第9話
「ルリちゃん、センス良いよ。やっぱセンスいい。抽象化が凄い得意だ。それって電子の世界を知るのに、凄い重要」
いや、センスがいいどころの話ではなかった。結局瑠璃子は呈示された資格を取るのに、夏休みの大半を費やし、徹夜の連続で辛うじて赤点ギリギリの点数だったのだ。
そりゃ、基本を理解するのと、応用された物事を暗記しなければならないのは――全然、別の話だ。
「でも、これで、ちゃんと何か教えてくれるんでしょう! 私、美也ちゃんと約束してたライブ、キャンセルしてまでして頑張ったんだから!」
眠気に朦朧とし、充血した目をシパシパさせながらも、合格通知を手に乗り込んできた瑠璃子に――羽場は苦笑しながら尋ねた。
「ライブ? 何のライブ?」
「それは――」美也子と二人で心酔しているアイドルグループだが。「オーケストラ」
「へぇ、ルリちゃんそんな趣味あったんだ。まぁボクもオーケストラの無拍子ってのは面白いと思うんだけどさ、何て云うかな、オーケストラって整い過ぎちゃってセクシーさが足りないよね? やっぱ音楽はジャズだよ。特に変拍子バリバリな類のバンドなんて、いつ失敗するか演奏が崩壊するかっていうギリギリ感が――」
「そんなことはどうでもいいから! で、次は何!」
「うーんそうだなぁ」羽場は呟いて、椅子の背にもたれ掛かりながら、ツンツンに立たせた髪をクルクルと捻る。「前にも云ったけど、ルリちゃんがクラッカーになりたいなら、まずハッカーにならなきゃならない」
「いいよ。なる。どうすればいいの?」
簡単に云った瑠璃子に、彼は苦笑した。
「そうね。少なくともルリちゃんは、四つの要素を極める必要がある。ハードウェア、OS,アプリケーション、そしてネットワークだ。ハードウェアは色々とお金がかかるし、OSはイメージしづらいし――そうだな、とりあえずアプリケーションから初めてもらおうかな」
「えっと――それって、プログラミングのこと?」
「そう。ルリちゃんも多少はプログラミングが出来るようにならないと駄目だね。それからプロトコルを勉強して貰えればネットワークは理解出来るし、その過程でOSは自然と関わるし。それで最後がハードウェアかな」
四大要素、か。
そしてまず、プログラミング。これまた先は長そうだ。
瑠璃子はこの試験さえ通れば、少なくとも何か実地らしい作業くらいは手伝わせて貰えるのだと思っていた。
けれども先は酷く長そうだというのがわかったこともあり、それもまた酷く地味な勉強を続けなければなさそうだというものあり、寝不足だったこともあり、瑠璃子は思わず金切り声を上げてしまっていた。
「もう、そんなこと云って、羽場ちゃんは何やってるの? 私がこんな苦労してる間にも、どっかの企業に忍び込んだりしてるんでしょ!」
「そ、そりゃ、どうだろう」
相変わらず、少し身を退きながら誤魔化す。
「私実際、羽場ちゃんが何かやってるのって。殆ど見てない。サイファーの時だって、全然それどころじゃなかったし――ほら、やっぱりさ、上を目指すなら、一回頂上がどんな風か、チラ見させてもらった方がさ。やる気って出るじゃない!」
「あ、こんなもんか、で飽きることの方が多くない?」
「だから今の私は、ドキドキワクワクするのを充填する必要があるんだってば!」
「じゃ、ORDERSでもやる?」
そんなんで誤魔化されるか!
思わず叫びかけたところで、ふとラックの中に積まれていたスピーカーの一つが音楽を奏で始める。
何だか軽やかなジャズ・ダンス・ミュージックのようだった。ラッパが踊るように歌い、ピアノが跳ねるようにリズムを刻む。それを聞いた羽場はゴロゴロと椅子を移動させて画面が幾つもあるコンソールの前に向かい、ガラクタの中に埋もれていたマイクを引っ張り出す。
「あいよっ! こちら愛と平和のモハビ・エクスプレス。でも今ちょっと取り込み中だから、また後でね!」
Voice over IP、ネット経由での音声通信ってヤツだ!
