第16話

 ジャンプが復活した。その証拠をいち早く掴んだ朝霞は、別件に駆り出していた佐野をすぐに呼び戻し、システムルームの画面を指し示した。


「見ろ。ジャンプ、ジャンプ、ジャンプだ」


 匿名のネットフォーラムにアップロードされていたそれは、何かしらの議事録らしかった。


「KF社――中国の家電メーカーの日本法人?」


 呟く佐野に、朝霞は満面の笑みを向けて見せる。


「ほら! 云ったじゃないか! ジャンプは必ず復活すると!」


 しかし彼は、酷く気乗りしない様子だった。だらりと椅子に身を保たせ、ヴァイキングのような髭をバリバリと掻き毟り――最後には両手を宙に投げ出した。


「もう、いいじゃないですかヤツは」


「何がいいんだ! キミはあんな無様にしてやられて。悔しくないのか? そのまま放っておけと?」


「ヤツは単なる素人クラッカーだ。別に放っておいても害はない。どころかヤツは、私たちが合法な捜査じゃ暴けないような悪事を。勝手に暴いてくれる。いいじゃないですか。手間が省ける」


「――何だ。すっかり負け犬だな」


 こうした挑発に乗らない、佐野ではなかった。


 しかしここのところ、その技は使いすぎていたらしい。彼は思わず椅子から身を乗り出しかけたが、はたと気付いたように身を凍らせると、そのまま再び椅子に倒れ込みつつ、ニヤニヤとしながら朝霞に人差し指を向けてきた。


「もうその手は食いません。おかげでこの数ヶ月、私は労働基準法を何十回と破るハメになった。ボス、三六協定って知ってます? 私には休暇を取る権利がある」


「――警察にも、三六協定なんてあるのか?」口を開きかけた佐野に、朝霞は慌てて言葉を押し込んだ。「わかった。ジャンプを捕らえたら、幾らでも休ませてやる。一月でも、二月でも――」


「何でです! どうして貴方のような敏腕捜査官が! どうしてジャンプみたいな素人に拘るんです! してやられた? だから何です! 貴方はあれ以来、産業スパイやら国際的なネット詐欺集団を何人も捕らえてる! どうしてそこまでジャンプに――」


 朝霞も、どうして自分が、他の事件に忙殺されている間にも――細々と、しつこく、ジャンプの姿を追い続けているのか。良くわからなかった。


「そうだな。何て云うか――初恋の相手、とでも云うのかな」


 なかなか良い例えだ。


 そう満足して微笑む朝霞に、佐野は渋い顔を更に渋くした。


「初恋?」


「そう。初恋。私は確かに、何十件とクラッカー共を相手にしてきたが――彼ほどユニークで、ユーモアのあるクラッカーとは。出会ったことがない。だから気になるのさ。どんなヤツなのかってね」呆気に取られた風な表情を浮かべる佐野に、朝霞は鋭く指を向けた。「それで佐野、KF社は最近何か不祥事を起こしたか?」


「え。えぇ。日本市場から撤退することになってたが、それを隠して新製品を格安で売り出してたって噂で――」


「よし。早速始めるぞ」


 朝霞はファイルを発見したネットフォーラムの管理者に連絡を取り、ファイルをアップロードしたコンピュータのアドレスを開示させる。次いでそのアドレスが何処に割り当てられているかを調べたが、それはやはり、フィリピンの回線業者だった。


「――ボットネットか」


「でしょうね。結局ヤツは、また別のボットネットを作り上げて悪さを再開した」佐野は溜息混じりに云って、腕を組む。「どうします? フィリピンの警察に該当アドレスを調べさせますか?」


「無駄だ。きっとジャンプのウィルスに感染してるパソコンに過ぎないだろう」


「ですが、ジャンプのボットネットを構成するウィルスが何なのかわかれば、そこからボットネットの構造を解析しやすくなりますよ? スパイ・ノードだって送り込めるようになるし――」


「じゃあフィリピンから、押収されたパソコンが届くのを待つか? 一月で届くかどうかも怪しい」ふむ、と唸りつつ顎髭を撫でる佐野に、朝霞はすぐさま指示を下した。「まぁいい。念のために手配してくれ。それと国内の怪しい通信を再調査。KF社に攻撃が行われたのは何時だ?」


