第2話

『──ああ、大丈夫大丈夫。過去の出来事の改変だろうが、未来の出来事の恣意的決定だろうが、ナイトメアに任せれば朝飯前なんだから、大船に乗った気でいてちょうだい』


 その時私のスマホに突然アクセスしてきた、ナイトメアの端末エージェントにしてなおかつでもあるという、自らを『メア』と名乗った十二、三歳ほどの幼くもどこか高飛車な少女の声は、私の悲願とそのためのタイムトラベルや過去改変の実現に対する不安を聞くや否や、事も無げにそう言った。


 最初はその声のあまりの年若さに戸惑ったものの、そもそもネット上の謎の超常的存在の代表的端末にして自らを夢魔とも称しているような、文字通りらち外の存在を相手に年齢なんかを気にしてもしかたないし、それに今はより優先すべき重要事項があったのだ。

「……過去改変が朝飯前って、本当に?」

『ええ、そうよ』

「い、いやだって、過去の改変なんて、物理的にも論理的にも、けして実現不可能なはずなのでは?」

『ふふん。ナイトメアを舐めてもらっては困るわ。あなたたち課題ゲームのクリア者に異能を使わせる際には、必ずスマホを介させる必要があるからって、別に実現できるのは読心や未来予測等のシミュレーション系の異能だけではなく、多重人格化や人格の入れ替え等の別人格化系の異能や、タイムトラベルや異世界転移等の多世界転移系の異能はおろか、全知系か全能系かすらも問わず、あらゆる異能を実現させることができるのよ?』

 スマホを使って人格の入れ替えやタイムトラベルを実現させるって、いったいどうやって⁉

『それにあなただって、もしかしてネットで噂のナイトメアだったら、いかにも不可能と思われることでもどうにかしてくれるんじゃないかと思って、藁にもすがる思いで頼ってきたわけなんでしょう?』

「うっ」

 ……それは、そうなんだけど。

「でもあなた、本当に私をタイムトラベルさせて、過去をやり直させることができるわけなの?」

『へ? タイムトラベルさせるって、何で?』

「え?」

『あれ? あなたの願いって、過去の出来事の改変なんでしょう? それがどうして、タイムトラベルなんかをしなくちゃならなくなるの?』

「いやいやいやいや。過去をやり直したいんだから、まずはその時代へタイムトラベルしないと、話が始まらないでしょうが⁉」

 そんな私の至極真っ当なる反駁に対して、スマホからの声はいきなりとんでもないことを断言してきた。


『何言っているのよ。過去を改変するのに、タイムトラベルなんてする必要はまったくないじゃないの?』


 なっ⁉

「過去を改変するのに、タイムトラベルをする必要がないですって⁉」

『そうよお? だいたいがこんなこと、プロのSF小説家としてこれまで数々の過去改変を扱った時間SF作品を創ってきたあなた自身、先刻御承知のはずでしょうが?』

 ──っ。そんなことまで把握していたの⁉

 ……どうやらナイトメアが、この世の森羅万象の未来の無限の可能性すらも知り尽くしている、真の全知の存在というのは、本当だったようね。

「た、確かに私は自らもタイムトラベルものや過去改変ものを創ってきたから、タイムパラドックス問題を始めとして物理的にも論理的にも、タイムトラベルや過去改変なんかが実際に実現することなんてあり得ないことは、十分承知しているけど……」

『ああ。違う違う。確かにSF小説なんかに出てくるタイムトラベルや過去改変なんて、既存作すべてにおいて単なる絵空事に過ぎず、物理的にも論理的にも間違っていてまったく現実的でないのは自明のことだけど、別に私はそんなことが言いたいわけではなく、むしろSF小説においてこそ、この世で唯一過去の改変というものを実現できるのだと言っているの』

「はあ? 過去改変を扱っているすべての時間SF作品が物理的にも論理的にも間違っていると言うのに、その当のSF小説でこそ、過去改変が実現できるですって?」

 何よそれって。完全に矛盾していて、それこそ非論理的なんじゃないの?

