第5話、夢魔の一族。【その3】
「……そんな、昏睡状態こそが、むしろ胡蝶の一族の女にとっては自然な姿なんて。だったらりんはもう二度と、目を覚ますことはないってことなのか⁉」
『だから大丈夫だってば。言ったでしょ? 万事私に任せておきなさいよ』
「へ? おまえ──つまりは、夢魔に任せておけば大丈夫って……」
『あなたも御存じのように、美明やりんの血筋って胡蝶の一族にとっては、「巫女姫」とも呼ばれる宗教的指導者──事実上の当主に当たるんだけど、これってつまりは一族にとっての御本尊である、夢魔の「憑坐」であるということなの。巫女姫は我が身に直接夢魔を宿すことができるからこそ、他の女たちよりも強力な異能が使えるようになると言われているんだけど、これぞ先ほど述べた「量子コンピュータ方式」──すなわち「総体的シンクロ化システム」がとられていて、これって実は私と同様に
「ナイトメアが集合体的存在だって? それじゃナイトメアの端末を名乗っているおまえって……」
「そうよ。そもそもが「ナイトメア」なんていう個別の存在なんていないんだから、私はナイトメアのネット上の端末であると同時にナイトメアそのものでもあるわけ。これまではわかりやすく説明するためにあえて「ナイトメア」と「夢魔」とを別々の存在であるかのように述べてきたけど、むしろナイトメアという集合体となって初めて夢魔の力を使えるのであり、「ナイトメア=夢魔」とも言えて、ある意味私は一
「……ということは、すでにりんは」
『おそらく今ごろは、入院先の病院で意識を取り戻していることでしょうね。とは言っても、これ程の特殊な症例は一般の医療機関では対応不可能でしょうから、後で胡蝶の一族のお抱え医師を紹介してあげるわ。退院後の経過処置は、そいつに診てもらいなさいな』
「そ、そうか。夢魔
もはやりんについてはほとんど心配が無くなったことを確信することによって、つい気を抜いてしまった僕ではあったが、
まさしくその時スマホから聞こえてきた幼い少女の台詞は、これが文字通り『悪魔との取引』そのものであったことを思い出させるものであった。
『ふふふ。別に感謝なんかする必要はないわよ。ちゃんとそれ相応の対価をいただくつもりですからね』
──!
「……対価って、そもそも『NIGHTMARE』サイト上の課題ゲームをクリアすること自体が、どのような願いでも叶えてもらえることの条件じゃなかったのか?」
『……あなたねえ、他のゲームクリア者のように、実のところはただ単に「願いが叶った夢を見せられているだけ」ではなく、実際にわざわざ私たち集合体であるナイトメアの一員として迎え入れることで、昏睡状態から救ってあげたのよ? それにあなた自身も自分から申し出ていたように、大切な最愛の妹さんを助けてあげたんだから、自分の命や魂を差し出したって惜しくはないんでしょう?』
「──うっ」
た、確かにあの時はりんを救いたい一心でそう言ったけど、実際に命や魂を差し出すことができるかというと、それはまた話は別でありまして……。
『あはは。そんなに構えなくても大丈夫よ。対価と言っても、文字通り「悪魔に魂を売るだけの簡単なお仕事」なのですからね』
「悪魔に魂を売る、お仕事って?」
『あなたには私の夢魔としての力によって、現在昏睡中の人たちの夢を見てもらって、それをネット上の実は胡蝶の一族が主宰している「SF
「はあ? 僕に人の見ている夢を覗き見させて、それをネット上で小説にしろって? ──つうか、『SF小説を書こう!』サイトって、胡蝶の一族が主宰していたのか? 僕もあくまでも趣味としてだけど、何本か作品を
『ええ、もちろん知っているわ。中々面白い作品を書くじゃない、「
え。
『何度も言うように、別に「願いが叶った夢を見せているだけ」と言っても、騙しているわけでも夢オチの類いでもなく、実は夢とは平行世界そのものなのであり、量子論で言うところの多世界──すなわち「無限に存在し得る別の可能性の世界」であって、現在夢を見ている当人にとっては間違いなく唯一絶対の現実世界なのであり、そこではちゃんと願いが叶えられていて、まさに己が真に理想とする世界に異世界転移したような状況にあるの。──とはいえ、私が見せている夢が本当に当人の願いに合致した内容になっているかは断言できず、更には初期設定や途中経過までは理想通りだったとしても、夢とはいえ一度当人にとっての正式な世界として未来を紡ぎ始めたからには、「未来には無限の可能性があり得る」という大原則が当然のごとく適用されることになり、未来への分岐の仕方次第では、本人の望まぬ展開になることも十分にあり得て、そういう意味からも現在昏睡中の人々が見ている夢は、微妙に異なったパターンの夢を繰り返しているばかりで、当人にとっての真に理想的な