「さぁ。それはKF社に聞いてみないと――」


 しかしKF社の情報システム担当部門は、機密書類漏洩の煽りを食って大パニックになっていた。加えて朝霞たちよりも遅れて情報を掴んだ経産省が乗り込んできて、事はクラック被害事件ではなく、企業倫理法や消費者保護法違反事件へと発展していった。


 そうなると出てくるのは、特捜だ。


「朝霞クン、ちょっと来てくれ」


 ふと出くわした渋い表情の土井部長に促され、朝霞は溜息を吐きつつ、一緒に彼のオフィスに入る。


 きっと叱り飛ばされるか何かするのだろうな、と思っていたが、彼は徐に自分の席に着くと、懐から手帳を取り出し、禿頭に皺を寄せながら尋ねる。


「朝霞クンは――8pってアイドル、知っとるかね」


 拍子抜けし、思わず口を開け放つ。


「え? いや、さぁ。そういえば著作権違反絡みで、結構そのグループ絡みの押収物を良く見かけますが――どうかしましたか」


「そう」と、渋い表情のまま、パタンと手帳を置く。「私の孫がな。ファンらしいんだ」


「――はぁ」


「じゃあ、宜しく頼む。以上だ」


 そのままパソコンの電源を入れて操作し始めた土井に、朝霞は思わず――笑えなかった。


「いや。あの。それは――ご希望に添うよう、努力はしてみますが――」


 そこでようやく彼は朝霞に視線を向け、大きく溜息を吐いた。


「何だ、特捜か?」


「え。えぇ、きっとその件だと――私が特捜と縄張り争いしていると――」


「じゃあ、察しろ。今日は孫の誕生日だ。怒りたくない」


「――了解です」


 これが相手が、その辺にいる使えない課長共だったなら。朝霞も正面から徹底抗戦しただろう。


 しかし、この面妖な人物に独特な渇を入れられると――その気も失せる。


「いやぁ、フィリピンの警察は。意外と働いてくれた」朝霞がオフィスに戻ってくると、佐野が嬉々としつつ、何重にも梱包されたボロボロのノートパソコンを取り出していた。「KF社に攻撃を仕掛けていたパソコンです。コイツを分析すれば、ジャンプのボットネット・ウィルスが検出出来――どうしたんです」


 事情を説明した途端、すぐさま呆れた声を上げる佐野。


「だから云ったでしょう、特捜に喧嘩を売るなんて、やり過ぎだと」


「何だ。じゃあ黙って、みすみすジャンプの手がかりを失ってれば良かったと?」


「そうは云いますがね。元々無茶な話なんです。ジャンプがただ者じゃないクラッカーだってのは十分理解してたでしょう? 我々はヤツのボットネットを崩壊させることに成功したが、今度のボットネットは――遙かに高度に進化してるに違いない」そう、手に抱えていたボロボロのノートパソコンを眺める。「コイツを分析したところで、ヤツの元に辿り着けるかどうか。怪しいもんだ」


「何だ。いつから佐野はそんな弱気な男になった」


「単に私は現実的なだけですよ。いい加減、こんな捜査は止めにしましょう! 良い機会だ!」


「ようやくヤツの活動が始まったんだ。これからだろう」


「そうは云いますがね」溜息混じりに、彼は椅子の背に倒れ込んだ。「何か手はあるんですか? とてもKF社で侵入の痕跡を追う事は出来ない。このウィルスを解析したって、前と同じです。結局はヤツに煙に巻かれてしまうだけかも――」


「あぁ。私は間違っていた。ヤツの後を追ってたんじゃ、結局ヤツがミスを犯すのを待つことになる。それにどれだけかかる? とても時間が足りない。我々はもっと、攻撃的な手段に出なければ駄目だ」


「――何の事です」


 怪訝そうに尋ねた佐野。朝霞は軽く人差し指を立て、スクリーンに一つのプログラム・ソースコードを表示させた。


「さすがに使えんだろうなと思いつつ、技術的興味から作ってはいたんだがね。どうやらこれの出番のようだ」


「何です」


 厭な予感がする。そんな風に尋ねる佐野に、朝霞は別の図を表示して見せた。


「そう。権力には権力。だが今の私には権力がない。だから特捜に対抗することは出来ん訳だが――権力はなくとも、ジャンプには対抗できる。ウィルスには、ウィルスだ」


 世界中の、幾万もの管理不行き届きなパソコンに感染するウィルス。そのウィルスはパソコンの所有者に知られることなく、隠されたネットワークを構築し――クラッカーのための道具、ボットネットを構成する。


