第2話、妹さえいれば……。

「──はっ⁉」


 自分の叫び声によって目を覚ませば、そこはもはやすっかり見慣れたこの夏限定で借りている、高原の湖のほとりに建てられた瀟洒なコテージの僕専用の寝室であった。


「……夢、だったのか」

 あたかも海で溺れたかのように寝汗でびっしょりと濡れた、夜着パジャマをまとった上半身をベッドの上で起こしながら、ひとりごつ。

 ……そりゃそうだ。確かに現在謎の連続昏睡化事件が世間を騒がせているとはいえ、、全員元気に夏休みを迎えているし、妹のりんだって──。

「うん?」

 その時になってようやく僕は、ベッドの中の違和感に気がついた。


「──って、りん⁉」


 何ということでしょう。いつの間にか僕の布団の中には、今年中学校に上がったばかりのお年ごろの義妹が潜り込んでいたのです。

「──おいっ、りん! 何でおまえがこんな朝っぱらから、僕の部屋にいるんだよ⁉」

 焦りまくりながらまくし立てるお兄様であったが、むしろ義妹いもうとさんのほうはいかにも心配そうな表情ではしたなくも四つん這いの体勢となって、至近距離までにじり寄ってきて僕の顔を覗き込むばかりであった。


『──そりゃあ妹さんも、ベッドに潜り込んでくるでしょうよ。あなたってばよほど夢見が悪かったのか、隣のこの子の部屋にまで聞こえるくらい、一晩中うんうんうなされていたんだから。心配になって見に来るのも当然じゃない』


 その刹那、突然ベッドの脇のテーブルの上に置いてあった愛用のコバルトブルーのスマートフォンから鳴り響いてくる、散々聞き飽きた幼い少女の声。

「……メア」

 またこいつってば、スイッチも入れていなかったスマホの音声回線を無理やり開いて、アクセスして来やがってからに。

『とにかくいい歳をした社会人が、中学生の妹に心配をかけるなって言うの。どうせいつものしょうもない悪夢を見ていただけでしょう?』

「しょうもないって………………あっ。まさか今の夢も、おまえが見せていたんじゃないだろうな⁉」

 何せ夢魔だし。それにいろいろと前科があるし。

『……何でもかんでも人のせいにしないでよね。確かにあなたがどんな夢を見ていたかはけど、今回は私は関与していないわ。そんな被害妄想ばかりしているからこそ、あんな悪夢を見てしまうのよ? 別に現実にはあなたの生徒さんは誰一人とて、昏睡してなんかいないんでしょう?』

「それはそうかも、知れないけど……」

『はいはい。もうそれ以上グズグズ悩むのはおやめなさい。せっかくの可愛い妹さんとの二人っきりの夏休みなんでしょうが? ──ほうら、いつまでもベッドで寝ていないで、とっとと朝ご飯にしましょう。妹さんがわざわざ早起きして作ってくれたというのに、料理が冷めてしまうわよ?』

 そのメアの言葉に驚いて振り向けば、にっこりと微笑みを浮かべて大きく頷くりんさん。

 そ、そうか。ほんのこの前まで小学生だったりんが、僕のために朝食を作ってくれたのか。──お兄ちゃん、感激♡

『それに今日こそは、妹さんとのこの夏の思い出のアルバム用に、彼女の写真をじゃんじゃん撮る御予定だったんじゃないのお? 真夏とはいえ山の中は陽が短いから、うかうかしていたら撮影のためのグッドタイミングを逸してしまうかもよ?』

 おっといけねえ、そうだった。こりゃあいつまでも寝ていらねえぜ。

 そのように僕の顔にやる気がみなぎり始めたのを見て取ったのか、ぱっと表情を輝かせるやベッドを飛び降り、結局最後まで一言も発することなく、食堂に向かって駆け去って行く妹殿。


 ──さあ。また今日も一日、にぎやかなる『夏休み』の始まりだ。


 僕は言いたいだけ言い終えすでに沈黙していたスマホをテーブルの上に置くや、寝汗だらけのパジャマを脱ぎ捨てて身支度を整えて、最愛なる妹の後を追っていった。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──あははははははっ!」


