第18話

 仕方がなく家に戻った瑠璃子は、そういえば本気で羽場のことを調べた事がなかったな、と思い出す。そして羽場のシステムには劣るが必要十分な構成になっていた自前のコンソールを前にし、僅かに、思案を巡らせる。


「とりあえず、検索してみようか」


 ごく普通の、ネットの検索ページ。そこで羽場順平の名を入力すると、間もなく応答があって百件近い結果を表示させた。


 そのどれもが、彼がクラッカーとしての行動を眩ますために作った偽りのページだった。彼の趣味であるスイング・ジャズについてダラダラと書き連ねているだけだったり、国内外の面白いニュースを切り貼りしただけのページだったり。


 彼のことだ、ネットの検索対策は十分に行っているだろうから、それ以上は無駄だろうと思っていたが――一方で彼は、こうも云っていた。


 瑠璃子が羽場にあった事を調べ上げられた時が、免許皆伝の時だと。


 彼から吐かれる言葉は冗談や韜晦ばかりで、何が真実かを見極めるのは酷く難しかったが――どうやらあの言葉は、本心からの言葉だったように思える。


 だとして彼は、決して不可能なことは口にしない。


 過去に彼に何があったかは、調べる手段が、必ずあるということ。


「ん? でもそれって――変だな」


 思わず呟いて、頭をポリポリと掻く。彼は過去を隠したいから、瑠璃子には云わない。なのに何処かしらには、探る手が残っているというのは――解せない。


「それってつまり――羽場ちゃんには、どうやっても削除できない記録が、どっかに残っちゃってるってこと――」


 そうとしか思えなかった。彼はスーパークラッカーではあったが、どんな【壁】でも突破出来る訳ではない。彼に出来るのは、論理的、機械的、人的に【穴】があるシステムを破壊することだけで、そうでないシステム――少なくとも羽場が穴を見つけられずにいたシステムも――世の中には沢山ある。


 だとして、他には何処にあるだろう。


 羽場には削除しようがなくて、かつ、瑠璃子に見つけ出せそうなシステムは――


 羽場についてわかっていることを、再度考える。


 しかし彼については、あの素っ頓狂な性格以外に、知っていることは――極少なかった。数学や情報系の授業は得意だったが、国語や運動は苦手。何処の出身なのかは、何度か聞いたがはぐらかされた記憶がある。他に彼について知っていることは、一人暮らししていることくらいしか――


 そういえば瑠璃子は、彼の家族について。何も聞いたことがない。


『親か。いいね。家族は確かに面倒だけどさ、大切だよね?』


 すっかり聞き流していたが、羽場はそんなことを、云っていた。


 家族は大切にしなきゃ。


 それってつまり――彼の家族に、何かがあったとか?


 それで彼は、一人暮らしをしている?


 ベタな推理小説的なお話では、そうなるだろう。だが殺人事件でもあればネットの検索で引っかかるはずで、だとすると事故でもあったのか、自殺でもしたのか――


 どうすれば、羽場の家族について調べられるだろう。


 父親の名前は? 母親の名は? 兄弟はいるのか?


 ネットで、それを、調べるには――


「――ネットで?」


 今度は、すぐに自分の間違いに気がついた。


 羽場はネットの達人なのだから、彼の戦場で戦うほど馬鹿げたことはない。加えて瑠璃子は、ようやく一つの考えが身に付き始めていた。結局コンピュータ・ネットワークなんて、人間社会の延長に過ぎないということ。だからネットワーク【だけ】で何かしようと考えるのは愚かな事で、何か目的を果たそうと思ったら、現実世界をネットと同様に――あるいはそれ以上に――重視しなければならないということ。


 つまり、羽場には削除しようがなくて、かつ、瑠璃子に見つけ出せそうなシステムは――


 他人の、記憶なんじゃないだろうか。


 瑠璃子は夜も更けてから、家族を起こさないように家を抜け出る。羽場と同じようにマフラーをグルグルと顔に巻いて、襷掛けした鞄にはクラック用の装備を入れ、スタジアム・ジャンパーのポケットに手を突っ込みながら足を急がせる。


 辿り着いたのは、あの夜と同じ。我が高校。


 あれ以来、清水はすっかり大人しくなっていた。クラッカー紛いの活動にもほとほと嫌気が差してしまったらしく、それは相変わらず違法ダウンロードなどはやっているようだったが、自らそれを口外することも、誇示するようなこともなくなっていた。


 おかげで音楽室の窓はすっかり閉じられてしまっていたが、瑠璃子には羽場の用意していた別の侵入口がある。


 回線の、引き込み口。その金属製の扉を開けて暗闇の中に身を沈み込ませ、小さなマグライトを点灯させる。


 第一目標は教員室だったが、こちらは予想通り、鍵がかかっていて入りようがない。仕方がなく瑠璃子は第二目標、情報演習室に向かい、こちらも羽場が持っていた合い鍵で侵入する。


「前はさ、なかなか自分で高スペックなパソコンを組めなかったら。時々使わせてもらってたんだけど。最近は全然使ってないね」


 彼はそう、説明していた。


 おかげでここのシステムを触る分にはジャンプの影を怖れずに済む筈だったが、それでも瑠璃子は、慎重に、教員用のパソコンを探っていく。しかしこちらは、羽場の工作によるウィルス汚染事件の影響だろうか、eXectorOSの防御はかなり堅くなっていて、瑠璃子の知識では入り込めそうもない。


