第4話、夢魔の一族。【その2】

『へえ、次期巫女姫様ったら、昏睡しちゃったんだ。OKOKノープロブレム。どこの病院に入院させているかは知らないけれど、すぐに目を覚まさせてあげるから、安心してちょうだい』


 めでたく課題ゲームのクリアを果たした後でこちらの事情を事細かに伝えた僕に対して、ナイトメアの代表的端末エージェントにして夢魔を名乗る『メア』という幼い少女はスマホ越しに、事もなくそう言った。


「はあっ? そんなにあっさりと⁉ それに次期巫女姫様って……」

『え? もしかしてあなた、りんやその母親のが、夢魔ゆかりの一族ってことを知らなかったの?』

「む、夢魔ゆかり、って?」

『例えば人の心を読んだり、人の夢の中に出入りして未来を予知したりできる、異能の力を持っている一族のことよ』

「ああ、それなら何となく気づいていたけど………………って、まさか⁉」

『そう。彼女たちちょうの一族は、すべての次元を超えた集合的存在として夢魔の性質を有する伝説の超常的存在ナイトメアこそを、遥かいにしえの昔から御本尊としてあがめ奉ってきた、超国家的宗教組織でもあるの』

「なっ⁉」

 ……つまりは僕の予想した通り、りんが昏睡したこととナイトメアとは、関わり合いがあったということか。


『だいたいがさあ、他人の夢の中に自由自在に出入りできるなんて、夢魔そのものじゃないの。つまり胡蝶の一族の女はみんな、大なり小なり夢魔の力を持っているわけなのよ』


「えっ。本当にりんや美明さんは、『ゆめわたり』ができたのか⁉」

『何を今更。あなたの夢の中にも、美明が入ってきたことがあったでしょうが?』

「いや、あれはてっきり単なる夢かと思って……………………って、ちょっと待った! 何でおまえが、そのことを知っているんだ⁉」

『当然でしょ? こちとら正真正銘本物の夢魔──つまりは、夢の世界においてのみは神様や悪魔そのものの絶対的存在なのであり、知り得ぬことやできぬことなぞ何もなく、夢の世界に関することであれば、たとえあなたのような一個人が見た夢の内容であろうが、何でも知っているってわけなのよ』

「……本当に自分が夢魔であるって、言い張るつもりなのかよ? 夢の世界の神様だか悪魔だか知らないけれど、夢渡りができるのはわかるけど、りんや美明さんが読心まがいなことができたり、事によっては人の夢の中で未来予知をやってのけたりはもちろん、そもそも夢魔を自称するおまえが、こうしてインターネットを介して僕にアクセスしてきたりしているのは、どうしてなんだ?」


『それは現代物理学の根幹を為す量子論に則れば、この現実世界以外にも「多世界」と呼ばれる平行世界の類いが無限に存在し得る可能性はけして否定できなくなるんだけど、もしも本当に多世界──つまりは平行世界が存在しているとしたら、それはまさに「夢の世界」に他ならないからよ』


「はあ? 平行世界が夢でしかなくて、しかも現代物理学がそのことを裏付けているだって?」

『……あのねえ、漫画やライトノベルや三流SF小説でもあるまいし、この現実世界と同時に確固として平行世界ならぬ世界が、文字通り並行して存在したりするわけがないでしょう? 量子論が多世界という平行世界の類いの存在可能性を裏付けていると言っても、あくまでも量子論の一学派である多世界解釈においては、「二股の分かれ道には右に曲がる可能性と左に曲がる可能性があり得るが、観念的には分かれ道を前にした人物の前途には『右に曲がった場合の世界』と『左に曲がった場合の世界』とが存在しているようなものである」と言っているだけで、つまりは同じ量子論の一学派であるコペンハーゲン解釈で言うところの「無限に存在し得る未来の可能性」を無限の平行世界である多世界として具象化したに過ぎず、別にこの無限の並行世界が存在しているのではなく、まさしく分かれ道そのままに分岐パターンが無限に存在しているのだと言っているわけなのよ。それでこの辺から漫画やライトノベルやSF小説的な話に移って行くんだけど、未来には無限の可能性があり得るということは、あなたたち人間にはほんの一瞬後にも、タイムトラベルや異世界転移やそれこそ漫画やライトノベルや小説の世界にダイブしたりするがあり得ることが、一応は量子論によって裏付けられてはいるものの、そうは言ってもあくまでも可能性は可能性に過ぎず、もちろん現実にそんなことが起こったりするわけがないの。──それこそ、夢でもなければね』

「へ? 夢だったら、タイムトラベルや異世界転移が実現するって……」


『簡単に言っちゃうと、たとえ本当に平行世界的なものが存在したとしても、「現在において現実世界は一つしか存在しない」し、「ある人物にとっての現実世界は、現在彼自身が存在している世界のみであるべき」ってことなのよ。そうなると、タイムトラベルや異世界転移や小説や漫画やゲームの世界へのダイブなんてものは量子論的見地に立てば、「夢と現実との逆転現象」によってのみ実現されることになるわけなの』


