第13話

「あぁ! もう、どう羽場ちゃん! ちょっと洒落になんないっつ!」


 完全に呂律が回っていなかった。とにかく気ばかり高ぶって、瑠璃子はまるで銃を突き付けられているかのように恐る恐るトイレを抜け出すと、途端に弾かれたように全速力でバックヤードを抜け、裏口から飛び出してCELLを耳に当てていた。


「ないアレ! 電波? どうやってアレは何処に納めて?」


「――あぁ、アレね! アレなら学校のボクの机の中に入ってるよ! でもちょっとばかし汚いから、ちゃんと洗ってからじゃないと――」


「何云ってんの!」


 叫んだところで、急に色々と頭が回り始めた。


「そ、そう羽場ちゃん! 盗聴? 盗撮? そういうの詳しい?」


「――あぁ、そういう趣味の人もいるよね。きっとさ、そういうの好きな人は普通のあからさまなヤツだと満足出来なくなっちゃったんだろうな。でもボクが思うにあの手のヤツの九割九分は偽物でさ。何て云うか独特の角度とかが――」


「いいから、黙って聞け!」


 それでも何だかんだと意味不明な合いの手を入れてくる羽場に無理矢理事の次第を押し込むと、ようやく彼は事の重大さに気付いたようで、例の素っ頓狂な叫び声を上げていた。


「そ、それってマジ?」


「マジだよ、大マジだよ」次第に緊張が解けてきて、情けない声になっていた。「あぁ、もうどうしよう。アレって何かな? 動画って中に入ってて、後で回収しに来るのかな? それとも電波か何かで、何処かに飛ばしちゃってる?」


「そ、そうじゃなく。マジでルリちゃん、サルサパリラでバイトしてるの? コネでしか入れないって、超有名なのに!」


 混乱した頭に更に斜めの回転が加えられ、瑠璃子は急に目眩がして壁に片手を突いていた。


「え? ゴメン何の話?」


「じゃ、じゃあさ、ひょっとしてルリちゃん、サルサパリラ・トリルパリラとかも飲んじゃったりしてるワケ? 従業員限定で店外持ち出し禁止の超レアなフレーバーの!」


 そういえば最初の仕事説明の時、チーフに好きに飲んで構わないと、冷蔵庫の中の毒々しい蛍光ピンク色のボトルを見せられた気がする。でも誰も、あんな物を飲んでる所なんて見たことない。


「あ、あの、えっと」


 必死で言葉を探る瑠璃子に、更に羽場は言葉を投げかけてくる。


「ずるいよそんなの! トリルパリラは現在まで確認されてるサルサパリラ・フレーバー四十八種類の中でも星六つに分類されてるレア中の上くらいでさ、ボクも何とかいろんな伝手を使って手に入れようとしたけど未だに空き瓶だって手に入れられてない! 変だよ不公平だよ! どうして必死で探してるボクが手に入れられないで、その価値も全然わかんないルリちゃんが――」


「黙れこの野郎!」これが叫ばずにいられるか。「あんなもんが欲しいなら幾らでも持って帰るよ! だからちょっと真面目に話を聞いてってば!」


「ホント? ホントに? じゃ、じゃあ最低六本は欲しいかな! 一本は真空パックして後世に文化遺産として残さなきゃならないし、一本は観賞用に飾っておくし、残り四本中二本はトレード用に取っておいて、一本は飲んで、一本は超大切な記念日用に――」


「頼むから、聞いて」


 辛抱強く、まるで子供に言い聞かせるように云うと、ようやく彼は落ち着いた様子で――それでも軽やかに声を弾ませながら答えた。


「えっと、うん、聞いた聞いた。なんか盗撮装置があったんでしょ? それをどうしたいの?」


「どうしたいって。なんとかして撮られた動画を回収したりとか――」


「あぁ、そういう話ね。えっと、サイズが煙草の箱くらい?」


「の、半分くらいだったかな」


「サルサパリラって駅前に新しく出来たヤツ? どれくらいの大きさだっけ? 鉄筋? 木造?」


「結構大きいよ。学校の体育館くらい。鉄筋で」


「なんだ。じゃあ、そう電波は遠くに飛んでないはずだよ。犯人は社員かバイトに決まり」


「何で!」


「だってバックヤードのトイレでしょ? それにいつ誰が入るかわかんないトイレのカメラ映像を受信するために、何時間もお店の中にいる客なんて。いないでしょ」


「それは、そうかもだけど――」


「店長かもしれないしさ。とりあえずその装置をすぐに回収して。警察に届ければ? それでルリちゃんハッピー。ボクはトリルパリラが手に入ってハッピー、一件落着ってワケ」


