第2話

 ネットというのは、基本的に匿名で活動する空間になっていた。それは瑠璃子だって、ORDERSで敵陣に無謀な突撃ばかりしているルリというキャラクターが、平澤瑠璃子という高校二年生だなんて、赤の他人に知られたくはない。


 知られたからといって、そう変な事にはならないと思う。けれども瑠璃子だって、完璧な人間じゃない。感情にまかせて思わず暴言が飛び出すこともあるし、それを酷く恨みに思う人もいるだろう。


 そんなとき、もしルリが平澤瑠璃子だと知れてしまえば――彼らは酷い嫌がらせをしてくるかもしれない。住所を調べて、通ってる高校を洗い出して、散々誹謗中傷してくる。


 実際ネットを徘徊していれば、そんな事件を目にすることは多い。軽い気持ちで放った言葉が曲解され、恨まれ、そこから本名や住所を探り出され、祭り上げられてしまうと云う事件。


 だから、怖いな、とは思う。


 いっそのこと、ネットで活動するときにだって、全部実名を名乗らなければならないようにしたら。どうだろう。


 そうすればデシネの連中だって、今までのように大暴れ出来ないに違いない。彼らにも現実世界での生活があるのだから、無闇に敵を作るような行動は慎むはずで――


 そう。それがいい。


 瑠璃子は玄関の扉を開きつつ、思う。


 どうしてネットって、全部実名じゃないんだろう。現実世界じゃ、みんな顔を出して、実名で勝負してるのに。ネットだけ匿名だなんて、卑怯も良いところだ。


 リビングからは灯りが零れ、バラエティー番組か何かの盛大な笑い声が響いてきた。


 小さな溜息を吐きつつ、瑠璃子は靴を脱いで階段に向かう。しかしそこでリビングから声が上がり、瑠璃子は無意識に眉間に皺を寄せながら足を止めた。


「ルリちゃん、最近、帰り遅いんじゃない? 何してるの?」


 開け放たれた扉から軽く顔を覗かせると、ソファーに寝っ転がっている母親の背中が目に入った。


「何で? 別にいいじゃん」


「最近、学校終わってから、ずっと教室でゲームしてるでしょう。ORDERSって、拳銃撃ったりするゲームなんでしょう? 駄目よそんな、怖いゲーム」


 瑠璃子は思わず、口を開け放っていた。


「なんでそんなの、知ってるの!」


「ルリちゃん、足を怪我してクラブ辞めたのに。帰りが遅いから心配してたの。聞いても教えてくれないでしょ? だからCELLの【見守りサービス】に登録してたの」


「見守り? 何それ」


「ママ、ルリちゃんが変な遊びに手を出してるんじゃないかって。心配だったの」


「だから、見守りって。何?」


「ルリちゃんのCELLの位置とか、何をしてるかとか、ママが見れるようになってるの」


 何だって?


 瑠璃子は咄嗟に、自分の白磁色のCELLを取り出す。


 これで何をやってるか、全部筒抜けだって?


 どうして、そんなことが?


「え! 何それ! 冗談じゃないって!」


「駄目よ。パパと相談して決めたの。ルリちゃん、怪我してから不安定なの。学校の成績も落ちてるでしょう? だから――」


「だから? 私を監視して、どうしようってのよ!」


 僅かな沈黙の後、彼女は相変わらずこちらに背を向けたまま、云った。


「――ゲームは駄目よ。中毒になるって問題になってるでしょう? 禁止しておいたから」


「え? 何? どうしてそんな勝手に――」


「塾の申し込みをしておいたから、来週から行きなさい? その方が自分のために――」


 自分のため?


 監視して、自分の思い通りに動かすことが、娘のため?


 じゃあどうして、そんな背中を向けたままなんだ?


「厭!」


 瑠璃子は叫んで、踵を返して階段を駆け上がる。そして自分の部屋に飛び込んだが、まるで頭が混乱していて、何が何だかさっぱりわからなかった。


 CELLが、監視されてる?


 ORDERSを禁止した?