そう勉強したばかりの言葉と結びついて目を輝かせていた瑠璃子を他所に、彼はすぐさま通話を切ろうとする。しかしスピーカーからは間髪入れず、なんだかORDERSの司令官のような、青年将校っぽい凛々しい声が響いてきた。
「何だよジャンプ! せっかく頼まれた物を用意してきたってのに。それはないんじゃないか?」
ジャンプの名前を知ってる。
誰だろう。クラッカー仲間だろうか。
そう首を傾げる瑠璃子に軽く視線を向け、羽場は厭そうに表情を歪めながらも再びマイクを手に取る。
「あぁ、それね。とりあえず送っといてくれる? 後で見るし」
「ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
「違うよそっちが云うんだよ、ありがとう、って」
「サンキューありがとう感謝感激! これでいい?」
「いいけど忠告。それ、後じゃなく今見た方がいいよ」
「なんでさ」
「忠告したよ?」
なんだよ全く、と呟きながら、羽場は送られてきたファイルを開く。それは何かの構成図面らしく、様々なブロックが幾つもの線で接合されている様子が描かれていた。
「凄いじゃん。完璧! さすがジャンク、ネットワーク探索はお手の物だね」
「もうちょっと真面目に見なよ」どうやら彼も、羽場の変幻自在な性格には手を焼いているようだった。「公衆回線に繋がってる、正副の回線。その先には当然のようにファイア・ウォールがあるけどさ、今現在、誰かがオペレーションを加えてる形跡がある」
「――ホントに?」
急に表情を硬くして、画面に食いつく羽場。それにジャンクと呼ばれた人物は、溜息混じりに解説を加えた。
「一時間前にポートスキャンかけた時にはSPIが有効だったんだけど、さっきは切れてた。それにルーティングの経路もころころ変わってるから、きっと何かのメンテナンスを――」
「なんてこった! チャンスじゃないか!」
別の画面に構成図面をずらし、高速でコンソールのキーを叩き始める羽場。
「だから云ったんだ、今すぐ見た方がいいって」
「いいから黙っててよ! あ、いや、黙らなくていいや、代わりにジャンクはSNMPとかSSHとかの穴が開かないかチェックしてて!」
「云われなくても、さっきからやってるよ」
なんだか酷く緊迫した状況で、瑠璃子は疑問の声を上げる隙を見失う。すると羽場はジャンクと五分ほどやり取りを続けた後、ふと息を吐いて椅子の背に寄り掛かる。
「ファイア・ウォール・ポリシーの修正中か。じゃあ次に正副切り替わった時がチャンスだね」
「あぁ。このバージョンのファームには、切り替わり時に一瞬だけ穴が出来る。そこを突ければ、内部のサーバにバックドアを仕掛けられるかもしれない」
「作業完了まで――十分くらいかな。ジャンク、ポートスキャンとネットワーク探査の準備しといて。ボクは攻撃マクロをスタンバイしておく」
「任せて。それより、客って誰? まさか彼女?」
いつの間に、客がいるだなんて話になった?