「なっ! CNUは宛てになんないって云ったの、羽場ちゃんでしょ!」


「だってそれ、ネットの事件じゃないし。単なる盗撮でしょ。すぐ警察が来て全員の所持品検査して、電波受信してるノートパソコンか何かが出てくるって」


「そっ、そんなことしたら警察の人が動画を――」


「別にいいじゃん! 減るもんじゃないし」


「だって他の人は角度からいって顔写ってないっぽいからいいよ? でも私、あの装置覗き込んじゃったから顔が――」


「あら、可愛い女の子!」叫びかけた瑠璃子を、羽場は溜息混じりに遮った。「もう、ボクだって新しいボットネット作るのに忙しいんだよ? どうしろってのさ!」


「だ、だから、あの装置が何なのかとか、誰が置いたのかとか」


「だからそんなの警察の仕事でしょ? ボクは指紋の取り方なんて知らないし、だいたいそんなスカトロ趣味なヤツとなんて関わりたくないよ!」


「そんな事云って! 羽場ちゃん、私のあんな動画、ネットに流出しちゃってもいいって云うの?」


 大きな溜息。


 ホント、事現実世界については、羽場の重い腰を上げさせるのには、いつも苦労させられる。


「全くもうしょうがないなぁ、じゃあさ、とりあえずその装置持ってきてよ。中身調べて、逆にウィルス仕込むか何かして、夕方には元通り戻しておけば。映像を受信してるパソコンが壊れるようにするとか出来るかもしれないし」


「そ、そんなことしたら、羽場ちゃんが動画を手に入れちゃったりとか!」


「しないよボクを誰だと思ってんのさ。実際やろうと思ったら、ボクはとっくにルリちゃんのスリーサイズから黒子の位置まで全部掴んでるって」


 それは、そう、かもしれない。


「でも、そういうのとは、また別の性質の物というか――」


「もーメンドクサイなぁ! じゃあどうしろってのさ!」


「わかんないから困ってるんじゃない! 羽場ちゃんも真面目に考えてよ!」


「考えてるよ! けどこっからそこまで行くのに三十分以上かかるし、今日はお日様が眩しくてアンニュイな感じだし、そもそもボクは膝に矢を受けちゃって――」


 意味不明な渋い声を上げる羽場に、瑠璃子は次第に、彼に相談するのは時間の無駄な気がしてきた。


「わかった! いいよジャンクさんに頼むから! あの人女の子なんじゃないの? だったらこの事態の深刻さもわかって――」


「駄目! 絶対駄目!」


 予想以上の強い反論に、一瞬瑠璃子は言葉を失っていた。


「な、なんでそんな――」


「駄目。ホント駄目。ルリちゃんはアイツの怖さがわかってないんだ」


「怖さって。凄いいい人じゃん。いっつも丁寧に教えてくれるし、羽場ちゃん以上に色々と――」


「そんなの、猫被ってるだけだよ! アイツはウソ吐きだし、不真面目だし、全然気の許せる相手じゃないんだって! そ、そうだ、だいたいにしてヤツはジャンク屋だよ? いろんなファイル集めるのが趣味だよ? もしヤツが――というか確実にそうなるだろうけど――ルリちゃんの動画とか見つけたら、絶対にコピーして手元に置くに決まってる!」


「え? なんでそんな女の人が私の動画なんか――」


「いいかい? ルリちゃん、アイツはそんな生やさしいヤツじゃない。ちょっとでも隙を見せたら、あっという間に弱みを握られて。奴隷にされちゃう。ホント、悪魔みたいなヤツなんだってば!」


