第14話
二ヶ月に及ぶアルバイトの成果。瑠璃子はその使い道に悩んでいた。
色々と欲しい物はある。欲しい物はあるが、それを全て手に入れるには、とても足りない。
「お金の使い道か。そういうの、考えるの楽しいよね」
相談した瑠璃子に、大師匠であるジャンクは、例の美声の向こうに楽しげな感情を乗せつつ云った。
「そうだね。優先順位を付けるとするなら、やっぱりL2スイッチ、ルーター、無線アクセスポイント、ファイア・ウォール装置、ネットワーク・ストレージ。それに新しいデスクトップパソコン、じゃないかな」
「でも私、携帯端末ってCELLしかないから。ちゃんとした、それなりの性能のある、HMVが走る携帯端末が欲しいんですよね。例えば、この間出た、インフィニタスの超小型端末とか――」
「あぁ、あれいいよね。ボクも欲しい。でもそれなら――ま、最低あと五万は欲しいね」
そうなのだ。とても手持ちの資金じゃ、足りない。
「なんかジャンプが云ってたんですけど。ジャンクさんって、クラックでお金稼いだりしてるんですか?」
なんというか、藪蛇かも知れないなと思いつつ尋ねた瑠璃子に、彼は――あるいは彼女は――独特の乾いた笑い声を上げた。
「ま、稼いではいるけど。合法だよ」
「合法の、クラック?」
「そう。クラックってさ、何かやれば全部違法とか考えてるかも知れないけど。実際はネットワーク犯罪に対してはそれほど法整備が進んでなくて。リアルで似たようなことやったら犯罪、ってことでも、ネットじゃ未だに規制されてなかったりする。ボクはそういう穴を突いてるだけだから、捕まっても無罪放免さ」
「へぇ」それはネットの世界には法のグレーゾーンみたいなのがあることは知っていたが、それを積極的に活用している人がいるのは知らなかった。「でもジャンプ、そういうこともやってないみたいですけど――」
「彼は馬鹿だから」軽く云い放った。「悪い意味じゃないよ? ただ彼の頭は、そういう法律とかいうものを解釈出来ないようになってる。それは最低限の事は知ってるけど、それ以上のことはめんどくさくなって考えられないんだよ。他のことで一杯一杯でさ」
成る程、彼の頭は、確かにそういうところがあるかもしれない。
「そういえばジャンクさん、どうやってジャンプと知り合ったんですか?」
唐突な問いだったかも知れない。彼は僅かに沈黙した後、少し困惑した調子で言葉を返した。
「そうだね。何か探してるものがあるとかで、ボクの極秘回線にアクセスしてきたんだよ。それって結構、技術的に凄いことでさ。でも当時の彼、クラックについてはそう詳しくなかった。それで、これは天才だな、と思って。相手してやって、今に至るってワケ」
「その、探してる物って。何だか知ってます?」
「それは――」彼はふと、怪訝そうに尋ねた。「けど、何でまた? ジャンプと喧嘩でもした?」
「いえ、そんなんじゃないです。ただ、彼の事が知りたくて」
ふぅん、と呟いた後、彼は殊更に口調を穏やかにし、瑠璃子に云った。
「まぁ、何でもいいけど。ルリちゃん、ジャンプと仲良くしてあげて」
「え? 仲良くしてますよ?」
「なら、いいけど。彼――それにルリちゃんも、結構若いんだろう?」黙り込む瑠璃子に、彼は溜息混じりに続けた。「今ならまだ、引き返せるよ。ボクが云うのも何だけど、クラッカーなんてろくな生き方じゃない。いろんな物を疑って、怖がって、まるでせき立てられるようにして壁の向こう側を知ろうとする。けどさ、世の中には。知らないことが幸せなことも。沢山ある。だから、あえて知ろうとしない生き方の方が。幸せだし、気楽だったりするよ。ボクだって本当は、そういう人間に生まれたかった」
かも、しれない。
盗撮事件を通じて、初めて瑠璃子は、そう思うようになっていた。
「それに、そう。ジャンプがクラックしてる理由? ボクは知ってるけど、ボクの口からは云えないな。もの凄く、プライベートな事だし。きっとその時が来たら、彼も自分から話してくれると思うよ」
プライベートな事。
この論理的で哲学的な人物ですら、口外を憚るようなこと。
確かにそれは、瑠璃子が知らなくてもいいことなのかもしれない。
でも、知りたい。