『だってあなた自身、これまで過去改変を実現した作品を、山ほど創ってきたわけなのでしょう?』

「え、ええ」

『だったらちゃんと、過去改変は実現しているじゃないの。──それらの作品の中でね』

「は? ──あ、いや。それって過去改変を実現できたといっても、あくまでも小説の中だけの──つまりは虚構フィクションの話でしかないのでは?」

『おやおや。これはまたSF小説家の先生らしからぬお言葉で。いわゆる多世界解釈量子論に基づけば、小説の世界も多世界の一つ──コペンハーゲン解釈量子論で言い換えれば、「将来にわたって実際に存在し得るこの現実世界とは別の可能性の世界」の一つなのよ? つまり小説の中で過去を改変させれば、将来それが現実のものとなる可能性は、物理学的にけして否定できないって次第なの』

 ちょっ。それはあくまでもそういった可能性が無きにしもあらずってだけの話で、文字通り『屁理屈』のようなものでしょうが⁉

「というかそもそも、小説の中で過去を改変しようが、未来を恣意的に決定しようが、宇宙そのものを創り換えようが、まさに『作者』というその小説世界における神様の意思一つでどうとでもできるのだから、別に取り立てて言及する必要なぞない、極当たり前のことでしかないんじゃないの?」


『そうよ、その通りなの! 「作者という、過去改変でも何でもできる」ことこそが、「小説のみが真に過去を改変できる」ことの神髄なのよ!』


「へ?」

 私の極常識的な反論に、むしろなぜだか我が意を得たりといった感じの弾んだ声で、更に不可解なことを言い出す、自称ナイトメアの代表的端末の少女。

『それというのもSF小説を読むたびに思うんだけどさあ、過去の出来事を改変させるためにタイムトラベラーを過去に派遣するというストーリーにおいては、なぜか必ず過去の世界と元の世界とでドラマがしていて、過去の時代で何かトラブルが発生したら、そのつど元の時代から新たにタイムトラベラーが救援に派遣されたりしてるけど、これっておかしいとは思わない?』

「え? いや、別に何もおかしくはないのでは? 私も自作の某時間管理局シリーズにおいて、タイムトラベラーが過去の世界で伝染病騒動や占領軍に対するレジスタンス活動に巻き込まれて、にっちもさっちも行かなくなった話を書いたことがあるけど、その際も過去と未来とでドラマを同時進行させて、むしろタイムサスペンス的に臨場感を大いに盛り上げることよって、大好評を博したことだし」

『ああ。あの海外でも大受けして、文学賞を総なめしたやつね。そもそも時間管理局なんてもの自体が、理論上あり得ないんだけど。それにしても当の作者のくせして、何でこの「おかしさ」がわからないのかねえ。だったらもっと話を単純にしてあげましょうか? ある時間SF作品の中で、未来人が過去を改変するためにタイムトラベラーを派遣したんだけど、その改変作業に三日ほど時間がかかってしまったので、出発時点より三日後の未来に帰還することになりました。──さあ、このお話の阿呆らしいまでの「おかしさ」がおわかりかしら?』

「は? 過去の時代に三日いたんだから、未来に帰ったら三日たっていたのは当然のことでしょう? 時間SFをテーマにしたものだったら、私自身の作品を始めとして他のSF作家の作品も、だいたい同じような感じになっているわよ?」

『へえへえ、そうでしょうそうでしょう。私の知る限りほとんどのSF小説が、そうだったものね。まったく、あなたたちSF小説家ときたら、タイムトラベル──ていうかむしろ「時間」というものを、いったい何だと思って作品を創っているのやら。タイムトラベラーは自由自在にいつの時代にでもタイムトラベルできるからこそ、タイムトラベラーと呼び得るのでしょうが? たとえ過去の時代で改変作業に三日かかっていたとしても、律義に出発時点の三日後の未来にタイムトラベルして帰還する必要なんてなく、それこそに帰還したっていいんじゃないの?』

 ……あ。


『つまりはね、本当に過去の改変なんてことができるとしたら、改変作業に、タイムトラベラーを派遣したらその瞬間に過去は改変されないとおかしいのであり、特に全知全能なる神様が存在するとしたら、彼が頭の中で過去を改変しようと思いついたその瞬間に、過去改変が成し遂げられてしまうべきなのよ』