「――とても、そんな風には見えないけど――」


 そう、ジャンクは少し独特な風ではあるが、酷く論理的で、哲学的で、こんな先生が身近にいたらどんなにいいだろう、と思えるほど、示唆に富んだ言葉を放ってくる。


 だが、羽場にとってはそうは見えないらしい。何度か唸り、曖昧な言葉を発した後、パチンと両手を打ち鳴らす音に続けて、僅かにジャンプを感じさせる声で云った。


「わかった。じゃあ、こうしよう。ボクもトリルパリラ欲しいし、ルリちゃんは出来るだけ他人に知られたくないってんなら。ルリちゃんが自分で何とかするしかない」


「何とかって。それが出来ないからこうして――」


「ルリちゃん、今、デバイスって何持ってる?」


「えっと、CELLだけだけど」


「周辺機器は?」


「えっと、ヘッドホンと、記憶スティックと充電器と――そんくらい」


「ケーブルとかは?」


「ケーブル?」


 小さな溜息。


「なんだジャンク教えてないのか。いい? これってハッカーの嗜みだよ? いつ、どんなデバイスが目の前にあっても接続できるように、最低以下の物を携帯しておくこと。ネットワークケーブル、クロス変換コネクタ、シリアルケーブルとその雄雌変換コネクタ、ユニバーサルバス接続ケーブルのスタンダードとミニとマイクロ。バナナはおやつに含まない」


「ないもん、そんなの!」


「じゃあ買いに行って。何軒か隣に電気屋さんがあったでしょ?」


「そんなことしてる時間なんて――もうあの箱、回収に来てるかも――」


「でも他に手はない。急いで急いで! ヨーイ、ドン!」


 掛け声にスイッチを入れられたように、瑠璃子は足の辛さも忘れてダッシュしていた。そして専門店とは云えないながらも比較的パソコンパーツも豊富な電気店に飛び込むと、パソコン周辺機器の棚に向かって云われた通りのケーブルを掻き集める。


 意外と高い。全部で一万近くする。


 あぁ、なんでこんな事になるんだろう。


 絶望を感じながらも渋々ケーブル類を手に入れると、再びダッシュでバイト先に戻る。そして瑠璃子が潜んでいたトイレの個室に入ると、まだ、例の謎の装置は、そのままの状態で天板に貼り付いていた。


「よかった。まだある。で、どうする?」


 ベラベラと声を発するワケにも行かず、CELLでの送信をテキストモードに切り替えて、ヘッドホンで羽場の声を聞きつつ、瑠璃子はカチカチと高速でキーを押す。


「とりあえず、取り外してみようか」


「そ、そんなことしたらまた私の顔が――」


「今更しょうがないじゃん」


 しょうがなくない。


 瑠璃子は機転を利かせて、買ってきたケーブルに貼り付いていたシールを剥がし、手探りでレンズらしき穴の上に貼り付ける。次いで装置を片手で掴んで軽く捻ってみると、ベリッと何かが剥がれる音がして天板から手中に収まった。


「両面テープで貼られてた。外したよ。それで?」


「外観は?」


「黒い箱。正面にはレンズがあって、反対の方にはユニバーサルバスのミニコネクタ、それに記憶スティックの刺し口があるけど、中にスティックは入ってない。上の方には小さいLEDが付いてて、赤くなってる。隣には、電源スイッチかな、これ。底には――何て云うんだろう。注意書きみたいなののシールが貼られてる」


「型番とか、書いてない?」


 瑠璃子が再び箱をひっくり返すと、なんだか中国語らしい説明書きに加え、英字の型番らしき物が記されている。


「多分これかな。OJITZT002」


 恐らく彼は、コンソールから型番の検索を行っているのだろう。ガシャガシャとキーボードの音を響かせた後、小さく唸り声を上げる。


「――ふむ、多分これだね。【世界最小監視カメラ! お出かけの際でもペットの様子がすぐわかります!】だって」


「なんでペット見守るのに世界最小じゃなきゃならないのよ」


「そりゃ、角度とか色々あるじゃん」しつこい。「えっと、それってやっぱ、遠隔操作型の監視カメラの一種だね」


「盗撮って云いなさいよ」


「じゃ、盗撮カメラ。で、ソイツは刺した記憶スティックに動画を残すことも出来るけど、それとは別に無線ネットワークの電波も発信出来るようになってて、近くのパソコンに動画データを送信することも出来る。内部電池での連続稼働時間は十時間」


