第23話
ジャンプの捜索はCNUの独自任務だったため、彼を取り逃がしたこと自体は問題ではない。では何が問題かといえば、過去に大事件が起きた秋葉原の歩行者天国で、大立ち回りをしてしまったことだった。
「【ホコテンで大事件発生か?】だそうだ」
報告に向かった朝霞に、クルリとパソコンの画面を向けて見せる土井部長。どうやら朝霞と佐野がジャンプを追いかける姿が一般人のカメラに捉えられていたらしく、ものの数分のうちにネットにアップロードされ、今では再生回数が十万件を超えている。
「キミはネットアイドルにでもなるつもりか?」
「い、いえ、決してそんなことは――」
「今のうちにサインを書いておいてくれ。孫が喜ぶかもしれん」
相変わらずの強面でそんなことを云われると、朝霞は恐縮するしかなくなる。次いで歩行者天国の警備を担当していた警察署からも問い合わせが入り、散々平謝りし、次いで他の幾つかの関係部署だという所にも頭を下げに行く。
そしてようやくCNUのオフィスに戻ったときには、夜もかなり更けていた。人影も大分まばらになっていて、朝霞は酷く重い足腰に引っ張られるよう、ソファーに倒れ込む。
クソッ、何がどうして、こうなった?
――覚悟。
そう、覚悟が足りなかったとしか思えない。ジャンプというのはデミゴッド級のクラッカーではあるが、所詮それもネットだけのこと。素人だけに現実世界での行動力は皆無で、一度捕捉距離に近づいてしまえば、後は蛇に睨まれたカエルになってしまう。
その程度の、認識しかなかった。
しかし彼は――彼らは、警察に見咎められたと知った瞬間、躊躇なく逃亡した。そして追い詰められて捕まるだけという状況になっても、死を覚悟した逃亡を試み、成功させた。
とても、軽い気持ちでクラックをやってる連中じゃあ、ない。
だが、どうして?
どうしてネットのネズミ小僧を気取るような連中が、そうまでして真剣に犯罪に取り組む? どうして? しかも朝霞が見る限り、二人は大学生ということはあっても、社会人とは思えない。そんな人生経験の浅い連中が、どうしてそれほど会社社会を憎み、クラックを行う?
どうして?
朝霞が何重もの問いに頭を悩ましていると、ふと香しい珈琲の香りが、鼻孔を擽った。
「――あぁ。すまん」
云いながら、佐野の差し出した紙コップを受け取る。
一口啜ると、薄っぺらな苦みではあったが――僅かに疲労が和らいできた。
「で? どうでした」
「土井部長に、サインをくれと云われた」
「――懲戒処分?」
朝霞は苦笑しながら身を起こし、大きく溜息を吐いた。
「まぁいい。それで、あれから何かわかったか」
「――えぇ。残念ながら監視カメラの類は、ヤツは完璧に位置を知り尽くしていたらしい。ヤツの姿を捉えている物は一つもなかった」
「ま、クラッカーにとっては、秋葉原は庭だろうからな」そう、期待はしていなかった。「それで、ラグランジュの方は」
「中古屋の店主曰く、二人に状態を確かめさせてくれって頼まれたが、断ったらしい。それ以外のラグランジュですが、二体は破棄を確認。一体は今日以前にジャンプが接触した形跡があり、こちらはヤツの捜していた物じゃなかったらしい。それで、残り六体。所在を確認し、見張らせています」ふむ、と考え込む朝霞に、佐野は書類を差し出した。「これが実際の、ラグランジュの所在です。どうします? 一体一体、確かめて行きますか?」
「そうだな――」朝霞は思い出す。あの少年の、切羽詰まった瞳の色を。「それより。ヤツは何か云っていたよな。良く覚えていないが、我々がするべきことをしていない、っていう風な事を――」
「えぇ。もっと我々が追わなきゃならない、重大事件があるだろうと。それにこうも云ってた。自分は誰も殺したり、悲しませたりしていない――」
「一体、何の話だ」パチン、と指を鳴らす。「よし。過去のネット絡みの事件を洗うぞ。しかも結果として、殺人や自殺に結びついたような事件だ。どうもそこに、ヤツがラグランジュを狙う理由が隠されているような気がする。佐野、キミは他のメンバーに、全てのラグランジュの状態をチェックさせてくれ。加えて、所有者の身辺調査も」
「所有者の? 何故です」
「ジャンプは自らを正義だと云っていた。じゃあ、悪は?」
成る程、というように、彼は髭を撫でる。
「ラグランジュの所有者か、あるいはインフィニタスか――了解しました」
朝霞は、遅れてきた佐野と共に、システムルームで過去のネット関係の事件を洗い出す。それもジャンプが活動を開始した、二年から三年前の事件だ。
案の定、ではあったが、著作権侵害がその殆どを占める。次に多いのが誹謗中傷の類で、そこからようやくクラッカーらしい事件が現れてくる。
ウィルスの製作。それによる機密情報の流出。中には玄人のスパイによるものと思われる官庁や軍関係の機密漏洩事件などもあったが、そうしたものを除外していくと、最終的に死人が発生した事件は十件程度に絞られる。
