第8話、小説の中の作者(カミサマ)。【その1】

「……何ですって? こんな無茶苦茶な世界が間違いなく現実で、しかも私自身が選んだ世界ですって?」


 思いがけない闖入者による聞き捨てならない言葉に、自分でもゾッとするような低い声音が唇からこぼれ出た。

 しかしそのSF的ミステリィ小説家は微塵も動じることなぞなく、更に驚愕の台詞を繰り出してくる。


「ええ。だってあなたは、スマホに表示された以降の事態の展開のルート分岐のリストから、選択肢を選んだのでしょう? 『こんなミステリィ小説家の皮を被った雄豚どもなどみんな消してしまえ』って。だからその通りになったわけじゃないですか?」


 ──っ。何でそのことを⁉

「いやだって、私が単にスマホに表示された選択肢を選んだだけで、現実世界がその通りになったりするはずがないじゃないの⁉」

「何を今更。これまでもスマホに表示された選択肢を選ぶことで、散々現実世界を変えてきたくせに」

「そ、それはあくまでも現実的な計算処理シミュレーションに基づいた未来予測を選択肢としたものを、同じく計算処理シミュレーションによる自分の周りの人たちの内心情報に基づいて選ぶことで、結果的に自分の望む方向へと事態を推移できているだけであり、何も魔法やそれこそ小説か何かのように、非現実的手段で何でもかんでも思いのままにしたってわけじゃないでしょうが⁉」

 女神受け売りのにわか論理を懸命に並べ立てるものの、少しも忖度することなぞない、目の前のSF方面の専門家プロフェッショナル

「何を言っているのです? すでにあなた方のスマホの読心システムが事実とそぐわず、ほとんど参考にならないことは判明済みだというのに」

 ………あ。

「そうだ、そういえば、そうだった。しかしそれならどうして私はあんな役立たずの読心システムを使うことで、今回のイベントはともかくそれ以前の数々の難事件を解決することができたんだろう?」


「だから言ってるではないですか。あなたが名探偵として難事件を鮮やかに解決することを望んだからこそ、世界そのものがあなたが名探偵として難事件を鮮やかに解決することができるように、わけなのですよ」


「はあ? 何その、禅問答みたいな理論は。全然意味がわからないんですけど。いやそもそも、このインチキ極まる読心システムは何なのよ。女神のやつ散々もっともらしいことを言っていたけど、人をだましていたわけ?」

「いやいや、そんなことはありませんよ? むしろこの現実世界ではある意味不完全な読心機能のほうが正しいのであり、登場人物の心情がすべて吐露されたりすべての謎が解けて事件が完全に解明されたりする、あなた方お得意のミステリィ小説のほうがよほど異常なのですから」