「たった?」


「そのサイズならマシな方だよ」


「じゃあやっぱ、これって今日、付けられたんだ」


「だろうね。だから云ったじゃん、犯人は同じバイトか社員だって。それに無線電波を発するのって結構バッテリー消費するから、その手の装置の場合、結構弱めに出されてることが多い。そう、電波の送信距離は遠くないね。せいぜい数十メートルがいいところだ」


「で、どうしたらいい?」


「うーん、そうだなぁ。無線から行くかユニバーサルバスから行くかだけど――」そこでふと、羽場は改まったように声を整えた。「そうだな、ルリちゃん、ソイツってパソコンの一種だよね。違う?」


「え? それは――」


 云われて、はたと気付く。なんだか小さくて特殊な装置だから思いもしなかったが、確かに、インプットとしてカメラからの映像を受けて、処理として一時的に内部に蓄えて、アウトプットとして外部に送信するという機能を備えている。


「そうかもしれないけど。でもそれって、何の話?」


「多分ソイツって、HMVで動いてるよ」


「HMV-OS? そうなの? これって全然パソコンっぽくないし、サイズも小さいし、CPUとかメモリーとか入るワケが――」


「ところが入るんだな。ボクらが普段使うパソコンには全然処理能力的に足りないけど、カメラで動画撮ってネットにアップロードするには十分な性能が出せる、超小型の一体型基盤ってのがあってさ。それって普通のパソコンと互換性があって、HMVやeXectorが乗せられるようになってる。


 特にHMVはオープンソースなOSだから、その手の装置に利用しやすいんだ。処理を限定すればもの凄い軽いOSにカスタマイズできるしね。つまりソイツがHMVで動いてるとしたら、ルリちゃんだって多少は――」


 羽場が云い終える前に、瑠璃子はCELLにユニバーサルバスケーブルを繋ぎ、問題の装置と接続させていた。


 羽場やジャンクに従って、瑠璃子も最近は一般に広く使われるeXectorOSではなく、ハッカーの開発したHMV-OSをメインに使い始めていた。だから多少その扱い方は心得ていて、CELLで接続アプリケーションを起動させると、ケーブル経由で装置へのアクセスを試みる。


 すると画面には、見慣れた物と少し違っていたが――HMV-OSへのログインメッセージが表示された。



HMV(ginger u2.1 mod9)

Login:



「ホントだ、多分HMVだよこれ。でも中に入る用のユーザー名とパスワードがわかんない」


「その手の装置は、ユーザーが直接アクセスしてくることなんて想定してないから、結構決まり切ってるよ。ユーザー名はadmin(管理者)で決まりだけど、パスワードは――そうだな、adminとか、rootとか、passwd、password、hogefuga、foover、123456――」


「当たり! passwordだった!」


「でしょ? 結構そういう間抜けなセキュリティー・ホールって多いんだよね」


「で? 中に入ったのはいいけど。後はどうすればいいの?」


「そうだな。ハックでもクラックでも同じなんだけど、未知のシステムの状態を把握するには、必要な情報が幾つかある。先ず、中で動いているアプリケーションの一覧。それとシステムの動作記録。この二つがあれば、だいたいどんなシステムなのかは把握できる」


 HMVはハッカー向けというのもあって、内部でどんな処理が行われて、どんな結果になったかという記録が、かなり詳細に残される仕組みになっている。


 早速、羽場に云われるがままにコマンドを発行し、今でも増え続けているログファイルを調べてみる。それによると、この装置が起動したのは、今日の八時五十五分。直後に映像の記録が開始され、別のコンピュータとの接続を確立。その後、だいたい三十分に一度くらいの割合で、動画ファイルが犯人のパソコンに向けて送信され続けているようだった。


 ――三十分に一回?


 慌てて瑠璃子は時計を眺め、次いで最後に送信された時間から逆算し、自分が事をした時間の記憶を辿る。


 そう、あれは、それこそ三十分くらい前じゃなかったか?