 過去改変というものには、本来時間は一切かからないですってえ⁉

「そ、それじゃ、これまでの時間SF小説って、いったい何だったのよ? 私たちSF小説家ときたら時間という概念自体もろくに把握できていないくせに、ぬけぬけと厚顔無恥にタイムトラベル小説を書いていたってわけ⁉」

 けして知りたくもなかった思わぬ事実の発覚に、悲痛なる叫び声を上げる、現役の時間SF小説家。

 しかしそれを聞くや否や、当の『告発者』であるはずのスマホからの幼い少女の声が、慌てふためいて取りなしてきた。

『ちょ、ちょっと、お待ちなさいよ。別に私はSF小説にケチを付けようとしているのではないんだから。言ったでしょう? 「SF小説のみが真に過去を改変することができる」って。──例えばね、さっきは神様だったら頭の中で思っただけでその瞬間過去を改変することができるって言ったけど、これじゃあまりに極端過ぎるし抽象的過ぎるから、実はこの世にはいわゆるアカシックレコードみたいな「神の過去帳」というものが存在していて、それには古今東西の森羅万象についてこれまでに起こった出来事がすべて記述されているんだけど、その内容の一部を書き換えればその瞬間、それに対応する過去の事実そのものが改変されることになるって言えば、より具体的にわかりやすくなるんじゃないかしら? ──そう。まさしくこれぞ自作の中の世界にとっては神様そのものであるSF小説家の皆さんが、それぞれの作品内で行っている過去の改変そのものとも言い得るのよ』

 ──‼

「私たちSF小説家が自作の中で行っている過去改変が、アカシックレコードそのままに過去の出来事をすべて網羅している『神の過去帳』の書き換えそのものですってえ⁉ ──いやいやいや。確かに基本的原理と言うか仕組み的には似たようなものかも知れないけれど、私たちがいくら自作の中で過去を改変しようが、それこそ神様みたいに本当に過去を改変できるわけではないでしょうが⁉」


『あら、そんなことはないわよ? 量子論に基づき、実は夢魔であるナイトメアの代表端末たるこの私の力添えがあれば、小説家の皆さんは自作の書き換えによって、この現実世界の過去を本当に改変することだってできるのよ。何せそれこそが「NIGHTMARE」サイトの課題ゲームのクリアの褒賞としてあなたに与えられる、「力」そのものなのですからね』


「な、何ですって⁉」

『例えば小説家が「小説家である自分を主役にして現実世界のありのままをしたためた小説」を作成すれば、当然その小説の中の小説家もまた「小説家である自分を主役にして現実世界のありのままをしたためた小説」を作成していることになり、更にその小説の中の小説家も──といった具合に、現実と虚構を超えた無限の連鎖関係が生じることになり、しかも多世界解釈量子論に則ればそもそもすべての世界は等価値なのだからして、たとえ「小説の中の世界」と「その小説を作成した世界」との間であろうとも、因果関係や上下関係はもちろん時間的な前後関係すらも無いのであり、最初に小説を書いた当の小説家を含めて、すべての小説家が現実の存在であると同時に小説の登場人物でもあり得て、彼が所属している世界そのものも現実世界であると同時に小説の中の世界でもあり得ることになるの。この無限の連鎖的状況下においては、小説家自身は現実の出来事を基に小説を作成しているつもりでも、今まさに彼自身が世界を生み出していることになり、過去の事実と異なることを記せばすべての連鎖世界が書き換えられて最初からその過去のみが正しいことになり、好き勝手に未来の出来事を記せばそれが現実のものとなってしまうという次第なのよ。なぜなら多重的連鎖状態にある現状においては、小説家自身は小説の中の「小説家」と、世界そのものは小説の中で描かれている「世界」と、完全にシンクロ状態にあり、時間的な前後関係を取っ払ってしまえば、小説家が小説の記述を書き換えれば同時にすべての連鎖世界の小説が書き換えられることになり、そしてそれはその小説内に記述されている者にとってのがみんな一斉に改変されるということなのだから、初めからすべての連鎖世界においては改変された過去のみしか存在していないことになって、何とSF小説における過去改変にとっての最大の懸案事項であった、タイムパラドックスすらも根本的に起こり得なくなってしまうの』


 は? 小説の中の過去の記述を書き換えるだけで本当に過去が改変できて、しかもタイムパラドックスを生じさせることすらもないですって⁉

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