今の瑠璃子は、何でも知りたくて仕方がなくなっていた。
「えっと、この場合は show interfaceして、このポートの通信状態をチェックしてから、dropが発生しているようならlinkのduplicateを変更してみて――」
「そうそう。duplicateがずれてdropが頻発して、通信が不安定になるのは、良くある障害だから。覚えておいて損はないよ」
ジャンクの言葉に頷きつつ、瑠璃子はキーに指を滑らせる。
「わかりました。それで問題がない場合、パケット・キャプチャで通信内容を確認して――」
ようやく手に入れた、業務用ネットワーク・スイッチというもの。これにしたって、数ヶ月前の瑠璃子は、まるで見たこともなければ、一体どういう役割なのか知りもしなかった。
「ルリちゃん、ひょっとしてパケット・キャプチャってワイヤー・ダンパー使ってる?」
「え。えぇ。それが一番メジャーだってジャンプが――」
「ボクが作ったアプリの方が使いやすいよ。送るから、それインストールして試してみて」
「了解です」
早速ジャンクが送ってきたマジック・ダンプというアプリをインストールし、更に通信状態を把握していく。
「で、set mirror port、write memory、と」
これまで瑠璃子は、まるで自分のパソコンが行っている通信が、暗号化されているかどうかなんて気にしたことはなかった。けれども実際に新しいパソコンと古いパソコンを繋いで、その中でデータのやり取りをさせるようにし、その通信をネットワーク・スイッチ上から盗聴してみると――やりとりしている通信の殆どが、丸見えになってしまった。
「ははぁ、やっぱり。こんなんで盗聴とか、出来ちゃうんだ」
さすがに銀行やネットショップとの通信は暗号化されていたが、普段のメール、ネットでの情報収集などについては、殆どが平文のまま行われている。
面白い。
面白いと、思い始めていた。
「これだけじゃあ、とてもクレジットカード番号とか極秘資料なんかは手に入れられる確率は低いけど。でも、クラックの基礎だよ。クラックの基礎であると同時に、ハックの基礎でもある」
ジャンクの云うとおり、ハッキングとクラッキングというのは、非常に紙一重な技術らしかった。
通信に問題が発生し、それを解決しようと調査するのは――ハッカーだ。だから盗撮事件の時に瑠璃子が行ったことは、半分はハッカーの仕事だったとも云えなくない。
けれども瑠璃子はそこから更に一手進めて、コンピュータの機能を悪用し、ウィルスを仕込み、犯人の個人情報を盗み、パソコンにダメージを与えた。
それは確かに違法なことだし、ばれれば【電子アクセス規制法】違反で、一年以下の懲役、または五十万円以下の罰金を科せられる。
不思議だな、と思う。
不正を防ぐための技術が、不正を増長させる技術にもなる。
それがネットの面白い所だった。
結局は、人なんだ。
改めて、そう思う。
コンピュータ・ネットワークは、単なる道具でしかない。それをどう活用するかは結局、人次第で――
「瑠璃子、いいか?」
ふと部屋の外から声がして、瑠璃子は慌てて羽場から借りた比較的高価な装置類に服を被せながら応じる。
「――いいけど」
【見守りサービス】事件以来、どうも両親は瑠璃子を避けているような所があった。けれども瑠璃子自身は、彼らを上回る知識を得たと云うこともあり、半ばどうでも良くなっている所もある。
だから扉を薄く開いて顔を現した父親も――何の興味もなく、見つめ返していた。
「何?」
彼は眼鏡の乗った、角張った顔を部屋中に向ける。
集中するために灯りは落としてあって、パソコンのディスプレイの灯りだけが、狭い四畳半の部屋を蒼白く照らし上げている。
コンピュータ機器の数は、明らかに増えていた。それらが発する、チカチカとしたLEDの点滅を眺め、そしてディスプレイに表示された、彼には得体の知れないであろうコマンドと通信ログの列を眺め――相変わらず無表情に、云った。
「最近、パソコンの勉強、してるのか」
「え? うん、まぁ」
「ゲームは、しないのか?」
「してるように見える?」
「いや――」
相変わらず、監視したいのか。