 ベッドに飛び乗り、制服のポケットからCELLを取り出す。画面を幾つかタッチし、メニューを辿り、何か変わった所がないか探ろうとする。けれども普通に電話はかけられるようだし、ORDERSも起動できそうでもある。


 だが実際にORDERSのアイコンを叩いてみると、まるで見慣れないメッセージが表示された。


【契約者の制限により、このアプリケーションは起動できません】


 契約者の、制限?


 やっぱり、勝手にロックが掛けられてる?


 冗談じゃない。


 冗談じゃない!


 両親は何もわかってない。足を怪我してソフトボール部を辞めてしまってから、このゲーム、そしてこのゲームを通じての羽場や美也子とのコミュニケーションこそが、瑠璃子の唯一の救いだったのだ。


 それを、勝手に、こんな――


 何か、上手いことやって、ロックを外すことは出来ないだろうか。


 そう思ってネットで調べようと思ったが、あの調子ではパソコンにも何か手を加えられてるとしか思えない。そう電源を入れる間際に思い留まって、途端に、身動きが取れなくなる。


 そして身の内に蘇ってきたのは――怪我で運動が辛くなってしまってからの一ヶ月ほどの間に感じ続けていた、瑠璃子を燃やし尽くそうとするかのような――黒々とした感触だった。


 何もかもが、思い通りにならない。


 ある日のクラブ活動の時、何時もと同じようにランニングしていると、何だか膝に良くわからない違和感があった。


 まぁ何か良くわからないが、関節に何かが挟まってるだけだろう、と、気にせずにピッチング練習を始める。しかし左足を踏み込んだ瞬間に膝に激痛が走り、まるで立ち上がることすら出来なくなった。


 痛みは少し休むと退いてきたが、動かそうとすると例のひっかかる感触に痛みが伴うようになっていて、普通に歩くことすら出来ない。


 病院の診断では、膝を滑らかに動かすための腱が痛んでいるとのことだった。それは手術や何かで治療も可能だが、それは入院も必要になるし、別にプロを目指したりしているのでなければ――日常生活に支障はなくなるから、そのまま誤魔化していく方が良いということだった。


 入院、か。


 それは瑠璃子も厭だったが、それ以上に両親が大反対した。今の時期に一ヶ月も入院すれば勉強の取り返しが難しくなる、というのが主な理由だった。


 実際、半月もクラブを休むと、痛みは殆ど感じなくなってきていた。


 なんだ、たいしたこと、ないじゃん。


 瑠璃子は楽観視してクラブを再開したが、膝には想像以上の異変が起きていた。


 そう、それほど痛みは、ない。


 けれども、まるで膝が、踏ん張れなくなっているのだ。


 最初は単に休んで筋肉が鈍っているだけだろうと思っていたが、実際にピッチングしようとして、左足を踏み出すと――曲げた状態でグラウンドを踏みしめ、最後の力を込めようとする瞬間で、カクン、と勝手に膝が力を失ってしまう。


 奇妙な感覚だった。


 こっちは力を入れている。膝も堪えられると云っている。


 なのに、ある角度以上に曲げると――まるで膝の角度を保っていられない。フォームは高くなり、狙いも定まらず、速度も出ない。


 それは遊び程度のクラブではあったが、それでもエースを務められるような投球にはならず、心配するチームメンバーには、駄目だねこれは、と笑いながら誤魔化す。


 けれども瑠璃子は、この根性なしの左膝を――切り捨ててしまいたいほど、苛立ちが溜まっていた。


 どうして、思い通りに動かない?


 どうして勝手に、力を失う?


