第11話
自分の力は、とてもジャンジャンコンビに及ぶ所じゃない。
瑠璃子は二人の会話やクラック作業の様子を見て、そう、思う。
それはそうだ、瑠璃子がコンピュータを真面目に勉強し始めて、まだ二ヶ月だ。彼らがどれくらい、この電子の世界で戦い続けているのかはわからなかったが――やはり羽場の云うとおり、中学生と大学教授くらいの差はあるだろう。
しかもそれを――素人では最強と云われるジャンプすら、追い詰める存在もある。
「あれっ」
大学から首尾良くデータを盗み出し、それを早速眺めていこうかとした時だった。羽場は急に気の抜けた声を上げ、上部の監視モニターを見上げていた。
そして指で蜘蛛の巣状に張り巡らされているネットワーク図を辿っていたが、次第に表情を強張らせ、慌てたように四つの画面全てに目を走らせる。
「――どうしたの?」
尋ねた瑠璃子も無視し、羽場はマイクをオンにしてから、高速でキーを叩き始めた。
「ヤバイ、ヤバイよジャンク、ボクのG1ボットネットが、誰かに潰された!」
「潰された? 本当か?」羽場の師匠だという美声の主も、どうやらかなりの衝撃を受けているようだった。途端にガシャガシャと歪んだキーの音を響かせる。「自爆コマンドが走ったんじゃ?」
「あ、あぁ、そうだ。あの中学校の回線に置いたヤツだ。誰かがそれを見つけて――」
「そこから先を辿られてる様子は?」
「ちょっと待って、今確かめてる!」
緊迫した空気に、瑠璃子は声を掛ける切っ掛けを失う。再びジャンプとジャンクの間でネットワークの専門用語が飛び交っていたが、どうやら事態は収束の方向に向かっているらしい。一時間近い調査の後、ようやく彼は大きく息を吐き、背もたれに倒れ込んだ。
「大丈夫。大丈夫っぽい。ホント、大丈夫」
まるで自分に言い聞かせるように、繰り返す羽場。
「それはキミのボットネットは、G1、G2、G3って三段構造だ。G1の根っこまで辿られても、更にG2、G3が控えてる。とても辿れるはずはない」
「いや、そうだけどさ」彼は再び心配にかられたように、身を起こす。「とてもCNUに、ボクのボットネットが辿れるとは思えない。ひょっとしてCIAかな? KGBかな? それともモサドとかMI6とか――」
「まさか。彼らが素人を相手にするはずがない」
「そう。そうかな。だといいんだけど」
「落ち着きなよ」初めてジャンクは、笑い声を上げた。「ボクの見る限り、彼らはG1のマスターノードまでは行けてるようだけど、G2までは辿り着けていない。安全だよ」しかしそこで、ふと、声を潜める。「でも突き止めたのがCNUだとしたら――ボクらは彼らの手腕を見誤っていたってことだね。次からはもう少し、慎重な手を考えないと――」
「そう。そうだ。ヤバかった。アイツらが自爆コマンドに引っかからないで、そのままG2、G3って通信を辿られたら。本当にヤバかった」
本当に、緊張の極限だったのだろう。彼は急に崩れるように背を曲げると、大きく溜息を吐きながら、机に身を伏せた。
しかしその緊張が、本当の意味で取り除かれることがないだろうことは、瑠璃子も経験としてわかっていた。
いつ、CNUが訪れるんじゃないか?
いつ、教師が瑠璃子を呼び出し、こっぴどく叱るんじゃないか?