瑠璃子は苛立ちながらも部屋中を見渡し、確かに半年前とは、結構具合が変わってしまったな、と思う。
「この辺はアルバイトのお金で買ったんだよ。中古とかばっかりだし、成績だって去年より上がってるでしょ? だったら別に――」
「いや」戸惑ったように、口を噤む。「進路とか、考えてるか?」
云われてみれば、もう高二の冬になろうとしている。そろそろ考えなければいけないのは確かだったが、なんだか瑠璃子にはあまり実感が湧かず、ただ目の前の疑問とばかり、戦っていてしまった。
「さぁ。情報系が楽しそうかな、とは思ってるけど。でもまだ、ちゃんと考えてる訳じゃあ――」
「新しいパソコンとか、欲しいか?」
えっ、と思って、瑠璃子は一瞬、言葉を失っていた。
「それは、欲しいけど」
「じゃあ、後でカタログを渡しなさい」
言葉を継げずにいる間に、背を向け、部屋を出て行く。
本当に不思議だな、と思う。
彼らの反抗心から始めた事が、何か彼らの琴線に触れる所があったらしい。
本当に、世の中の仕組みって云うのは――不思議だ。
中でも不思議なのはジャンプという存在で、瑠璃子は未だに彼の正体に辿り着けずにいる。
お金のためでもない。覗き趣味のためでもない。単なる正義感故の犯行でもないのは彼が繰り返し云っていることだし、実際【ガッカリ】なんて言葉を何度も聞かされると、何だか彼自身、ジャンプという存在を妥協の産物のように思っているような気がしてくる。
だとして、どうして彼は、クラックを続けるのか。
彼の活動が止まっていることは、ネット中にいる悪餓鬼共の中で、かなりの噂になっていた。急死説、引退説。そして最も大きかったのは逮捕説だったが、それが誤っていることを知っているのは、恐らく瑠璃子と、警察内部の人間だけだったろう。
「じゃじゃーん! レディース・アンド・ジェントルメン。ここでワタクシことジーニアス羽場は、数ヶ月の研究開発の末、遂に一世一代の世紀の大発明を成し遂げ、この、G4ボットネットを全世界に送り出します!」
パチパチパチ、と、瑠璃子は仕方がなしに拍手をする。
「で、結局、ボットネットなんだ」
彼は失われたG1のボットネットに代わるシステムについて、かなりの苦心を重ねていた。それはボットネットは、現状知られている技術の中では最良の通信元隠匿技術なのは確からしかったが、結局それでも完全に身元を覆い隠すことは不可能だ。
それを彼は何とかしたがっていたが、結局の所、こちらから通信を行って、それが戻ってくるようにするためには――どうしても何処かしらには通信元を伝えなければならない。その原則はいくら天才ジャンプといえども、覆すことは出来なかったのだろう。
「正直、あそこまで誰かに辿られたのは初めてだから。別の、全然違うアーキテクチャにしたかったんだけど。でも無理。なーんにも思い付かなくて」
「でもさ、同じボットネットだったら。また誰かに見つかって潰されちゃったりするんじゃないの?」
「確かにボクもG1ボットネット・ウィルスに穴があるのは自覚してて。でもそれはG2以降は色々手を加えてる」
「それで、G4は、何か凄いの?」
「凄いよ? このヨン様は」相変わらず命名センスが最悪だ。「通常のP2P技術を活用してるし、そう感染力も強くはないんだけれども――ターゲットをかなり広めてある。今まではeXectorOSだけが標的だったけど、それをHMVとクォンタムOSまで広げたんだ。つまりCNUはアーキテクチャの違う三つのOSを渡り歩く通信を追わなきゃならなくなるってことで、これはかなり手枷足枷になると思うよ? それにこの国じゃeXectorばっかだけど、北欧なんかじゃHMVがかなりシェアを伸ばしてるし、そうやって色々な国を渡り歩けば渡り歩くほど、跡を追いづらくなる。加えて暗号化にも力を入れたから、そう簡単には、足は付かないはずだよ」
「ふぅん。それで実際にボットネット・ウィルスを拡散させるのって、どうやるの?」
「そうだなぁ。幾つか手はあるけど、やっぱり一番重要なのは、ウィルスが何処から拡散し始めたかっていう情報を与えないことだよね。それには、どうしたらいい?」
瑠璃子は床に座り込んだまま、唇に人差し指を当てて考え込んだ。
