第20話

 さっぱりわからない。何が何だか、さっぱりだ。


 朝霞はそう、完全に混乱に陥っていた。


 数日前、朝霞はようやくG2ボットネットで用いられている暗号を解読し、それから途切れ途切れではあるが、ジャンプがボットネットで行っている通信を盗聴出来るようになっていた。


 しかし、彼が一体、何をしたいのか。まるで朝霞には理解出来なかった。


「へへぇ。メンタス。新製品。ラグランジュ。サルサパリラ。8p。シリアルナンバー、セロニアス・モンク」佐野は単語のリストを眺め、渋そうに口元を歪めていた。「これ、ホントにジャンプが行ってた通信なんですか?」


「私も自信がなくなってきたよ」


 そう、暗号の解読は完璧ではないが、ジャンプがボットネットで行っている通信を、ある程度は覗き見出来るようになっているはずだった。しかし彼の通信に現れる文字列は他愛もないものばかりで、まるで脈絡がない。


「食い物や、音楽や――これは何だろうな。ORDERS、ドラゴン・レディー」


「ORDERSってのは戦争ゲームです。結構面白いですよ? ストレス発散ぐらいの役には立つ。ドラゴンってのもきっと、何かのゲームでしょう」と、佐野は小さく唸りつつ。「この8pってのは何です」


「土井部長のお孫さんが好きなアイドル・グループらしい。八人組の男共だ」


 答えた朝霞に、佐野は更に怪訝そうに首を傾げる。


「なんでクラッカーがアイドルなんて。しかも男?」


「【オマエ、女だったのか!】が云えるチャンスだな」朝霞も機会があれば、一度云ってみたい台詞だ。「ジャンプが女? とても女がジャンプのような高度な技術を身につけられるとは思えんが――」


「男女同権の時代ですよ?」


「別に差別してるワケじゃないさ。単に環境の問題だよ。男はゲームやエロやらで、ネットの深みに填り易い」


「それにしても――ホントにボスの対ボットネット・ウィルスは。まともに動いてるんでしょうね?」


 朝霞もそれが疑問だった。もし対ボットネット・ウィルスに不具合があったのだとしたら、ジャンプとは何の関係もない通信を拾ってしまっている可能性も出てくる。


 それでここ一週間というもの、朝霞はひたすら対ボットネット・ウィルスの仕組みを再確認していたが――とても、機能不全とは思えない。


「言い訳するワケじゃないが、単にこのジャンプってクラッカーは。想像以上の変人だってだけなのかもしれん。現に幾つか、何処かを攻撃しているような様子も見られるんだが――」


「何処です」


「インフィニタス社だ。しかし――理由がまるでわからん」


 朝霞はどうにも自信がなく、インフィニタスの調査を始めていいものかどうか悩んでいた。


 インフィニタスは【乾電池から戦車まで】で有名な総合電機企業ではあったが、ここのところ別に何の不祥事も噂されていなければ、ジャンプが攻撃を仕掛ける理由になるような事件も起こしていない。


「しかし、この――」と、佐野は単語のリストを、ポンと叩く。「ラグランジュってのは、何年か前にインフィニタスが出した限定版のノート・パソコンじゃないですか? それにシリアル・ナンバーって単語も――」


 ふむ、と朝霞は唸って、数十の単語が連ねられたリストを再度眺める。


「辛うじて繋がりはありそうだが――それでどうして、ジャンプがそのノートパソコンを調べる?」


「知りません?」


 あっさりと答える佐野に、苦笑する朝霞。


「何か特別なインターフェースでもあるのかな。それとも特別なアプリケーションが駆動するとか――」


「当時としては最高スペックのノートパソコンではありますが、機能的にはこれといって特別な部分はありません。限定千台ってのもあって、中古市場では高値が付いてるらしいですが――それ以外はこれといって」


 ふむ、と朝霞は唸って、考え込む。


 それは特別モデルかもしれないが、機能的に云って、これといった特徴もないノートパソコン。


 どうしてそんなものを、ジャンプは探っている?


「彼の今までの行動からいって、ラグランジュに何か致命的な不具合があって、それを暴くために探ってるとか――」


「限定千台ですよ? 被害を被ったとしても千人だ。それに発売から、もう三年も経ってる。今更不具合って云われてもね」確かに、ノートパソコンの進化は著しい。三年前のモデルなんて、限定モデルでもなければ産業廃棄物同様の扱いだ。「それにこの、【シリアル・ナンバー】って単語。ヤツはラグランジュってパソコンそのものよりも、その所有者を探ってるんじゃないですかね」


 かも、知れない。


「まぁいい。行くぞ佐野」


 腰を上げて促す朝霞に、彼は怪訝そうに顔を上げる。


「――どちらへ?」


「ボットネットの盗聴も飽きた。少しは足を動かしてみることにしよう。ジャンプはラグランジュの所有者を捜していると仮定しよう。となると、次に当たるのは何処だ?」


「――インフィニタスの本社? いや、まさか。いくらジャンプでも、軍事企業をクラックするような真似をするとは――」


「おいおい、忘れるな? ジャンプの行動範囲はネットだけじゃない。それで前に【してやられた】だろう?」


「そうは云っても。インフィニタス本社に物理的に侵入するのなんて、ネット以上に難しいでしょう」


「誰も本社とは云わないさ。その手の情報はサービスセンターの方が抑えてるし、警備も甘い。確かインフィニタスのサービスセンターは、秋葉原に一軒あるだけだったはずだ」


 佐野に車を回させ、秋葉原方面へと向かいながら、携帯端末で調べる。確かにインフィニタスのサービスセンターは秋葉原の一軒のみで、電気街から僅かに逸れた高架の脇に位置していた。