「ったく、これじゃあ清水以下じゃないの!」


 さっぱり上達していない自分に苛立ちながら、頭を巡らせる。


 そう、そうだ。今はネットワーク経由でクラックをしようとしてるんじゃない。現実世界で、目の前に様々なパソコンやネットワーク・スイッチがあるのだ。物理的にシステムに触れる以上、別の手は幾らでもある。


 瑠璃子はパソコンの前から離れ、隅のラックに積まれているネットワーク・スイッチに歩み寄る。


 コイツの扱いばかりは、ジャンクに徹底的に教えてもらった。瑠璃子が唯一出来るクラックらしいクラック、ネットワークの盗聴だ。


 瑠璃子は鞄から携帯端末を取り出し、ネットワーク・ケーブルでスイッチに繋ぎ込み、内部を流れている通信の盗聴を始める。冬休みというのが問題かな、と思っていたが、どうやら教師たちは自宅のネット回線から学校に接続し、メールを見たり日誌を付けたりと、様々な業務を続けているらしかった。瑠璃子が判別可能な通信がいくつも行われていて、その中に、学内の業務システムを利用する物もあった。


 勤怠管理システム、経費精算システム、スケジュール管理システム、メールシステム。


 それぞれはやはり、ユーザー名とパスワードで守られていて、瑠璃子の知識では入り込めそうもない。しかし一時間ほど盗聴を続けていると、一人の新しいユーザーがシステムへとログインする所に出くわした。彼はまさか何者かに通信を盗聴されているとも思わず、ユーザー名、パスワードを入力し、メールの確認を始める。


「よし、ゲット」


 瑠璃子は盗聴して得たユーザー名とパスワードを書き留め、スイッチから携帯端末を取り外し、教員用のパソコンの前に戻り、認証画面で入力する。結果瑠璃子は何も遮る物なく、教員用パソコンへ入り込めた。


 一度教師として入り込んでしまえば、学内の各種システムはフリーパス状態だった。瑠璃子は早速様々なシステムのうち、どれを探れば羽場の情報が得られるか考えたが――ふと、一つの文字列が目に入って、瑠璃子は無意識にそれを選択していた。


 生徒評価システム。


 それが本来の目的ではなかったが、瑠璃子は思わず手に汗握りながら、自らの名前を検索する。


 平澤、瑠璃子。


 二学期末試験平均点数、82.1点。国語4、数学4,英語5――


「うおぉ、凄げぇ! ルリちゃんマジでクラッカーだよ!」


 思わず呟いていた。冬休みに入る前に貰った通信簿と、全く同じ。


 当然は当然だったが、紙に記された内容が、そのままデータになっているのを見ると――酷くそれが、簡単な物に見えてしまう。


 数値は、権限さえあれば修正が可能なようになっている。だから瑠璃子がちょっと操作を加えて、平均点を、もう五点上げる事だって――可能な、はず。


「いやいや、そんなことするために来たんじゃないでしょ」


 しょうもない事を考え始めた自分に嫌気が差して、酷く悲しい声が出てきた。だいたいこの数値を書き換えたところで、すぐに教師の記憶とのずれから怪しまれるに決まってる。


 後ろ髪引かれる思いを、大きく咳払いして切り捨てる。そして瑠璃子は、本来の目的である生徒管理システムにアクセスした。


 そちらは部分的に評価システムと連動していたが、内容は主に住所や氏名、血液型と云った属性から、出欠席の記録、そして教師の生徒に対する所見が、メモのような形で記されるようになっている。


 検索する名は、羽場。


【理系方面の才能は非常に高いが、落ち着きがない。とにかく落ち着きがない。しかし落ち着きがないが明るく人気者。】


 三度も繰り返されていた【落ち着きがない】という評価に、瑠璃子は思わず声を上げて笑っていた。それはそうだ、ジャンプという裏の顔を知らなければ、羽場は確かに、常に落ち着きがなくてテンションが高い子供に違いない。


 瑠璃子はキーを操作して、目的の記録を探る。現住所は瑠璃子も知るアパートの一室。保護者は――


 羽場順子。


 一瞬母子家庭なのかとも思ったが、生年月日を見ると十歳しか離れていない。加えて本人との関係は、姉、とあった。


 お姉さんが、保護者。


 じゃあ、両親は?


 何か、ご両親に関する情報はないだろうか。そう瑠璃子は教師によるメモを遡っていく。授業中に発した、彼の特徴的な言葉。親しい友人関係、趣味や特技。そうした観察記録の一番過去の項目には、こう、記されていた。


【面談で確認。ご両親を幼い頃に亡くし、その後はお姉さんが面倒を見ているとのこと。本人は至って明るく元気だが要観察。】


 その、一年後。


【お姉さんが精神を患い、入院したと連絡が入る。理由は不明。羽場クンも知っているとのことだが、本人を労ったりはして欲しくないとのこと。非常に厳格で真面目なお姉さん。】


 更に、半年後。つまり去年の今頃。


【お姉さんの調子は優れず、入退院を繰り返しているとのこと。生活費は特に問題ないらしいが、要観察。】


 続けて入退院の情報が、散発的に記録されている。そして最後の記録――一月前の物には、彼の姉が入院しているという、都内の病院名が記されていた。

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