平澤瑠璃子はスーパーハッカーの夢を見るか?

吉田エン

第1話

「それじゃあ、ボクらの未来の話をしようか」


 突如として口を開いた羽場順平に、瑠璃子は思わず首を突き出していた。この場の主催者は瑠璃子だというのに、他愛もない雑談の隙に、こうしてポンと言葉を挟み、会話を大転換させる才能だけは、羽場は酷く優れている。


 いや、才能なんて大げさなもんじゃないか。


 それは共に足を進める山岸美也子の困惑した笑みと、清水良介の鼻笑いで裏付けられる。


 そう、羽場は何と云うか――頭の回転が早いのは確かだが、回転が斜めになっているのだ。


「未来って云っても、別にそう遠い話じゃない。だいたいにしてボクらはまだ高校二年だ。未来ってもの凄い可能性に満ちあふれてる気がするし、今から頑張ればセガールみたいなアクション・ヒーローになれる可能性だってある。だからボクらが未来を語ったからって、それって自分たちの枠を狭めるだけのことになるんだ。だから今話すのは、極近い話だけにしよう。その方がボクらの可能性を失わずに済むし、未来を思い悩んで眠れなくなるようなこともない。だろう?」そして彼は首からぶら下げている小ぶりなP90サブマシンガンを構え直し、瑠璃子に顔を向ける。「それでボクらは、何処に向かってるの?」


 前置きは長すぎるが、いい質問だ。非常にいい。


 瑠璃子は心の中で呟きながら、M60ライトマシンガンを降ろし、すっ、と人差し指を天に向ける。


 途端に鳴り響いた、小さな電子音。それに続いて四人のヘッドセットには、聞き慣れた中隊司令官の声が響いてきた。


【新しい命令だ。我々に包囲された敵側は起死回生のため、新たな通信設備を整え援軍を呼ぶつもりだ。これが完成したならば、我々は敵の空爆によって一掃されてしまうだろう。大至急、敵の通信設備を破壊せよ!】


「って、ワケ」


 再び瑠璃子は目の前の鬱蒼としたジャングルに意識を戻し、銃を構え、そろり、そろりと足を進めていく。これだけ視界が悪いと、いつ、何処から敵が襲いかかってくるとも限らない。しかし辺りでは様々な動物がキーキー、ギャーギャーと奇声を発しており、時には瑠璃子たち四人の脇を猿が駆け抜けていき、まるで索敵どころの話ではない。だから瑠璃子の用心は行き過ぎといえば行き過ぎで、後ろを付いてくる三人は危機感の欠片もなく、藪を掻き分けながらも雑談を続けていた。


「へぇ、そういう作戦なんだ」ゴテゴテとした防護マスクの下で満面の笑みを浮かべながら、首を傾げる美也子。「それにしても司令官、相変わらず素敵な声ねぇ。なんて声優さんなのかな?」


「残念、美也ちゃん、これって女の声優だよ?」


 応じる羽場に、美也子は大きく目を見開いた。


「ホントに? へぇ、凄いなぁ声優さんって」


「単なるウソ吐きだよ。ボクなんかは根が純粋なもんだから、とても他人を装うなんて事は無理なんだよね?」


「それより、ルリさ」そう声を上げたのは、戦力としては比較的期待できる清水良介。彼は胸に抱えていたSCAR-Lアサルトライフルを降ろし、ため息交じりに尋ねた。「相手は誰よ。オレら二人で倒せんのか?」


「聞いた美也ちゃん、ボクと美也ちゃんは戦力外だって。失礼な話だよね。帰ろっか?」


 渋い顔で囁く羽場に、困惑したような笑みを浮かべる美也子。


「まぁ、私たち、基本戦力外だし」


「んなことないって!」いい加減に我慢がならなくなり、瑠璃子は足を止めて三人を振り返っていた。「工兵の羽場ちゃんがいないと、敵の基地に爆弾付けらんないじゃん! それに重傷になったら衛生兵の美也ちゃんじゃないと回復してもらえないし――」


