【ステージ1】『永遠の夏休み(エンドレス・サマー・ドリーム)』

第1話、一つだけの空席。

「──おはようございます、あかつき先生!」

「先生、おはよー!」

「グッモーニン、ディア、マイ、ティーチャー!」


 さわやかな朝陽のもと、正門から校舎へと連なる並木道にて飛び交う、セーラーカラーの純白のワンピース型の制服姿の少女たちの、幼くもはつらつとした挨拶の声。

 そのすべては、担任教師であるこの僕、明石月ゆうへと向けられていた。


 私立ちょうもり女学園。


 めいの文明開化当時の創立以来の伝統と格式を誇り、旧華族を始めとする政財界を代表する名士の子女が数多く在籍している、我が国においても名門中の名門であり、さしの地に設けられた広大な敷地に幼稚舎から大学に至るまでの各校舎を擁し、施設の利便性や豪華さから教師陣のレベルの高さに至るまで他に類を見ないほどに、まさしく理想的な教育環境を実現していた。

 それは教師になりたての僕がこの春から受け持っている中等部一年D組においても同様で、担任である僕は心から慕われ、生徒たち同士の仲も非常に良好で、『いじめ』や『登校拒否』などといった昨今の教育現場における諸問題なぞ、影も形も存在していなかった。

 教員免許は取れたというのに、長引く不況ゆえの民間企業への就職難のあおりを食って教師志望者が急増したために、公立校への採用は叶わなかったが、遠縁のさる名家のコネによりこの名門胡蝶の森女学園の中等部に物理学の教師として採ってもらえたものの、よりによって古式ゆかしきお嬢様学校で教鞭をとることになるなんて思ってもいなかったので戦々恐々となってしまったのだが、案ずるより産むが易しとはまさにこのことで、実際に教壇に立ってみれば目の前に座っているのは、世間一般よりもいかにもおっとりとした素直極まる生徒ばかりで、授業や生活指導その他すべてにおいてすこぶるやり易く、まったくもって一安心といったところであった。

 しかも名門私立校だけあって、給料その他の待遇も公立校とは比べ物にならないくらいの破格さを誇り、更には数少ない若手の男性職員ということで、力仕事を中心に学内多数派の女性教職員からも大いに頼りにされることになり、新人教師にとっての最大の難関である職場の人間関係においても幸先のよいスタートをきれた。

 中身も外見も可愛らしい生徒たちに、和気あいあいとした同僚たち、そして新人教師には好条件過ぎる給料等の諸待遇。

 この学園を紹介してくれた遠縁の親戚には、感謝してもしきれないほどであった。


 そんな一見完璧に見える僕のクラスであったが、ただ一つだけ少々気にかかる事があったのだ。


 それは生徒たちの席の並びで言えば、教壇からは最も遠い廊下側の最後列の端っこの席であったのだが、そこだけは新年度開始日からずっと空席のままであったのだ。


 とはいえそれは単に、本来のクラスの定員が四十名のところ実際には三十九名しか配置されていないからであり、『長期の病欠』とか『登校拒否』等を行っている生徒がいるわけではなかった。

 だがしかし、一年生の新年度早々から空席があること自体が、そもそもおかしいのだ。

 確かに我が学園は幼稚舎から大学に至るまですべてエスカレータ方式で、ほとんどの生徒は初等部からの持ち上がりだが、外部の小学校から受験して編入した生徒も少数とはいえ存在した。

 もちろんその編入人数は新一年生の定数ぎりぎりまで充てられており、合格発表後に何らかの理由で欠員が生じたりした場合は不合格者のうちから成績の順にいわゆる『補欠』として編入させるはずで、新年度早々定員割れが生じることなぞ原則的にあり得ないのだ。

 それに仮に何らかの理由で最初からこのクラスには三十九人しか生徒が配置されていないというのなら、持ち主のいない四十人目の机や椅子を置いておく必要はないはずなのに、すでに一学期も後半に入ったというのに撤去されることもなく、いまだ教室の片隅でその存在感を誇示していたのであった。


 まるでそこには姿の見えない生徒がいて、みんなと一緒に授業を受けているかのように。


 ……いや、そんなことなんてあり得ないのは、担任の僕自身が誰よりもよくわかっているんだけどね。

 当然出勤簿を始めとする人事関係の書類には、いるはずの無い『四十人目の生徒』に関しては一切記載されてはおらず、別に不治の病に罹って長期療養を余儀なくされていたりいじめ等の被害を受けて登校拒否をしたりしている、不幸な生徒などいやしなかった。


 それなのに、この違和感は、いったい何なのだろうか。


 担任の僕には全幅の信頼を寄せてくれていて、生徒同士の間では和気あいあいとした連帯感を誇っている、この上なき理想的なクラス環境だというのに。

 ────否。

 むしろあまりにも完璧に理想的だからこそ、たった一つだけ空席があることが、まるで喉元に突き刺さったままの魚の小骨であるかのように、どうにも気になって仕方ないのかも知れなかった。

 これに関しては生徒たちも同様のようで、あたかも空席のことを口の端に上らせるだけでも、せっかく自分たちが築き上げた良好なクラス環境を損なってしまいかねないとでも言わんばかりに、まさしく『触らぬ神に祟りなし』そのままに、空席の存在自体を完全に無視するようになっていたのであるが、

 ──好事魔多しとは、まさにこのことか。

 あまりにも唐突に、生徒たちの身に想像を絶する災難が降りかかってきたのである。


 それはまるで、僕たちから完全に無視されてきた空席による、呪いのようでもあった。


 というのも何と、クラスの生徒たちが次々と突然まったく原因不明の昏睡状態に陥っていき、その結果教室内に一つまた一つと空席が増えていったのだ。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──どうしてだ、どうしてこんなことになってしまったんだ⁉」


 そのように今や毎日のようにしてわめき立てつつも、僕は自分の受け持ちのクラスにおいてどんどんと空席が増え続けることを、ただ手をこまねいて見ているしかなかった。


 何せ、そもそも生徒たちが昏睡してしまった原因自体が、まったくの不明であったのだから。

 もちろん親御さんたちも我が子を襲った唐突なる奇病に対しては金や手間を惜しむことなく、あらゆる手づるを使って多種多様な医療機関で診てもらったものの、治療の方法どころか昏睡の原因を突き止めることすら一切できなかったのだ。

 ただ一つわかっていることは、生徒たちの誰もが意識を失った際において、ある特定のサイトを表示したスマートフォンを、その手の中に握りしめていたことだけだった。


 実はまさにその『NIGHTMAREナイトメア』サイトこそ、『真に理想的な世界への転移を叶えて差し上げます』という惹句キャッチフレーズを掲げ、現在巷においてプロの作家を含むSFマニアたちを中心に多くの昏睡者を出しているという、話題騒然の謎のサイトであったのだ。


 そう。昏睡しているのは何も、僕の受け持ちの生徒たちだけではなかったのである。

 それに彼女たちが昏睡状態に陥ったのは、ほとんどの場合自宅等においてのことであって、学園内において何らかの事故や事件に巻き込まれたわけではなく、担任である僕を始め学園側には何の落ち度もなかった。

 とはいえなぜだが学園において昏睡していくのは、僕の受け持ちの生徒ばかりであったのだ。

 よって別に面と向かって責められるようなことはなかったものの、悲しみに暮れる生徒たちの保護者の方々と接するうちに、罪悪感のあまり僕のストレスはどんどんと高まるばかりであった。


 そして夏休みを目前にして、クラスの約半数が空席と化したの機に、僕は生徒たちが収容されている医療機関へと見舞いに行くことにしたのである。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 実は今回の謎の連続昏睡化事件の被害者たちは、SFマニアたちを始めとして僕の生徒たちを含めてその全員が、何と同じ医療機関に収容されていたのだ。


 ──その名も、『ちょうクリニック』。


 そう。僕の勤めているちょうもり女学園と経営母体を同じくしていて、聞くところによるとここでは昏睡者をほぼ完全に健康な状態のままで維持できるという画期的な施術を実現していて、そのまったく新しい医療システムを他の医療機関に秘匿するためにこそ患者の親族以外の見舞いは原則的に謝絶していたのだが、事態を重く見た学園当局の依頼もあって、担任教師の僕もようやく面会することを許可されたのであった。


 しかし医療スタッフに案内されて病室を訪れるや、そこには我が目を疑うような光景が広がっていたのだ。


「……何だ、こりゃ?」

 細長い卵形の金属製の寝台に、その上部を緩やかな曲面を描きながら覆っているガラス製の蓋。

 そんな一言で言えばSF映画あたりに登場してくる『コールドスリープ』でもできそうなカプセル状のベッドが数十台ほど、その一つ一つに死んだように眠っている幼い少女たちを収めて、ちょっとした体育館ほどもある広々とした室内に設置されていたのである。

 しかもなぜか彼女たちは入院患者用のガウン状の病院服でも私物の寝巻でもなく、胡蝶の森女学園の制服を身にまとっていたのだ。

 だが、驚くのは、まだ早かった。


「──っ。りん⁉」


 入口から順々にカプセルベッドの中を覗き込んで自分の受け持ちの生徒たちの顔を確かめながら歩いているうちに、たどり着いた最奥のベッドに横たわっていたのは、あまりにも見覚えのある寝顔であった。

「なぜだ、りん。なぜおまえが、眠り込んでしまっているんだ? おまえのやまいはあの夢魔の少女と取引をすることで、すでに治っているはずだろうが⁉」

 そのように僕がガラスケースにかじりつくようにして、思わずまくし立てた、

 まさに、その刹那であった。


「何言っているのよ? あなた自身が私を、人柱に選んだんじゃない。──このあなたのためだけの、偽りの世界を守るためにね」


 気がつけば、すぐ目と鼻の先にある少女の黒水晶のごとき双眸が、見開かれていた。

 あたかも僕を断罪するかのように、さも恨みがましく睨みつけながら。


「──うわあああああああああああっ!」

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