ワケがわからず、うっ、と息を詰めた瑠璃子に苦笑してから、羽場は相変わらずの飄々とした声で応じる。
「違うよ。ボクのソーセージとピザが大好きな、ただのデブ」
「――何それ」
期せずしてジャンクと声を合わせて云ったとき、羽場は既にマイクのスイッチを切っていた。
「ピザとかデブとか失礼にも程があるし。で、誰? 相手って」
「ん。ジャンクってさ。史上最低最悪なクラッカー。ルリちゃん関わらない方がいいよ。変態。変人。変変」相手が何者か知らないが、羽場にそんなこと云われたくないだろう。「とにかくネット上に転がってるファイルを集めるのが趣味なんだ。異常だよ。自分の環境にデータセンタ並みの巨大ストレージ組んでるんだ。馬鹿みたい」
「ファイル、って? どんなの?」
「色々だよ。元はアニメとかドラマとかがメインだったんだけどね、今じゃ何でも。ウィルスとか、あるプログラムの構成ファイルの一部とか、政府の機密書類とされてる物だとか、誰かが流出させちゃったエロ動画とかまで集めてる」
「そんなの集めて、どうするの?」
「まぁ、色々さ。良くわかんないよね、人の趣味って。そんで付いた名前がジャンク屋でさ、今じゃジャンクって云えばヤツのこと」
と、彼は例によって脇に携えているサルサパリラの液体を飲み干す。
「っていうかさ、人の趣味のこと云えなくない? 幾ら何でも飲み過ぎでしょ? 一日何本飲んでるの。炭酸って太るよ? 骨が溶けるよ? だいたい何でそんな薬臭い変な色のをそうガブガブと――」
「あっ、ボクの背が低いの、サルサパリラの所為にしようとしてる。でも残念、ボクの身長は両親から受け継いだ遺伝子で決められちゃってるし、そもそも身長が高いことのメリットって何だろうね? ちょっと低い扉じゃ頭ぶつけるし、大江戸線なんかじゃ狭っくるしいし、カロリーの消費だって大きいし安い子供服だって着れないし、いいこと全然ない。けどサルサパリラに大量に含まれてるカフェインってのはプリンアルカロイドの一種でさ、コイツは眠気覚ましだけじゃなく紫外線や老化で破壊されたDNAを治す働きがあって、加えて非公開の三十六種類の原料の中には噂じゃDNAの中でどんどん短くなってくメロテアを元通り伸ばす働きがあるって話で――」
「あぁ、ゴメン。もう黙って」下手な餌を与えてしまったらしい。「でもジャンク、ジャンプって。何? クラッカー業界じゃ、ジャンジャンが流行ってるの?」
「そうじゃないよ。そもそもジャンプの名付け親はジャンクなんだ。話がピョンピョン飛ぶからジャンプだって。失礼な話だよね?」
「あれっ、そうなんだ! じゃあひょっとして――」
「そ。まぁジャンクはボクのお師匠さんかな。変で危険ではあるけど、凄いスキルあるのは確かだよ。あの人の場合、その辺流れてるファイルを集めるのに必死で、あんまりクラックとかしないけど。でも時々、ボクの手が及ばない所では手伝って貰ってる」
「――へぇ、そうなんだ」それは彼も、自力で全てを身につけたワケではないだろうから、お師匠さんがいても可笑しくない。「でも、ジャンクさんって男なの? それとも女? なんか凄い中性的な素敵な声だけど」
「さぁ。どうだろう。知らない」
「知らないの? お師匠さんなのに?」
「だって互いにクラッカーだよ? 正体知られたらヤバイって。何時裏切られるかわかったもんじゃないし」
「そんな信頼関係で、師弟関係なんだ」
「実は師匠がラスボスだったなんて、映画やゲームじゃ普通じゃん?」
そりゃ、実は師匠が親の敵だったとか、弟子を育てて悪の手先に仕立て上げようとしてた、なんて話は幾らでもある。
「それで、何処を攻撃しようとしてるの? これって、そういう話でしょ?」
彼は小さな溜息を吐きつつ、仕方がなさそうにコンソールを操作し、画面に一つのニュースを表示させた。
「工学系の大学の准教授で、金子ってのがいるんだけどね。この人、セキュリティー専門家気取りで色々なテレビに出てる。知ってる?」
そういえば、見たことのある顔だった。つるんとした顔に眼鏡をしていて、後退しかけている髪を七三に撫でつけている。なんだか攻撃的な台詞を吐くことが専門らしくて、人々のネットでの自由な振る舞い――そう、例えばデシネのような連中だ――に対して、罵詈雑言を吐くことで有名だった。