 どうやらそれは、膝の腱が伸びてしまった状態らしく、こちらも大規模な手術を行わなければ、どうにもならないとのことだった。


 そして瑠璃子は、自分が酷く負けず嫌いな性格だったことに気付いていた。


 今まではそれほど苦もなくエースを務められていたから、感じたことはなかったが――まるで思い通りのプレイが出来なくなってしまって、急激にやる気が失せてしまっていた。最初は配置換えで外野をやってみたりもしたが、とても暇だし、遠投する力も失ってしまっている。


 面白くない。


 面白くないし、イライラする。


 努力でどうにかなるのならば、まだいい。けれどもこの状態は、医者のお墨付きのある【頑張っても無駄】な状態なのだった。


 放課後にクラブに出かける同級生たちを眺めつつ、鞄に道具を仕舞うのは――何か酷く、空虚な感覚に包まれる。


 何にも、することない。


 そんな時に話しかけてきたのは、クラスでも変人として知られる羽場だった。


「ねぇねぇ、元気ハツラツが売りのルリちゃんがさ、最近全然元気ないんじゃないの? なんか笑い声のハイトーンがさ、三音くらい低いんだよね、前と比べて」


 まさか見抜かれるとは思っていなかった。実際怪我は全員に知れ渡ってしまっていたが、瑠璃子は同情されるのが厭で空元気を奮発していたのだ。


「えー、何それ! 全然変わらないって!」


「――ま、いいけどさ。それより、今って放課後って帰宅部でしょ? じゃあさ、ボクのパーティー・ポッパーズに入らない?」


「パーティー・ポッパーズ? 何それ」


「ゲームのチーム。今はORDERSってゲームやってんだけどさ。ルリちゃんならいい線行くと思うよ?」


「え? 何その上から目線。羽場ちゃん、私の反射神経に勝てると思ってるの?」


 この時も無理に空元気で応じたが、羽場はそれを知ってか知らずか、何だか微妙な笑みを浮かべながら両手を揉みしだいだ。


「はっはぁ。甘いんだな。ゲームってのは反射神経と同じくらい頭が重要なんだ。その点、ボクはルリちゃんにだって負けない」


 最初は暇つぶしの気分転換くらいな気持ちだったが、これが、ハマった。今じゃ羽場が心配して諫める程にハマってしまった。


 ゲームにも色々ある。将棋や、オセロや、トランプや。けれどもそうしたじっくりと考えるタイプのゲームは、すぐにイライラして投げ出してしまう。


 けれどもコンピュータ・ゲームの類は、一瞬でも気が抜けない。銃弾は四方八方から飛んでくるし、敵の位置はレーダーで確認しなければならないし、仲間がどちらに進んでいて、どれくらいの数の敵と戦っているのかを瞬時に判断しなければならない。どの進路をとれば敵の背後に回り込めて一掃できるか、どのポイントに空爆要請を行えば敵の足を止められるか。


 考えることは膨大にあるが、一方で決断までの時間は、それこそ瞬き一つの瞬間しかない。


 これは、いい。


 おかげで胸の内に溜まっていたイガイガも、随分少なくなってきたように思える。同級生の下らない話にも空元気ではなく、心から笑えるようになってきた。


 なってきた、のに。


「酷いと思わない? あり得ないと思わない?」


 翌日の昼休み。瑠璃子は白磁色のCELLを片手に羽場の席に乗り込み、一通りの状況を説明する。


「ホント、信じられない! もうあの両親ってば、ホント――」


「ルリちゃんのお父さんとお母さんって、学校の先生だったよね? 確か」


 相変わらずニコニコと微笑みつつフワフワと云う美也子に、瑠璃子は口を尖らせてみせる。


「古いの。考え方が。ゲーム禁止とか。馬鹿みたい!」


「何でもいいけどさ、そうやってボクのご飯に唾を飛ばすのは止してくんないかな。そりゃあボクと間接キッスしたいってんなら別に構わないけど――」


 こちらも相変わらず与太話を振ってくる羽場の鼻を、人差し指で跳ね飛ばそうとしてみる。


「羽場ちゃんも、古いって点では近いかも。オッサン臭い!」


「いいんだボクはオッサンで。最近はオッサンの方がモテるらしいよ? 安定感が抜群だからって」


「羽場ちゃんの何処が安定してるの!」叫びつつ、不満そうにパンを囓る彼にCELLを突き出す。「ねぇ羽場ちゃん、その【見守りサービス】とかいうの、解除する方法知らない? これじゃあ二人と電話も出来ないし、ORDERSだって――」


