第5話
「駄目だよルリちゃん、駄目に決まってるって!」
まるで頭の整理がつかないまま、瑠璃子は羽場に事情を説明していた。内容からして他言無用なような気もしなかったが、別に清水に口止めはされていない。
「ヤバイに決まってるよ、そんなこと! ハッ、清水、アイツ、ルリちゃんに良いところ見せたいからって、危ないことに引き込もうだなんて。頭がどうかしてるよ!」
「まっ、まさか」まるで清水の動機にまで、頭が回っていなかった。「あの人は単に、そういうのが好きだからやろうとしてるだけで――」
「じゃあ一人でやって、CNUに捕まればいいのさ!」
「――CNU」
瑠璃子の呟きを、羽場は無知と受け取ったのだろう。大げさに溜息を吐いた。
「警察のネットワーク犯罪専門部隊だよ。ほら、ルリちゃんそんなことも知らない。それでハッカーの真似事しようって? 無理に決まってるじゃん!」
だが、羽場如きに説教を受けると、逆に腹が立ってくる。
「じゃあどうしろっていうの! 美也ちゃんのお父さんは、会社に殺されたのよ?」
「そ、そりゃ、サイファーはボクも知ってるけど、ヤクザでブラックな会社だって有名だけどさ。でもそんなこと、高校生のボクらが関わることじゃない」
「でも、それじゃあ美也ちゃんが――」
「いいかい?」と、羽場は珍しく表情を硬くし、人差し指を立てた。「ボクらに出来ることは、美也ちゃんが戻ってきたときのために。熊の着ぐるみを用意してあげることだよ。ハッカーの真似事してサイファーを追い詰めたって、彼女が喜ぶとは思えない」
チキンハート羽場は、予想通りの答えを寄越してくる。
予想通り。
そう、予想通りすぎて、どうにも瑠璃子は我慢ならなかった。
「――チキン!」
思わず叫んでしまった。
「チ、チキン? 何それ!」
「羽場ちゃん、いっつもそうだよね! 守りに入っててチャレンジしようとしない。何でそうなの? 私らにはチャンスがあるのよ? それで問題を解決出来るかも知れないチャンス。どうしてそれにチャレンジしようとしないのよ!」
「――ルリちゃんは勇気と無謀をはき違えてるよ。だいたいルリちゃん、そこまで清水を信用出来る? あんな薄ら笑いの自意識過剰な中二病の馬鹿なヤツ――」
「もういい! 羽場ちゃんは宛になんないってわかった!」
大きく溜息を吐く羽場に背を向け、瑠璃子は教室を後にする。
まるで話にならない。
羽場もそうだが、他の級友たちも――ネットに関しては、まるで無知すぎる。
勇気と無謀を、はき違えてる?
そう、それはそうかもしれない。けれども羽場のように塹壕に籠もって死を恐れてばかりじゃ、戦いには勝てない。無謀な突撃をしなければ敵の数や強さを見極められないし、仲間を奮い立てることも出来ない。
確かに清水の誘いは、リスクが皆無なワケではない。それは清水が何を考えて瑠璃子を誘ったのかも良くわからないし、第一やろうとしていることは違法行為なのだろう。CNUに捕まれば一躍前科者になってしまうのかも知れないが、逆に清水がそんな恐れがあるほどの事を、しようとしているとも思えない。
そう、バンド・デシネの連中。
彼らだって、散々ネットを荒らし回っていて、未だにのうのうとゲームをしていられるのだ。そこは確かに清水の云うとおり、ネットというのは酷く無法地帯になっていて、あまり警察の力は及ばない世界だ。
しかし清水は、学校で何をするつもりなのだろう?
