第20話 異世界の話
松永商会は九月一日をもって三好水産を傘下に加えたが、京都駅前店が既に株式会社アゴラに移管されていることに彼らが気づいたのは一週間後のことだった。
浅野課長と下田主任は毎日、夜九時に各店舗へ電話をかけ、その日の売上げを確認する。京都駅前店を仕切っている黒澤君は、何食わぬ顔で適当な数字を報告し続けた。
売上げ報告はあるが、肝心の売上げが嵯峨銀行の口座に入金されていないことを不審に思った下田主任が、京都駅前店に事情を聴こうと出かけて行ったところ、黒澤君に真相を突き付けられ、青くなって逃げ帰ったそうだ。
松永商会は利益を得る機会を失ったことで、株式会社アゴラを訴えることもできるのだが、裁判となれば、彼らが三好水産のお金を横領したことも明るみに出てしまう。
ここは、おとなしく痛み分けといこうではないか、松永社長!
そんなことよりも、私たちは忙しかった。
西陣の事務所も足りない備品がずいぶんあり、買い出しの日々だった。石崎君が軽トラを走らせては様々なものを町屋事務所に運び込んだ。
取引先の業者さんたちの来客が相次ぎ、私は応対に時間を取られた。三好水産に残された最後の売上金を絞り出して、業者さんへの支払いをできる限りやった誠意を誰もが認めてくれて、アゴラとの継続取引にこころよく応じてくれたのだ。
そりゃそうだ、京都駅前店との取引はこれからも業者さんたちに利益をもたらすことになる。ここで腹を立てて商売を打ち切れば、利益も失うことになる。
戸部社長は、従業員の入社手続きの書類作成に忙しい。何しろ役所の書類は手書きが基本だ。
あまりにも大変そうなので、私と石崎君が残業して戸部社長を手伝うことにした。
「手書きだとパソコンのコピペが使えないから労力は十倍くらいになるのだ。」
戸部社長の嘆きに私は答えた。
三十年位前はみんなこうだった。パソコンも携帯も無かったからね。
今ならパソコンに打ち込むだけで自動的に計算してくれるような表計算だって、電卓で計算して手書きで数字を書き入れていた。どこの会社もたくさん事務員がいた。
「三十年前っスか、ちょうどバブルって言われた時代っスね。」
石崎君がぽつりとつぶやいた。
「知ってるのだ。一万円札を振ってタクシーを呼んでる映像を見たことがあるのだ。」
戸部社長も顔を上げた。
「そう、君たちが生まれる前の話だ。私はその頃、大学を卒業した。その頃は青田刈りといって、卒業する前に大学生の就職はほぼ決まっていた時代だった。」
「部長は就活しなくて就職したのか?」
戸部社長が驚きの声をあげた。
「いやいや、就活というか、就活の解禁日というのがあってだね、その日、私たちはハワイ旅行に連れていかれて、他の会社に就活しないようにビーチで遊ばされていたんだ。」
戸部社長と石崎君がのけぞった。
「そっ、それは異世界の話なのか?」
「そんな異世界なら、転生したいっス。」
今の若い人たちから見れば、確かに異世界のようなものかもしれない。
新卒の大学生は企業から引っ張りだこで、今のような厳しい就職活動をする必要はなかった。
その代わり大変な時代でもあった。バブルで未曽有の好景気だったが、企業にパソコンは普及していなかった。
私が初めてパソコンを触ったのは、ウインドウズが発売される一九九五年のことだ。
それまでは、毎日九時・十時まで残業して書類を作っていたんだ。
「異世界にはパソコンがなかったのか?」
そうだよ。戸部社長が今やってる仕事をパソコン無しでやることを考えてみるとよくわかる。どうしても残業しないと仕事が終わらなかった。
「部長は上場会社に勤めてたのに、ブラック企業だったのか?」
ブラック企業なんて言葉は当時なかった。
私は単に残業が多かったり待遇の悪い会社をブラック企業と呼ぶことには疑問を感じる。
バブルの頃は残業だけでなく接待も多かった。接待になると、当時流行っていた「一気飲み」をやらされたり、カラオケを歌わされたりした。それも、得意先の偉いさんたちのお気に召す曲を選ばなければならない。
大卒の新入社員には敷居の高いお店に連れていかれ、居心地の悪い思いもずいぶんした。
高級な料理も食べたし、新地のクラブにも出入りした。得意先に気を使いながら食事し、煌びやかなドレスのホステスさんに愛想笑いをする。私にとっては決して楽しいものではなかった。
今考えてみると、そういう経験が私を成長させた。会社は大枚のお金を使って新人を教育した。入社した年の年末にもらったボーナスは、百万円を超えていた。その頃はあたりまえだったのだ。
「ボーナスが百万円だったら、残業くらいなんでもないっス。」
確かに石崎君の言う通りかもしれない。
けれど、本当の問題はお金ではない。あの頃の企業は新人を優秀なビジネスマンに教育しようとしていたんだ。やり方は少々前時代的なところもあったが、私は私なりに多くを学んだ。
ほんとうのブラック企業とは、新人を教育せず、ひたすら単純な業務と精神論を押し付けてくるような会社だと思う。
仕事の手を休めることなく、私は若い頃の経験を話した。
戸部社長と石崎君はあんぐりと口をあけて私の話を聞いている。完全に手が止まっている。
まぁ、いいか。こんな話も、若い人たちに考えるヒントを与えることができれば教育になる。彼らの知らないことを語って聞かせることは私たち年長者の仕事だ。
私が新人だった頃には、諸先輩方から酒を飲みながらお説教を聞かされたものだ。そのあいだ、私はただただ、嵐がとおり過ぎるのを待った。
私がベテランになったら決してお説教などしないと誓っていたのだが、これはお説教ではなく、異世界の話だ。
こんな話でよければ、参考にしてほしい。
バブルが崩壊した後も、しばらく余韻は続いた。誰もがまだ再起できると信じていた。オフィスにパソコンがやってきたのは、そんな時代だった。
事務所の隅に、たった一台だけ導入されたディスク・トップ・マシン。
私はこれに刮目した。これまで一日がかりだった仕事を。パソコンは数時間で終わらせる。事務員の多くが必要なくなった。
同じころリストラと称する人員整理が始まった。
事務員は真っ先に解雇された。
一九九七年、山一證券が破綻した。これが時代の変わり目だったと私は思っている。
記者会見の席で、山一証券の重役が「社員は悪くありません」と涙ながらに語ったのを覚えている。
そのとおりだと思った。社員は悪くない。バブルに踊って、湯水のように金を使いまくった経営者が悪い。
しかし、その責任を取らされたのは働く人たちだった。私の会社にもリストラの波が押し寄せ。私が所属する部署は閉鎖されることになった。赤字部門だったからだ。
早期退職者の募集が行われ、好むと好まざるとにかかわらず、募集に応じなければ左遷され不遇を囲うことになる。
私は退職した。
就職氷河期の時代である。就職先は無かった。
ハロー・ワークで、ようやく見つけたのが三好水産だった。
三好水産では京都駅前店の出店を企画していた。
私はその年の夏の間、会社で寝泊まりして、寝る時間を惜しんで働いた。
私の人生において最も熱い夏だった。
「完全にブラックなのだ!」
戸部社長、そうだ、そのとおりだ。
だが、あの時ほど仕事が面白かった時代はない。
自分が持てる能力を限界まで引き出していた。
日々、新しい発見があり、自分の中に眠っていた能力に気づかされた。学ぶことが多く、学べば学ぶほど仕事は前進した。
「そんな状況でも楽しかったのか?」
戸部社長、面白いというと語弊があるかもしれないが、なぜか充実していた。
これは単純作業でなく、複雑で多面的な仕事だった。精神論は通用しないだけでなく、目に見える成果がないと仕事をしたことにならない。
三好社長は銀行からの資金調達に忙しく、出店に関する業務は全て私に任せてくれた。失敗したときは「儂が責任を取る」と言ってくれた。
「でも会社に泊まり込むなんて無茶苦茶っスね。」
だが、こう考えてくれ石崎君。
京都駅前店が成功すれば、私の職は安泰になる。会社には毎日、売り上げが入ってくることになる。楽ができるんだ。
「楽するために頑張ったのか?」
そのとおりだ、戸部社長。
楽をするためなら、どんなに厳しい状況も乗り越えられる。
そう言うと、戸部社長がガッツ・ポーズを作った。
「楽をするために頑張るのだ!」
頑張るのもいいが、もう九時を回っている。
そろそろ、異世界から現実に戻ろう。
明日は秋分の日でお休みだ。今日の仕事は切り上げよう。
私たちは書類を片づけて、帰宅することにした。
石崎君、もう遅いから、戸部社長を車で送っていってくれ。
「自転車で来てるから、送ってもらったら自転車を置いていかなければならないのだ。
「戸部っち、大丈夫。軽トラだから荷台に自転車を積んでいこうぜ。」
石崎君が戸部社長のママチャリを荷台に積み、軽トラは千本通に向かって走り出した。
私も車で送って欲しかったが、軽トラは二人乗りだから仕方がない。
私は鞍馬口通を千本鞍馬口のバス停まで歩いた。
鈴虫の鳴き声がどこからか聞こえてくる。
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。
私の人生で二番目に熱い夏が終わろうとしている。
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