「夢と現実との逆転現象、だって?」

『つまりそれこそ最近流行りの「果たせぬ恋は並行世界で叶えよう!」などとほざいている三文並行世界SF小説みたいに、複数の世界を行ったり来たりしたりすべての世界をいつまでも存続させたりできるわけがなく、世界を転移するたびに前にいた世界のほうはまさに夢幻であったかのようにして消え去ってしまい、新しい世界だけがその人にとっての現実世界となるといったふうに、転移を繰り返すごとにいわゆる「夢と現実との逆転現象」を繰り返していくことになるという次第なのよ』

「……ええと、ちょっと待って。それってまさに、『夢オチ』そのまんまじゃないの?」

『ええ、取りようによっては、そうとも言えるわね』

「駄目じゃん!」

 もし万一これが小説だったりしたら、絶対禁止の反則技だからな。

 例えば異世界において主人公を散々活躍させておいて、最後の最後で「すべては夢でした」なんてことになったら、読者は誰一人納得しないだろうよ。

『そうは言っても、現実にタイムトラベルや異世界転移等が起こり得るとしたら、この「夢と現実との逆転現象」以外はあり得ないのよ? それともあなたはこの現実世界を支配している物理法則を無視して、本当にタイムトラベルや異世界転移が実現できるとでも思っているの?』

「うっ」

 ……それは、そうだろうけど。

『つまりはね、タイムトラベルや異世界転移などという超常現象なんて、けして現実世界で実現することなぞなく、それこそ夢や小説等の虚構フィクションの世界の中でしか起こり得ないってわけなのよ。──だからこそ、我が「NIGHTMAREナイトメア」サイトにおいて望みを叶えられた人たちは、みんな昏睡状態になってしまっているんじゃないの』

「へ? 願いを叶えられたから、昏睡状態になっているって……」


『現在の自分を取り巻いている状況を完全に無視して、「恋を必ず叶えたい!」とか「大金持ちになりたい!」などといった日常的事柄の延長的な願いに始まって、更に直截的に「タイムトラベルがしたい!」とか「未来の出来事を前もって知りたい!」とか「人の心のうちを知りたい!」などといった、超常的異能イベントなんて現実世界で叶えるのは無理でも、夢の中だったらいくらでも叶えてやれるって寸法よ。何せこちとら夢の世界の神様たる夢魔なのですからね。本人の希望する夢を見せることなんて、朝飯前ってわけ』


「いやいや、それって単に『願いが叶った夢』を見せているだけの、詐欺みたいなものじゃないか⁉」

『詐欺とは失礼ね、さっき言ったでしょ? 「ある人物にとっての現実世界は、現在彼自身が存在している世界のみであるべき」だって。──たとえそれが、夢の世界であろうとね。何せこの原則に則れば、必然的に現に自分が存在している世界以外の平行世界──すなわち無限の「別の可能性としての世界」は、すべて夢のようなものになるわけであって、よって他の世界に転移するということは、夢の世界に転移するということ──つまりは眠り込んで俗に言う「夢の国」へと行ってしまうということになり、結果として元の世界においては昏睡してしまうことになるといった次第なのよ。まあ、もっと噛み砕いて言い換えれば、本人はナイトメアによる超常の力で転移して別の世界に行っているつもりなんだけど、もちろんあくまでもこの世界に存在しているあなたたちの視点からしたら、ただ単に「真に理想的な世界に転移した」を見ながら眠り続けているに過ぎないってことなのよ。それに何より願いを叶えられた人たちがこうしてずっと昏睡し続けているということは、現在見ている夢の世界に満足し、本人に目覚める意思がないってことじゃないの?』

「──っ」


 願いを叶えることによって、夢の世界へ行ったきりになってしまうだと?

 それって文字通り夢魔の常套手段であり、ネットで噂されていたように、人の願いを叶えてやる代わりに魂を奪い取って、夢の世界の中に閉じこめるようなものじゃないか⁉


「……と言うことは、りんがこうして眠り続けているのも、おまえに何らかの願いを叶えられたことによって、夢の世界の中に閉じこめられているからなのか?」

 自分でもゾッとするような冷たい声音でスマホへと問いただす、妹命の青年。

『やだ、怖~い。さすがはシスコンお兄ちゃん。妹さんのことになると、完全に人が変わってしまうんだから。──安心して。りんの場合は別に閉じこめられたんじゃなくて、むしろ自ら閉じこもってしまったようなものなんだし』

「は? りんが自分から、夢の中に閉じこもったって……」


『実は胡蝶の一族の女たちは私のような夢魔同様に「夢の中の自分」こそを本性にしているのであり、だからこそ人の身でありながら夢魔や悪魔や神様等の超常的存在そのままに、まるで「生きた量子コンピュータ」でもあるかのようにして、先ほどあなたが疑問を呈していた夢渡りや読心や未来予知をすることができるわけなの』