 中に入るなり、途端にジャンプの残滓を感じる。そこは完全に修理受付に特化した窓口らしく、十畳ほどのロビーは閑散としていて、インフィニタス製品のディスプレイどころか観葉植物すら置かれていない。


 そうした空虚な空間に、受付ブースが二つだけ。しかも無人で、インターホンで呼び出す仕組みになっていた。


 早速手帳を掲げつつ、ラグランジュについて尋ねる。最初に出てきた受付嬢は慌ててバックヤードに引っ込んでしまい、代わりに現れたのは、インフィニタスの作業着を纏った、草臥れた風貌の定年間近らしい男性だった。


「それは、えぇ、この端末で製品の所有者情報は調べられますが――」そう、窓口にある古びた端末に手を置く。「えっと。その手のお話なら、ウチの総務を通して頂かないと――」


 さすが一流企業だけあって、そう簡単には手を緩めてくれない。仕方がなく朝霞と佐野は港湾部にある本社へと向かい、紹介された総務担当者に手早く事情を説明し、全面的な協力を訴える。


 散々待たされた挙げ句、ようやくサービスセンターへ戻れたのは、午後も遅くなってからの事だった。先ほどとは打って変わって卑屈な態度を見せる所長らしき男性、それと本社情報システム部から派遣された青年の監視の下に、窓口のコンソールを操作する。


「製品名はラグランジュ」


 キーを叩いて検索すると、該当件数が数万件に及んでいた。怪訝に思って振り返ると、所長は、何てことはないというように答える。


「二十年くらい前にも、あったんですよ、ラグランジュって」


「三年前の限定版は?」


「それは、型番がHRJ-PV67Uです。でもここんところ、ウチじゃあ問い合わせもないですがねぇ」


「HRJ――」


 入力すると、該当件数が九百件前後に減る。


 朝霞は唸りながら、僅かに考える。


 千件か。これを虱潰しに洗っていくとして、どれだけ時間が掛かる?


 とても確証なしに、出来た話じゃない。


 だとして、もっと絞り込む方法は――


「これって、過去の検索履歴とか。残ってますかね」


 もし、ジャンプが本当にラグランジュを探っているのなら。既にこのシステムから、所有者情報を手にしているかもしれない。


 そう勘を働かせて情報システム部のエンジニアだという青年に尋ねると、彼は無言のまま朝霞からキーボードを奪い取って、高速でキーを叩く。


 検索アプリケーションを終了させ、eXectorOSのコンソールへ。そこからリモート接続アプリケーションを起動させると、コマンドラインからバックエンドのサーバへと接続する。


「ラグランジュの所有者を検索した履歴を出せば?」


「えぇ」


 ぶっきらぼうだが、要領を心得ている青年だった。彼は素早くコマンドを連ねて実行させると、数件のログが結果として表れる。


「ここ一週間で、これだけです」


 画面を向けられ、覗き込む。


 検索を実行した日付、検索を命じた端末、検索内容――


 そこで朝霞の目に留まったのは、三日前に行われた検索だった。


「失礼、この三日前のログですが。対象のシリアルが、560から569とありますね?」


 眼鏡の位置を直し、眉間に皺を寄せながら確認する青年。


「そう、ですね」


「どうして範囲指定で検索を。普通、こういう検索の仕方って、しないんじゃ?」曖昧に頷く所長を顧みてから、青年に目を戻す。「この、検索を行った端末――えっと、PCM004251っていうのは、何処に置いてある端末です?」


 尋ねられ、一瞬硬直する青年。そして調べようとキーを叩きかけたが、ふと彼は気付いたように顔を上げ、目の前の検索端末に貼られたシールを指し示す。


 PCM004251。


「――いやぁ」途端に所長は首を傾げる。「記憶にないねぇ。ラグランジュなんて持ち込まれたら、絶対覚えてるはずだもん」


「監視カメラの映像を。三日前の、該当時間を」


 早速青年はクォンタムの監視カメラ統合管理システムへと接続し、サービスセンターの天井に吊されたカメラの番号を確かめ、問題の時間と合わせて入力する。


 間もなく現れたのは、コマ送りで記憶された、やや不鮮明な一連の画像だった。


 比較的身長の低い、二つの姿。少年だろうか。それとも少女だろうか。二人とも口元までマフラーでグルグル巻きにしていて顔は窺えず、頭もニット帽で覆い隠している。


 二人は最初、受付に現れた女性と何かを話していたが――ふと彼女が席を外した途端、片方が勢いよくカウンターを乗り越え、検索端末へと向かっていた。


 そして結果を、カメラで撮影。何事もなかったように元に戻ると、戻ってきた女性から差し出されたカタログを受け取り、サービスセンターを後にしていた。


「こりゃあ――参ったなぁ――」


 自らの責任問題に発展するとでも思ったのか、困惑の声を上げる所長。一方で佐野は朝霞の肩に手を置き、呟いていた。


「ビンゴですね。運が良かった」


「運だって? 馬鹿を云うな。これが私の実力だよ」


 繰り返される、監視カメラの映像。その一コマが偶然捕らえた、二人の瞳。


 朝霞はそこで再生を停止させ、じっと、その幼さの残る瞳を見つめた。


「さて。ヤツの狙いは何だ? ヤツは、絶対に、このリストの何処かに現れるはずだが――」

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