第26話
「ちょ、ちょっと! 待って!」瑠璃子は慌てて階段を駆け上がり、すっかり閉じてしまった扉に力を込める。「何? 開かない!」
「ま、マジで?」
すぐさま羽場も駆け上がってきて、頭を横に倒し、肩で扉を押し上げようとしてみる。
「何だこれ。何かロックかかっちゃってる」
「何の!」
「わかんないよ!」彼は叫んで、扉の周辺の機械装置を探る。「留め金がこれでしょ? そんでこれに繋がってるアクチュエータがこれで、その電源は――クソッ、手が届かない」
「ちょっとどいて!」瑠璃子は羽場を押しのけ、彼が手を突っ込んでた隙間に腕を伸ばす。「この奥?」
「そう、なんかスイッチない?」
「それっぽいのは、ないけど――なんか基盤っぽいのはある」
「基盤? どんな?」
「わかんない。でもネットワーク・ケーブルが繋がってる感じが――」
「何だって?」
羽場は慌てて階段を下っていき、ドラゴン・マスターのコンソールに向かったが――すぐに痛めた両手を掲げ、追って来た瑠璃子に席を譲る。
「とにかく、この家のネットワークを探査して」
「いいけど。何?」
「わかんない。でもボクが壊した表面の装置以外に、ネット経由で扉のロックを制御する仕組みがあったみたいだ。二重ロックだよ。今はそっちが効いちゃって、ロックが外れなくなってる」
「何それ! 今更そんなこと云われても――羽場ちゃんが暴れるからこんなことに!」
「んなこと云ったって! 変だよ! あの構造なら、多少の振動で勝手に閉じちゃうはずがないんだ! 何処から制御されたとしか――」
「え? それって、ドラゴン・マスターが誰かが侵入したのに気付いて、ネット経由でロックかけちゃったってこと?」
「さぁ。わかんない。わかんないけど、急いで!」
「そんなこと云われても――私、そんな特殊な機械なんてよく知らないし――どうにかなんないの? さっきみたいに、ケーブルを直結させるとか――」
「見たでしょ? それやろうにも、狭くて手が届かないよ! 何とかしてその装置を制御して、ロックを開けるしかない!」
「そんな時間、ある?」コンソールに表示されている時計に、目を落とす。「もう中に入って、十五分くらい経ってる! そろそろCNUが戻って来ちゃう!」
「慌ててもしょうがないよ。その装置を何とかネットワーク経由で制御しないと、ロックは外れない」
彼自身、かなり動転しているようだったが。それでも無理に静かに云われ、瑠璃子も意を決するしかなかった。
「わかった。で、どうする?」
「そう、きっとこのシステムの中に、鍵制御を行ってるシステムがあるはずだ。ソイツを探し当てれば、そっちから制御出来るかも。とりあえずネットワークの盗聴をして、それらしい通信をしてるヤツがいないか探そう」
ホントにそんな、悠長なことしてられるか?
とはいえ、他に瑠璃子には。何の名案もない。
「じゃ、じゃあ私、HMVよりスイッチの方がまだわかるし――」
席から立ち上がり、ポケットから端末を取り出し、背後のラックに向かってネットワーク・スイッチの一つにケーブルを接続する。
通信確認用の、パケット・キャプチャソフトを起動。そして瑠璃子は目まぐるしく流れている通信を確認し始めたが、それで何かが掴めるにしても――とても十分やそこらの解析じゃ不可能だ。
「――まったく、こんなことになっちゃって」酷く申し訳なさそうに、羽場は背後から云った。「ゴメンよ、ホントに。やっぱりボクが独りでやるべきだった。せめてボクの両手が動けばこんな――」
今更そんなこと云っても、どうにもならない。
瑠璃子は小さく息を吐いて、高速で流れて行く通信を眺めながら、云った。
「ううん。いいの。元から危険は承知って。云ってたでしょ?」
「でもこのままじゃ、ドラゴン・マスターが帰ってくるなり、CNUが来るなりして。ボクら、どうなっちゃうか――」