「夢の中の自分こそが、本性だと? それに生きた量子コンピュータって」

『さっき「夢と現実との逆転現象」について説明した時に、量子論に基づけばこの現実世界には無限の可能性があるからして、ほんの一瞬後にもタイムトラベルや異世界転移や小説や漫画やゲームの世界にダイブする可能性があって、転移後の時代や世界こそがその人物にとっての新たなる唯一絶対の現実世界となり、それまでの現実世界は夢のようなものになってしまうと言ったけど、それってつまりは、まさにこの現在の現実世界こそが夢であるかも知れず、あなたたちも実は「夢の中の登場人物」に過ぎず、現実世界に目覚めることによって、それまでこの旧現実世界を夢見ていた真の現実世界の「目覚めた後の自分自身」である、数百年前の戦国武将や数百年後の未来人や異世界人や小説や漫画やゲームの登場人物キャラクターとなる可能性──言うなれば、「目覚め」とともにタイムトラベルや異世界転移や小説や漫画やゲームの世界へのダイブを実現してしまう可能性だってあるということなの。言わばまさにこの現時点の自分こそを、「夢の中の存在」とし起点として捉え直せば、ほんの一瞬後にもこのから覚めて、戦国武将や未来人や異世界人や小説や漫画やゲームの登場人物キャラクター等々といった、真の現実世界における「真の自分」となり得る可能性が「重ね合わせ」状態となっているという次第なの。──ねえ、これって何かを連想しない?』

「──‼」


 ……自分から無限に存在し得る自分へと目覚める可能性が、『重ね合わせ』状態にあるだって?


「それって、まさか……」

『そう。まさしく現代物理学の根幹を為す量子論における、「我々人間を始めとするこの世のすべての物質の物理量の最小単位である量子というものは、粒子と波という二つの性質を同時に有していて、形なき波の状態においては、次の瞬間に形ある粒子となってどのような形態や位置をとるかには無限の可能性があり、そのため量子のほんの一瞬後の形態や位置を予測することすら不可能なのである」そのまんまでしょう? つまりあなたたち人間には観測できないミクロレベルにおいて形なき波の状態にある量子は、次の瞬間に形ある粒子としてとるべき無数の形態や位置の可能性が同時に重複している状態──いわゆるこれぞ量子論で言うところの「重ね合わせ」状態にあるという独特の性質を有しているとされているのだけど、あくまでも現実世界マクロレベルの存在であるあなたたち人間やその他の物質には、このような微小世界ミクロレベルにおける量子ならではの特異な性質は適用されないというのが、量子論の現在における主流的見解であって、実際に現在の科学の粋を集めて試作された量子コンピュータにおいても、量子にとっての理想的物理空間であるミクロレベルと様々な物理現象が干渉し合っている現実的物理空間であるマクロレベルとの差異が存在することによって、量子コンピュータの基本的作動原理である「量子的干渉コヒーレンス性」が極短時間で失われてしまういわゆる「デコヒーレンス」現象が生じてしまい、結局7ビット程度の計算能力しか実現できなかったという体たらくだったわ。こんな有り様じゃ真に理想的な量子コンピュータなら論理的に実現可能なはずの、世界の垣根さえ越えた無限の量子コンピュータ同士の並行処理による量子ビット演算処理なんて、夢のまた夢ってところでしょうね。──だけど、まさに私のような夢魔や胡蝶の一族の女たちみたいに、「夢の中の自分」を起点にすることができるのなら、話は違ってくるの。何せ誰でも夢の中にいる間は、目が覚めた時にどんな世界のどんな時代のどんな自分になるかはわからないのですからね。まさに無限の可能性が「重ね合わせ」状態にあり、ミクロレベルの量子同様に──すなわち、理論上真に理想的な量子コンピュータ同様に、「夢の中の自分」を中核コアにして、無限に存在し得る「目覚めた後の現実世界の自分」とシンクロしている状態にあるようなものなの。それというのも「目覚めた後の自分」には、別に現在の現実世界の人類だけに限定されず、あらゆる世界のあらゆる時代の森羅万象のすべてが該当するので、それらと総体的にシンクロすることで量子コンピュータ同様の理論的には無限のビット数を誇る量子ビット演算処理を行うことによって、読心だろうと未来予知だろうと算出シミュレートすることができるようになるというわけよ』


 何だって? 夢魔や胡蝶の一族の女たちは『夢の中の自分』が本性だからこそ、量子コンピュータ同様の量子ビット演算処理を実行し得て、読心や未来予知すらもできるようになるだと?


「……と言うことは、りんが昏睡状態になったのも、もしかして」


『ええ。むしろ胡蝶の一族の女としては、昏睡して夢の世界の中に居続けるほうが自然な姿だったりするの。何せ現実世界においては口がきけずコミュニケーション能力が制限されている彼女たちではあるけれど、夢魔ゆかりの力を使えば誰の夢であろうが出入りし放題で、しかも思う存分しゃべれるようになって、どんな想いでも伝えられるようになるのですからね。つまりは彼女たちにとっては、「夢の中の自分」こそがなのであって、妹さんにしてもたとえこうして眠り続けていようと、いつでもあなたの夢の中に入ってきて、「大好きなお兄ちゃん」と一緒に現実世界と何ら変わりなく──いえ、むしろしゃべれるようになることでより元気かつ積極的に行動できるのだし、別に現実世界で起きている必要はないってわけなのよ』

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