ってのはエゴで凝り固まった肥溜めみたいなもんでさ、それを表面ばっかり取り繕ってどうすんのさ! 必要なのは科学と、進化と、サルサパリラだよ! 仮想現実? バーチャルアイドル? 全然オッケー! いずれ資源が尽きる地球なんてボロボロになるまで搾り取ってさ、ボクらはとっとと宇宙に飛び出してコロニー作って改造人間になって真空でも平気になって星間宇宙を自由に行き来できるようになるべきなんだ! それが人類の理想の未来ってもんだよ!」そして急に表情を硬くし、片手を突き出しつつ重苦しい声で何かの台詞を引用した。「【オマエたちを同化する。抵抗は無意味だ。】」
「いや、別に人類の未来の話はどうでもよくて――」
「いいや、どうでも良くないって。それとも何? ルリちゃんはボクに挑戦しようっての? いいよやってやるよ。あ、でもORDERSじゃ敵うはずないし、そうだな、将棋とか、囲碁とか、じゃなきゃ麻雀でもいいよ? ボクの作った麻雀AIは今のところ、どんな脱衣麻雀ゲーム相手にしても一回も負けたことない」
「何でそんな必死になって否定するの! ただ美也ちゃんのためにアイドルの情報を盗もうってだけ――」
「厭! 絶対厭!」
頭を振り、両腕を激しく振り下ろし、空間にバツ印を描いた。
それは独特な拘りのある人間だというのは、とうの昔に理解していたが。それにしても、これほどまでに頑なに反対する羽場は見たことがない。
「――何? ひょっとして妬いてるの?」
「妬いてないっ! とにかく駄目っ!」
「でも美也ちゃん――」
「厭っ! お断りっ!」
まるで揺さぶりも効かない。
ひょっとしてこの件と、羽場がクラックを行う理由というのは。重なっていたり、するのだろうか。
アイドルグループ。
それに、彼が何を主張していたのかはさっぱりわからなかったが――表面だけ繕うとか、ウソを吐くとか、騙すとか。そういうのは駄目だ、って話なんだろうか。
結局この会社から得たファイルについては、未だにG4ボットネットの調子も完璧ではないことから、ジャンプの行動再開を秘匿する意味もあって、懐にしまい込んでおくことになっていた。けれどもあの有名な何人かの女優が援助交際もどきのことをやっていたと知って、瑠璃子は何だか変な恍惚感を得ていた。
ふと、当の女優の話題が男子たちの雑談のなかで出たりする。可愛いとか嫁にしたいとか云う彼らに、瑠璃子は自分の得ている情報を口にしたい欲求にかられる。だが当然それは、ジャンプのためにも、そして瑠璃子自身にとっても、出来るはずのない事だった。
だから、グッと、口を噤む。
だが他の連中が知らない裏情報を握っているというのは、酷く何だか、ワクワクする気分だった。
「次は、ここ」
新たなターゲットは産地偽装をした食品会社。当初は経営のために仕方がなくやったのだろうと思っていたが、実際は社長はフェラーリに乗り、社員は薄給で働かされといった具合で、とても同情の余地はなかった。
「次は、こいつ」
酷い不具合満載の新製品を発売し、何の謝罪もないまま一方的にサポート窓口を閉鎖してしまった外国電機メーカー。こちらは元から販売不振による撤退を検討しており、最後の資金回収とばかりに不具合を承知で発売を強行したのだった。こちらは羽場の判断ですぐさま議事録がネットに流され、即座に騒ぎが巻き起こった。なかなかマスコミが取り上げることはなかったが、それでも次第に事件は表沙汰になってきて、政府もコメントを求められるようになっている。
そんな具合に、羽場が狙うのは主に社会的不祥事を起こした企業に限られていた。
「だって、騒ぎになってる会社なんて、そもそも内部統制出来てないんだからさ。狙っても穴らだけなことが多いんだもん」
それはそうだ、騒ぎを表沙汰にせず、綺麗に納められる組織というのは――ネットにまで管理が行き届いていて、【壁】も相当に分厚いだろう事が容易に想像出来る。
別に瑠璃子はそれが不満だとは云わなかったが、次第に瑠璃子に与えられる仕事が増えるにつれて――そろそろ自分でも、より一層、自分の欲求のためのクラックを。やってみたくなる。
しかしそれには、下手な企業が設えた壁以上の物が、待ち構えていた。
何とかして、羽場のあの意味不明な信念を。捨てさせる方法はないだろうか。
例えば、そう、物で釣るとか。
瑠璃子は彼がサルサパリラの貴重なフレーバーを探し歩いているのを思い出して、軽く検索してみる。すると世の中にはあの異常な味を美味と感じる変人が結構な数いるらしく、サルサパリラの全フレーバーの一覧と、その入手難易度が記されたページに、いとも簡単に辿り着く。
トリルパリラ。サルサパリラ社内限定であり持ち出しも厳しく制限されている。ストロベリーベースの刺激的な甘みが特徴。星六つ。
アイスパリラ。1974年に発売されたミントベースのフレーバーだが、発癌性物質が含まれていることが判明し二ヶ月後に回収される。推定市場流通量、五万本。星九つ。
オクトパリラ。ネット懸賞の景品として特別生産される。限定百本。メロンベースのフレーバーとされる。ハッカーによる不正投票が発覚した、という理由によりイベントが中止されたたが、その実はイーブより入手した地球外物質の含有をCIAに察知されたことが原因とされる。詳細は不明。星十個。
キトンパリラ。プロジェクト・セルポによって送り出された交換留学生たちが、レティクル座ゼータ連星系より持ち帰った科学技術がベースとなっているとされるが、詳細は不明。飲んだ者は時間が加速されたような体験が出来るという。星十二個。
「なんだこりゃ」
UFOマニアか何かのような陰謀説まで取り沙汰されていて、まるで簡単に足を突っ込めそうな世界じゃない。
さて、どうしたものかと瑠璃子は頭を悩ませていたが――不意に全てを解決する一つの情報が、美也子よりもたらされた。
「あのね、凄いの! ラッキーなの!」彼女はそう頬をバラ色に染めながら、未だ内部資料だという一枚のビラを、胸の前に掲げて見せる。「8pの人たちがね、サルサパリラのイメージキャラクターになるんだって! これで色々グッズ、手に入っちゃうかも!」
「へぇ――それって、凄いかも」
思わず、悪企みするマッド・サイエンティストのように呟いた瑠璃子に――美也子はふと表情を凍らせ、軽く首を傾げていた。
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