「いいから。相手、誰よ」


 まるで空気を読まず――あるいは無視してるだけなのかもしれないが――ぶっきらぼうに言い放つ清水。


 クソッ、いくら戦力になるからって、こんなヤツに声なんてかけなきゃよかった。


 そう若干後悔しながらも、瑠璃子は仕方がなく答えた。


「デシネ」


「デシネ? デシネって、バンド・デシネのこと?」途端に奇声を上げて、身を引く羽場。「ちょっと止してよデシネなんて。あんな連中、ボクは関わりたくないよ!」


「なんで! 【あんな連中】だからでしょ! 誰かが連中をぶっ叩かないと、調子に乗る一方じゃん!」


「そりゃあデシネの連中はもの凄い頭に来るけどさ。連中は上手いよ。確かにね。そりゃあルリちゃんはトッププレイヤーの一人かもしれないけどさ、このゲームは一人が上手くてもしょうがない。とてもボクらのチームが敵う相手じゃないって」


「何でそういうこと云うの! 諦めたら終わりじゃん!」


「そりゃあ、ルリちゃんの不屈の闘志っていうか、前向きな精神はボクも見習いたいと常々思ってるよ? でもさ、ヒトには向き不向きってもんがあるじゃない?」


「無限の可能性があるって云ったじゃん!」


「でも時間は有限だからね」


 屁理屈だけは相変わらずだ。


「あぁ、もう! とにかくやろうよ! ね?」


 最後には瑠璃子は理屈をかなぐり捨て、完全に没入していた小さな画面の向こうの世界から現実世界に立ち戻り、机の向こうに並んだ三つの顔に目を向ける。


 教室の窓から差し込む夕日に、彼らの制服姿は一様にオレンジ色に染まっていた。


 常に意味不明なことを口にして場を惑わす羽場順平は、制服の胸をはだけ、中から英語がプリントされた真っ赤なTシャツを覗かせている。彼の担当は工兵。様々な機械や爆弾を扱うのを専門とした兵種だったが、この補助的な役割は彼に向いているのかも知れない。とにかく頭の回転が速くて素早く状況を読んだ特殊装備を仕立て上げてくれるが、一方で彼の場合は、この臆病な性格が最大のネックだ。いざ戦闘となるとパニックに陥り、悲鳴を上げ、逃げ回り、とにかく、あっさりと死ぬ。


 清水良介は、羽場のような臆病な男子ではなかった。ある程度しっかりと状況を読み、銃撃し、手榴弾を投げ、素早く突撃を行う。けれども彼は羽場以上に性格に問題を抱えていて、どうにも瑠璃子は彼の口から発せられる――何と云うのだろう、傲慢というか、高飛車というか――とにかくそうした【自分は凄いんだ】というオーラが我慢ならない時があった。


 そして、瑠璃子の最大の親友である山岸美也子。ゲーム好きな女子、というだけで非常に貴重な存在だったが、加えて彼女はおっとりとしたしゃべり口とは裏腹に不思議な芯の強さがあって、銃弾が飛び交う戦場に躊躇なく突撃し、倒れた仲間を回復させ、代わりに自分が銃弾に倒れたりする。それが本来の衛生兵の仕事なのだろうが、どんな理由であれ敵に殺されると頭にくる瑠璃子には、とても出来そうもない仕事だった。


 そんな彼らの曖昧な表情に、瑠璃子はひたすら懇願の瞳を向ける。


 たかがゲーム如きにマジになって、と思われるのも癪だったが――瑠璃子はとにかく、本当に、バンド・デシネの連中だけは許せなくなっていた。


 瑠璃子の手の内にぴったりと収まる、ディスプレイとキーボードを備えた白磁色の機械。今では誰でも一台は必ず携えているCELLと呼ばれる万能端末は、日常生活に必要な機能は一通り備えていた。電話をし、メールを読み書きし、スケジュールを確認し、辞書を引く。一方で日常生活には不要な機能も沢山備えていて、その中には当然、暇な高校生には欠かせないゲームの機能も含まれていた。