「あ、あぁっ!」


「何? どうしたの?」


 羽場の応答は無視して、必死でキーを打ち始めた。ひょっとしたらもう手遅れかも知れなかったが、今この送信スケジュールを停止させれば、瑠璃子の顔が記録されたファイルの送信を停められるかもしれない。


 しかし、次の送信時間まで、あと三分もない。


「クソッ、コノッ、コノッ!」


 呟きながら、幾つものコマンドを何度も打ち間違えながら、必死になって動作原理を探る。



# ps -ef | grep ftp



「ない、ファイル送信プログラムが動いてない! どうして!」


 瑠璃子は必死になってファイル送信用のプログラムを停止させようとしていたが、必要な事は別にあった。


「そうだ、ひょっとして――」


 この装置は常にデータを他のパソコンに送り続けているのではなく、ある程度ため込んで、それを定期的に送信する仕組みだ。だから仕組みの中心は、送信スケジュールを管理しているプログラムなはず。




# ps -ef | grep cron

# tail -f /var/log/messages | grep cron




「やっぱり、コイツ!」


 動画ファイルの送信スケジュールを管理しているプログラムを発見し、すぐさまスケジュールの書き換えを行う。




# crontab -e

# ps -ef | gpre cron

# kill -HUP 4423




「いや、いやいや、書き換えなくてもプログラム停めちゃえば――」



# /etc/init.d/crond stop



 止まった。問題のファイル送信スケジューラは停止したが、瑠璃子の映像が送信された後かどうかは、わからない。早速カメラから録画されたファイルの置き場所を探り、発見すると、それをCELLに転送して再生してみる。


「う、うおああああ!」


 ギリギリ。かなりギリギリだった。


 再生させた途端、便座に腰掛けようとしている瑠璃子の下半身が映し出され、慌てて再生を停止させて徹底的に削除する。


「やばかった! やばかったよ羽場ちゃん! 何とかセーフだったよギリギリだっっちょあ!」


 もはやキーの打ち間違いを直すような余裕はなかった。荒い息を吐きながら事の次第を認めてメッセージを送信させると、すぐさま羽場からの返事がある。


「はっ、オメデトサンさね。せっかく全国デビューできるチャンスだったかも知れないのに」


「こんな醜聞でデビューなんかしたくないし!」


「そう? 今は【炎上マーケティング】とかいってさ、最初にわざとプライベートっぽい動画を流出させて話題を掠っといて、そっから【話題のあの娘、遂にデビュー!】とかやるらしいよ?」


「それAVの話でしょ! あぁでもやばかった! あと三十秒遅かったら送信されてたよ!」


「そ。楽しかった? そういうのってハッカーの醍醐味よね?」それは――ちょっと落ち着いてみると、【あぁ、なんか私って格好いいことしたかも!】という気がしてくる。「でもさ、ルリちゃん、ちょっと頭堅くなってない?」


「頭? 堅く? なんで?」


「だって頭に電源ボタン付いてるんでしょ? ならヤバイとわかった時点で電源落とせば良かったのに」


 あ、そう云われてみれば。


 何だか下手にコマンドやら何やらを知っていると、それで内部の動きを止めるのに必死になってしまい、まるでそこまで頭が回らなくなっていた。


 応答がないことから察してか、羽場が続けて言葉を投げてくる。


「でしょ? それって、少しコンピュータに詳しくなったヤツが陥りやすい罠。何度も云ってるけど、【コンピュータ・ネットワークの世界ってのは、基本的に現実の延長に過ぎない】んだってこと。気をつけた方がいいよ?」


「そう、だね。なんとなくわかった、清水みたいなのの感覚が。なんかキーボードで全部片付けようって気になっちゃうんだよね」


「そ。ホント、それってホントヤバイから。気をつけて? じゃ、もういい? そろそろボクはボットネットに戻るから、トリルパリラ、忘れないで持ってきてよ?」


「や。ちょっと待って。全然終わりじゃないし」そう、今は、これで終わりにするワケにはいかない。「羽場ちゃん、何かさ、いいウィルスって持ってない?」


「そりゃあ、色々あるけど。何に使うの?」


「いいから、手伝って? 何か、私でもカスタマイズ出来そうな簡単なヤツがいい」そして瑠璃子は忌々しい黒い箱に目を落とし、潰してしまいそうになるほど強く握りしめた。「こんなことする馬鹿、同じ目に遭わせてやんないと気が済まない」


 犯人はどいつだ? こいつか?