「そもそもウィルスってさ、何なの? なんかこうすれば防げます、っていうのは知ってるんだけど――」
「そっか。じゃあ先ずそこから。コンピュータ・ウィルスってのは、極々小さなプログラムだと思ってもらっていい。基本的にはルリちゃんが使ってるワープロソフトとか、ゲームなんかと一緒。唯一違うのは、それが【パソコンの所有者が望まない動きをする】って点だけなんだ」
「じゃあ、ウィルスって、私でも作れる?」
「作れるよ。たとえばさ、パソコンのファイルを全部削除しちゃうプログラムを作れば、そのプログラムってウィルスになり得る」
「でもそんなの、わざわざ実行する人なんていないじゃん」
「そう、そこ」羽場は瑠璃子に人差し指を向けた。「ウィルスってのは、パソコン上で実行される色々なプログラムと、基本的には何も違いはない。ただその動きを利用者が認識しているかそうじゃないかの違いしかない。意味わかる?」
その動きを、利用者が認識しているかそうじゃないかの違いしかない。
「つまり、パソコンの持ち主を騙すのが、ウィルスの本質だってこと?」
「イエス!」と、羽場はパチンと指を鳴らす。「どんな致命的なプログラムを作ったとしても、【これってウィルスだ】ってパソコンの持ち主が認識しちゃったら、それで終わり。ウィルスってのはとにかく、パソコンの持ち主に知られないよう、ひっそりと動かなきゃならないプログラムなんだ。前の盗撮騒ぎの時にルリちゃんに渡したウィルスもさ、色々な手を使って、相手側のパソコンに気づかれずに感染するよう、手を尽くしてるんだよね。つまり【クラックで一番重要なのは、どうやって侵入するかじゃなく、通信元の隠蔽だ】っていうお話と同じで、【ウィルスで一番重要なのは、その破壊力じゃない。どうやって自分自身の存在を知られないようにするか】なんだ」
「うーん。なるほどねぇ」瑠璃子は腕組みしながら、首を捻った。「でもさ、ウィルスもプログラムの一つ、っていう限りには、パソコンの持ち主が実行しない限り、動かないワケよね?」
「そうとは限らないかな。OSの不具合を突くようなウィルスの場合、ネットワーク経由での感染とかも十分に可能。でもさ、今じゃ個人でもパーソナル・ファイア・ウォールとか普通にパソコンに入れてるから、なかなかネット経由での感染は難しいんだな。だからやっぱり、どうにかしてパソコンの持ち主の心の隙を突いて、ウィルスをパソコン上で実行させないといけない」
「それってアレよね? メールなんかで良くわかんないファイルが送られてきて、それを開いちゃったら感染しちゃうって類いの」
「そうそう。感染の初段としては、それが一番ポピュラーな方法かな。何か有用なプログラムに見せかけて、実はウィルスでしたって感じ」
「じゃあ、G4もそうやって広めれば?」
「それが甘いんだな」羽場はニヤリとして、人差し指を立てる。「どっかにメールを送るってことは、何処からウィルスが送られてきたかって情報を相手側に渡すことになる。それはボットネットを経由させれば誤魔化せないこともないけど、ボットネットを活用するのは三層構造が復活してからにしないと、ちょっと怖い」
「じゃあさ、良くあるファイルアップロードサイトを使えば? そこにウィルスをアップロードしておいて、何かの人気ゲームです、ってデシネの掲示板とかで広めちゃえば。結構引っかかってダウンロードして実行しちゃう人もいるんじゃない?」
「それも良く使われる手だけどね。結局同じ話だよ。だいたいさ、そうやって怪しいファイルがメールで送られてきたりネット上に転がってたりしたら、すぐにセキュリティー会社が中身分析して、何か新種のボットネット・ウィルスだって突き止めちゃうよ」
「そうなの? じゃあ、方法ないじゃん」
「んなことないよ」羽場はニヤリとして、サルサパリラを口に含む。「駄目だなルリちゃん。また頭が硬くなってきてない?」
「硬く? 何が?」
「パソコンに詳しくなった人間が、陥りやすい罠。急用なら電話すりゃあいいのに、億劫になってメールで済ませようとする」
確かに最近、指を動かすより声を出す方が面倒になりつつあった。
「つまり、現実世界を疎かにする、ってこと?」