「ネットで凄い嫌われててさ。それに何か政府から金をもらって御用学者みたいなこともやってるらしくて」
「御用学者?」
「何ていうかな、政府に頼まれて、今のネットワークの危険性を大げさに煽ってるんじゃないかな、って噂があって」
「何でそんなこと、するの?」
「多分、政府は今のネットを、もっと規制したいんだと思うよ? 中国や中東みたいにさ。だってそうじゃん? 元々は政府の駄目駄目さが原因だったとしても、ネットじゃ彼らが隠したいことも、全部暴かれちゃう。やり辛いよね。だから金子みたいなヤツを雇って、ネットは危険だ危険だって煽ることで、ネット規制を強めようとしてるんじゃないかな、ってさ。それで実際はどうなんだろうなと思って、前々から大学のネットの様子を窺ってはいたんだけど――」
ネットは危険、か。
それは瑠璃子も、こんなことを始めてから――いままで随分、未知なままネットを使っていたな、と思うことが多い。
ネットというのは基本的に穴だらけで、ハッカーたちはそれを必死に塞ごうと、日夜努力している。けれども塞がれる穴よりも新しく作られる仕組みの方が多くて、そちらにはまた穴が沢山あるという具合だ。
だから、ネットは危険。
それは良くわかる。
けれども【見守りサービス】を思い出すと、そうやって何でもかんでも規制するのが正義だとは、瑠璃子は思えなかった。瑠璃子でさえ、ここ二ヶ月ほどでここまで理解出来たのだ。勉強すればそれだけ、何処に危険性が潜んでいるのかが予測出来るし、避けることも出来る。そんな努力もせずに、ただ、規制規制では――まるで一方通行だらけの住みづらい使いづらい街になってしまう。
「それで、どうするの? 今度はどんな攻撃をするの?」
そう身を乗り出して尋ねた瑠璃子に、羽場は僅かに渋そうな顔をする。
「そうだなぁ。それはルリちゃん、もっと勉強してからじゃないと説明がメンドクサイんだよね」
「メンドクサイって何よ! 羽場ちゃん私の師匠でしょ?」
「って云ってもさ、ルリちゃんこの大学のファイア・ウォールのファームのバージョンは一年前のヤツだからHA構成組んでて片方が転けてフェール・オーバーが発生した場合にハート・ビートの監視が不十分な所為でファイア・ウォール・ポリシーの適応が中途半端な状態になっちゃうもんだから数十パケットは取り逃がしちゃうって不具合を利用してその隙にボクらはDMZにあるサーバのRPCサービスの不具合を狙ったパケットを送りつけてOSコマンドインジェクションを発生させてバックドアを仕掛けようとしてるんだって云ったって意味不明でしょ?」
――ん?
完全に瑠璃子の頭がバッファ・オーバーフローを起こした所で、彼は苦笑しながら軽く指を立てた。
「そう。今の内容を完璧に説明しようとしたら、丸一年くらいかかるよ」でも、と口を挟みかけた瑠璃子を、彼はすぐさま遮る。「でもさ、その、みんなハッカーとかクラッカーって云うとさ。どうやってセキュリティーを突破するかとか、どうやって敵のシステムを落とすかとかばっかり知りたがるんだけど。でもさ、それって実は、そんなに重要な話じゃないんだよね」
「――なんで? 重要でしょ?」
「重要は重要だけどさ。でも現実問題、ネットで違法行為を行う上で一番重要で一番難しいのは――別に暗号を解読したり、【壁を破壊する】技術じゃないんだよね」
何だかそれが、一番難しそうな気がしていた。
「じゃあ、何が重要で何が難しいの?」
「何だと思う?」
セキュリティー・システムを突破するより、重要な事。
まるで思い付かずに首を捻っていた瑠璃子に、彼はニヤリとして人差し指を立てた。
「ルリちゃん、この間のこと、もう忘れてる?」
「この間?」
「ルリちゃんの人生最大の危機を、ボクが格好良く救った時のこと!」
ようやく瑠璃子は気がついて、ポンと手を打ちあわせた。
「あぁ、清水クンの?」
「そ。ヤツはサイファーのショッピングページを落とすのには成功したけど、身元を辿られて捕まる寸前まで行った。つまりさ、アタックが成功するかよりも、何度もアタックしても、絶対に捕まらないことの方が、より重要。つまりね、大切なのは、【どうやって通信元を偽装するか】。それに尽きるんだ」
「清水クンは、それを疎かにしてた? そもそも、あの時って――なんでサイファーは私たちの高校から攻撃されてるって、すぐに調べられちゃったの?」