「武器、探しておいて。自慢のP90は?」当惑したように口を噤む羽場に、瑠璃子は軽く振り返って微笑んだ。「いいの。そりゃ、先のことはわからないけど――これで私、捕まったって。全然後悔しない」そして瑠璃子は小さな端末に目を戻し、俯いた。「私、それは後先考えないで動くタイプだけど。でもそれって、後悔したくないからなんだな。それで身体壊してちゃ世話ないけど、私、別にそのことで――もっと練習適当にやっとけば良かったとか。そういう風に考えた事はない。だから私、全然後悔してないし、羽場ちゃんのことも恨んでないよ。むしろ感謝してるってか、尊敬してるくらい。色々教えてくれて、私を新しい世界に導いてくれた」
「でもボク、いつもルリちゃんに怒られてばっかだ」
「そりゃ、何でどうして、って思うことも多いけど。でもそうじゃない、ってわかったから。羽場ちゃん、凄い真面目で、凄い家族思いの人なんだって。だから私――」
「――家族?」
怪訝に問い返した羽場に、瑠璃子は無理に笑みを浮かべた。
「もう、隠さなくていいよ。私、知ってるから。無理に変人気取らなくたっていいし」
「――ゴメン、一体何の事?」
やっぱり今更、無理に馬鹿を装っていたと知られるのは。恥ずかしいのだろう。
そう思いながら、瑠璃子は云った。
「お姉さんのこと。羽場ちゃん、お姉さんの敵、取ろうとしてたんだよね?」
まさか、瑠璃子如きに突き止められているとは。思いもしなかったのだろう。彼は酷く顔を青ざめさせ、口を開け放ち、まるで見たこともない怯えた表情で、瑠璃子を凝視する。
「――姉さん? 姉さんだって?」
「ゴメン、勝手に調べて。でも私、どうしても羽場ちゃんがクラックする理由とか知りたくて――」
彼の大きく見開かれた瞳は、瑠璃子の顔、そしてそこから、瑠璃子が手にしている端末に移されていた。まるで彼は何もかも信じられないといった風で、手袋に覆われた片手を素早く突き出し、唐突に瑠璃子の端末を奪い取っていた。
「ちょ、ちょっと。何?」
「ルリちゃん、このパケット・キャプチャのソフト。まさか――」
「え?」云われて、はたと思い出す。「あぁ、そう、ジャンクさんが、羽場ちゃんオススメのソフトより、こっちの方がいいって――でもそんなこと云ってる場合じゃあ――」そこでようやく、瑠璃子は名案に辿り着いた。「あっ! そうだジャンクさんだよ! ジャンクさんなら何か上手い手が――」
「何だよもうチクショー! 何だってんだ!」まるで瑠璃子の言葉は聞こえないように、羽場は宙を仰いで叫び声を上げていた。「何だってんだ全く!」そして酷く呆れたように、瑠璃子に顔を戻す。「云ったじゃんボク! ボクが渡したアプリ以外で、ジャンクと通信しちゃ駄目だって!」
そういえば、そんなことを云われた覚えもある。
「あぁ――そういえばそうだけど、別に――」
「一緒だよ! ヤツからそのアプリ渡されて、入れちゃったんだろ? そうでしょ!」
「そりゃ、そうだけど――何で今、そんなこと気に――」そして瑠璃子も、彼が危惧していることに気がついた。「あ。え? まさかこれ、私の通信、盗聴する機能も。入っちゃってる?」
駄目だこれは。
そう羽場は頭を振った後、宙を仰ぎ、再び叫び声を上げていた。
「何だよチクショー!」そして瑠璃子の端末に向けて、大声を上げる。「ジャンク! 聞いてんだろ!」
沈黙。
そして再度彼が叫び声を上げようとしたところで、瑠璃子の端末からは、酷く乾いた笑い声が響いてきた。
「いやぁ。何だ。せっかくいいシーンだったのに。なんでそこでプッシュしないんだよ。相変わらずチキンだなぁジャンプは」ジャンクは――瑠璃子の端末をずっと盗聴していたらしい彼は、酷く楽しそうに云った。「とにかく、勿体ない。ボクの事は気にしないで。続けて? せっかくルリちゃんの告白シーンだってのに――これ逃したら、一生そんな機会はないよジャンプには」
「何? 【これ逃したら、一生そんな機会はないよジャンプには】 って云った?」羽場は本気で頭にきてるらしく、顔を真っ赤にしながら瑠璃子の端末に唾を飛ばす。「ジャンク、アレだろ。ここの扉閉じたの、オマエだろ!」
「何でボクがそんなことするのさ! ボクは単に、キミの幸せを願ってただけで。あぁ、まぁ、ちょっとした覗き趣味はあったけれど――」