 そう渋い表情で男性のバイト仲間や従業員の動きを探っていたが、どうにもそれらしい人物は見あたらない。しかし午後八時の就業時間を終え、家に帰ってみると――羽場から一つのファイルの塊が届いていた。


「さすがジャンプ。完璧じゃん」


 そう、羽場と瑠璃子はあの黒い盗撮カメラが回収されることを見込んで、その内部に一つのウィルスを仕込んでいた。そのウィルスはカメラがパソコンに接続されると、自動的に感染。内部の個人データをひとまとまりにしてジャンプに送信し、最後にはOSを徹底的に破壊して再起不能にしてしまう機能を備えていた。


 そして手に入れたファイルを眺めてみると、ものの見事に、複数の画像やらメールやらに加え、瑠璃子が手を打つまでの数時間の間に撮影された盗撮動画が現れた。


 その、一番頭の動画を再生させてみせる。


 グラグラとカメラが揺れ、抑え付けられた手が離れると――一人の、見覚えのある女の子が写しだされていた。


 まるで話したことのない、一番若い社員だった。彼女の外見は目立たない地味なタイプだったが、よく遅刻することで有名で、仕事に対する気力もなく、よく裏でチーフなどが愚痴っていた。


 どうして、彼女が。


 瑠璃子はてっきり、男性社員が掃除か何かにかこつけて入り込み、こっそりと設置したのだと思い込んでいた。だいたいにして女の子が同性のそういう動画を手に入れたいと思う感覚が全く理解出来なかったし、とても女が犯人だと推理するのは難しかった。


 だが、一緒に盗んだメール類を眺めているうちに。次第に理由が、掴めてきた。


「悪い彼氏さんが、いるみたいなんだな」どうやら、そんな風だった。「それでカメラ渡して、設定方法教えて、彼女に無理矢理やらせたみたいなんだよね」


 この真実。


 瑠璃子の知り得た真実を、どう扱っていいものやら。


 まるで整理がつかないまま虚ろに云った瑠璃子に、羽場も似たような表情で、サルサパリラ・トリルパリラの小振りな瓶を弄んでいた。


「へぇ。まぁ、結構そういうことあるのよね、こういうことやってると」


「へぇ、って。羽場ちゃんは中身見てないの?」


「見ないよ全然興味ないし」ホントだろうか、と訝しむ瑠璃子に、軽く口の端を歪めて見せる。「云ったでしょ? スカトロ趣味なんてないって。それにさ、だいたいそういうことやるヤツって、どっかしら歪んでるんだよね。しかも悪い方に。結局後味悪い感じにしかならないからさ。関わりたくないんだよ。ボクの方まで頭が変になっちゃう。ルリちゃんだってガッカリしたでしょ?」


「ガッカリ? そういうのとは、ちょっと、違うかな」様々なコンピュータ機器が転がる、羽場の部屋。そこでベッドに倒れ込みながら、瑠璃子はCELLにコピーしたデータを眺める。「何て云うんだろう。予想外? 予想外とも、違うかな。まぁ予想外なんだけど、何て云うか、望み通りじゃないっていうか、怒りの向け先が難しいというか――それは彼女も酷いけど、彼氏さんが一番悪くて、でも彼女も色々と事情があって従わなきゃならなかったりと――」


「ガッカリ?」


 そう、そうかもしれない。


「なんかさ、そういう趣味のためとかだったら。まだ――あんま理解したくないけど、わからないでもないけどさ。でも結局お金のためでしょ?」と、メールの一通を呼び出す。「結構高値で売れるらしいんだよね、そういう動画って」そしてベッドで身を翻し、未だに光に翳したり、振ってみたりして瓶を眺めている羽場に目を戻す。「ひょっとして羽場ちゃんってさ、ジャンプって商売してるの?」


