第27話 再起動

 山々や街路樹が、みるみるうちに赤と黄色に染まっていく。

 京都は紅葉のシーズンに突入なのだ。

 紅葉の名所には観光客が押しかけて、すごい人込みだ。この間、嵐山に行ってみたけど、人に酔ってしまったのだよ。

 紅葉に染まった嵯峨野の山々を映して、広沢の池も秋化粧なのだ。

 観光客って不思議だよね。嵐山とか永観堂とか、紅葉の名所と言われる場所ばかりにあつまって、広沢の池なんかにはあんまり来ない。もったいないよねって思う。


 その日の仕事は外回りだった。労働局と市役所、それから法務局と府庁に用事があるのだ。

 自転車をえっちらこっちらこいで、あちこちを回るのだよ。

 市役所の帰りには京都御所によってお弁当を食べた。御所の紅葉もいいのだ。

 大きな銀杏の木があって金色に輝いてる。木の下では、お婆ちゃんが銀杏ぎんなんを拾ってる。今夜は茶わん蒸しかなぁ。



 丸太町通を府庁に向かうと、道路工事で警備員さんに停められた。

 一礼をした警備員さんの顔を見て、あたしは驚いた。

 和田店長だった。

 「本社の事務の人・・・・」

 和田店長も驚いた様子だった。

 和田店長は同僚の警備員さんに断ってから、あたしを路地に誘った。

 立ち話だったけど、和田店長と話ができてよかったのだ。


 「申し訳ないことをしました。退職願を送り付けて、そのままというのは失礼でしたよね。」

 和田店長は頭を下げて非礼を詫びた。

 京都駅前店で暴れた時のような苛ついた様子は微塵もなかった。

 よかった、ちゃんと立ち直ることができたんだ。

 和田店長は身の上を話してくれた。

 京都駅前店を辞めたあと、どうしても飲食業に就職する気にはなれなかった。いろいろ仕事を探したのだけど、自分に合った仕事はみつからなかったそうだ。

 奥さんと小学三年生になる娘さんを食べさせていかなくてはならない、

 和田店長は警備員の仕事に就いた。日雇いで不安定だけど、やる気を見せると毎日仕事を入れてくれて、今月に入ってからは一日も休んでいないそうだ。労働基準法には違反してるけど、日雇いの仕事はそういうものだって和田店長は言った。

 あたしは、カバンの中から名刺を取り出して、和田店長に渡した。

 「待ってるのだ、和田店長からの電話を待ってるのだ。」

 あたしは、そう言い残して和田店長と別れた。

 あっ、しまった。

 名刺には、代表取締役って書いてあったんだ。

 走り去る自転車の後方で、和田店長の「ええー!」っていう声が聞こえた。



 一週間が経った。

 和田店長からの電話はなかった。

 事務所では河原町店奪取計画が毎日話し合われていた。

 こういうプロジェクトは、貴志お兄ちゃんの興味を引いてしまうのだよ。

 お兄ちゃんは広沢亭のお風呂掃除を終えると、西陣の事務所に入り浸るようになっていた。

 部長やお兄ちゃんが燃えているのは分かるけど、あたしには正直どうでもよかった。

 あたしは、みんなの幸せな顔がみたい。


 河原町店を開店し、京都駅前店のように正社員中心のお店にすれば、たくさんの人が喜ぶことも分かってる。でも、その人たちひとりひとりの顔を想像することはできないのだ。

 あたしは黒澤さんの言葉を思い出した。

 「河原町店には任せられる人材が必要だ。」

 あたしは、それが和田店長だったらいいのに、って思った。

 今の和田店長なら、大丈夫だって思うのだ。

 あたしは、履歴書のファイルを取り出して、和田店長の履歴書を探し出した。

 そこには自宅の電話番号が書かれていた。

 あたしは勇気を出して、その電話番号に電話した。

 ぷるぷるとコール音が鳴って、可愛い声が聞こえた。

 「和田です。お父さんもお母さんも留守です。」

 しっかりした声だったけど、小さい女の子の声だ。

 あたしは、泣きそうになった。お母さんもパートに出てるのかも知れない。

 小学生の女の子は、ひとりで留守番してるのだ。

 「株式会社アゴラの戸部っていいます。お父さんに会社に電話してください、って伝えてほしいのだ。」

 あたしは電話口で言った。

 「お父さんにですか?」

 「そうなのだ、絶対電話するように言って欲しいのだ。」

 電話の向こうの女の子は会社名と電話番号を確認してメモしてるみたいだ。

 「お父さんは元気?」

 って、あたしは訊いた。

 「毎日、夜遅くに帰ってくるから知らない。」

 女の子の声は暗かった。

 「お父さんによろしく伝えてね。」

 あたしはそう言って電話を切った。


 後で聞いたことだけど、和田店長は夜も働いていた。バイトの掛け持ちをしていたのだ。

 奥さんもパートに出ていて、夕方、小学生の女の子が帰る家には誰もいなかったのだ。

 あたしは子どもの頃を思い出した。

 お母さんは広沢亭の仕事で忙しかったけど、いつもお父さんと一緒だった。寂しさを感じることもなく大人になった。

 だから、みんながそうであって欲しいと思うのだ。



 翌日、和田店長から電話がきた。

 「戸部社長、和田店長から電話だ。」

 阿部部長が、あたしに電話をまわした。

 あたしは、この電話を待っていたのだ。

 「昨日、愛子から聞きまして・・・」

 娘さんは愛子ちゃんって言うんだね。しっかりした娘さんなのだね。

 そう言うと、電話の向こうで和田店長がテレているのが分かった。

 「今更とは思いますが。もう一度チャンスがあれば、頑張ってみたいと思います。」

 和田店長の言葉に、あたしのやる気も燃え上がったのだ。

 和田店長と愛子ちゃん、それから奥さんの幸せな顔が見たいのだ!

 あたしは、電話口の和田店長に

 「実は、秘密プロジェクトがあるのだ。」

 と告げて電話を切った。


 阿部部長がびっくりしたような顔をしている。

 「戸部社長、和田君を責任者にするつもりですか?」

 部長はどう思うのだ?

 「一回、頭を打った人間は、二度と同じような間違いはしないものですよ。」

 それなら、部長も賛成なのか?

 「実は、河原町店奪取の作戦はほぼできあがっているんですよ。ところが、人材の手配だけは白紙のままだったんです。」

 それなら、和田店長でいいのか?

 「黒澤君も同じことを言ってましたよ。和田店長は惜しいことをしたって。」

 和田店長は努力の人なのだ。どん底からだって這い上がれる人なのだ。

 あたしも燃えてきたのだ。

 河原町店を松永商会からぶんどってやるのだ!

 阿部部長が笑っている。

 「戸部社長、ようやくやる気になりましたね。」



 ヘイト発言なんて、あたしには許せない。

 けどお兄ちゃんは、どうしてヘイトなんて酷いことになるのかを説明してくれた。

 社会とか経済とか文化とか、いろいろな構造が人間の意識を規定しているのだ。

 「人間の存在の仕方が、人間の意識を規定する。」

 お兄ちゃんの言葉は難しいけど、今のあたしには理解できる気がした。

 だから、和田店長の意識を変えるには、和田店長も愛子ちゃんも幸せにならないといけないのだ。

 あたしは、お兄ちゃんにそう言った。


 「おまえ、どんな理解の仕方したら、カール・マルクスをそんな風に読めるんや?」

 お兄ちゃんは呆れ顔で、笑った。

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