「……いや。現実とミステリィ小説を比べられても」

 いきなり何を言い出すつもりなんだ、この人。

「前から思っていたんだけど、ミステリィ小説って作者の御都合主義に基づくあまりに、登場人物たちがみんな現実離れし過ぎなんだよ。ストーリー上必要だからってちょっと探偵役に聞かれただけで自分や他人の秘密をぺらぺらとしゃべり出すけど、警察関係者が捜査上の秘密をあっけなく明かしてしまうのは服務規定的にどうなんだ? 特に犯人役についてはストーリーに無理やり決着をつけるために、生い立ちからトラウマから何から何まで包み隠さず告白させてしまうけど、そんなことがあり得るのか? たとえ罪を暴かれ犯人として確定しようが、別に心のうちをすべて吐露する必要なんかないし、普通はしないだろう。いやそもそも現実問題として、罪を認めた犯人の語る動機が100%正しいとは限らないと思うんだ。そうだろう? 例えば誰か他人の社会的地位を守るためとか宗教上の都合とか、罪は認めても本当の動機を隠し通そうとする理由なんていくらでもあり得るし。つまり何が言いたいかというと、ミステリィ小説みたいに事件が完全に解決されてすべての謎が解き明かされることなんて、現実には絶対あり得ないってことなんだ。あくまでもミステリィ小説においては、『謎はすべて解明されました』とか『犯人の動機はこれですよ』とか『これにてすべての物語ストーリーはおしまいです』とかと、読者は納得しているだけで、ひょっとしたら解けていない謎が残っているかも知れないし、犯人が嘘の動機を騙っているだけかも知れないし、そもそも探偵役の推理そのものが間違っているかも知れないじゃないか? だってこの世界には無限の可能性があるのだから、何もミステリィ小説の探偵役の推理──ひいてはミステリィ小説家自身の創ったストーリーそのものが、絶対に正しいとは限らないだろう。これこそが物理学で言うところの『量子論的思考』というものであり、どうせ量子論をミステリィ小説に導入するのなら時代遅れの時間SFなんかにかまけるのではなく、ミステリィ小説そのものの量子論的見直しこそを図るべきではないのかね? とにかく現実問題として人の心を100%正確に読むことなぞできるはずがなく、むしろこの『女神のスマホ』は不完全であるからこそ、完璧であるとも言えるのだよ。それなのに君ときたら完全に『ミステリィ脳』に毒されるあまり、何と現実世界の中において自分自身が名探偵となってミステリィ小説そのものの事件を解決しようとする有り様だから、本当に現実世界で難事件を解明するのがどういうことなのかを思い知ってもらおうと、実際に今回の『リアルミステリィ劇』とでも言うべき事件を体験させたという次第なのさ」

 私に今まさに実際に『リアルミステリィ劇』──すなわち、事件セカイを体験させているですって? ちょ、ちょっと待って。ということは、つまり──

「……あなた今、ミステリィ小説の作中で示された、『犯人の語る動機』や、『名探偵による名推理』や、ひいては『ミステリィ小説家自身の創ったストーリー』そのものが、絶対に正しいとは限らないって言ったわよね? それってまさか──」


「そう。これぞまさしくミステリィ小説において常に付きまとってくる根源的欠陥たる、『後期クイーン問題』そのものであり、まさに今現在ミステリィ小説そのままの世界に存在している我々は、として後期クイーン問題に直面しているというわけなのさ」


