第12話

 しかし、ジャンプってのは一体、何者なんだろう?


 結局疑問はそこに行き着く。


 二学期が始まり、学校生活は何事もなく過ぎている。羽場は必死に従来のボットネットに代わる新たな通信元隠匿システムを開発していたのだが、表だっては相変わらず支離滅裂な言葉を放ち続け、周囲を困惑させ、笑わせ、それでいて時に酷く鋭い台詞を吐いたりする。彼の裏の顔を知った今となっては、そうした彼の表皮は明らかに矯飾だとしか思えなかったが、しかし瑠璃子が見る限り、自宅での彼、クラックを行うときの彼にしたって、そう、違いはないように見える。


 そう、問題は、たった一点に集約される。


 どうして彼は、懲役何十年という危険を背負ってまで――クラックを行う?


 何故? どうして?


 一体、彼を突き動かしている目的って――何なんだろう。


 一番に思い付くのは、単に彼が卑しい覗き趣味を持っているということだ。それは誰も知らない何かを知るというのは瑠璃子にとっても楽しいもので、それが特に級友たちの裏の顔となったら尚更だ。


 例えば、あの馬鹿な清水。彼は学校では気取った素振りで自分が賢いというのを誇示しようとし続けていたが、一旦裏に回れば――何の事はない、羽場以上にチキンで馬鹿な中学生だった。


 そう、確かに、他人のプライバシーを知るというのは。面白い。それが不躾なことだと非難するほど瑠璃子も徳は高くないし、チャンスがあれば、もっと色々知りたいと思う。


 仮に羽場が、そんな本能に突き動かされているのだとしたら?


 覗き趣味で懲役何十年という危険を冒すだろうか?


「――何とも云えないなぁ。趣味の問題だし」


 ふと呟いた瑠璃子に、一緒に昼食を食べていた美也子が、いつも通り微笑みながら、首を傾げる。


「ねぇ、美也ちゃんってさ、8pのメンバーが、毎日なにやってるかとか、電話番号とか。全部覗き見できるドラえもんの道具みたいなのが交番に転がってたとするよ? それって、盗む?」


「盗む!」


 美也子らしくない即答だ。それは瑠璃子も8pは好きだが、そこまで断言出来るほど好きというワケでもない。それで瑠璃子が目を丸くしていると、彼女は頬を紅潮させながら両手を胸の前に組んでいた。


「ほら、今度のビデオクリップも、もの凄い素敵な出来じゃない? 特になんかドレスともスーツとも云えない不思議な衣装が何とも云えなくて。あれって全部メンバーで考えて作ってるっていうんだけど、信じられないセンスよね? どうやってあぁいう衣装考えてるんだろう。しかも外観だけじゃなく、ちゃんと踊ったときの事まで考えてあって――」と、ふと気付いたように瑠璃子に意識を戻した。「え? そんな道具があるの?」


「あるわけないじゃん」


 呆れて云った瑠璃子に、美也子は深い溜息を吐いた。


「それは、そうだよねぇ」


「でもさ、真面目に考えて。そういう道具があったとしてもさ、捕まったら速攻で無期懲役だとするよ? それでも欲しい?」


 うーん、と彼女は丸い顎に人差し指を当て、軽く首を傾げた。


「一生牢屋の中は厭だなぁ」


「やっぱ、そうだよね。でも熱心なファンなら、欲しいと思うかなぁ」


 ふと、美也子は穏やかな笑みの中に困惑を含ませた。


「でもそういう人って、ちょっと、アレな人だよね」


 アレか。


 そう、アレかもしれない。だが事、羽場が相手となると。彼自身もアレと云えなくもないのが難しいところだ。


「普通の人なら、どうなんだろう。どんな餌を目の前にぶら下げられたら、無期懲役覚悟で冒険しちゃうかなぁ」


 考えながら呟いた瑠璃子に、美也子は逆方向に首を傾げた。


「お金、とか?」


「あぁ――」


 確かに、目の前に一生食うのに困らないくらいのお金が転がっていたら。半分とは行かないまでも、三分の一くらいの人はチャレンジするかもしれない。


「そりゃ、お金は欲しいよねぇ」ふと、今の財布の中身を思い出して、机に蹲ってしまう。「あぁ、お金欲しい」


「私も」美也子は微笑みつつ、それでいて肩を落としながら呟いたが、不意に背筋を伸ばすと、瑠璃子の腕に片手を置く。「そうだ、ルリちゃん、アルバイトしない?」


「バイト?」身を起こしつつ、尋ねる。「なんで?」


「だって、お金ないって――丁度私が働いてる服屋さんが新しいお店を出すことになったんだけど、売り子さんが足りなくて困ってたの。どう? ルリちゃんならピッタリだと思うけどなぁ」


