第14話 兄の眼力、妹の涙

 戸部京子君を事務所に連れて帰ったのだが、彼女はただただ涙をこぼすだけだった。

 私は戸部京子君に今日は帰るように促し、彼女はうつむいたまま帰っていった。


 まずいことになった。五百万がここで失われてしまったのだ。戸部京子君の言うようにこれでは今月の給与の支払いができない。ここで終わりだとは思いたくはないが、手がないのも事実だ。


 私が思い悩んでいるところに訪問者があった。

 戸部京子君の兄、貴志君だった。


 「うちの京子が泣いて帰ってきましたわ。何があったか訊いたけど、何もしゃべらんのですわ。」

 彼は怒りで震えている。妹思いなのは分かるが、貴志君は少々過保護なのだ。


 私は社長室へ貴志君を遠し、二人で話すことにした。

 そして、年金保険料の差し押さえの件を順を追って説明した。


 「なんやと、年金保険料やと! 年金が消えるような日本一いいかげんな役所のくせしやがって、差し押さえやと。ほんま、日本の恥やな。社会保険事務所の奴ら、許さん!」

 まあまあ、怒っても今更どうしようもないんだ。妹さんはこの会社を守ろうと必死だった。それが終わりになったといって泣いているんだよ。

 「金かー。」

 そう言って貴志君も黙り込んだ。

 そうだ、金の問題だ。

 「コネと知恵やったらあるんやけどなー。」

 知恵は私も絞っているんだが・・・

 「京都学院大学の頭脳が、ここに二つもある。しかし、問題は金だ。」

 おいおい、茶化すな。貴志君。

 「ここは大学の応援歌でも歌って、元気出しましょ。」

 この状況で応援歌を歌うのか?

 「景気づけです。」


 ♪ 赤き血潮を胸に抱き-

 ♪ われ等、都の若人は、未来を夢見て突き進む!-

 ♪ グレート、グレート、京都学院!-


 私もつられて歌ってしまったではないか。


 「フレー、フレー、京都学院!」

 貴志君はコールに合わせて両手を大きく天に向かって広げたのだが、そのまま静止し固まってしまった。

彼は社長室の床の間を凝視している。大きく目を見開いて何事かを考えているようだ。


 そして、ぽつりとつぶやいたのだ。


 「これバイケンと違いますか?」


 バイケン???


 「吉田梅軒、江戸末期の絵師ですわ。」

 貴志君は床の間に飾ってある掛け軸を凝視している。

 「それから、この伊万里の大皿、古伊万里と違いますか。」

 私にはこういうものは分からないんだ。

 「しかし、梅軒の軸に伊万里の赤絵皿とは、アンビリバボーなコーディネイトですな。」

 貴志君、何を感心しているんだ。いったい何が言いたいんだ。

 「つまりですわ、コレ本物やったら一千万以上の価値があるんですわ。」

 一千万円だと。

 「論より証拠、鑑定師を呼びましょ。」

 そういって貴志君はスマホを取り出し、誰かに電話をかけた。

 「横ちゃん、えらいもん見つけたで。何やと思う。梅軒や。ほんまかって、ほんまや。俺の目に狂いはないけど・・・、ちょっと心配や。ここは専門家に見て欲しいのや。それからな、伊万里もあるのやけど、焼き物はオレには分からへん。他にもいろいろあるみたいやから大至急たのむわ。」


 一時間ほどして横ちゃんは現れた。目のギラギラした小太りの男だった。

 横山骨董店の三代目、目利きの横ちゃん、なのだそうだ。


 横ちゃんは貴志君と何やら話し込んでいる。それから、社長室のロッカーにしまってある骨董品を次々に取り出してはあれこれ言っている。

 「梅軒、間違いない。貴ちゃん、お手柄! お手柄!」

 横ちゃんは小さく柏手を打つ仕草をしてから続けた。

 「これは確かに古伊万里やけど、色が剝げたとこを塗りなおしてやがる。それも素人の仕事や。これで価値は半分ということやな。それよりロッカーの片隅にあった香炉がすごい。北宋やで。かなり状態は悪いけど。ほんまもんや。」