「ルリちゃんはもう、理由を勉強した筈だよ? じゃないと試験に合格するはずがない」
え、何だろう。
寝不足でイマイチ回転の鈍い頭で考えたが、どうにも思い当たる所がない。
「もう、なんか理屈はわかったんだけどさ、それが実際にどう使われるのかっていうのは、また別の話でしょ?」
「かもね。じゃあ説明しよう。こっちはそんな時間かからない話だし。いい? コンピュータとコンピュータの間の通信ってのはさ、プロトコルとかハンドシェイクとか色々勉強したと思うけど、超簡単に云えば超高速な文通みたいなものなんだ」
「文通?」
そんな例えに、なるだろうか。
考え込んだ瑠璃子に、羽場は苦笑しながら続けた。
「そう、文通。ルリちゃんが誰かと文通したい時は、手紙に何を書く?」
「えっと、その例えで行くと、相手の住所と、名前と、どんなデータが欲しいかっていうリクエスト」
「いいよ? で、それをネット上に放り投げると、ルーティングとかネーミングとかの仕組みで、10msecくらいの後には相手に届く。で、相手はその手紙を読んでデータを用意して送り返そうとするんだけど――あれ、この手紙って、誰から来たのか書いてないや。何処に送り返したらいいか、わかんない」
「あ、ゴメン。宛先だけじゃなく、自分の住所も書かないと駄目だった」それでようやく、清水が攻撃元を辿られた理由が見えてくる。「あぁ、そりゃそうね。サイファーのコンピュータは、高校からのリクエストに応答を返してくるんだから――攻撃元を辿るのなんて、出来て当然か」
「そう。基本的にそんな風に、ネットで通信をやる場合ってさ、ちゃんと手紙に宛先と送り主を書かないと。仮に相手に届いても応答が戻ってこないから、正常な通信は行えないんだ」
「本当? だとしたらさ、通信元なんか誤魔化しようがないじゃん」
「そうだよ? このコンピュータ・ネットワークって世界では、他のコンピュータと通信を行う場合――必ず宛先と送り主を書いて手紙を送らないと駄目。だから、誰が、何処から攻撃してきたかっていうのを、完全に隠蔽することは。仕組み上不可能なんだ」
「え? でも、じゃあなんでこんな、色々ウィルスとか。それにデシネの連中とか。捕まらないの?」
「そう。仕組み上、通信元を完全に隠蔽する方法はないんだけど――追いづらくする方法は幾らでもある。例えば清水は、直接学校からサイファーと通信を行えば、通信元がバレバレになるっていうくらいの知識はあった。だからヤツは、手紙を【中継】させる方法を使った」
「中継?」
「個人輸入する時なんかに使われるんだけどさ。ある商品をネットで買いたいんだけど、それってアメリカ国内にしか配達してくれない、なんて時がある。そこに目を付けた小包転送サービスとかやってる会社があってさ、その会社に注文すると、その会社がネットで注文して、受け取った荷物を日本に転送してくれるっていうことをやってる。
それと似たような仕組みがネットにはあってさ、プロキシって云うんだけど。
そのプロキシサービスに対して、【清水ですけど、サイファーのデータが欲しいです】って手紙を投げると、プロキシは【プロキシですけど、データが欲しいです】ってサイファーに手紙を投げてくれる。するとサイファーはプロキシにデータを返して、プロキシは清水に返してくれる。するとサイファーからは、アメリカの良くわかんない所からの手紙が来た、としかわからない」
「へぇ、そんなのがあるんだ。でもサイファーは、そのプロキシから大量の攻撃がされてる、ってのはわかるんでしょ?」
「そう。だからサイファーは、プロキシの管理者に電話して聞く。【オマエん所から凄い攻撃が来てるけど、喧嘩売ってるの?】。でもさ、海外のサービスなんてちゃんと管理されてないケースも多くてさ。元々確信犯的にクラッカーの手伝いをしてるような所もあって。なかなか【それって清水って人からのリクエストでしたよ?】って答えてくれなかったりする」
「へぇ、成る程」
「そんな感じで、プロキシ・サービスを捜してそこを利用すれば、通信元を誤魔化すことは出来るんだけど、それってプロキシの管理者の気分次第だったりしてさ。清水の場合はあまりにも酷い攻撃だったから、管理者もびびっちゃって、あっさりサイファーに攻撃元の情報を明かしちゃったんじゃないかな。それに問い合わせが警察経由だったりすると、答えない訳にもいかないし――