その殆どは、機密を漏洩させてしまった責任に耐えられず、自殺を選んでしまったケースだった。
「馬鹿な話です。彼氏に知らないうちにアレな動画を撮られて、それが彼氏の所為で流出して自殺なんて。救いがたい」口ひげを撫でながら云う佐野。「しかしどれもこれも、これといってジャンプに繋がりがありそうな事件はないですね。何件かは覚えのある事件ですが。それもこれも、ジャンプじゃなくドラゴン・マスター絡みで――」
「ドラゴン?」
ふと、記憶にある単語と重なり問い返した朝霞に、佐野も一瞬硬直し、すぐさま身を起こして、ジャンプのボットネットを盗聴して得た単語リストを手に取る。
「ドラゴン・レディー。まさか、コイツは――あのドラゴン・マスターのことか?」
「何なんだ、そのドラゴン・マスターってのは」
「え? あぁ、そうかボスは当時FBIか」云って、佐野は画面に表示されていた幾つかの事件を指し示す。「ドラゴン・マスターってのは、一時期噂された玄人クラッカーです。ドラゴン・レディーとかドラゴン・キッズって名前のマルウェアを駆使することから、そう名付けられた。コンピュータ関連なら何でもありのクズなクラッカーですよ」
「例えば?」
「例えばこれですがね。とある女性のパソコンがドラゴン・マスターに狙われ、問題のあるファイルがヤツの手に渡ってしまった。ヤツはそれをネタに女性を脅迫。被害者は散々金を毟り取られた挙げ句、自殺しちまった。これは個人が相手ですがね、ヤツは企業や組織相手にも、似たような犯罪を行っていたらしい。他にもネットの懸賞に不正アクセスして景品総取りしたり、他人のアカウントを乗っ取ってゲーム上の貴重なアイテムを自分の物にしたり――見境なしです。ただ――」と、佐野は肩を竦める。「なかなか我々は犯人の手がかりを得ることが出来ず。そうこうしてるウチに、ヤツは身を潜めてしまった。ここのところ、あまり聞かない名前なんで忘れてましたが――」
ふむ、と朝霞は唸り、僅かに思案した。
「じゃあ、ジャンプは。そのドラゴン・マスターを追うためにクラッカーになった?」
「まぁ、噂が頻繁に聞かれるようになったのは二年前で、ジャンプが活動を開始した時期と前後しますが――」
「つまり、ヤツか、ヤツの親しい人間が――ドラゴン・マスターの被害者?」うぅむ、と唸る佐野に、朝霞は一本、指を立てた。「キミがジャンプなら、どうする。親しい人間がドラゴン・マスターに追い込まれ、自殺させられた。どうやって探す?」
「そうは云っても、ヤツの使うマルウェアは短時間で自壊するタイプらしくて。我々だってヤツの正体を探りようがなかったんです」
「つまりヤツを捕らえるには、活動期にあるマルウェアを発見するしかない?」
「ですね」
「見えてきたと、思わないか?」そう、見えてきた。「ジャンプは親しい人間をドラゴン・マスターに陥れられた。彼はクラッカーとなり、ドラゴン・レディーを探した。しかしそれは短時間で自壊するため、彼はひたすら、何者かに脅されそうな企業へのクラックを繰り返すしかなかった」
「成る程――」感心したように、佐野は顎髭を撫でる。「それでジャンプの行動の説明も付く。ヤツは別に、ネズミ小僧を気取って企業をクラックしてたワケじゃなかったんですね。ヤツはドラゴン・マスターに狙われそうな企業を選んで攻撃し、ドラゴン・レディーが見つからなければ、先手を打って秘密を暴露し。敵の活躍の場を潰してきた。おかげで我々は、ドラゴン・マスターが身を潜めたと思い込んだ。だが、ドラゴン・マスターは――まだ、現役で活動している?」
「細々とな。いいじゃないか、佐野。なかなかだ」次第に朝霞は楽しくなってきた。「それでヤツが、決死の覚悟で逃亡を図った理由も説明出来る。ヤツは身内か何かの敵を討ちたかった。CNUを無能だと罵り、自分しかヤツを捉えられないと信じている」
「しかし――そこにラグランジュが、どう絡んできます?」
「ジャンプは最近、ようやく活動期にあるドラゴン・レディーを発見したんじゃないだろうか。そしてその通信先を探り、ドラゴン・マスターが操るマシンに辿り着いた」
「それが――ラグランジュ?」素早く佐野は、インフィニタス社から得たラグランジュの所有者リストに目を走らせた。「じゃあ、この中に、ドラゴン・マスターがいる?」
「そう。どうやら、そうらしい」朝霞はニヤリと笑みを浮かべ、佐野の背後から、リストを眺めた。「素晴らしいクラッカー。いや、ハッカーだよ、ジャンプってのは。その技術力。その執念。その正義感――だんだん私は、彼を部下にしたくなってきたよ」
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