 その通信拠点を探ることは、原理的には不可能ではなかったが――現実的には、非常な困難を伴う。何しろクラッカーが通信元隠匿のために経由するパソコンは世界中に散らばっているのだから、それを逐一調べ、ウィルスの通信元を把握し、という事など。やってられない。


「なら、どうする? 対ボットネット・ウィルスを展開させる」朝霞がキーを叩くと、蜘蛛の巣状に結合しあったボットネット・ノードに対して、別のウィルスが感染していく様が描かれていった。「ジャンプのウィルスが感染しているパソコンを狙い撃ちし、感染するウィルスだ。実際ヤツのボットネット・ウィルスが見つからなければ完成させようがなかったが、そのノートパソコンがあれば、完成させられる。すると我々はヤツのボットネットの全容が把握できるようになって――」


「何を馬鹿な事を云ってるんです!」予想通り、すぐさま佐野が噛みついてきた。「CNUが、ウィルスをばらまく? そんなこと出来るはずがない!」


「そう騒ぐな佐野。FBIじゃ普通にやって――」


「我々はFBIじゃない! 幾ら悪意のないウィルスであったとしても、見知らぬ人物のパソコンに、勝手に入り込むようなマルウェアなんて――立派な電子アクセス規制法違反です!」


「じゃあ、どうする。ん?」冷静に問い返した朝霞に、彼は口を噤んだ。「他に上手い手があるなら聞こう。だが私には、これしかジャンプの活動を追う手は考えられない。どうだ? 何かあるか?」


「しかし、仮にそのウィルスがCNUのばらまいた物だと知れたら――」


「おいおい、佐野、キミは私を誰だと思ってる? 仮にセキュリティー企業にこのウィルスの存在が知れたとしても、CNU製だと知れる可能性はゼロだよ」


「かも――知れませんが――」一度こうなってしまうと、佐野は酷く頑固になる。「そうだ、仮にそのウィルスでジャンプを捕まえられたとしても。どうやって起訴するんです?」


「なぁに。既に世界中に広まっていた対ボットネット・ウィルスを、たまたま見つけたと云えばいい。それを追っていったらジャンプに辿り着いたとな」


「――馬鹿げてる」


 呆れたように呟いた佐野に、朝霞は鋭く、指を突き付けた。


「それはいかんな。相手の考えがわからないからと、【馬鹿】と決めつけるのは。思考停止だ。そんなんじゃとても、捜査官なんて勤まらないぞ?」


「そりゃあ、わかってますが――」


「そのキミの硬い頭を解すにも。ジャンプって相手は有効だ。一緒に彼の奇っ怪な行動の謎を。追おうじゃないか」


 フィリピンから郵送されてきたパソコンを分析すると、内部には複数のウィルスが確認されたが――そのどれもが既知のウィルスであり、ボットネットを構成する物でもなかった。


 つまり、このパソコンには。未知のウィルスが、未だに潜んでいる。


 その解析には非常な手間を要した。何しろジャンプはeXectorOSの未知のセキュリティー・ホールを突いているに違いない。既存の情報に頼ることは出来ず、eXectorOSの細部に亘って調査する必要が出てくるのだ。


「とりあえず各種ライブラリのサイズは、オリジナルと変わりない。あとはCRCチェックを走らせてますが――」


「私の方は、どうも怪しいパケットを投げているサービスを見つけたが――さて、どうかな。eXectorはHMVと違ってソースが公開されていないから、果たしてこれがウィルスによるものなのか正規のものなのか――」


「っと」不意に佐野が身を起こし、画面に食いついた。「一つ、オリジナルと違うdllが見つかった。これか?」


「どれ」


 確かにそのファイルは、一部機能を、後から継ぎ足されたロジックに置き換えられているようだった。更に分析していくとウィルスの実体らしき物も見つかり、早速逆アセンブルして感染のフロー、そして感染後の挙動を把握しようとする。