「そう。前に云ったよね? 結局コンピュータ・ネットワークの世界っていうのは、現実世界の延長に過ぎないんだってこと。伝達速度はコンピュータ・ネットワークの方が断然早いけど、自由度については現実世界の方が遙かに高い」
「つまり?」
「ボクらは必死でネット上の足跡を残さないように頑張ってるけど、現実世界で足跡を残さない方法の方が楽な場合もある。今回はそれを使う」
「どうやって?」
羽場は瑠璃子を促し、曇り空に覆われた現実世界へと足を踏み出す。彼は酷い虚弱体質というか、軟弱な質だった。まだ十二月の上旬だというのに、グルグルと首元にマフラーを巻き付け、散々厚着した挙げ句に雪だるまのような格好になっている。
電車を乗り継いで、繁華街へ。人々の姿も鈍色のコートに覆われつつあって、街全体が沈んだ色合いになっている。背中を丸めて歩く人々の間を抜けて二人が辿り着いたのは、自由にネットに繋げられるネットワーク・カフェだった。彼は慣れた様子で席を確保すると、飛び込むように椅子に座り込んでキーを叩き始める。
「このカフェってさ、管理してる人が、ちょっと甘いんだな。それで簡単に管理者権限が取れちゃう」
パチン、とキーを叩くと、見慣れたeXectorOSの画面が切り替わり、管理者としてログインした旨を表示した。
そこでようやく瑠璃子も、彼の作戦を理解した。
「なるほど、こういう不特定多数の人が触るパソコンをウィルスに感染させて、ヨン様を広めようって云うのね?」
「そう。お客さんがこのパソコンを使ってネットにアクセスしたら、行き先に穴があればソイツも感染するし、記憶スティックを刺せばソイツにウィルスがコピーされて、持ち帰って自分のパソコンに刺せば感染しちゃう。まさかここの利用者も、ちゃんとしたネットワーク・カフェのパソコンがウィルスに感染してるだなんて思わないから。防御が甘くなるし、感染源はなかなか突き止められないし、ボクらがばらまいたってのも――まずばれないね。なにせここ、監視カメラもないお店だし」
なるほど、確かにウィルスの脅威から身を守る側としての心得は、怪しいファイルは開かないとか、アンチウィルスソフトを入れておくとか、色々と指針がある。しかしクラッカー側としては、そうした【パソコンの向こう側にいる人間】の動きも想定して、新しい手、新しい手と考えていかなければならない。
それはそれで――コンピュータ・ネットワークを相手にするのとは、また別の技術が必要とされそうだった。
ここで感染させるパソコンは数台に留めておき、幾つかのカフェを渡り歩き、更に別の街へと移動する。
そうして数十台のパソコンにG4を感染させてから羽場の家に戻ると、彼はコンソールの椅子に飛び込んで、早速ボットネットの調子を確かめ始める。
「いいね。軽いテストは出来そうだ。ルリちゃん、どうする?」
「どう、って。見せてよ。それこそ、今更隠すようなもんじゃないでしょ?」
「隠さないよ。じゃ、手伝って。何か端末は持ってきてる?」
瑠璃子が誇らしげに取り出したのは、お言葉に甘えて父親に買って貰った、超最新型の超小型端末だった。
「ワオ! それってこないだ出たばっかりの、インフィニタスの超最新型の超小型端末じゃん!」
「いいでしょ? なんか知らないけど、親が買ってくれたの。私が持ってたCELLより何倍も早いし、それで早速HMV入れて、試してみてるとこ。超長いソースのコンパイルなんかも数秒で終わっちゃうし――」
「親か。いいね。家族は確かに面倒だけどさ、大切だよね?」
そんなの、羽場には何の関係もない。
それからというもの、瑠璃子は羽場の積極的な手下として活動するようになっていった。
彼の放ったG4のボットネットは瞬く間に世界中へと感染していた。羽場はそれが、望み通りセキュリティー企業に探知されないことを期待していたが――数週間経っても新種のウィルスとして発見されることなく、拡散速度も次第に緩やかになっていた。
「そろそろ、行けるかもしれない」
そう、羽場の言葉は、ジャンプの復活を予言していた。
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