「幸せ? 単に楽しそうだから。だろ? ジャンク、いっつもそうだ。自分に害が及ばないとわかると、すぐそうやってボクを虐めようとする」
「そんなことないよ! ボクは弟子の幸せを願う一心で――」
「今回は、ヤバイって。マジでヤバイし。頼むよ。これ以上変な事しないで!」
「酷いなジャンプも。まるでボクが疫病神みたいに――」
「あっ、そうだ、ルリちゃんもいるんだよ。ここ、ルリちゃんもいるの! わかる? 彼女に何かあったら、ボク、一生後悔し続けることになっちゃうよ」
「その時は嫁に貰えばいいじゃないか。万事解決だ。ボクもルリちゃん好きだし。いいじゃない」
「あっ、それが狙いか? 無理矢理彼女を前科者にして、自分の世界に引き込もうって――そりゃあんまりだ! 酷すぎる!」
「考えすぎだよ、もう。ボクはただ――」
「その、ボクっての、止めろってば! なんでこんな時になってまで芝居癖が抜けないのさ!」
さっぱり瑠璃子には、状況が理解出来なかった。
それは羽場と付き合っていると、理解出来ない状況というのには事欠かなかったが――それ以上に今回は、まるであの、夜の情報演習室での出来事のように――どうして、何が、そうなってるのか。全然わからない。
「えっと、あの――」延々と繰り広げられる非難合戦に、瑠璃子はおずおずと割り込んだ。「これってつまり――どういうこと?」
「どうもこうもないよ!」羽場は叫んで、両手を投げ出した。「ルリちゃん、ジャンクに騙されてたんだってば!」
「騙されてた? 何を?」
「云ったでしょ! ホント、コイツはウソの達人。マジで信じらんないほどのウソばっかの人生。そうだ、こんなことがあった。ボクがアイツが煙草吸ってるのを見て、【なんか煙草でカートンて云うけど、それって何?】って聞いたらさ、【車の車体重量の規制が起源で、昔JISでそういう単位があったんだよ。当時は軽自動車は500kg以下と決められていた。それで一、カー、トンって重さ単位で使われるようになって、次いで煙草公社が乾燥煙草の重量単位として使うようになったんだけど。次第にそれが煙草のパッケージ単位として使われるようになった。つまり煙草五百個ってこと】なんてもの凄くそれっぽい説明してさ、ボクはずーっと、三年くらい信じてたよ!」
それは、信じる方が馬鹿だ。
「いや、そうじゃなく。で? あれ? 何がどういうこと? 私、何騙されてたって云うの?」
「だからルリちゃん、コイツが何か可哀想だって話を聞かされたんだろ? んなワケないって!」
「ジャンクさんが? 可哀想? 何で?」
「そう、私って可哀想」急にジャンクは一人称を変えて、まるで別人のように女らしく、酷く悲しそうに云った。「こんな弟を持って。私ってすっごく可哀想! 一生懸命まともな人間にしようとしてるのに。警察に捕まったりしないように、可愛い彼女を作ってあげようと頑張ってるのに! それなのにウソ吐き呼ばわりなんて。あんまりだわ!」
弟? ジャンクは、羽場のお姉さん?
「え? え? 何? ひょっとして羽場ちゃんって、お姉さん、二人いるの?」
「それよりさ」と、羽場は酷くきつい口調で端末に云い寄った。「頼むから。さっさとロック外してよ! もう無理だよ! いくらルリちゃんを丸め込もうとしたって――」
はぁ、と、端末からは酷く残念そうな声が響いてきた。
「みたいねぇ。何でさっさとキスくらいしないの、馬鹿」
「馬鹿はそっち――」
羽場が叫びかけたところで、ガキン、とロックが外れる音がした。すぐさま羽場は端末を瑠璃子に押しつけ、先ほど掘り起こした青い段ボールに取り付く。
「よし、逃げるよ!」
「わ、わかってるけど。何がどうなってんの? ちゃんと説明してよ! お姉さんって入院してるんじゃ? それにその箱、何?」
「いいから! 後で全部説明するって!」
そう、羽場は痛む手も構わず、段ボールを抱えて階段をヒョコヒョコと上がっていく。
それは人生最大の危機から逃れられるのは嬉しかったが、瑠璃子は未だに、何がどうなってるのか、さっぱりわからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます