第6話

 まさにその時、もはや我慢の限界を迎え思わず口に出してしまった私の魂からの叫びに呼応するかのように、スマホから鳴り響いてくる幼い少女の声。


「……って。メア?」

 そうそれは、ナイトメアから授けられた異能を使っている人たちに対するメッセンジャー専門の端末にして、自称夢魔の久方ぶりの御登場アクセスであったのだ。


「な、何よ、別にこちらからアクセスしたわけでもそもそも音声通信回線を開いていたわけでもないのに、いきなりアクセスしてきたりして。まさか私のことを、二十四時間ずっと監視しているんじゃないでしょうね?」

『まさかも何も、あなたの一挙手一投足を余すところなく把握していないと、過去改変を実現してあげられないんだから、監視しているのは当然でしょう?』

「はあ? 私を監視していなければ過去改変が実現できないって、何よそれ?」

『うふふ。これに関しては気が向いたら、後で詳しく説明してあげるわよ。それよりも今はむしろ過去改変の結果のほうに関して、聞きたいことが山ほどあるんじゃなくって?』

「そ、そうよ! 何なのよ、あの過去改変の力ときたら、とんだ期待外れじゃないの! 何で次から次へと不測の事態が発生して、必ずバッドエンドになってしまうのよ⁉」

『だから言ったでしょ? あなたの過去改変というの力では、不測の事態を予測するというの力を使えないからよ』

「でもあなた自身が以前言っていたことによれば、過去改変を始めとする全能の力は、まさしく神様や量子コンピュータ等に代表される全知の力をも超越する絶大さを誇っているんでしょう? なのになぜ全知の力でも可能なことすらもなし得ずに、過去改変に失敗し続けて、ちっとも思い通りにならないのよ⁉」

『確かにただ単に日記や小説等を書き換えたり書き加えたりするだけで、この現実世界そのものを現在過去未来を問わずに好き放題に改変できる全能の力は、全知なる神すら及びもつかない絶大なるものと言えるけど、今ここで問題としているのは別に全知と全能のどちらがすごいのかということではなく、全知と全能とがまったくの別物であること──ていうか、むしろお互いに矛盾し合っているものであるということなのよ。だいたいがさあ、あなた自身SF小説家のくせに、全知と全能の違いすらもわかっていないわけえ?』

「──うっ。い、いやだって、私自身の作品ではないとはいえ、最近立て続けに二、三作品ほど、明らかに『全知』を自認している天才少女が、たった一人で屈強な軍隊と渡り合ったり、姿の見えない異形の敵をあっさりと退けたり、物理計算だけで未来をピタリと予測したりするといったのが刊行されたものだから、『何だ、全知と全能って、別に区別する必要はないんだ』と理解してしまったわけでして……」

『……ああ。それって間違いなく全部「全能」だわ。何よ、本当にプロのSF小説家でも、全知と全能の区別がついていなかったの? しかたない、私が一から説明してあげるわ。いい? まず全知についてなんだけど、さっきは全知よりも全能のほうがまさっているように言ったけど、これはけして単純に全知のほうが格下でしかないという意味ではなく、あまりもすご過ぎて結局は全能に対して、全知のほうは十分にレベルにあることを示しているだけなの。あなたたちSF関係者にもわかりやすく言えば、全能のほうが今や時代遅れで非論理的と言っても差し支えない、古典物理学を代表する「決定論」に基づいているのに対して、全知のほうは現代物理学を代表する量子論に基づいているのであって、実は全知の力を持ち得る神様や悪魔や私のような夢魔の類いは、意識を有する量子コンピュータのようなものなのであり、けして荒唐無稽な非科学的な存在ではないってことになるの。何せ形なき波の状態の量子ならではの無限に存在し得る形ある粒子としての状態の量子とシンクロできる力を受け継いでいる量子コンピュータなら、この世の森羅万象の無限の未来の可能性をも予測計算シミュレートできるのですからね。つまり量子コンピュータさえ実現できれば、神にも等しき全知の力を得ることすらもできるというわけなの。ただしここで勘違いしてはならないのは、全知の力を使えるからって、けして全能の力を使えるようになるわけではないのよ。むしろ全知の力を使えるからこそ、全能の力は使えなくなるの。ここら辺のことに関しては以前ちょっとだけ述べた「明日の天気に対する未来予測」を例に挙げるとわかりやすいと思うんだけど、言うなれば全知のほうは未来の無限の可能性をすべて予測計算シミュレートできるからこそ──つまりは、明日の天気には晴れる可能性も雨が降る可能性も曇る可能性も天変地異に見舞われる可能性も、それぞれの実現確率にはそれなりの差があるものの、すべて存在することを知っているからこそ、明日の天気をただ一つだけピタリと当てたりすることはもちろん、恣意的に一つに決定できたりするといった、全能の力なぞ持ち得ないのであり、それに対して全能のほうは明日の天気をただ一つだけピタリと当てたり恣意的に一つに決定できたりするからこそ、むしろ自分自身で他の無限の可能性が実現することを潰しているようなものなのであって、全知のように無限の未来の可能性を予測計算シミュレートすることなぞ、まったく実現不可能ってことになるのよ。言わばこれまた前にも述べたように、世のことわりの守護者たる神様に代表される全知の力は、何よりも「この世界には無限の可能性があり得る」という量子論を始めとする現代物理学における大原則に基づいているということなのであり、それに対して決定論に基づいている全能の力のほうはまさしく非現実的なる絵空事そのものでしかなく、いわゆる「おとぎ話の中に出てくる何でもアリのエセ神様」のようなものなのであって、意識を有する量子コンピュータとして十分に現実的な全知なる本物の神様とはまったくの別物で、あなたがさっき例に挙げたSF小説の中の「全知少女」たちも本当のところは何でもアリの「全能キャラ」に過ぎないのは、この「おとぎ話の中に出てくる何でもアリのエセ神様」同様に、何よりも「小説の登場人物」であるからなのよ。何せ小説の登場人物はその小説世界における神様である「作者」の一存で何でも実現できるのだから、どうしても全能キャラになってしまいがちなの。たとえ作品内で「全知の天才少女」と明言されていようとね。そう。小説に登場してくるキャラクターなんて、いにしえのシャーロック=ホームズから最近の自称全知少女に至るまで、けして全知なんかじゃなく、今や時代遅れの何でもアリを標榜している決定論にこそ基づいた、全能キャラでしかないって次第なの』

 な、何ですってえ⁉

 シャーロック=ホームズに始まって最近のSF小説の登場人物に至るまで、いかにも全知であることを自認しているキャラたちは、実は小説等の創作物フィクションの世界でしか存在し得ない、全能キャラだったというわけなの⁉

『ここまで言えば、あなたがなぜ過去改変という神をも超越する絶大なる力を振るいながらも、少しも思い通りにならない理由が、おわかりのことでしょう? ネット上に公開した日記を書き換えることによって、この現実世界を改変することのできるあなたは、今やまさにこの世界における「作者」そのものの──つまりは「おとぎ話の中に出てくる何でもアリのエセ神様」そのものの全能の力を有しているわけで、だからこそまさしくその全能の力によって「結末」に関してはただ一つに決めつけることができるけれど、そこに至るまでにどのような「過程」があり得るのかを予測計算シミュレートする力は無いゆえに、たとえ自殺した恋人を生き返らせるという結末ゴールは達成できても、むしろ自殺を防止したために更に恋人を追いつめることになって、あなたへの殺意を募らせることになったりするという思わぬ事態の発生により、結果的に悲劇バッドエンドを呼ぶことにもなり得るって次第なのよ』

 私がいくら過去を改変しようが必ずバッドエンドになってしまうのは、無限に存在し得る過程プロセスをあらかじめ把握することができなかったからですって⁉

「……そういえばあなた、夢魔も神様同様に全知だって言ってたけれど、あなただったら過去の改変や未来の恣意的決定等の全能の力を振るう際に必要となる、無限に存在し得る過程プロセスのすべてを予測計算シミュレートすることができるわけなの?」

『当然よ、だからこそ私はこうしてあなたのこれまでの行動を、一挙手一投足に至るまで把握しているんじゃないの?』

「はあ?」


『……まったく、それでよくも時間SF小説家なんて名乗れるわね。まだ気づかないの? あなたはネット日記を書き換えることで、過去の改変──つまりは世界そのものの改変を、すでに何度も実行しているのよ? ということは世界中の過去に関する記録はもちろん、すべての人の記憶すらも書き換えられているのであり、本来ならあなたと違って全能ではない私の記憶も書き換えられてしまっていて、改変以前の記憶は残っていないはずでしょうが?』


 あ。

「そ、そういえば、そうだった。あなたがいかにも当然のようにして解説役を担ってあれこれと説明してくれているから、完全にスルーしてしまっていたわ。……いやでも、そもそも私に過去改変の異能を与えてくれたナイトメアの端末なんだから、過去改変の影響を受けなくても別におかしくはないんじゃないの?」

『いいえ。過去改変の異能を他人に与えられることと、過去改変の影響を受けないこととは、直接関係はないわ。私が全能の力である過去改変の影響を受けないのは、むしろ全知の力を持っているからなの。あなたは日記の過去の記述の一部を抹消デリートしてから新たに書き加えることによって、実際に過去そのものの一部を抹消デリートさせた後に新たなる過去を生み出させることで過去改変を実現して、それが失敗に終わったら書き換えた部分を全部抹消デリートして再び書き加えるといった作業を繰り返していっているでしょう? これこそは現実世界と日記の中の世界とを多重的自己シンクロ化させるといった特殊な状況下であるからこそ実現可能なことなのであり、無限の連鎖世界において同時に過去の一部が完全に抹消デリートされて、そしてその後にやはりすべての世界において同時に新たなる過去が生み出されているのだから、その過去のみが最初から唯一本物の過去──いわゆる「同一時間軸上の過去」ということになり、タイムパラドックス等のいかなる矛盾も一切生じさせることなく過去を改変し得るという、量子論に基づく現代物理学すらもねじ曲げ、決定論的全能の力を振るえるというわけなんだけど、それでも量子論に基づくこの現実世界にとっての無限に存在し得る「別の可能性の世界」の中には、この「すでに抹消デリートされたはずの世界」も存在し得ることになるの。なぜならそれはまさしく「無限に存在し得る可能性の世界」なのだから──の一言に尽きるわけ。だってこれから先もあなたが過去改変をし続けていけば、抹消デリートされた過去とを繰り返す可能性も、完全にゼロではないでしょう? ──例えば、本当はそんな必要はなくまったくの無駄足に過ぎないのに、ついスマホでの入力中に指が滑って、以前失敗に終わった過去と同じ過去を日記に書き込んでしまうとかね』

「‼」

 た、確かに。日記の書き換えによる過去の改変もすでに二十回にもなるんだから、自分でもこれまでどういうふうに書き換えてきたか記憶がごっちゃになってしまって、以前とまったく同じ過去を繰り返す可能性も十分あり得るわよね。

『それに対して全知なる神や夢魔の類いはいわゆる量子コンピュータそのままに、この世の森羅万象──ひいては世界そのものの無限の未来の可能性を予測計算シミュレートできるのだから、当然過去改変によって抹消デリートされたはずの過去も把握できているわけなの』

「えっ。抹消デリートされた過去まで把握できるなんて、全知だって全能に負けず劣らず、十分すごいじゃないの⁉」

『そうよ。本来全知とは、こういうものなの。確かに明日の天気をただ一つだけ言い当てたり恣意的に決定したり過去を改変したりはできず、ただ単に「この世に存在しているその未来の無限の可能性を含めて一つ残らず」だけど、むしろだからこそすごいのよ。だって何度も言うように、過去を改変したり未来を恣意的に決定したりできたとしても、その決定に至るまでの過程のすべての可能性を予測計算シミュレートできなければ、本当の意味で思い通りにならないのですからね。──論より証拠に、これを見てごらんなさい』

 その言葉とともに私の手のうちのスマホの画面上に、結構な量のある文章が表示された。

 それはインターネット上の人気小説創作サイト『SFしょうせつこう!』において現在話題沸騰中の、『白日夢デイドリーム』という短編連作シリーズ中の一編であった。

「……あれ? 【ステージ3】て。これってずっと欠番だったんじゃないの? それにステージタイトルが、『恋の過去改変日記ダイアリィ』って……」

 なぜか初めて見るはずの文章のはずなのに、どことなく見覚えを感じてしまい怪訝に思いつつも、とりあえず全編を最初から最後までざっとスクロールして流し読みしていく。


「──ちょっ。これって、まさか⁉」

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