 抜けるような真夏の晴天のもと、鏡のような湖の浅瀬で水しぶきを上げながら戯れている白いワンピースと麦わら帽子をまとった少女が、こちらに向かって天真爛漫な笑声を上げながら手を振っていた。


 この夏のなかにあって涼しさすら感じさせる緑豊かな高原と、その中央で青々とした水をたっぷりとたたえた中規模の湖と、そのほとりに寄り添うようにして建てられているこぢんまりとしながらも瀟洒な趣のあるコテージ。

 いかにも閑静なリゾート地の別荘といったたたずまいだが、これが単なる一学園の教職員の福利厚生のための保養所に過ぎないというのだから、返す返すも自分の職場の名門おハイソぶりに感嘆するばかりだが、そのお陰でこうして最愛の妹であるりんと二人っきりの夏休みを堪能できるのだから、文句なぞ何一つあるわけがなかった。

 何せコテージのみならず湖や高原全体を含めて辺り一面すべてが学園の私有地なのであり、この広大なる大自然の中において見渡す限り僕ら以外の人影はまったく見受けられず、あたかもこの真夏の世界の中に、僕とりんしか存在していないかのようでもあった。


 ……ふっふっふっ。まさに願ったり叶ったりの状況ではないか。


 僕はスマホ内蔵のカメラのレンズを、湖の浅瀬で水遊びに興じている、この世で最も大切な少女のほうに向けながら、胸中でほくそ笑んだ。

 そう。実は僕はりんさえいれば他に何もいらないし、余人じゃまものなぞ誰一人として必要としないという、根っからのシスコンであったのだ。


 それというのも、僕とりんはそれぞれの父親と母親とが再婚した際の連れ子同士で、兄妹といっても義理の関係にあったが、その両親が僕が高校に上がったばかりでりんもまだ幼い時分に亡くなってしまい、それ以来兄妹二人っきりの生活を余儀なくされたのであり、りんのほうの実家である我が国でも一二を争う名家ゆめどり家が経済面を始め何くれと援助をしてくれたものの、親のない身としては一日も早く自立すべきであると意を決し、僕は高校生の頃からバイトに明け暮れるとともに趣味のネット小説作成以外は勉学にだけ全力を尽くし、優秀な成績を収めて奨学金を得て某大学の教育学部を卒業し、何よりも身分の保障されている教師への道を選んだのであった。

 もちろんすべては妹であるりんに、何不自由のない暮らしをさせるためである。

 自分自身の生活そのものや、趣味の延長としてプロの作家になりたいとかいった職業選択に対する好みや望みなぞ、どうでもよかった。


 ただ妹さえ笑顔でいてくれたら、他には何もいらなかった。


 その甲斐もあってりんのほうは、母親同様に生まれつき口がきけないというハンデを背負いながらも、すっかり素直で良い子に育ってくれたのであった。

 今年めでたく僕の勤め先であるちょうもり女学園とはまた別の中学校に入学した彼女は、自ら食事作り等の家事を率先して分担するようになり、就職してこれまで以上に忙しくなった僕のことを何かとサポートしてくれるようになったのだ。

 それに付け加えて、時たま垣間見せる何気ないしぐさの中に、幼いながらもどこか女っぽさをも感じさせるようになり、我が妹のことながらついドキッとさせられることも多くなったのであった。


 ──そうなのである。兄のひいき目でも何でもなく、実はりんは世にも稀なる『美少女』だったのである!


 夏の盛りの季節にふさわしいノースリーブの純白のワンピースに包み込まれたなまめかしい白磁の肌をした華奢な肢体に、烏の濡れ羽色の長い髪の毛に縁取られた日本人形そのままの端整な小顔の中で、燦々と降り注ぐ陽光を浴びて煌めいている黒水晶のごとき瞳。

 まさにそれは真夏の妖精か湖の精霊とも見紛うほどに、神秘的な可憐さを誇っていた。

 ……ああ、りん。マイ、ラブリー、エンジェル!