 確かに、羽場やジャンクに云われるまま勉強を続け、アプリケーション、OS、ネットワークと色々手を出していくうちに――瑠璃子は最後の難題、ハードウェアに行き当たってしまっていた。それはプログラムを組んだり簡単なネットワークの勉強をする程度であれば瑠璃子のオンボロパソコンでも問題なかったが、話が奥深くなればなるほど、様々なことを知れば知るほど、色々と欲しくなる物が出てくる。パソコンの様々な拡張インターフェースやら、ネットワーク・スイッチ、ファイア・ウォール専用装置などなど。しかしそれは中古でも数千円する代物ばかりで、全部買うとなると十万円は必要だ。それで瑠璃子は、はてさて、そんな大金を何処から捻り出したものかと悩んでいた所だった。


 云われてみれば、ハッカーの勉強に熱中するあまり、バイトという考えはまるでなかった。


 うーん、まだ色々と調べてみたいこと、確かめてみたいことが沢山ある今、バイトに時間を費やすのは勿体ないな。


 そう、思わないでもない。けれども羽場が首尾良く通信元隠匿システムを完成させなければクラックの実技も出来ないというのもあり、今はいいタイミングなのかもしれないな、とも思う。


 服屋というのが、とても服にお金を費やす余裕なんてない今には辛い職場だったが――美也子が働いていたのは別に煌びやかなファッションビルのテナントなどではなく、日常着るような砕けたカジュアル衣料店チェーンだった。


 その名も、【サルサパリラ】。あの変人には熱狂的な支持を得ている、薬臭い変な刺激のある人工着色料が山盛り使われているドリンクメーカーの、服飾部門だ。


 どうしてサルサパリラがあんなドリンクを懲りずに売っているのか瑠璃子には理解できなかったが、それでも彼らの服飾業は瑠璃子も好きだ。まるで竜胆のような草と花があしらわれたトレードマークも素敵だし、安くて、丈夫で、使い回しが効くデザインが多い。であれば瑠璃子の手持ちの服でも見窄らしい感じもしないだろうし、むしろそうした普段着が推奨されるということで、結局瑠璃子は、二ヶ月という期間限定でアルバイトを請け負うことにした。


 勤務は土日の朝から晩までで、二ヶ月丸々働けば十数万円になるはずだった。瑠璃子の仕事は、接客と散らかされた服を整えること。これが意外と大変で、特に朝から晩まで殆ど立ちっぱなしというのが辛かった。クラブを辞めて一年、殆ど運動らしき運動もしていなかったおかげで、最初は足が棒のようになり、膝にも少し痛みを感じてしまう。しかしそれも数回の勤務で慣れてきて、仕事の内容もだいたい覚えて、次第に辺りを見渡す余裕が出てくる。


 当然、意識が向かうのは――コンピュータ機器だ。


 服屋さんとはいえ今では至る所にコンピュータが導入されている。レジじゃ一々値段を手打ちしたりせず、全部に超小型の電子チップが内蔵されていて、それを受信装置に翳せば、値段や品名がすぐにレジに表示される。そうして登録された売り上げ情報は全てバックヤードの管理用パソコンから閲覧できるようになっていて、日々、どんな色の、どんなタイプの、幾らくらいの服が沢山売れたのか、簡単に集計できるようになっている。他には天井に釣り下げられた監視カメラだが、こちらも全ての映像がバックヤードのコンピュータ上に記録されていて、在庫目録と現状数が一致しなければ盗難を疑い、録画を再生させて現場を確認し、すぐさまプリントアウトして警察に被害届を出したり出来る。


 しかし、これは――と思うようなことが、ないワケでもなかった。管理用パソコンはアルバイトでも触れるような状況で、パスワードは机の上に付箋紙で貼られていたりする。別に瑠璃子は服の売り上げ状況に興味なんてなかったが、もしライバル店に雇われたスパイのアルバイトが入り込んでしまえば、いとも簡単に売り上げデータを盗まれてしまうだろう。


 更に深刻なのは監視カメラの方で、なんと盗難防止用に試着室の中まで撮られているのだ。しかもあからさまにカメラを置けば客から苦情を受けるだろうから、完全に隠しカメラのように什器に隠されている。


 このデータが男子アルバイトにでも盗まれて、ウィルスのせいでネットに流出したりしたら――大騒動だろうな、と思う。こんなことが全ての服屋さんで行われているとしたら、瑠璃子にとっても他人事ではない。気をつけたからといって気付くような所に監視カメラは置かないだろうし、防御手段なんて無に等しい。