 その中でも人気なタイトルの一つ、ORDERS。数人でチームを組んで戦場に降り立ち、ネットワークの向こう側にいるプレイヤーたちと戦うという、元々非常に殺伐とした戦争ゲームだったが――ここのところのORDERSは、別の意味で殺伐としつつある。


 バンド・デシネというゲームチーム。


 ネットでORDERSの愛好者が集まる所では、彼らに向けた不平不満で溢れかえっている。


 とにかく、ゲーマーとしてのマナーがなってない。何かっていうと罵声ばかり浴びせてきて、勝てば相手に侮辱的な言葉を投げかけ、負ければ負けたで酷く粘着し、死ねとかなんとかそんなメッセージを延々と送りつけてくる。そんな具合に彼らは自分たちさえ楽しければいいというプレイに終始していて、完全にORDERSの世界に悪い空気をもたらしていた


 だが、それでいて、上手い。


 上手いから手に負えない。


 そこで瑠璃子は幾つかのチームに声をかけて、彼らを徹底的にやっつけようという計画を立てたが、上手いプレイヤーというのは逆に、返り討ちにあって名声が失墜するのを怖れていたりする。結果としてその殆どが、知らない振りを決め込んでしまっていた。


 まったく、情けない連中だ。


 そう憤慨しつつ、瑠璃子は思った。


 とにかく、自分が先陣を切って戦争を仕掛ける。これでも瑠璃子は、ORDERSの月間ランキングに必ず名前が出るくらいの腕前はある。最初は負けてもいい。けれども諦めずに挑戦を続ければ、賛同して戦線に加わってくれるプレイヤーも出てくるのでは――


「さっき私、ゲームロビーで調べたの。今なら連中の何人かが、その通信設備で待ち構えてるって。でも最近はみんなデシネを避けてるから、暇してボーッとしてるはずよ? 攻めるなら今よ?」


 教室に並べた机の向こうで、渋い表情を浮かべている三人に身を乗り出す瑠璃子。


 そしてこうした時に無難な解決策を提案するのは、美也子の得意とする所だった。彼女は羽場と清水という二人の男子の表情を窺ってから、困惑しつつ、それでも笑みを絶やさず、眉間に皺を寄せながら軽く首を傾げた。


「えっと。それなら材料集めしない?」云って、机に肘を突き、ふと夢見るように瞳を細める。「私、あと【血糊】五個と【プラスチック】十個で、ホッケーマスクが作れるの」


「あの、ジェイソンみたいな血まみれのヤツ?」


 気味悪そうに云った羽場に、彼女はぽってりとした瞼の下の目を、更に細める。


「そう。あれとカウボーイ・チュニックってもの凄い合うと思わない? 血の赤とチュニックの緑って、意外と相性がいいんじゃないかって――」


「それより別のゲームしようぜ。ORDERSはもう飽きたわ」清水は云いながら、幾つか記憶スティックを取り出す。「ほら、新しく手に入れたヤツが一杯あるし。TPSでもいいし、FPSでもいいし――」


 ずらりと並んだ、十本近い記憶スティック。


 やっぱり、コイツは誘わない方が良かったかな、と思いながら、瑠璃子は渋い表情でそれを眺める。清水は同級生の中でもパソコンの知識が随一だったし、ゲームも上手い部類に入る。しかしそれが高じてハッカー紛いの方面にまで手を出していて、とても彼がこんなに沢山最新ゲームを買えるはずもなく――全て違法コピーした物に違いない。