『──まったくもう、骨の髄までとことんシスコンなんだから。そんなに妹さんのことばかりスマホで撮っていないで、あなたも一緒に水遊びを楽しんだらどうなのよ?』


 ワンピースの裾をたくしあげてカモシカのような足を惜しげもなく覗かせながら水を蹴り上げているりん──というベストショットを前に一心にシャッターを押し続けていれば、唐突に手のうちのスマホから鳴り響く、いかにもあきれ果てた幼い少女の声。

 むろんそれは例の『NIGHTMAREナイトメア』サイトの代表的端末エージェントにして、自らを夢魔だと称す音声だけの実体なき存在、『メア』の涼やかなる声音であった。

「シスコン上等! 僕はりんの艶姿をこの一夏のメモリーとしてスマホに記録していれば、それだけで十分満足なのであって、自分自身の余暇や享楽はどうでもいいのだ!」

『……やれやれ、相変わらず処置なしね』

 そのようにスマホを介してお馬鹿な会話を交わしていた、まさにその時。

「──うわっ! な、何だ⁉」


 あたかも僕と最愛の妹との二人っきりの世界をぶち壊すかのように、突然天空より轟きわたってくる爆音。


 咄嗟に見上げれば、一応カムフラージュはしてあるものの明らかに軍用とわかる大型ヘリコプターが、何ら障害物のない広々とした高原のど真ん中へと降り立とうとしていた。

 そしてしばらくして機体が完全に静止してから二名ほどの和風ナースさんを伴って姿を現したのは、三十絡みのがっちりとした長身に白衣をまとった一人の優男であった。

「……水無みな、先生」

「やあやあ、あかつき先生、お久しぶり。せっかく夏休みを御堪能のところ恐縮ですが、いわゆる一つの定期検診てやつですよ」


 そうなのである。今まさにいかにも善人めいてむしろ詐欺師臭くも見えてしまう気障ったらしい笑顔を振りまきながら僕に握手を求めてきているこの御仁こそ、かつて謎の奇病により危篤状態となったりんの命の恩人にして主治医である、水無瀬すぐる氏であった。


「いや、検診というには、本当に随分と久しぶりですね?」

「まあ、前回の検診結果が非常に良好だったということもありますけどね。それに何よりもここ最近はずっと、例の事件の対応に大わらわでしてね」

「……ああ。あの話題の連続昏睡化事件ですか。まだ続いていたのですか?」

 実は何を隠そう、彼が院長を務めているちょうクリニックこそが、現在世間を騒がせている謎の連続昏睡化事件の罹患者たちの、唯一の収容先となっていたのだ。


「続いていたも何も、知らないんですか? 今回は特に、高名なるSF小説家であられる先生と、超人気ミステリィ小説家であられるえすまみ先生が、相次いで昏睡してしまったものだから、ネットを中心に世間中が大騒ぎだったのですよ?」


「──っ」

 やはりあの二人、本当に昏睡してしまったのか。

 ……それもこれも、僕ののせいなんだよな。

「いやあまさか、今回も何から何まで全部、あの現在ネット上の小説創作サイト『SFしょうせつこう!』において話題騒然の、短編連作作品『白日夢デイドリーム』の通りになってしまうなんて。あの作者の『うえゆう』氏って、いったい何者なんですかねえ。まさか本当に予知能力でも持っているのではないでしょうね」

 ──くっ。しらじらしい。


 自分自身もりんや彼女の亡くなった母親同様に、メアを──つまりは夢魔を奉っている異形の旧家『ちょうの一族』出身で、まさに今名前が出た『SF小説を書こう!』サイトや『NIGHTMAREナイトメア』サイトの管理人を任されているくせに。


「とはいえ、うちのクリニックに収容さえすれば、何の問題もありませんよ。何せ我が国を代表する企業体であるちょうコンツェルンが総力をあげて開発に成功した治療システムによって、いくら長期間にわたって昏睡状態を続けようが、微塵も健康を損なうことは無いのですからね。まあそのお陰で、昏睡者が一人残らずうちのクリニックに担ぎ込まれてくることになってしまっているんですけどね。──おおっと、いけない。おしゃべりはこの辺にして、さっそく妹さんの検診にとりかかることにいたしましょう」

 そう言い終えるや、ナースさんたちとともにりんを促してコテージのほうへ向かっていく、青年医師。

 一方僕はと言えば、そんな彼らの後を複雑な思いを抱きつつ、重い足取りでついていった。


 ──なぜなら、実はこの僕こそが、現在の連続昏睡化事件を引き起こしている、張本人なのだから。

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