 それは確かに、以前佐野と共に潰したボットネットのウィルスと、よく似たロジックを持っていた。しかし前回朝霞が突いた穴は塞がれてしまっており、通信の暗号化も強化されている。


「とてもこれじゃあ、仮にスパイ・ノードを潜り込ませたとしても。昇格させることなんて困難だし、暗号だって前回ほど簡単には――」


 ウィルスの吐くプロトコル・ヘッダに仕込まれた文字列から、G2――恐らくGeneration2の略だろう――と呼ぶことにしたウィルスのソースコードを眺めつつ、唸る佐野。


「やはり、対ボットネット・ウィルスを使うしかない。だろう?」


 笑みを浮かべる朝霞に、渋々といった様子で佐野は頷いた。


 朝霞は早速、G2ボットネット・ウィルスの特徴を、対G2ウィルスへと反映していく。加えて感染経路はG2ウィルスが利用しているeXectorOSの穴を利用させてもらうことにし、感染後は、G2ウィルスの挙動を把握し――ボットネット網の全体像を把握できるように手を加える。


 ウィルスの放流方法は、最も悩ましいポイントだった。対G2ウィルスがCNUの製作した物だと発覚するとすれば、それは拡散元が突き止められ、そこにCNUが関わっているという証拠を掴まれた場合のみだ。


 そこで朝霞は一計を案じ、佐野にカツラを被せ、サングラスを着けさせ、朝霞が手を加えた携帯端末を持たせて半日の休暇を与える。


 その携帯端末は自動で無線ネットワークをサーチし、無防備な基地局があった場合は勝手に侵入し、ウィルスを仕込んで撤収するという仕組みを備えさせていた。実際佐野が戻ってきてから対G2ボットネット・ウィルスの状態を調べてみると、既に国内で数台のパソコンに感染していることがわかる。それらは全てG2ウィルスにも感染しているパソコンで、後はジャンプのG2ボットネットが頻繁に活動すればする程――感染速度も速くなっていくはずだった。


 幸いなことに、ジャンプはKF社の騒ぎが落ち着くのを待つこともなく、矢継ぎ早に攻撃を行う。


 社員を酷い待遇で働かせ続け、何人もの自殺者を出した会社社長。長年の脱税が発覚したが、酷く開き直った会見を行ったパチンコ会社。その何れも対G2ウィルスの拡散度合いが十分ではなく、ジャンプの動きの詳細を追う事は出来なかったが、G2ボットネットが活動すればするほど、対G2ウィルスも加速度的に感染していく。


 そして数日後、対G2ウィルスの拡散速度は、頭打ちになったように見受けられた。


「それで? この先、どうするんです」


 尋ねた佐野に、朝霞はニヤリと笑い――世界中に対G2ウィルスが広まっているのを示す画面を見上げ、パチンと両手を叩き合わせた。


「恐らくこれで、G2ボットネットの八割方は網羅している」


「だが、それでジャンプが何処の誰かって。突き止められるワケじゃないでしょう」


「それはな。軽く解析してみたが、我々がG2と呼んでいるジャンプのボットネットだが、どうやらこれは――更に別のボットネットから指令を受けて動いているような気配がある」


「――別の、ボットネット?」


「あぁ。スパイ映画なんかで、良くあるだろう? 元締めを捕らえてみたら、ソイツは更に別のスパイ網から指令を受けるだけの駒だったって。どうやらジャンプのボットネットにしても、G2の上にはG3、更にG4くらいまでの、ボットネット層が存在しているようだ。普通は通信の遅延だらけでとても使えたもんじゃない仕組みだが――彼は上手くそれを回避する仕組みを備えさせている」


「だから云ったでしょう、時間の無駄だと。とてもそんなボットネット網、追ってられません!」


 酷く厭そうに口元を歪める佐野に、朝霞は笑いながら人差し指を立てた。


「そうとも云えない。今、私はG2ボットネットが用いている暗号を解読中だ。それが成れば、多重ボットネットの根っこに辿り着くことは出来なくても、ジャンプがボットネットで行う通信のある程度が盗聴可能になる。そうすればきっと――ヤツの正体に近づく手がかりが得られるはずさ」

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