 ──‼

「そもそもミステリィ小説とは不完全な存在でしかなく、いくら作者が『今回の事件は完全に解決しました』と宣言しようが、もしかしたら作品内には登場しなかった真犯人が存在しているかも知れないし、作品の完結後にすべてを覆す新たなる決定的証拠が出てくるかも知れないし、犯人が真の動機を隠し通すために嘘の告白をしていたかも知れないし、名探偵による名推理──ひいては作者自身による筋立てストーリー自体に重大なる過ちが存在しているかも知れないし──等々といった、『実は作品世界のにこそ、真相や真犯人が存在し得る可能性はけして否定できない』とする、アメリカの誇る著名なるミステリィ作家エラリー=クイーンが主に作家人生の後半期に発表した作品群において最も重要なるテーマとした、いわゆる『後期クイーン問題』が常に付きまとってくることになるんだ。これはひとえにミステリィ小説というものが作家という一個人によって、被害者から加害者からそれらを操っている陰の黒幕から証拠からアリバイから最終的真相から──ひいては作品世界そのものに至るまで、すべて創り出されているがゆえに、当然のごとくその筋道ストーリーや世界観が固定的かつ限定的にならざるを得ず、最終的結論たる『真相と真犯人』を始めすべてが最初から決定づけられてしまい、原則的に無限の可能性を有し誰もが被害者にも加害者にもなり得て『真相と真犯人』も二転三転していき最後の最後まで決定することのない、現実世界との乖離がどうしても生じてしまいかねないんだよ。それというのも後期クイーン問題で言うところの『作品の外側に存在し人知れずすべてを操っている真犯人』とは、まさしくその作品の『作者』自身に他ならないのであり、小説というものはどうしても作者の創作意図や能力の範囲内に限定されて、当然のごとく作品内に記された『真相と真犯人』に固定されてしまうけど、無限の可能性を秘めた現実世界においては、『真犯人』となる可能性が事件関係者全員にあるのはもちろんのこと、その道筋ストーリーも理論上無限の分岐があり得てけして小説のように一本道ではなく、結末たる『真相』も当然たった一つではなく様々なゴールを迎える可能性があるんだ。つまりまさしく現実世界とこの創られたミステリィ小説そのままの世界との乖離を埋めるためにこその、不完全な読心システムであり、不完全な未来予測システムとしての選択肢だったというわけなのさ。何せ唯一絶対の読心や未来予測を常に的中できたりしたんじゃ、かの有名な『ラプラスのあく』等に代表される今や時代遅れで非現実的な古典物理学における決定論になってしまうけど、その時点その時点の事件の推移に合わせて刻一刻と読心や未来予測におけるリスト表示の項目が変わり、しかもたった一つの絶対的解答に限定するのではなく四択程度の複数の選択肢を示すという、今回君を始めとする事件関係者の皆さんに与えたスマホ上の表示システムこそが、まさに現代物理学の誇る量子論に合致した真に現実的な読心や未来予測の在り方と言えるんだよ。ちなみにスマホに表示される選択項目やその妥当性の%が参加者ごとに異なるのは、実はこれらは『エムがみさま』サイトの課題ゲームに取り組んでいた際の各人の選択傾向や正答率に基づいて算出シミュレートされているからであり、言わば選択項目も妥当性の%も個々人の好みや思考のを反映していて、すなわち君たちのスマホには言ってみればおのおのの『自分の見たいもの』や『求めている答え』しか表示されていなかったわけであり、だからこそ他の作家は君が自分だけに好意を寄せていると思い込んでいて、君自身にはその事実が知らされることがなく、最初のうちは万事うまく行っていたという次第なのさ。何せそれこそ小説や漫画等の創作物フィクションの類いでもあるまいし、この無限の可能性があり得る現実世界においては100%ズバリ的中させる読心を実現させることなんて不可能なんだから、どうせなら読心や未来の出来事の予測シミュレート結果の実現可能性の数値が、に偏っていようが別に構わないじゃないか? それにちゃんと『正解』も低確率とはいえリストアップされているのだから、まったくのデタラメというわけでもないしね。いやむしろ無限に存在し得る未来の可能性に対して希望的観測を抱くのは、人として当然の仕儀とも言えるのだしな。これぞSF小説やラノベ辺りに登場してくるインチキとは違い、ミステリィ小説における最大の欠陥たる後期クイーン問題の完璧なる解決を目指した、真に現実的で真に望ましい読心システムと呼べるだろうよ。──どうだいお嬢さん、現実世界とミステリィ小説のような虚構フィクションの産物との違いというものを、少しは理解できたかな?」

 ……ぐぬぬ。こいつ自分もミステリィ小説家の端くれのくせに、何を偉そうなことを。

「だったら、そんな不完全な読心機能や未来予測機能しかないというのに、どうしてさっきみたいにただスマホ上の選択肢を選ぶだけで、自分の思い通りに現実世界をルート分岐することなんかができるわけ? いや、そもそもあなたの話を100%信じているわけじゃないのよ? だってそんなことができたりすることのほうがむしろミステリィ小説がどうしたとか何とか言う前に、もはや神業そのものじゃないの⁉」

 いかにも至極もっともな反駁を返し、一矢を報いようとする現役女子高校生ミステリィ小説家。

 しかしそれに対する目の前のSF的ミステリィ小説家の答えは、更にとんでもないものであった。


「そうだよ、神業だよ。だってこの世界そのものが『ミステリィの女神』という作者カミサマに支配された、ミステリィ小説みたいなものなんだから」


 ──はあ⁉

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