「清水クン、そういうの、止した方がいいよ?」


 困惑の笑みを浮かべながら諫めた美也子にも、半笑いしながら応じる。


「大丈夫だって! 最新のプロテクトも突破出来てるし、オレ、絶対誰にもバレない方法知ってるから」


 そういう問題じゃない。


 殊更に清水の提案を無視し、瑠璃子はとにかく気合いで三人に迫った。


「もう、そんなのはどうでもいいから! 私らがやらなかったら、どうすんの! 連中、ずっと好き勝手やらかしといていいワケ?」


 どうやらその説得は、多少効いてきたらしい。仕方がなさそうにしながらも三人はCELLに目を戻し、両手で持ち、ORDERSの世界に入り込んでいく。


「やった! やっぱ持つべき物は友だちよね!」


 嬉々としながら云った瑠璃子に、羽場は大きく溜息を吐く。


「一回だけだよ? ボクのグラスハートが粉々になるのは、一回で十分だ」


「いいからいいから! とにかく一回、やってみようよ!」


 再びジャングルの中に降り立った四人は、今度は黙々と、各自の仕事に専念する。とにかく突撃重視の瑠璃子が先頭に立ち、不意の襲撃に備える。そして羽場が素早く索敵ロボットを仕立て上げて宙に放つと、まもなく半径百メートルほどの範囲で発せられる音を探知し、レーダーに赤い点が表示された。


「――とりあえず、動物類しかいなそうだ」大きく息を吐き、工兵特有のヘッド・マウント・ディスプレイを跳ね上げる羽場。「けど、デシネかぁ。アイツら、一体全部で何人いるんだろね? いつ来ても十人くらいは必ずいる。暇人? ニート? ルリちゃんも気をつけないと、あぁなったら終わりだよ?」


 瑠璃子の隣で藪を掻き分けつつ、清水は鼻で笑う。


「知らないのかよ、羽場。連中の本業はハッカーで。暇つぶしにゲームしてるんだよ」


「ハッカー?」


 ふと怪訝そうに尋ねた美也子にも、例の気持ち悪い笑みだ。


「アングラじゃ結構有名だよ。関わったらヤバイ連中。あんまり深入りすると、あっという間に個人情報を盗まれて。あることないことネットにばらまかれて、人生終わりになる。オレも何人か犠牲者を知ってるけど、みんな頭が変になっちゃってるって」怖そうに口を噤んだ美也子に、彼はニヤリと笑ってみせる。「大丈夫。ORDERSで対戦するくらいなら、個人情報盗まれる心配はないし。オレ、その辺は心得てるから心配しないで」


「そういえばネットで、【ジャンプ】ってハッカーが凄い、って聞いたんだけど。なんか、【いい】ハッカーなの? その人もデシネの人?」


「あぁ。ジャンプね」何故だか、歯切れ悪く。「彼は一匹狼だね。確かに凄いハッカーだけど、デシネの組織力には負けるよ。他にはドラゴン・マスターとか有名なのは何人かいるけど。やっぱ一番はデシネじゃない? 最近じゃ」


「へぇ、ハッカーの世界にも色々あるんだね」


「色々あるよ。下手に入り込むとヤバイから、興味本位で調べたりしない方がいいぜ? まぁどうしても美也が興味あるなら、オレなら危なくない方法で調べられるから。云って」


 そりゃまぁ、大層なこって。


 瑠璃子は最早彼と口をきく気にもなれず、銃を正面に構え、無言のまま足を進める。


 熱帯植物に覆われ、視界のまるで効かないマップ。間もなく羽場の放ったロボットのセンサーは、五十メートルほど先に僅かな空き地があり、何かしらの設備があることを知らせてくる。