「別にボクは、ルリちゃんと話してるのをご両親に知られてもいいけど。するとさ、ホラ、次のステップが色々と楽になるじゃない?」


「あぁ、それって私が羽場ちゃんをグチャグチャにした時の言い訳ってこと?」


「あっは、そりゃいい。聞いた美也ちゃん。少なくとも美也ちゃんはボクに暴力振るったりしないよね?」


「それは、時と場合によるかも」


 微笑みながら云った美也に、更に何かを重ねようとする羽場。


 まったく、彼と話してると、すぐこうだ。どんどん話が別の方向に逸れて行ってしまう。


「あぁ、もう、そんなのはいいから! 羽場ちゃん、解除方法、知ってるの、知らないの?」


「知ってるよ」


 事も無げに云う羽場。瑠璃子はすぐさま、勢い込んで身を乗り出させた。


「ホント?」


「【見守りサービス】は、主契約者に設定する権利が与えられる。CELLの通信費って、ルリちゃんのパパやママが出してるんじゃない?」


「あ! なるほど、じゃあ私がバイトして自分で契約すれば――」


「残念、それは無理。未成年の場合は契約に保護者の同意が必要で、その場合でも保護者には【見守りサービス】を設定する権利が与えられる」


「何それ! 全然解決になってないじゃない!」


 思わず叫んだ瑠璃子に、羽場は今更耳を塞ぎながら呟いた。彼はいつもそうやって、瑠璃子の高音の叫び声をネタにする。


「しょうがないじゃん、ボクらは未成年なんだから。解決方法ってのは、あと四年も我慢すればって話で――」


「厭だ。四年も待てない」あっ、そうだ、と瑠璃子は名案を思い付いて、パチンと手を叩く。「そうだ、こうしよう? 羽場ちゃんがもう一回線契約する。そのお金は私が出す。別に羽場ちゃんなら、ご両親も別に一回線増えようが何しようが――」


「ウチの両親がどんなんだと思ってるのさ」


「だって、羽場ちゃんのご両親でしょう? それはフリーダムに決まって――」


「だいたいバイトって。今の状態じゃ、とてもルリちゃんのご両親は許すと思えないけど。どうなの? その辺」


 確かに、そうかもしれない。


 口を尖らせて黙り込む瑠璃子に、例によって美也子が穏やかな声を掛けてくる。


「その。ご両親と、ちゃんとお話ししないと。駄目なんじゃないかな?」


「無理。あの人たち、私をペットか何かだとしか思ってない」


「そんなこと――」


「それより、美也ちゃんの所は? CELLの回線、私に譲ってくれないかな?」


「それは――難しい、かな。ちょっと説明が――」


 云ってみただけだ。瑠璃子だって最初から、友だちにそんな面倒を掛けさせるつもりなんて、毛頭ない。


「あーもう、どうしよう。せっかく熊装備集めっていう目標もあったのに。何も出来なくなっちゃった」


 思わず机の上に蹲ってしまう。


 ホントにもう、どうしたらいいんだろう。


 そう、別にCELLに限った話じゃない。


 昔から両親は、瑠璃子を自分たちの意思に従わせようとし続けた。別に今まではそれほど疑問には思っていなかったし、従うことで自分が曲げられているような感覚もなかった。云われるままだが、この学校に入って良かったと思っているし、ソフトボールも楽しかった。


 でも、このまま行ったら――私は、彼らが死ぬまで、延々と監視され続けることになるんじゃないだろうか? 今は望むべき相手もいないが、このまま彼氏が出来たとしても、寄り道して帰るようなことも出来ない。ちょっと気晴らしに美也子たちとカラオケに行ってもばれてしまうし、今後一切、ゲームも出来なくなる。