 厭な事に気付いてしまったな、と思いながら、瑠璃子は休憩時間にトイレに隠れ、そもそも監視カメラシステムというのはどういう仕組みになっているのかをCELLで調べていた。


 一昔前ならば、カメラの映像は全てテープに記録され、専用のデッキで再生していたらしい。しかし今では全てのカメラは店内のネットに接続され、そこからデジタルデータとしてパソコンに送られるようになっている。蓄えられた動画は、日時指定で簡単に頭出し、再生が出来て、必要に応じて記憶スティックに出力したり、プリンターで印刷できる機能も備えている。


 さて、そうした監視カメラの映像。


 盗むには、どうしたらいいか。


 自然と瑠璃子は、ハッカーともクラッカーともつかない、純技術的な興味に頭が向かっている。


 一番簡単なのは、バックヤードに置かれたパソコンを、こっそり使うことだろう。パスワードは机に貼られているし、後は人が居ないのを見計らって操作してしまえばいいだけ。


 けど、それが出来なかったら?


 カメラとパソコンを繋ぐネットワークが、どうなってるのかによるな、と思う。


 見上げてみると、カメラには全て、パソコンに刺すのと同じネットワーク・ケーブルが差し込まれている。つまり監視カメラは、カメラの付いたパソコンと同じと考えればいい。


 そしてパソコンとパソコンは、ネットワーク・スイッチを介して繋げられている。


 ネットワーク・スイッチは巨大なハーモニカのような形状をしていて、ネットワーク・ケーブルを挿すコネクターが沢山付いている。これによって複数のカメラから一台のパソコンに向けての通信を可能にしているのだったが、翻って云えば、全ての通信が、そのネットワーク・スイッチを経由していると云うことでもある。


 つまりそのネットワーク・スイッチを手中に収めてしまえば、仮にパソコン本体に触れられなくとも――今流れている動画データを掴んでしまったり、カメラをクラックして内部に蓄えられているデータを盗んでしまえたりするかもしれない。


 実はそれが――瑠璃子が、今、一番試してみたいことだった。


 ネットワークの、盗聴。このお店の場合は監視カメラ・システムが問題だが、話は全てのコンピュータ・ネットワーク・システムに応用できる。


 例えば、学校の演習室。あそこには五十台ほどのパソコンが置かれ、それが全てネットワーク・ケーブルを介してネットワーク・スイッチに集約されているはず。だからネットワーク・スイッチを流れる通信を覗き見出来れば、授業中に誰が何をして遊んでいるか、一発でわかる。それに図書館で開放されているパソコンは、放課後にメールを送ったりするのに使っている生徒も多かったし、それが瑠璃子の学校全体のネットワークの中心にあるスイッチとなると――教職員の発信するメールやら何やら、全て盗聴できてしまうことになる。


 はず、だった。


 はずなのだったが、それを実地で試すわけにも行かず、瑠璃子の家で試すにしても、業務用のネットワーク・スイッチを手に入れるしかない。


「はぁ、早くバイト代欲しいな」


 この日も瑠璃子は酷い疲れを感じつつ、トイレに籠もってCELLを取り出す。バックヤードは他の休憩中の人たちがいたりして、あまり技術的なページを眺めて奇異な目で見られるのは避けたかった。


 瑠璃子は読みさしだったネットワーク技術の紹介ページを開き、続きに目を通そうとしたが――どうも今日に限っては電波の入りが弱かった。何度試みても【接続に失敗しました】と出て、電波状況を示すアンテナマークも増えたり減ったりしている。


 なんだろう。昨日までは普通に入ってたのに。


 怪訝に思いながらCELLを振ってみる。しかしそれでもアンテナマークは今までに見たこともないような変な動きを続けていた。


 はて、近くでアンテナ工事でもしているのだろうか、それとも何か新しい建物でも出来て、電波を遮るような感じになってしまったんだろうか。


 そう、便座に座ったまま無為に辺りに視線を向ける。


 そしてふと、何気なく汚物入れが置かれた棚を覗き込んだ瞬間、瑠璃子は急に身動きが取れなくなっていた。


 何か、ある。


 一見してわからないよう天板の裏に貼り付けられていたが、影の方に、何だか煙草の箱の半分くらいの大きさの箱が――潜んでいる。それには何か光に反射する小さな穴が明けられていて、瑠璃子はその穴の奥から覗く、極小の小人さんの瞳と――バッチリ、目が合ってしまったような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る