「これ以上、近づくとヤバイよ? 敵もレーダー使ってたら、そろそろ探査範囲に入っちゃう」


 囁く羽場に、瑠璃子は頷いた。


「いい? きっと連中、全然守り固めてないはずだから、私と清水クンが速攻で突撃して、相手が混乱している間に羽場ちゃんが爆弾を設置。いい?」


「そんなんで上手く行くか?」


 という清水の台詞は、瑠璃子の耳を素通りしていく。一方で羽場は装備の中からC4プラスチック爆弾を取り出し、いつでも取り付けられるように信管の準備を始めていた。


「しかしゲームだからってのはわかるけどさ、なんで爆破するのに必ず三十秒待たなきゃならないワケ? スイッチ一押しでドッカーン、でいいじゃない」


「まぁ、爆弾外すチャンスくらいあげないと。守り側が凄い不利になっちゃうからね」


 云いながら、拳銃型の緊急蘇生キットを構える美也子。


「じゃあ、行くよ?」


 囁いた瑠璃子に、不承不承、頷く三人。


 そして瑠璃子は指を三本立て、一本一本、減らしていった。


 三、二、一――


「ゴー! 行け行け突っ込め!」


 景気よく叫びながらジャングルを駆け抜けていく。脇には清水がいて、後ろからは美也子と羽場がついてくる。間もなくジャングルは開け、ウネウネとした樹木が切り開かれた一角に、敵の通信拠点が現れる。


 予想通り、敵は突如現れた一団への対応が全く出来ていなかった。小さなコンテナほどの施設の前では、辛うじて事前に察知したであろう一人の工兵が、必死に自動迎撃ロボットを設置している所だったが――案の定、他のメンバーは暇に飽きて遠出しているのか、今のところその姿は、周囲には見あたらない。


「チャンス! 守り薄いし! 突っ込め!」


 ライトマシンガンを構えながら、瑠璃子は藪から飛び出る。そして慌てて迎撃装置設置を諦め、G36アサルトライフルを構えようとする工兵に向け、力一杯にトリガーを引いた。


「おらおらおらおら! 死ね死ね死にさらせ!」


 甲高い音を発しながら、銃口から発射される鋼鉄の銃弾。


 ライトマシンガンは射撃精度が低い。だから敵の弱点である頭を狙うことはほぼ不可能だったが、それを補って余りある連射性能と装弾数を誇る。瞬く間に残弾は減り、薬莢がバラバラと飛んでいく。工兵は応戦を諦めて逃げようとしていたが、次々と弾丸は彼の身体中に突き刺さり、最後には背を向けたまま、前のめりに倒れた。


「やった! クリア! 羽場ちゃん爆弾――」


 これは、速攻で勝負を決められるかも。


 その期待から瑠璃子は叫んでいたが、まるでその声に応じるように、CELLを操っていた羽場の口からは、急に気の抜けた叫びが発せられた。


「おわっ? ナイフ?」


「キャッ!」


 続けて発せられる、美也子の可愛い悲鳴。


 一体、何事だ?


 瞬く間に、美也子と羽場がナイフで殺されたというメッセージが画面に表示される。すると脇に立っていた清水が、例の薄ら笑いを浮かべながらCELLを机に投げ捨てていた。


「空城計だ」


「えっ?」


 問い返した時、羽場や美也子が潜んでいたはずの藪の中から、幾つもの火線が伸びてきた。


「え、えぇっ! ちょっと待って! 待って待って!」


 叫びながら、慌てて身を翻して施設の影に逃げる。一方の清水はあっさり仕留められていて、画面には生き残ってるのは瑠璃子だけだという表示が示された。


「諸葛亮って知ってる? 三国志の。わざと城を空にして、相手を誘き寄せるっていう――さすがデシネだわ。きっとこっちのセンサーに察知されないよう、ずっとジャングルで身動きしないで待ち受けてたんだろ」


 知るか馬鹿!


 心の中で叫びながら銃に弾丸を補充し、手にした応急キットでダメージを回復させる。


 そうして何とか体勢を整えたが、再びジャングルは静まりかえり、まるで敵の気配が失われていた。


「あぁ、もう、何処!」


 そう瑠璃子は必死に左右を見渡していたが、不意に頭上から、何だか機械に合成されたような、奇妙な声が響いてきた。


 デシネの連中が揃って使う、音声変換器の声。


「こっちだよーん」


 えっ?