 私には何のことかさっぱり分からなかったが、このがらくたが金になるということだけはしっかり理解した。


 三好社長は、骨董に凝ったことがある。老後の趣味にしようと思っていたらしい。

骨頂屋の言われるままにあれこれと買っていたようだが、社長に見る目があったとは思えない。

 三好社長が成功者と成りえたいちばんの要素は、運が良かったことだと私は思っている。そうでなければ、一介の魚屋から回転寿司チェーンを経営するようになるなどといった飛躍はありえなかった。

 その強運が骨董収集においても作用したのだ。

 分かりもせず買ったもののなかに、本物が紛れ込んでいたのだ。

 誰もががらくたと思っていたが、貴志君のような人が見ると分かるのだ。


 そして、その強運が私たちに助け舟を用意してくれた。

 禍福かふくあざなえる縄の如しである。


 横ちゃんの鑑定によると、このがらくた、いやお宝の総額は二千二百万円ほどになるという。ここから横ちゃんの仲介料を差し引いても二千万弱の金が残る。

 「部長、このお宝、会社の資産リストに載ってますか?」

 いや、これは三好社長が社長室の調度品扱いで購入したものだが、リストには載っていない。

 「そうですか。それなら、横ちゃん、コレ、現金で貰われへんか?」

 「現金かいな。ええで。」

 なるほど、このお宝は資産リストに無い。つまりはお金として存在しないことになる。会社の備品のボールペンと同じ扱いになるのだ。

 銀行振り込みなら、通帳にお金として記載されてしまうが、現金なら帳簿上存在しないお金にできる。これを新しい会社の資本金にするのだ。

 見つかれば横領か背任ということになるのだが、当の三好社長でさえこれらの骨董の価値を知らない。それに骨董品の価値ほど不明瞭なものはない。


 「貴志君、ありがとう。」と私は言った。

 いますぐ、妹さんにも吉報を届けようじゃないか。

 「部長、ちょっと待ってください。京子の奴、ここのところ調子こいとんのですわ。せやから、ここは少し反省させましょ。明日の朝のサプライズということで、どうでっしゃろう。」

 さっきは京子君が泣いて帰ってきたと怒り心頭だったのではないかね。

 だが、それも悪くない。京子君を驚かせてやろう。


 「横ちゃんええ時間になっとる。飲みに行くでー。」

 横ちゃんは、うれしそうにうなずいて答えた。

 「久々の太秦やさかい、『やしろ湯』でひとっ風呂浴びてから一杯引っ掛けましょか。」

 「蚕ノ社の近くに、この間ご隠居さんを案内した店があってやな、旨い鱧(はも)を食わしよる。」

 「もう鱧の季節やねぇ。」

 横ちゃんは、また柏手を打つ仕草をして、貴志君に同意した。


 銭湯のあと、鱧落としで一杯。若旦那らしい粋な遊び方だ。

 感心している私を残して、貴志君は嵐のように去っていった。


 戸部貴司君は独特の才能を持つ男である。一部の読者に熱狂的に支持されるカルト作家であるばかりか、京都の町のコディネーターとしてボランティア活動をしている。広沢亭の仕事に関してはいいかげんなグータラ息子ではあるが、老舗料理旅館の跡取という環境が彼の才能に大きく関わっている。

 役にも立たない知識が彼の教養となり、私たち凡人には及びのつかない発想ができる。

 有用かといえば無用。無用かといえば有用。

 それが貴司君の価値なのかも知れない。



 私たちはこの三日後、一千九百八十二万円の秘密資金を手にすることになる。


 戸部京子君、君の涙に高値がついたぞ。


 私は彼女が笑顔を取り戻すのを想像して、ほくそ笑んだ。

 それにしても、妹思いの兄の眼力には恐れ入るばかりである。



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