ま、これは一例だけどさ。プロキシ以外にも、通信元を誤魔化す方法は幾つかある。けれどもどんな方法を採ったとしても、コンピュータ・ネットワークの仕組み上、完璧に通信元を隠蔽する方法はないんだ」
「じゃあなんで、相変わらずデシネとか好き勝手に暴れてるの?」
「八割は、CNUの怠慢」
あっさり、そして僅かな嫌悪を含めて言い放った羽場に、瑠璃子は思わず首を突き出していた。
「怠慢?」
「そうだよ。ネット上で全てが完結する犯罪って、銀行強盗や殺人事件なんかより、事件の犯人を捕まえるのは全然簡単なんだ。爆弾の入った小包には、ちゃんと送り主が書いてあるんだからね。
だってのに警察はネットなんて良くわかんない体育会系のオッサンばっかだから、良くわかんないし、なんか簡単に捕まえられるヤツだけ捕まえておこうって。そんな感じでさ。清水の件にしても、本当は九分九厘そのまま放置しておいても大丈夫だと思ったけど。まぁルリちゃんが捕まったら困るから偽装工作しただけで――クラッカーのボクが云うのも何だけど、このままじゃヤバイよね」
「へぇ、そうなんだ」
ふと瑠璃子にも、CNUに対する嫌悪感がわいてくる。
「じゃあ、残りの二割は?」
「そうだな。ルリちゃん、誤解して欲しくないんだけど、ボクが説明した【通信元は基本的に辿れちゃう】っていうのは、あくまで【どの回線の末端から通信が行われたか】までなんだ。それってつまり、【誰が通信を行っていたのか】と、イコールじゃない」
「そっか。そりゃそうだよね。学校のパソコンから攻撃されてたとしても、誰がパソコン操作してたかなんて、ネットの向こうからじゃ調べようがない」
「その通り。そういう風に、ネットでは末端を突き止めたけど、そこから現実世界で犯人を追えないってケースが一割くらいある。これは遊びじゃない、本気の犯罪だよね」
「へぇ、成る程。で? 残りの一割は?」
「【通信元は基本的に辿れるんだけど、それが現実的に不可能なくらいの偽装を行う】ケース。簡単に云うと、清水がやった方法を、もっと徹底的にやるんだな。例えばプロキシを一台だけじゃなく十台くらい中継させて、中には中国とかアフリカとか、もの凄い問い合わせの難しい国を噛ませたりする。するとCNUは途中で面倒くさくなって放り投げちゃう」
「成る程、色々考えるもんなのねぇ」
「まぁね。まぁそんな感じで、ボクが思うにネット上の犯罪の八割方は、そうした工夫が全然ない、今のルリちゃんでも出来るような方法でされてる。
残りの二割は、CNUがウィザード級のハッカーを揃えても追うのが難しい――プロのクラッカーや、スパイによる犯罪だね。
そんでさ、CNUって八割の方も全然取り締まれてない。残りの二割にしたって全然手つかずでさ、こういうのを真面目に追ってるのは、CIAとかFBIとか――そんな組織くらいだよ」
「つまり、ジャンプが捕まるはずはない、と」
「かもね」
若干、自信なさげに首を傾げた羽場に、瑠璃子は身を寄せて尋ねた。
「それで? ジャンプの偽装工作って。どうやってるの?」
彼は一瞬押し黙ったが、瑠璃子が横から彼の顔を覗き込むと、諦めたように口の端を歪め、云った。
「いいだろう。概念だけなら、ルリちゃんも理解出来るだろうし。でもボクって根っからの正直者でさ、ウソ吐くのはもの凄い苦手なもんだから、なかなか完璧な通信元偽装システムって構築出来てないんだけど――」つまり、大得意な分野だということだろう。「とりあえず今は、通信元を秘匿するために、あるウィルスを全世界的にばらまいて、何万台ってパソコンに感染させてる」
「ウィルス? ウィルスって普通、パソコンのデータを壊したり、勝手に公開しちゃったりするヤツなんじゃ――」
「一般的にはね。でも実際は、ウィルスってのはそんな悪戯程度のためじゃなく――もっと実利的な用途のために作られ、ばらまかれてるケースの方が多い」
「その一つが――通信元の偽装?」
「そう。ボットネットって呼ばれる仕組みだ」
ボットネット。
次から次へ、様々な用語が飛び出してくる。
けれどもそれも、結局は人の作り出した仕組み。きっと現実社会で行われている犯罪形態を、ネット上に再現しただけのものなのだろう。
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