カスタムOSを初めて入れた時、瑠璃子もまるで気が気ではなかった。満足に熟睡することも出来ず、カスタムOSの存在意義と適法性を知って、ようやく安心して眠れるようになったくらいだ。
だが、羽場の場合――実際問題として、犯罪を――それも他のスクリプト・キディなんか比較にならないほどの犯罪を犯している。
それがどれだけ、彼の安眠を妨げているだろう。ようやく気を取り直したらしい羽場は机から身を起こしたが、酷い疲労に襲われているのは確からしく、まるで普段の半分の速度でキーを叩きながら呟いた。
「まぁ、いいや。何時までもビビってたって仕方がない。でも、何で? どうして大学攻撃した程度で、CNUが――」
「前から目を付けられてたんじゃないかな」
「かもしれないけどさ。今思うと、G1ボットネット、もうちょっとマシな暗号化しておけばよかったよ。もう二年も前に作ったヤツだからね。セキュリティー企業のウィルスDBにも登録されちゃってたから、ここのところノードも減る一方だったし――いっそのことまだ発見されてないG2とG3を格下げして、新しいG4を作ろうかな。そうすれば多少は秘匿性も上がるだろうし――まぁいいや」酷い疲れに促されるよう、彼はパチンとキーを叩き、コンソールを閉じた。「ボクは成果確認は明日にするよ。何だかもの凄く疲れちゃった」
「いいよ。ボクはもう少し、CNUの動きを調べてみる」
「じゃあね。こちらはモハビ・エクスプレス。本日の業務は終了!」
結果として大学の【壁】の突破には成功したが、盗み出したファイル一式の調査はおざなりになってしまった。何しろ攻撃中に何者かの横やりが入ったのだ、ここで成果を公表したりしてしまえば敵に更なる手がかりを与えることになりかねない。
それよりも羽場の注意は、彼の破られたボットネットに向かっていた。それもそのはず、新たなボットネットを完成させなければ、彼は今までのような活動を続ける事が出来なくなってしまう。
「だからって、私の師匠を放り出していいワケ?」
「参ったなぁ、どうしよう」
散々思案した挙げ句、瑠璃子は例の美声の主――ジャンクに紹介されることになった。
「ホントは厭なんだけどね。何しろアイツは油断も隙もないヤツだからさ。ヤツと話すときは、ホント、隙とか見せないように注意してね? 事務的なQAで済ませてよ?」
という前置きに続けて彼は回線を接続させ、簡単に事情を説明する。
「弟子、ね。ジャンプがね」酷く可笑しそうに、彼、または彼女は云った。「まぁいいさ。キミのボットネットが治らないと、ボクも動きづらいし。でも一つだけ。ルリちゃん? キミはどうして、クラッカーになりたいんだい?」
口元を歪めながら、マイクを差し出す羽場。瑠璃子は当惑しつつもそれを受け取り、答えた。
「その――何て云うか。知らないでいることが怖いって云うか――」
「怖い?」
「え。えぇ。その。ネットってこんな色々使われてるのに。実際にその裏で何がされてるのかとか。それを知ってるのと知らないので、もの凄い差が出たりとか――それに知ろうとすれば知れる仕組みっていうのがネットにはあって、それって、凄いな、って――私もそういうこと、知りたいな、って――」
「いいね。合格」
「早っ!」
苦笑しながら云った羽場に、ジャンクは楽しげに云う。
「いいじゃないか。そう、知りたいってことは重要だよ。それにボクは、クラッカーってのは基本的に臆病じゃなきゃならないと思ってる。二点ともクリアしたんだ。文句の付けようがない。それで? 何を教えたらいい?」
「何でも。もの凄い吸収早いから、何でも教えてあげて? でもいつもみたいに、ウソ教えちゃ駄目だよ?」
そう気楽に紹介する一方、羽場は瑠璃子に声を落としながら記憶スティックを手渡していた。
「これに、ボクが徹底的にチェックした音声通信用のアプリが入ってる。いいかい? 絶対、絶対にこれ以外でジャンクと通信しちゃ駄目だよ? どんな方法で身元を探られるか、わからないし」
それほど警戒する相手なのだろうか、と、瑠璃子は少し疑問に思う。片やジャンクはジャンクで、疑問を尋ねようと回線を繋いだ瑠璃子に、こんな事を聞いてくる。
「キミは――ジャンプとリアルの知り合い?」
それはもう、隠しようのない事だった。
「え。えぇ」
「ふぅん。まぁどんな関係かは知らないけど、キミも注意した方がいい。彼はきっと、キミのCELLに。盗聴用のウィルスを仕掛けてる」
「――まさか」
彼がそんなこと、するはずがない。
それでも僅かに声を引き攣らせながら云った瑠璃子に、彼は例の、何かを諦めきったような調子で云う。
「信じないならそれでいいけど。でもね、云ったろう? クラッカーってのは基本的に臆病なんだ。それはジャンプも同じ。彼は酷く臆病だ。だからボットネットは潰されても――本体には辿り着かれなかった。同じように彼は、キミも心から信頼してはいないだろう。ボクと同じようにね」そこで不意に、声を楽しげに揺らがせる。「キミも彼に注意されなかったかい? ボクに気をつけろと」
「いえ、そんなことは」
「――まぁいいさ。でも自分の端末、それに自分の情報くらいは、完璧に自分の制御下に置いておくことだよ。これ。ボクからの最初の教え」
参ったな、と思いながらも、瑠璃子には羽場を疑う、小さな芽が生まれていた。
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