怪訝に思いつつも、時間を見計らって家を出て、最早一つも灯りの点いていない学校に辿り着く。すると近くの路地からは黒のジーンズに黒シャツという姿の清水が現れて、無言のまま――それでいて例のにやけ面を浮かべながら――瑠璃子を手招きし、学校の裏手へと誘った。
学校の周囲はコンクリートの塀で囲まれてはいたが、そう高いものじゃない。清水は酷く慣れた様子で一つの電柱に近づくと、その傍らに置いてあったポリ製のゴミ箱を足がかりによじ登り、塀の上へと登る。
そこは教室の窓側に面した一角で、塀と校舎の間には木々が生い茂り、あまり掃除もされていないせいか、地面には枯れ葉やゴミが散らばっている。
そんな暗がりの中を清水は足音を忍ばせながら進んでいき、音楽室の所で足を止めた。
ここにも、捨てられた机の一つがある。彼はそれに足をかけると、音楽室の上の窓の一つに、手をかけた。
何の抵抗もなく、開く窓。
「ここ、誰もチェックしないんだよ。夜は守衛もいないし」
そう囁きながら、彼は都市の灯りも及ばない暗がりへと、身を消していく。
最早、後戻りも出来ない。瑠璃子も机に乗って窓枠に手を掛けると、一度に身を躍らせて暗闇の中に飛び降りる。彼はきっと、こんな事を何度も続けているのだろう。用意してきたマグライトを躊躇なく灯し、階段から三階へと向かう。
「ホントに大丈夫なの?」
小声で尋ねた瑠璃子に、清水は苦笑する。
「全然大丈夫。誰もノーチェックだし」
辿り着いたのは、瑠璃子も散々通った情報演習室だった。そこの鍵は閉じられていたが、清水は何事もないようにポケットから鍵を取り出し、開く。
「なんで鍵なんか」
「パソコン部の連中は持ってるから。それ、複製しといた」
「――それで? なんで学校なの?」
尋ねた瑠璃子に、清水はマグライトで室内を照らし上げ、すぐさま教員用の演習卓に向かった。
「回線が太いからな。企業を攻撃しようと思ったら、とても家に引かれてる回線じゃ足りないし、パソコンの処理能力も一台じゃ全然」
そして彼は幾つかのキーを操作すると、一斉に部屋中に置かれた数十のパソコンが光を灯し、キチキチ、キリキリという独特な音を立て始めた。
「それで、このパソコン全部にアングラなツールを仕込んで、そこからサイファーを攻撃する。手伝って」
「ちょっと待ってよ。攻撃、って。実際何するの?」
「――そうだな」彼は呟いて、にやけ面で瑠璃子を手招きする。「ちょっとこれ見ろ。サイファーのページ」それは確かに普通の企業のページらしく、新製品の情報やら新サービスのお知らせなどがメニューになっている。「それで、ここ。ここはサイファーが開設してるネット通販のページで――」
「あぁ、私も使ったことある! バイバイゲートじゃん!」
「あぁ、そっちの方がわかりやすかったか。とにかくこのバイバイゲートって、国内でもトップクラスのシェアがあるんだよ。それでここを落とす」
「――落とす、って?」
「何て云えばわかりやすいかな――こういうページってのは、当然会社のコンピュータの上で動いてる。それで普通のアクセス量には対応出来るくらいの処理能力があるんだけど――それを上回るアクセスがあったら、どうなる?」
「――遅くなる?」
「そう。ページを開こうとしても、なかなか開かなくなる。そうすると今晩の商売が全然成り立たなくなって、サイファーは大損、ってワケ」
それが、落とす、ってこと?
瑠璃子はどうもその作戦の重さが良くわからず、思わず首を傾げてしまっていた。
「それは、サイファーにとっては困るかもしれないけど。それと美也ちゃんのお父さんのことと、何の関係があるの?」
「大ありだろ? あんまり酷いことばっかりやってると、痛い目を見るぞって。思わせなきゃ」
「思わなかったら?」
「毎晩やるまでさ」清水はニヤリと笑って、懐から一本の記憶スティックを取り出す。「ほら、これ。これを順にパソコンに刺していって、中に入ってるアプリを起動してってくれる?」
恐らく清水はこれまでにも、同じようなことを何度も繰り返していたのだろう。酷く手慣れた調子で作業を始める。
ホントに、こんなことして。何か意味があるのかな。
それは明らかに、デシネの連中がやっている、お祭り騒ぎに便乗するのと――何の変わりもない。
今更ながら、瑠璃子はわからなくなっていた。それでも来てしまった以上、このまま帰るのも馬鹿らしい。仕方がなく一番前のパソコンに記憶スティックをセットして、中に入っていたプログラムをパソコンにコピーし、起動させる。
「――ジャンプ・ツールじゃん」
思わず呟いた瑠璃子に、清水は一瞬硬直し、すぐさま例の皮肉な笑い声を上げた。
「なんだ、ルリも随分やってんのな」
「やってないよ。ちょっと知ってるだけ」
「ホントか?」
「この設定は知らないもん」
「え? 基本だぜコレ」笑いながら、カチカチとマウスを動かして設定して見せる。「コイツはDoS攻撃する設定な。自動的にサイファーのページに、繰り返し、繰り返し、何度も何度もアクセスするんだよ。そうすると向こうに負荷がかかって、最後には何も表示されないようになる」
スタート、のボタンを彼が押すと、途端にエンジンメーターのようなメモリがレッドゾーンに飛び込んでいき、パソコンも甲高いファンの音を響かせ始めた。