……ああ、まあね。だいたい夢っていうのは、途中までは理想的な内容だったものが突然目茶苦茶になってしまうことはままあるし、いくら夢の世界の神様たる夢魔が見せている夢であろうとも、他人の理想を完璧に実現した内容にすることなんて不可能だろうよ。
「それにしても、延々と自分の理想とは微妙に異なった夢を微妙にパターンを変えながら繰り返し見せられ続けるっていうのも、文字通り悪夢のような状況だよな」
『だからこそ、あなたに小説化を依頼しているんじゃないの?』
「人それぞれにとっての真に理想的な世界を一つに絞り込むことなんて、夢魔のおまえすらもできないというのに、僕が小説を書いたところで何の役に立つっていうんだよ?」
『つまりここでまたしても、量子論の御登場ってわけよ。ミクロレベルにおいて無限の可能性が「重ね合わせ」状態にある量子ではあるものの、誰かに観測された瞬間に可能性が一つに収束して、ようやくここで量子の形態と位置とが一つに確定することになるけれど、これって別に最初から量子の形態と位置が決まっていて、ただ誰かが目にすることで
「……それって、僕に観測させることで、夢を一つに確定させようってことなのか?」
『まさか、そんな。たった一人の人間が観測しただけで、夢とはいえ当人にとってはれっきとした「世界」が、一つに確定したりするわけないじゃない。ただの夢が──つまりはその時点では無限の可能性の一つに過ぎないものが、現実のものとして一つに確定されるためには、それこそ万人に観測されなければならないの。だからこそのネット上での公開なのよ。何せネットなら原則的に世界中の人々から観測される可能性を秘めているのですからね。よってあなたには昏睡中の人たちの夢をそれぞれ一つずつ見てもらって、それを短編連作型の小説にして、ネットの「SF小説を書こう!」サイトで公開していただこうってわけなの。──そうすれば、昏睡中の皆さんの夢が最も理想的な形に確定されることによって、ずっとその夢だけを見続けることができるようになるって寸法よ』
「……ちょっと待て、ずっと夢を見続けることになる、だって?」
『言わばこれまでは微妙に異なったパターンの夢を繰り返し見ていたけれど、これからはまったく同じ夢を繰り返し見ながら眠り続けることになるというわけなの』
「何だよ、それって? 結局は昏睡し続けるってことじゃないか⁉」
『だってこうなることを望んだのは、彼ら自身なのであり、それにそもそも私たち夢魔というものは、そんな身の程知らずの望みを抱いたためにまんまと罠に嵌まった獲物の魂を奪い取って、夢の中に永遠に閉じこめてしまうのが
「なっ⁉」
『しかも何度も言うように、現在夢の中にいる者にとっては、その夢の世界こそが唯一絶対の現実世界なのであり、昏睡しているように見えるのはあくまでもこの世界の存在であるあなたたちの主観のみの話で、当人の主観ではちゃんと真に理想的な世界において「目覚めている」いるんだしね』
「眠っている者にとっては夢こそが現実って、何だよその詭弁は? 実際彼らは昏睡しているじゃないか? 目覚めさせるのならともかく、むしろ昏睡状態を助長させるために小説を書けなんて、御免こうむるよ!」
『あら、そう。だったら仕方ないわね。残念ながら妹さんには、このまま昏睡したままになってもらいましょう』
「──っ」
『まあ、胡蝶の一族の女にとっては夢の世界こそ本拠地のようなものなのだから、本人にしたら別にそれでも構わないだろうしね』
「そんな! 父さんも美明さんも死んでしまって、もう僕にはりんしかいないのに、また独りぼっちになれと言うのか⁉ それに美明さんにはりんのことを、くれぐれもよろしくと頼まれているというのに!」
『そんなこと、夢魔である私には知ったこっちゃないわ。話が終わりなら、そろそろ通話を切るわよ?』
「ま、待ってくれ! わかった、わかったから、小説でも何でも書くから、どうかりんのことを助けてくれ!」
『ふふん。最初からそのように、素直に言えばよかったのよ』
いかにも勝ち誇ったようにしてあげつらってくる、スマホからの幼い少女の声。
しかしそれに対して僕は、何ら言い返すことなく沈黙を守ることで、完全なる恭順の意を示した。
そう。この瞬間僕は、文字通り悪魔に魂を売り渡したのである。
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