 そんなの、厭だ。


 厭だけれども――解決方法が、まるで、思い浮かばない。


「そんなん、カスタムOS入れれば一発じゃん」


 ふと、場になかった声が投げかけられ、咄嗟に瑠璃子は顔を上げる。すると羽場の背後には、例の歪んだ笑みを浮かべている清水が立っていた。


「止せよ清水、そういうの!」


 厭そうに、鋭く咎めた羽場に、清水は苦笑しながら腕を組む。


「大丈夫だって。別に違法でも何でもないし」


「そうなの? っていうか、何そのカスタム何とかって」


 彼への嫌悪感も忘れて尋ねた瑠璃子に、すぐさま羽場が身を乗り出した。


「何だか知らないけど、ヤバイ話だよ。止めときなって」


「何だよ羽場、オマエ、カスタムOSの入れ方も知らないの?」


 嘲る清水と、それに反論しようと振り向く羽場。しかし彼が言葉を発する前に、瑠璃子は清水に重ねて尋ねる。


「だから、カスタムOSって何? それで【見守りサービス】解除出来るの?」


「出来るよ。っていうか、CELLにかかってる色々な制限を解除出来る」


「違法コピーだとか、そんな話だよ! やめときなって!」


 口を挟む羽場を、瑠璃子は鋭く押し留めた。


「そんなのはどうでもいいの! 私は【見守りサービス】さえ解除出来ればいいの!」


 怯えたような、困惑したような。


 そんな表情で押し黙る羽場から、瑠璃子は清水に視線を戻した。


「それで、どうするの? そのカスタムOSって、何?」


 清水は傍らから椅子を引っ張ってきて、三人の座の中に加わった。


「ハッカーたちが作った、CELL用のOS」


 何かコンピュータ関連では頻繁に聞く用語だが、イマイチそれが何なのか、瑠璃子にはわかっていなかった。


「OS――」


 そう漠然と呟いた瑠璃子に、清水は例のにやけ面で身を乗り出させる。


「CELLっつっても、いろんなタイプがあるけど。全部eXectorのOSが乗っかってる。パソコンだってそうだろ? クォンタムOSやHMV使ってる信者もいるけど、大体はeXectorOS。それでカスタムOSっていうのは、ハッカーたちがCELLに乗ってるeXectorOSをカスタマイズしたヤツ」


「へぇ」どうにも、良くわからない。「それで、それを載せると、何が出来るの?」


「【見守りサービス】とか、著作権保護とかを無効に出来る」


「なんでそんなこと出来るの?」


「なんで?」ふと、ワケがわからないというように問い返す清水。「だからハッカーたちが穴を突いて、そういう機能を全部無効にしてんだって」


「だから、どうやって?」


「だからOSにしろ何にしろ、穴はあんだよ。それを突けば、大体の制限は無効に出来る」


「穴って、何?」


「セキュリティー・ホールつって――」更に問いを重ねようとする瑠璃子に、清水は苛立ったように腰を上げた。「本気で知りたいなら教えてやるけどよ、すげぇ時間かかるぜ? オレだってここまで来るのに、結構時間かかったんだから。そのCELL貸せよ。カスタムOS入れて、明日には返してやるから」


 だからその、カスタムOSってのは何なんだ?


 どうにも、信用出来なかった。それは【見守りサービス】なんて絶対に我慢出来ないし、一刻も早く解除して、ORDERSを再開したい。


 けれども、その得体の知れない何かを自分のCELLに入れさせるのは――何か、気に入らない。


「なんか、厭」


 言い放った瑠璃子に、清水は呆れたように溜息を吐く。


「なんかって何だよ」


「そんな、ワケわかんないの。私のCELLに入れたくない」


「あっそ!」投げ捨てるように云って、清水は踵を返した。「じゃあずっと両親に監視されてりゃいいわ!」


 そんなの、厭に決まってる。


 決まってるが、清水のことも――全然、信用出来ない。


 背を向けて去っていく清水を眺め、ふと、羽場は酷く困惑したような声を上げた。


「ルリちゃんは正しいよ。そんなワケのわかんないの入れちゃ、絶対駄目だって」


 じゃあ、私はどうしろっての?


 地獄の底に落ちてしまった瑠璃子。その頭上に伸びてきたのは、得体の知れない緑色の手だ。


 掴むべきか? 掴まざるべきか?


 瑠璃子にはまるで、わからなかった。

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