「全部のツールの稼働状態は、この管理ツールから把握できる」全てのパソコンにセットし終わった後、教員卓のパソコンを覗き込みながら清水は云った。「おぉ、いいねいいね、ガンガン行ってる。今のところこの部屋から、秒間一万アクセス。まだ2スレッドでしか実行してないから、まだまだ行けるな」
それがどれくらい凄いことなのか、良くわからなかった。
「一万アクセスって? どれくらい?」
「この部屋から、急に一万人が買い物始めたようなアクセスのこと」
「そんなに?」
試みに瑠璃子も自分のCELLを取り出して【バイバイゲート】にアクセスしてみる。すると確かにメニューページが表示されるのに、二秒ほどかかるようになっていた。
「あ、確かに遅くなってる。普段は一瞬だもん」
「だろ? 普段ならせいぜい、三万人くらいが買い物してるだけなのに。急にそれに一万人プラスされたんだ。重くなって当然」嬉々として云いながら、清水はガシガシとキーを叩く。「あ、デシネの連中も突撃始めた! どんどん遅くなってる! 2.5、2.8!」
「なんで、デシネが来たってわかるの?」
「デシネの掲示板で、作戦の手筈が話し合われてて――」
「デシネの、掲示板? そんな所あるの?」
ふと教卓を覗き込むと、よくある掲示板式のホームページに、どんどん文字列が書き込まれて行っていた。
『突撃! 突撃!』
『なにやってんの! 弾幕薄いよ!』
『さすが日本最大のショッピングサイトだな。百万PV/sくらいじゃビクともしない』
『援軍要請! 空爆を実施せよ!』
「ヒャハハッ!」
不意に清水が気味の悪い笑い声を上げて、思わず瑠璃子は身を退いていた。
「よっしゃ、こっちも全開にするか。四――いや、十六スレッドくらいで行ってみるか!」
彼が管理ツールを操作すると、部屋中のパソコンの唸り声が、更に高くなる。演習の時でも聞いたことがないほどファンの音が高くなり、部屋中が甲高いノイズで覆われていく。
「よし、単体で百万行った!」
完全に熱中している清水。彼の叫びと同時に、掲示板には一斉に驚きの書き込みがなされていた。
『神だ! 神が来た!』
『単体で百万PV/s? 一体どんな環境でやってるんだよ!』
『いいぞいいぞ! 全然返りが来ない! 完全に墜ちてる!』
慌てて、再びCELLで【バイバイゲート】にアクセスしてみる。
五秒、十秒と待っても、まるで【読み込み中】のままで、見慣れた画面が表示されることがなかった。
「――ほら、これがオレたちの力だ」
ふと呟き、ギラギラした瞳を向ける清水。
そして瑠璃子は、直感に促されるよう、口を開いていた。
「清水クン、デシネなの?」
途端、弾けるように苦笑し、顔を歪める清水。
「ルリって、直感だけはもの凄げぇよな。そう、実は。デシネの中心メンバーの一人なんだ」次いで声を落とし、瞳を、静かにする。「ルリがデシネを嫌ってるのは知ってる。でも連中は馬鹿でお祭り好きなだけだから、こうして煽ってやればいいように使える。実際こうしてオレ、美也のためにサイファーを落としてやった」
へぇ、凄い! それって凄いよ!
そう、瑠璃子が感動するとでも思ってるのだろうか?
息苦しくて、まるで言葉が出てこない。何だか不用意な一言が最悪な状況を生みそうな気がして、瑠璃子は辛うじて、無理に笑みを浮かべてみせることしか出来なかった。
不味い、完全に不味い。
何だかわからないが清水の思考は完全に歪んでいるし、とても瑠璃子なんかが想像出来る範疇を超えている。
またそれが、酷く歪な方向に、だ。とても彼の性格を面白可笑しく眺める気なんかになれないし、むしろこのままじゃ、下手をすると瑠璃子自体が標的になってしまいかねないような気もする。
困った。どうしよう。
そう背中に脂汗を浮かせながら、緊急事態に備えて、CELLを探す。
するといつの間にか、そこには【バイバイゲート】の見慣れたロゴが表示されていた。
「――あれっ?」
どうでも良かったが、この微妙な雰囲気を誤魔化すため、瑠璃子は無理に怪訝そうな声を上げる。
「し、清水クン、ほら、表示されちゃってるよ?」
まるで気を削がれたように、肩の力を抜く清水。
「お詫びページに切り替えたんだろ。攻撃食らった連中が、よくやる手さ。それよりルリ――」
そう椅子から腰を上げそうになる清水を、更に押し留める。
「え、でも、なんか普段とは違う表示が――ほら、見て、見て!」
仕方がない、というように画面に目を戻す清水。
今の内に、逃げるか?
そう考えて一瞬背後を窺ったが、その考えが消え失せるほどの動揺を清水は見せていた。
「あ? 何だこれ?」
声を震わせながら、必死でマウスをカチカチさせ始める清水。瑠璃子も手にしたCELLに目を落としてみると、そこにはこんなお知らせが記されていた。
【ただいま、当社のサーバへ断続的な攻撃が行われており、対策を実施中です。お客様にはご不便をおかけいたしますが、今暫くお待ち戴けますよう、よろしくお願いいたします。
そして特にそこの都立武蔵ヶ丘高校から攻撃してきてる馬鹿、てめーは速攻で通報したから死ね。】
都立、武蔵ヶ丘高校。
それは瑠璃子たちが通う高校の名前に、違いなかった。
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