 思わず視線を上に向けると、まるで実用性皆無な熊の着ぐるみが、瑠璃子を見下ろしていた。


 キラキラと煌めく、真っ黒な大きな瞳。柔らかそうな毛並みに、モコモコとした丸いシルエット。


 あっ、可愛い。


 思った瞬間、一撃。


 彼のピストルから発せられた銃弾は、瑠璃子の額に突き刺さっていた。


 視界がモノクロームになり、血の鮮やかな赤が画面を覆い尽くす。


 死亡。


「ヒャッハー!」


 叫びながら施設の屋上から飛び降り、瑠璃子の死体に銃撃を浴びせ始める熊の着ぐるみ。続いて藪の中からは迷彩装備の仲間も現れ、一緒になって、身動きできない瑠璃子の死体に銃弾を浴びせ始める。


「お嬢さん声可愛いねぇ! 中学生? 高校生?」


「可愛い女の子がORDERSなんてやっちゃ駄目だよ! コイツみたいに変態になるから!」


「変態! 変態!」


 叫びながら跳ね回る熊の着ぐるみと、再び藪の中に消えて行く迷彩の二人。


 死体撃ち。死亡して身動きできない相手に延々と銃弾を浴びせ続けるのは、精神的にはレイプに近い。ORDERSでは最大の侮辱とされる行為だったが、デシネは平気で、そんなことを行ってくる。


 瑠璃子は必死に唇を噛んで怒りを堪えていたが、最早再戦を挑む気力もなくなって、CELLを机に投げ出していた。


 沈黙。


 沈黙ほど羽場にとって苦手なものはないだろう。困惑したような表情のまま髪を弄り、おずおずと声を発する。


「だから云ったじゃん。ヤツらに構うことないって」


「あ、それムカつく! 私大嫌いなんだよね、その【だから云ったじゃん】ってヤツ!」反論しかけた羽場を遮り、指先を清水に向けた。「なんですぐ諦めるの! まだ二対三なんだから勝てたかも――」


「無理に決まってるだろ。完全に後ろを取られてたし、無駄な抵抗をするほど無意味なことはないじゃん」


 何が苛つくといって、こうヘラヘラと笑いながら云われることほど、頭に来ることはない。


 もう、何なんだろう、こういう人。何か必死になるのが馬鹿みないに考えてる人って、全然信用出来ない!


 いつの間にかデシネに向かっていた怒りが清水に転嫁されていた。ハッカーだか何だか知らないが、スカしてるのが格好いいとでも思ってるのか? 必死に頑張って真面目にやろうと思わないのか?


「――可愛かったね、あの熊」


 ふと、おずおずと、笑みを浮かべながら云う美也子。


 かわい、かった?


 唐突な言葉に、思わず瑠璃子は吹き出していた。それで安堵したように彼女は肩の緊張を緩め、ニコニコと微笑みながら首を傾げる。


「何処で手に入るんだろうね、あの熊装備。探してみない?」


「なになに、美也ちゃんって熊好きなの?」調子よく云って、声をダンディーにする羽場。「熊ならボクの心の中にもいるけど、覗いてみるかい?」


「羽場クンのは、アライグマっぽいね? 可愛い感じの」


「云うねぇ美也ちゃん。そういや知ってる? アライグマって、実は食い物洗ったりしないんだ。アレって連中目が悪いもんだから、必死に水の中の獲物を探してる姿ってワケ。でもそう考えると、ボクに近いと云えなくもないかな? ボクの場合は、みんなの心の中にある愛を必死に探してるんだけれども」


「羽場クンの場合、川じゃなくて水たまりで探してそうだね」


「もう、美也ちゃんってば、いっつも可愛い顔して毒舌なんだから」


 それにしても、ムカつく。


 結局熊装備を探す旅に出かけつつ、瑠璃子はそう、考えていた。


 いや、もう清水はどうでもいい。いや、どうでも良くないか?


 なんだかデシネの連中と、清水ってのは。ヒトとしての感触が似ているような感じがする。斜に構えて、周りを馬鹿にして、ヘラヘラとしてるのが格好いいとでも思ってるかのような姿勢。


 ひょっとしたらデシネの中の連中というのは――清水のような実体を持っているのかもしれない。

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