「商売? まさか!」彼は破顔して、部屋中を指し示した。「そんな高価なもんが、何処にあるのさ」


「なんで、しないの?」


「なんでって。危険じゃん? お金が絡む所ってさ。リアルでも銀行が一番警備堅いように、ネットだってそうだよ。ある意味ボクが捕まらないでいるのは、そういうお金絡みの所に行ってないからかもしれない」


「じゃあ、なんでクラッカーなんてやってるの? だいたい今日の事だってさ、ジャンプが普段やってることと変わらないじゃん。何で企業の不祥事とかは喜んで吊し上げるのに、盗撮とかするヤツを相手にするのは嫌なの?」


 前にもした。こんな質問。


 そしてこの時も、あの時と同じように――彼は困惑したように両手で瓶を転がし、落ち着かなそうに周囲に視線を送った。


「いやぁ、それは――」誤魔化しきれないと踏んだのか、彼は小さくため息を吐いた。「そう、ボクには捜してる物がある」


「それって――」


「でもそれってさ」と、彼は急におちゃらけた調子に戻って、悪戯小僧のような笑みを浮かべながら肩を竦めた。「何かもの凄い貴重な物らしいんだ。何処にあるかもわからないし、何が関わってるかもわからない。ノーヒントで、隠された財宝を探れって云われてるような物なんだ」


「だから、企業とか相手に、クラックしてる?」


「まぁね」


「相手が有名な所じゃないと駄目ってこと? なんで?」


「それは――」


「吐いちゃいなって! ジャンプの探し物って、何なの?」


「そう――そうだな――」


 深い声に促され、瑠璃子は思わずベッドの上に正座した。


 すると彼はジャンプを感じさせる深い瞳の色のまま、すっとトリルパリラの瓶を掲げ、その全体像を眺める。


「美しいよね。完璧なフォルムだよ。どうやったらこんな瓶の形を考えられるのかな。それに色も、完璧な純粋さだよ。ボクはこの、サルサパリラ全四十八種類のフレーバー、全てを手に入れるのが夢なんだ。今まで手に入れたのは、これも含めて三十二種類。それで残り――」


 わざわざ正座したのが馬鹿みたいだ。


「頭おかしいし。で、結局何なの? どうしてクラックしてるの?」


「だから云ったじゃん、サルサパリラのフレーバーを――」


「そんな隠さなくてもいいじゃん! 何? そんな私のこと信用出来ない?」


「ルリちゃんはジャンプを買いかぶり過ぎだよ! 実際、それがキミの師匠の本性なんだって。厭ならジャンクにでも弟子入りしなよ。アイツはもっと真面目にクラッカーしてるし。ま、その分危険も多いけどね」


 ウソくさい。


 そりゃあ羽場の表の顔はそんな所もあるが、ジャンプっぽくない。


 瑠璃子は口を尖らせながら、彼のおちゃらけた顔を眺める。


「で? 探し物って何なの」


「もうしつこいなぁ」


「だって――」


「じゃあこうしよう。もしルリちゃんがそれを探り当てられたら、ルリちゃんはボクが免許皆伝しちゃう。それくらいの難易度はあるだろうしね」


 なんだそれ。


 さっぱり意味がわからない。そう頬を膨らませて見せたが、どうもそれは彼にとっては譲れないラインらしかった。幾ら脅したり空かしたりしてみても、絶対に口を割りそうにない。代わりに彼は冷蔵庫から冷えたトリルパリラの瓶を持ってきて、二つのグラスにとくとくと注ぐ。


「え? いいよ私は」


「そんなこと云わないで、飲んでみてよ! 新しい力に目覚めちゃうかも!」


 仕方がなく手に取ると、羽場はニヤリと笑ってグラスを掲げた。


「初仕事に乾杯!」


「はいはい、乾杯乾杯」


 恐る恐る、何か蛍光ピンクの外見からは予想も付かない、珈琲のような、コーラのような得体の知れない臭いに顔を顰めながら、軽く口に含んでみる。


 途端に鼻孔が強烈な湿布の臭いに包まれ、次いで今まで味わったことのないようなピリピリした刺激が舌を刺し、それと正反対な諄すぎる甘みが喉に絡み、思わず咽せて口元を抑えながらキッチンへとダッシュする。


 瑠璃子には、とても新しい力なんて。目覚めそうもなかった。

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